学位論文要旨



No 124142
著者(漢字) 桂,法称
著者(英字)
著者(カナ) カツラ,ホウショウ
標題(和) らせん磁性体におけるスピンと電気分極の結合に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical Studies on Spin and Electric Polarization in Helical Magnets
報告番号 124142
報告番号 甲24142
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6911号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 准教授 求,幸年
 東京大学 准教授 島野,亮
内容要旨 要旨を表示する

磁性体と強誘電体は、それぞれ固体物理学における主要な研究対象の一つであるが、従来の研究において磁性と強誘電性の共存する系、あるいはそれらの間の相関に関する研究はあまり行われてこなかった。その一つの大きな理由として、磁性かつ強誘電性を有する物質がほとんど存在しないことが挙げられる。また磁性と強誘電性の間の相関についても、電気磁気効果と呼ばれる外部磁場による電気分極の応答、あるいは外部電場による磁化の応答といった現象が、P. Curieによって19世紀末に予言されていたが、Cr2O3などの実際の物質においては非常に小さな効果としてしか観測されていなかった。しかし、近年になりマルチフェロイクスと呼ばれる磁性と強誘電性を兼ね備えた一連の物質群が相次いで発見されるようになった。これらの物質群の著しい特徴は、単に磁性と強誘電性の共存相が存在するだけでなく、それらの間に巨大な相関がある点である。また実験的には、これらの物質群の多くは磁気的フラストレーションによりらせん磁気構造のような非共線的な構造を持つことが明らかになりつつある。これらの点を踏まえて、本博士論文ではフラストレーションにより実現されるらせん磁気構造と磁性と強誘電性の間の結合との関係を様々な観点から調べた。具体的には、(1) 磁気秩序により誘起される強誘電性の微視的理論、(2) マルチフェロイックらせん磁性体における新しい素励起、(3) 低次元マルチフェロイクスにおける量子揺らぎと磁気相転移、(4) 非整合らせん磁性体における電子状態の局在-非局在、に関する研究をおこなった。

(1)磁気秩序により誘起される強誘電性の微視的理論

従来の電気磁気効果に関する研究では、磁性と強誘電性の間の結合について群論を用いた現象論的な考察しか行われてこなかったが、本研究では量子論と相対論に立脚した微視的観点からこの結合を見直すことを試みた。磁場と電場がローレンツ変換により結び付いているのと同様に、物質中においてスピンと電気分極も相対論的効果であるスピン・軌道相互作用によって結び付いている。この点に着目して、d, p軌道からなる微視的なクラスター模型において、スピン・軌道相互作用を考慮することによって、磁気秩序のみが反転対称性を破っている場合にも有限の電気分極が発生することを示した。このときクラスターにおける2つのスピン(Si,Sj )と電気分極( P)の間の関係は、 p∝e(ij)(Si×Sj)で与えられる。ここで、 e(ij)は2つのスピンを結ぶ単位ベクトルである。またこの結果が、時間・空間反転操作に関して電気分極と同じ変換性を示すスピン流というカレントが流れていると考えることにより直感的に理解できることを示した。下図は、以上の結果を用いて、非共線なスピン構造(黒矢印)に対応して発生する電気分極(青矢印)およびスピン流(緑矢印)を示したものである。(b)のようにスピンがxy面内で回転するらせん磁気構造を持つ場合にはバルクの電気分極が得られ強誘電性を示す。また、電気磁気効果は外部磁場による磁気構造の変化が電気分極の応答をもたらすことから理解できることを示した。

本論文では結果の妥当性を、群論を用いた議論やその他の現象論的理論との比較を行い検討した。また、この結果とマルチフェロイクスにおける実験的研究との比較を行った。特に山崎らによるTbMnO3における偏極中性子散乱実験の結果と上で述べたスピンと電気分極の間の関係が非常に良い一致を示している点を挙げた。

(2)マルチフェロイックらせん磁性体における新しい素励起

らせん磁性体における磁性と強誘電性の結合に関する研究を、特にダイナミクスの観点から行った。具体的には、先ず(1)の微視的な模型の結果を再現するようなスピンと分極の結合した現象論的な模型を構成し、その古典的な基底状態を求めた。次に、永宮らによって考案されたらせん磁性体におけるスピン波近似を改良したものを、この現象論的模型に適用し、その素励起の詳細な性質を調べた。その結果、スピン波と分極波の結合した全く新しいタイプの素励起、Electro-magnon、が存在し得ることを明らかにした。またこの素励起を介した電場によるスピン波の励起、あるいは磁場による分極波の励起といった動的かつ交差的な電気磁気効果が共鳴効果により増強される可能性を示し、そのテラヘルツ領域での応答の具体的な評価をRMnO3系(R=Tb, Dy)における実験結果から模型のパラメータを見積もることにより行った。

(3)低次元マルチフェロイクスにおける量子揺らぎと磁気相転移

近年、従来見つかっていたRMnO3系(R=Tb, Dy)やRMn2O5系(R=Tb, Y)などのMn酸化物の系のマルチフェロイクス以外にも、積層三角格子の系であるCuFeO2, カゴメ格子系Ni3V2O8, S=1/2の一次元スピン系LiCuVO4, LiCu2O2など多岐に渡る系において実験的に自発電気分極と磁気秩序の非自明な関係が確認されている。現在までに見つかっているマルチフェッロイクスの物質は次元性(1, 2, 3次元)、スピンの大きさ(S=1/2, 1, 3/2,…)、フラストレーションの構造などは様々である。これらの様々な要素のうち何が量子揺らぎの効果を増強し、従来のらせん磁性体における古典的な描像との差異を与えるかという点は興味深い問題である。これを調べるにあたり、非摂動的な手法であるSchwinger boson平均場理論を用いて、数値的に基底状態・有限温度の性質を調べその結果、系の次元性が低いときにはスピンの量子性が顕著に効くが3次元の場合には従来のスピン波的な描像とコンシステントになることを見出した。またこのことから、量子揺らぎの効果が重要となる低次元の場合について、鎖間・面間平均場近似と上述のSchwinger boson法を組み合わせて有限温度の磁気相図を調べ、高温の常磁性相と低温のらせん磁気相の間に共線的な磁気相が存在することを発見した。これは最近の1次元マルチフェロイクスLiCu2O2における実験結果とも整合的である。またこのSchwinger bosonの描像から中性子散乱および誘電応答などの動的性質を調べ、2-boson過程に対応する連続的なスペクトルが表れることを明らかにした。

(4)非整合らせん磁性体における電子状態の局在-非局在

ランダム系や非整合系などの非周期系における電子状態の局在-非局在性は,その特異な伝導性などに対する興味から、古くから多くの研究がなされてきた。本研究では、らせん磁気構造をもつ遷移金属酸化物系において、らせん周期の結晶構造に対する非整合性に起因する電子状態の局在-非局在性を調べた。解析は、(1)非整合らせんスピン構造による平均場, (2)スピン・軌道相互作用, (3)立方対称配位子場, (4)酸素を介しての電子の飛び移りの4つの微視的効果を取り込んだ多軌道の電子模型を用いて行った。局在長の計算は、MacKinnonの手法と呼ばれるGreen関数を再帰的に計算する手法を、上の模型に適用することにより行った。その結果スピン軌道相互作用が強い場合には、(1)軌道の種類, (2)らせんのピッチ, (3)スピン回転面の方向などに依存して、電子状態はらせん軸方向に局在-非局在の複雑な様相を示すことが明らかになった(左下図はエネルギースペクトルおよび局在長をらせんのピッチに対して示したものである)。また、この軌道に依存した局在-非局在性の起源を探るため、有効的なスピン軌道多重項ごとの模型を導出した。その結果、ある種のゲージ変換によって非整合ポテンシャルの効果を消せるか否かが、電子状態の局在-非局在性に大きな違いを与えていることを明らかにした。右下図は局在が強く見られる軌道に対する有効モデルの、スピンの回転面に依存したスペクトルおよび局在長を示したものである。また、以上の結果から、もし上で述べた条件を満たす系が実現した場合には、i) 整合-非整合転移にともなう抵抗率の大きな異方性、ii) 磁場によりスピンの回転面を変化させたときに起こる局在-非局在転移の2点が観測にかかる可能性があることを提唱した。

(a) 多軌道模型のエネルギーおよび局在長 (b) 有効模型の局在長の回転面依存性

審査要旨 要旨を表示する

磁性と誘電性は固体の物性として最も基本的な性質であるが、両者の結合-電気磁気効果-は従来非常に弱いものとされてきた。ところが近年この常識を覆す実験がなされ、磁気秩序と強誘電性が同時に存在し、しかも両者が強く結合する系-マルチフェロイック系-が見出されたのである。桂氏は、この問題に対して物性理論の立場からアプローチし、微視的理論を構築することで新たな実験・現象の提案、新奇な実験結果の説明を行なった。特にスピン軌道相互作用の存在下で非共線スピン構造が誘起する電気分極の微視的理論を発展させ、これをヘリカル磁性体に適用することでその基底状態、集団励起モード、スピンの量子揺らぎの効果などを体系的に調べた。

まず、遷移金属イオン2つが酸素をはさむ超交換相互作用の配置のクラスター模型を用いて、電気分極 Pはスピン Si、 Sjと両者のスピン位置を結ぶボンド方向の単位ベクトル e(ij)を用いてP∝e(ij)×(Si×Sj) という公式で与えられることを見出した。これをヘリカル磁性体に適用し、どのような構造のスピン配列が、どの方向に電気分極を出すか?という問題を考察した。この理論は現在マルチフェロイック物質として知られている物質の中のかなりの数の強誘電性を説明することが実証されるに至っており、桂氏の理論は物質探索、物性実験双方の指導原理を与えるものとして高く評価されている。さらに進んで、ヘリカル磁性体の集団励起モードをスピン波近似のもとで考察し、「エレクトロマグノン」の誘電応答を明らかにして、当時ドイツで行なわれたTbMnO3の実験結果を解析した。しかし、その後日本で行なわれた同物質に関するテラヘルツ分光の研究により、この「エレクトロマグノン」による解釈は否定され、それに応じて、スピンの量子揺らぎを摂動論を超えて解析する必要が生じた。この目的のために、桂氏はSchwinger boson法を用いた、ヘリカル磁性体の量子論を発展させた。この解析により、ヘリカルスピン相の上の温度で共線反強磁性状態が現れること、2マグノン過程によって特異な赤外吸収スペクトルが得られること、などを明らかにした。

最後に、金属ヘリカル磁性体中の電子状態に関する研究をも行なった。非整合相では電子の感じるポテンシャルも結晶の周期と有理数の関係にないものとなるために、ブロッホの定理が使えなくなる。そのために、電子状態の局在という問題が浮かび上がってくる。桂氏は、この問題を転送行列法を用いた数値計算により研究し、局在-非局在の相図を完成させた。この研究は今後、金属ヘリカル磁性体の輸送現象の理解に資するものと考えられる。

本論文は6つのChapter, Appendix A-Gからなる。

Chapter1は"Introduction"として電気磁気効果、マルチフェロイック、フラストレートヘリカル磁性体、スピン軌道相互作用、に関する基本的な予備知識をまとめている。研究の歴史や、現在までに知られているマルチフェロイック物質のリスト、スピン軌道相互作用と結晶場分裂など、本編の理解のための準備を述べるとともに、最後に本論文の構成を述べている。

Chapter2は"Microscopic Mechanism of Magnetically Driven Ferroelectricity in Helical Magnets"として、クラスター模型を用いた、スピンに由来する電気分極の量子力学的計算について述べている。摂動論を用いた表式と同時に数値的にハミルトニアン行列を対角化して求めた結果をも示している。この結果を周期的結晶に応用し、種々のヘリカル磁性体における電気分極を議論し、実験との対応をまとめた。さらに他の著者による理論との関係を議論し、最後にゲージ場理論との関連について言及している。

Chapter3は"Dynamical Magneto-electric Coupling in Helical Magnets"として電気分極と結合したヘリカル磁性体の模型を設定し、その集団励起モードの解析を行なっている。グリーン関数法を用いて、スピン波による各種応答関数を計算し、その結果「エレクトロマグノン」による誘電応答が最も顕著に現れることを見出した。その振動子強度を評価し、ドイツのグルーフ°のTbMnO3に対する実験と比較した。

Chapter4は"Quantum Theory of Multiferroic Helimagnets: Collinear and Helical Phases"として、Schwinger boson法を用いたヘリカル磁性体の量子論について述べている。有限温度の相図、励起スペクトルを平均場近似の範囲内で求めた。量子揺らぎが「共線磁気構造」を好むことを明らかにし、それがヘリカル相の上の温度で共線反強磁性状態をもたらすことを見出した。さらにこの励起スペクトルがもたらす特異な赤外吸収スペクトルを議論している。

Chapter5は"Electron Localization/Delocalization in Incommensurate Helical Magnets"で、非整合(incommensurate)スピン構造による電子波の局在・非局在を転送行列法を用いた数値計算で調べた結果を述べている。この結果から、金属ヘリカル磁性体の輸送現象について議論した。

Chapter6は"Summary"として、全体のまとめとともに今後の展望について述べている。付録としてAppendix Aでは軌道間の飛び移り積分に関するSlater-Koster Table, Appendix Bでは群論のWigner and Clebsch-Gordan coefficients, Appendix C では電気分極の計算に必要なMatrix Element for Polarization, Appendix Dでは電気分極の微視的理論であるBerry Phase Formula for Electric Polarization, Appendix EではSchwinger Boson Mean Field Theory, Appendix FではGeneralized Bogoliubov transformation and Bloch-DeDominics theorem, Appendix Gでは中性子散乱実験にかんするPolarized Neutron Scattering について解説している。

以上をまとめると、本論文ではマルチフェロイック現象に理論の立場から新しい原理を提唱し、その基底状態、励起状態を微視的な立場から研究した重要な研究であり、多くの実験結果を説明するとともに、新奇な効果・現象の予言・提案を行った。本論文の研究により、マルチフェロイック物質の基礎・応用に関する理解が進展し、今後の物理工学へ寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

なお本論文は桂法称氏、(部分的には)田中宗氏、および指導教員永長直人との共同研究であるが,論文提出者が主体となった計算、解析において、論文提出者の寄与が、学位授与に当たって、十分であることが認められた。

UTokyo Repositoryリンク