学位論文要旨



No 124110
著者(漢字) 邱,建國
著者(英字)
著者(カナ) キュウ,ケンコク
標題(和) 劣化リスクを包含したLCCに基づくRC造建築物の維持保全最適化システムに関する研究
標題(洋)
報告番号 124110
報告番号 甲24110
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6879号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 野口,貴文
 東京大学 教授 久保,哲夫
 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 准教授 塩原,等
内容要旨 要旨を表示する

都市には数多くのストックがあり、RC造建築物はその都市のストックの重要な一部分である。また、都市の再生及び環境問題を解決するための一環として,鉄筋コンクリート造建築物の維持保全・長寿命化を実現するための様々な技術の確保が必要である。RC造建築物の維持保全・長寿命において重要となるのは、RC造建築物の経時的な状態変化を想定し、将来の状態変化を現時点において定量的に分析し、予測によって維持管理或は維持保全に反映させるということである。維持管理或は維持保全の際に考慮すべき事象としては、建築物の供用期間中に建築物の機能・性能を妨げる原因となる全ての事象となる。国や地域などにより配慮すべき事象が異なるが、本研究では地震及び材料劣化による被害を想定し、これらの焦点を絞ることとする。

維持管理或は維持保全の問題はコンクリート工学の有史以来の第一義的なテーマであり続けているが、リスクマネジメントという考え方の近年の急速な広がりと世の中における受容を受けて、リスクマネジメントの考え方に基づいて改めて維持管理或は維持保全の問題を捉え直す機運が高まっている。そこで、近年、リスクを考慮する維持保全或は維持管理に関する研究が多くなされているが、その多くは地震や補修リスクに関するものであり、材料劣化を考慮した耐震安全性のリスクの評価はほとんどなされてない。

一般的に、中性化や塩害などRC造建築物に発生する劣化現象の大部分は、鉄筋の腐食による建築物の耐力低下につながる。したがって、RC造建築物の耐久設計及び最終的な寿命の評価は、鉄筋の腐食に伴う耐力低下に基づいてなされるのが適切であるといえる。鉄筋が腐食した構造部材は、その腐食要因を調査した後、適切な補修を施すのが一般的であるが、リスクを定量的に分析し、損失を最小限に抑える手法や最適な補修・補強計画を提案するための研究は少ない。性能設計、不動産群のリスク分散化、ライフサイクル維持管理が重視される現在、適切な劣化リスクの評価モデルと維持保全計画の構築システムが必要である。

建築物における維持保全活動を計画する前に、まず耐用年数あるいは限界状態を評価する。近年、鉄筋コンクリート造建築物の耐用年数の評価規準としては、中性化寿命説(あるいは塩分侵入量)、鉄筋の腐食確率に関するひびわれ寿命説及び構造耐力低下寿命説の三つがある。いずれも確率的手法により環境条件やコンクリートの品質などのばらつきを考慮し、既往の実態調査に基づき限界量を要求機能・性能に合うように設定して耐用年数を予測する。鉄筋腐食確率は部材のひび割れと構造耐力低下との関係があるが、要求機能・性能に基づき明確的な評価手法が必要である。

以上の背景を踏まえ、頻繁に地震に見まわれる日本においては、RC造建築物を対象として構造安全性能及び使用安全性能に基づきその耐久性・寿命を検討し、劣化リスクを含むイフサイクルコスト(LCC)を最小化する補修・補強方針を評価するシステムが期待されている。さらに、実際の建築物の維持保全計画を定める場合、単に経済的最適計画が要求されるだけではなく、所有者の意思及び劣化状況を考慮した実現可能で評価の優れた他の準最適計画も重要になる場合も少なくない。このため、本研究は、中性化、塩害などに伴う劣化リスクを含めたLCC及び所有者の意思と劣化状況を考慮する最適な維持保全計画の構築を目的とする。この目的を達成するため、以下の研究項目を明らかとする事を目指す。

◆RC造建築物における劣化モデルの構築及び劣化に伴う損失の評価(劣化リスク)

◆限界状態に基づく耐用年数の評価

◆既存RC造建築物における劣化予測の修正

◆維持保全行為の影響を評価するためのメンテナンス効果の実装

◆維持保全行為における費用モデルの構築

◆LCC最小化を目的とする維持保全計画準最適解の導出(経済性)

◆所有者意思及び劣化状況に基づく最適補修水準の推論(実現性)

本論文は全七章で構成され、各章の概要及び主な内容を下記のようにまとめる。

■第一章 序論

本章では、この研究の背景及び目的、本論文の構成を述べる。

■第二章 既往研究及び文献調査

本章では、既往の文献調査により、土木・建築分野におけるリスクマネジメント、耐用年数及び限界状態、維持保全計画、最適化システムに関する研究を本研究との関連を中心にまとめる。

■第三章 劣化リスクの評価手法に関する研究

本章では、塩害、中性化及び複合劣化(中性化及び内存塩分、凍害及び塩分侵入、凍害及び中性化)の劣化リスク評価の構築手法を提案することを目的とする。不確実性を考慮した劣化モデル(塩害、中性化及び複合劣化)を通して腐食開始時期を評価し、鉄筋の腐食程度を変数とする各材料要素の構成則を既往の実験に基づいてまとめ、「トラス・アーチ理論」および「平面保持を仮定した塑性曲げ理論」により、鉄筋が腐食した部材の構造性能(せん断耐力と曲げ耐力)を簡便に算定する。鉄筋が腐食した部材のせん断耐力と曲げ耐力を把握する上で、地震危険度分析での再現期間500年(二次設計時の大地震、震度階6強~7)となる地震動を倒壊によって人命の損失を生じないような要求基準とし、構造安全性能指標を構築する。また、腐食速度の不確実性を想定し、確率論的手法を用いて部材及び建物の「破壊確率」を算定し、想定する供用期間のリスクあるいは損失を評価する。

RC造建築物の劣化に伴うリスク(図1)には、再現期間500年の地震動に対する損失コスト(構造安全性能評価)のほかに、再現期間100年の地震動に対するコンクリート剥落による損失コスト(使用安全性評価)も含まれる。本研究では、かぶり厚さや鉄筋腐食速度などの不確実性を考慮した上で、文献及び調査により剥離が生じる鉄筋腐食量を設定し、最外側鉄筋に対する「剥離確率」を使用安全性評価として算定し、想定する供用期間の損失コストを評価する。

■第四章 RC建築物・部材の耐用年数及び限界状態に関する研究

本章では、信頼性理論により第三章に示す構造安全性能及び使用安全性能の限界状態を考慮してRC造建築物・部材の耐用年数の予測手法を提案することとした。なお、既存建築物の維持保全および耐用年数予測は、新築の建築物と違い、劣化に関わるデータが予測値だけではなくて、現時点で得られた点検資料や調査資料などもある。既存建築物を対象として詳細な調査により得られた中性化深さ、侵入塩分量あるいは鉄筋腐食量がそれまでの予測値と異なることになった場合、それまでの予測を更新する必要がある。このため、本章ではベイズ法(Bayesian Method)により詳細調査の結果を用いて予測値を更新し、さらに更新した資料に基づいて先の将来予測(中性化深さ、塩分侵入量、鉄筋腐食量など)を行い、耐用年数および限界状態を再評価する方法を提案することとした。

■第五章 補修の費用及び効用に関する研究

本章では、以下のように5つの補修水準を設定し、後述の免疫的アルゴリズムによって維持保全計画の最適化を行うことには膨大な計算量が必要なため、確率論手法に基づき補修後の効果評価モデルを構築することとした。

▲TYPE-I---外観補修(補修部分の再劣化が含まれる)

▲TYPE-II---外観補修+腐食部分補修(補修部分の再劣化が含まれる)

▲TYPE-III---外観補修+腐食部分補修+全面的内存劣化要因除去

▲TYPE-IV---外観補修+腐食部分補修+鉄筋追加(補修部分の再劣化が含まれる)

▲TYPE-V---外観補修+腐食部分補修+全面的内存劣化要因除去+鉄筋追加

維持管理や維持保全を計画することには、補修後の効果評価がもちろん、コストの見積りも重要だと考えられるが、現時点では、劣化に伴う補修必要面積の精度よく予測できる方法が欠如している。このため、本章では、劣化後の剥離確率及び鉄筋の重量減少率(部材の最外側)をもとに補修水準及び劣化状況により補修範囲を評価し、コストを計算する方法を提案する。

■第六章 維持保全計画最適化システムの構築に関する研究

実際の建築物の維持保全計画を定める場合、単に大域的最適解が要求されるだけではなく、所有者の意思及び劣化状況を考慮した実現可能で評価の優れた他の準最適解も重要になる場合も少なくない。このような計画最適化問題に対し、免疫的アルゴリズム(Immune Algorithm; IA)は独自の調節機構を有していることから、一つの解に収束することなく複数の準最適解を一度に探索できる能力が示されていて、多様な複数の解を得る手段として注目され始めている。

そこで、本研究ではIAにより塩分侵入や中性化などに伴う劣化リスクを含めたLCCを最小化する維持保全計画構築手法を提案することを目的とした一連の研究を行う。さらに、IAからの準最適解集合(LCCは一定の範囲内)に対して、簡略化ファジィ理論により所有者意思及び劣化状況に基づく実現性の最も高い維持保全計画、即ち本研究での最適維持保全計画を推論する方法を提案する(図2)。つまり、本研究での最適維持保全計画というのは、LCCを減少することに対して有効だけではなく、実現性に対して高い評価を持つものである。

■第七章 結論

本論文における総括の結論として論文の全般的なまとめについて述べる。一連の試算例を基礎とし、IA或はGAによるLCCを最小化する維持保全計画により、塩分侵入、中性化及び複合劣化に伴う建物の破壊確率、剥離確率、鉄筋腐食量及びLCCが減少される。つまり、本研究に提案した維持保全計画最適化システムによりLCCを減少することに対する有効な補修計画を探索することができると考えられる。さらに、本システムの出力解から多様性の高い複数の維持保全計画が得られたことを示し、所有者意思及び劣化状況を考慮し実現可能な優位解の探索に対しても有効なシステムであることが明らかになった。

図1 劣化リスクの計算フロー(中性化事例)

図2 維持保全計画最適化システム

審査要旨 要旨を表示する

邱建國氏から提出された「劣化リスクを包含したLCCに基づくRC造建築物の維持保全最適化システムに関する研究」は、現代社会において主要な都市ストックを構成する鉄筋コンクリート造建築物を対象として、その地震時の耐震安全性および平常時の使用安全性を脅かす可能性のある中性化・塩害による鉄筋腐食に伴うリスクをライフサイクルコスト(LCC)の算定に組み込み、さらに、所有者の意志をも考慮した上でLCCを最小化できる補修・補強方法の決定を支援するシステムの基本的枠組みを示したものである。鉄筋コンクリート造建築物の劣化現象の予測および劣化を生じた鉄筋コンクリート部材の耐荷力の推定に関する研究は、近年活発に実施されてきており、めざましい進歩を遂げつつある。また、我が国のような地震国では、地震による被害リスクを考慮した耐震設計や補強計画に関する研究が進められ、その実施機運も高まってきている。このような状況下において、邱氏は、鉄筋コンクリートの最も重要な劣化現象である鉄筋腐食現象と建築物の重要な性能である耐震性・使用安全性を定量的に関連づけ、免疫的アルゴリズムという手法を導入し、リスクマネジメントの手法に基づいて維持保全計画を最適化するシステムのプロトタイプをも構築している。

本研究は7つの章で構成されている。

第1章では、本研究の背景、目的、範囲などが的確に述べられている。

第2章では、本研究に関連する土木・建築分野における、耐用年数および限界状態に対する従来の考え方、ならびに維持保全計画、リスクマネジメント手法および最適化システムに関する既往の研究が要領よくまとめられている。

第3章では、塩害、中性化および複合劣化を対象として、鉄筋腐食が生じた鉄筋コンクリート部材の平常時におけるかぶりコンクリートの剥離可能性(使用安全性)および地震時の耐力(構造安全性)を簡便に算定する手法が取り纏められ、想定供用期間中の損失コストを評価する方法が適切に提案されている。劣化現象の考慮に際しては、中性化速度、塩分侵入速度および鉄筋腐食速度の変動が考慮されるとともに、かぶり厚さなどの施工誤差ならびに曲げ耐力およびせん断耐力の算定式の不確実性までもが考慮され、確率論的手法によって鉄筋コンクリート部材および建築物の破壊確率ならびにかぶりコンクリートの剥離確率を的確に算定できる方法が論理的に示されている。また、再現期間500年の地震動に対しても建築物の倒壊によって人命損失が生じないことが要求基準とされるなど、適切なリスク算定手法が示されている。

第4章では、第3章で示された構造安全性および使用安全性に対して、信頼性理論に基づいて合理的に限界状態が設定され、鉄筋コンクリート部材および鉄筋コンクリート造建築物の耐用年数の合理的な予測手法が提案されている。既存建築物に対しては、調査・点検で得られた実データを基にベイズ理論を利用して予測値を更新するといった有益な手法が提案されている。さらに、その更新データに基づいて劣化現象の将来予測を行い、鉄筋コンクリート部材および鉄筋コンクリート造建築物の耐用年数および限界状態を再評価するといった実用上意義深い方法が提案されている。

第5章では、維持保全計画を立案する上で考慮すべき補修・補強費用の算出方法が適切に示されるとともに、補修・補強の性能向上効果を表す合理的なモデルが示されている。すなわち、維持保全計画の立案を簡便化することを目的として、補修・補強の水準は実用的な5段階に分類されるとともに、かぶりコンクリートの剥離確率および鉄筋の腐食減量率に基づき補修水準および補修範囲を評価できる有用な手法が提案され、コスト評価が容易に行えるようになっている。

第6章では、中性化および塩害によって鉄筋が腐食し、構造安全性および使用安全性にリスクを生じる可能性のある鉄筋コンクリート造建築物に対して、LCCを大幅に削減でき、かつ技術的にも実現可能な維持保全計画を提案するための基本的考え方が示されるとともに、その提案を支援できるシステムのプロトタイプが適切に構築されている。支援システムの構築に際しては、単一解に収束することなく複数の準最適解を一度に探索できる能力が示され、多様な解を得ることのできる免疫的アルゴリズムが的確に利用されている。また、得られた準最適に対して、所有者の意志をも考慮して実現性の高い解を得るために、簡略化ファジィ理論が的確に用いられている。

第7章では、本論文の結論と今後の課題が要領よくまとめられている。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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