学位論文要旨



No 124144
著者(漢字) 三澤,貴宏
著者(英字)
著者(カナ) ミサワ,タカヒロ
標題(和) 一次相転移の近接効果によってもたらされる非従来型の量子臨界性
標題(洋) Unconventional Quantum Criticality Induced by Proximity of First-Order Phase Transitions
報告番号 124144
報告番号 甲24144
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6913号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 准教授 求,幸年
 東京大学 准教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

(本文)固体中の電子がバンド幅に匹敵するほどの大きなクーロン斥力で相互作用しあう系は強相関電子系と呼ばれ、近年の固体物理学の中心的な研究対象である。この強相関電子系においては、電子間に働く強い相互作用の結果、様々な秩序が競合しあっていることが知られている。そのため、制御パラメター(磁場、組成比、圧力など)の値のわずかな変化によって相転移(磁気転移、電荷秩序転移、金属-絶縁体転移など)の臨界温度が絶対零度にまで下がり、量子臨界点が出現する。このことから、量子臨界点は強相関電子系において普遍的な存在であるといえる。

この量子臨界点近傍では、低温での物理量(比熱、抵抗率、帯磁率など)の温度依存性は通常の金属相を普遍的に記述すると考えられているランダウのフェルミ液体論に従わず、いわゆる非フェルミ液体的挙動が現れることが理論・実験の両方から指摘されている。これは量子臨界点近傍では、強い量子揺らぎのために通常の金属の性質が劇的に変化していることを示している。さらに、この非フェルミ液体的挙動が現れる量子臨界点近傍で異方的超伝導などの強相関電子系特有の新奇な現象が発現している。これは、量子臨界点の性質が強相関電子系特有の新奇な現象と密接に関わっていることを示唆しており、その本質を明らかにする研究が注目を集めている。

量子臨界点近傍での非フェルミ液体的挙動を説明する従来の理論としては、守谷・Hertz・Millisらによって提唱されている、スピン揺らぎ理論がある。この理論の枠組みでは、量子臨界点近傍で増大する磁気的な秩序変数の揺らぎ(スピン揺らぎ)が電子状態の変化をもたらし、その結果、非フェルミ液体的挙動が現れる。この理論は多くの物質で見られている非フェルミ液体的挙動を説明する上で最も基礎的な理論と考えられており、幅広く用いられている。

しかし、近年の実験で、この従来の理論では説明できない非従来型の量子臨界性が数多くの物質で発見されている。たとえば、遍歴強磁性体であるZrZn2では非フェルミ液体的挙動が従来の理論の予測よりもはるかに広い領域で現れることが指摘されている。同様の振舞いはMnSiやNiS2でも観測されている。また、YbRh2Si2では反強磁性の量子臨界点近傍で一様帯磁率が発散的に増大するといった、不可解な振舞いが観測されている。これらの実験事実は、量子臨界現象の統一的な理解には従来の枠組みを超えた新しい視点が必要であることを示している。

この博士論文では、これらの物質で観測されている非従来型の量子臨界性を説明するひとつの視点として、一次相転移の近接効果を提案した。実際に、上にあげた物質の多くでは、一次相転移が近傍に存在することが指摘されている。また一般に、一次相転移に近づくことで、連続相転移の場合よりも大きな電子状態の変化が起きることが期待され、その大きな変化が非従来型の量子臨界性をもたらすと考えられる。

この博士論文では、まず従来の並進対称性を破る相転移の場合に、一次相転移の近接効果によって非従来型の量子臨界性が現れることを明らかにした。従来の量子臨界点は絶対零度で連続相転移が起きる点であるが、この連続相転移が一次相転移に切り替わるところで量子三重臨界点という非従来型の量子臨界点が現れる。この量子三重臨界点の性質を従来のスピン揺らぎ理論を拡張することで明らかにして、非従来型の非フェルミ液体的挙動が現れることを示した。そして、この量子三重臨界性が、重い電子系の典型物質であるYbRh2Si2の反強磁性量子臨界点近傍で観測されている非従来型の量子臨界性をよく説明することを示した。

また、並進対称性の破れを伴わない相転移の典型例である金属-絶縁体転移にも、一次相転移の近接効果によって、非従来型の量子臨界性が現れることを明らかにした。具体的には、金属-絶縁体転移を記述する最も基礎的な模型であるハバード模型にたいして、平均場近似を行い、金属-絶縁体転移の臨界性を系統的に調べた。その結果、絶対零度では、ある領域においてフェルミ面の有無で特徴づけられる金属-絶縁体間の連続相転移が生じることがわかった。さらに、この連続相転移が電子間の相互作用やフラストレーションの効果によって一次相転移に切り替わるところで「限界量子臨界点」という非従来型の量子臨界点が現れることを見出した。この限界量子臨界点では、フェルミ面のトポロジーの変化のために、従来の臨界現象とは全く異なる普遍性クラスが現れることを明らかにした。さらに、この限界量子臨界点の臨界性が有機導体k-(ET)Cu[N(CN)2]Clにおいて観測されている金属-絶縁体転移の非従来型の臨界性をよく説明することを示した。

今回の博士論文の研究で明らかにした、これら二つの非従来型の量子臨界点の臨界性は量子臨界現象の研究に新しい視点を加えるだけでなく、強相関電子系の未解明の問題である、高温超伝導などの特異な現象を解明する上で重要な役割を果たすことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

遷移金属化合物、有機導体など一群の物質の中には、固体中の電子が、バンド幅に匹敵するか、あるいはそれ以上に大きな有効クーロン斥力で相互作用しあうものがあり、強相関電子系と呼ばれる。強相関電子系は近年の物質科学の中心的かつ活発な研究対象である。強相関電子系においては、電子間に働く強い相互作用により、固体中電子の標準的な理論であるフェルミ液体論に従わなかったり、非従来型の物性や様々な秩序間の競合による多彩な物性を示すことが注目を集めている。特に、制御パラメータ(磁場、組成比、圧力など)の値の変化によって磁気転移、電荷秩序転移、金属-絶縁体転移などの相転移の臨界温度は、電子相関効果の変化により絶対零度にまで下がることがある。絶対零度で制御パラメタを調節することによって生じる相転移は量子相転移と呼ばれる。この量子相転移では、多体相互作用の効果と量子効果が絡み合い、それに伴う新奇な相や競合が新たな物理学の基礎概念を生み出し、多彩な応用可能性を生み出す宝庫となっている。絶対零度での連続的量子相転移点すなわち量子臨界点、およびその周辺の量子臨界現象は、熱的な相転移によって生じる古典的な臨界現象とは定性的、概念的にも異なる様相を示すことがあり、まだ十分な理解が得られていない。

量子臨界点近傍では、低温での物理量(比熱、抵抗率、帯磁率など)の温度依存性が、通常の金属相を普遍的に記述すると考えられている、ランダウのフェルミ液体論に従わず、いわゆる非フェルミ液体的挙動が現れることが理論・実験の両方から指摘されている。量子臨界点近傍では、臨界点特有の低エネルギー励起(秩序相でゴールドストーンモードを生み出す、秩序パラメタのゆらぎ)と強い量子揺らぎが絡み合い、さらに金属中では金属特有の低エネルギー一粒子励起とも絡み合うため、フェルミ液体として知られる通常の金属の性質は大きな変更を受ける。さらに、この非フェルミ液体的挙動が現れる量子臨界点近傍で異方的超伝導などの強相関電子系特有の新奇な現象が発現している。

量子臨界点近傍での非フェルミ液体的挙動を説明する従来の理論としては、守谷・Hertz・Millisらによって提唱されている、スピンゆらぎ理論がある。この理論の枠組みでは、量子臨界点近傍で増大する磁気的な秩序パラメタのゆらぎ(スピンゆらぎ)が一粒子励起とカップルし、その結果、非フェルミ液体的挙動が現れる。この理論はいくつかの物質で見られている非フェルミ液体的挙動を説明することに成功し、幅広く用いられている。

しかし、近年の実験で、この従来の理論では説明できない非従来型の量子臨界性が数多くの物質で発見されている。たとえば、遍歴強磁性体であるZrZn2では非フェルミ液体的挙動が従来の理論の予測よりもはるかに広い領域で現れることが指摘されている。同様のふるまいはMnSiやNiS2でも観測されている。また、YbRh2Si2では反強磁性の量子臨界点近傍で一様帯磁率が発散的に増大するといった、不可解なふるまいが観測されている。これらの実験事実は、量子臨界現象を統一的に理解するためには、従来の枠組みを超えた新しい視点が必要であることを示している。

本論文では、これらの物質で観測されている非従来型の量子臨界性を説明しうるひとつの視点として、一次相転移の近接効果を提案し、従来の量子臨界現象の理論の拡張と大きな変更を提唱している。実際に、上にあげた十分な理解の得られていない物質の多くでは、一次相転移が近傍に存在することが指摘されている。一般に、一次相転移に近づくとき、連続相転移の場合よりも大きな電子状態の変化が起きることが期待され、その大きな変化が非従来型の量子臨界性をもたらすと考えられる。

本論文は、一次転移からの浸み出し効果の中でも、大きく分けて、量子三重臨界現象、およびトポロジー相転移と対称性の破れの相転移が絡み合う限界量子臨界現象の2つを包括的に研究したものであり、英文で4章および4つの補遺からなる。

第1章では従来型の量子臨界現象の理論、古典的な三重臨界現象の理論、金属絶縁体転移の理論の一般的なレビューが行なわれている。

第2章は量子三重臨界点の理論およびYbRh2Si2の実験結果の解析にあてられている。従来の量子臨界点は絶対零度で連続相転移が生じる点であるが、この連続相転移が一次相転移に切り替わるところで量子三重臨界点という非従来型の量子臨界点が現れる。本論文は、量子三重臨界点を取り扱えるように、従来のスピンゆらぎ理論を拡張する定式化に成功した。さらにこの定式化を用いて、量子三重臨界点の理論を構築し、非従来型の非フェルミ液体的挙動が現れることを示した。また、この量子三重臨界性が、重い電子系の典型物質であるYbRh2Si2の反強磁性量子臨界点近傍で観測されている量子臨界性の謎とされていた一連の実験事実をよく説明することを示した。YbRh2Si2は磁場下やGeで置換した試料で反強磁性臨界温度をほぼ絶対零度まで低下させた量子臨界点を実現できる。この量子臨界点で、従来予測されていた非フェルミ液体のスケーリング則が満たされず、また反強磁性臨界点であるにもかかわらず、強磁性的な一様帯磁率が温度の低下とともに発散的に増大するなどの謎があった。本論文の反強磁性量子三重臨界点の理論によれば、一様帯磁率の発散的増大、非線形な磁化過程、比熱が温度の低下とともに対数的に増大すること、核磁気共鳴緩和率、ホール係数の急激な変化など、従来の理論で説明のできなかった実験事実を、自然に説明できるばかりでなく、その臨界指数や定量的な大きさも量子三重臨界性によって説明できることが示された。一方、比熱の極低温での温度依存性、ホール係数の定量的な評価など、この研究をさらに展開し、実験結果との詳細な比較検討を進めていくべき方向も明らかとなっている。また、圧力下で量子三重臨界点により接近して、この枠組みの妥当性をさらに検証し、理論的な予言を立証する道筋も提案している。

第3章は、トポロジー変化と対称性の破れが絡み合うような非従来型量子臨界現象を研究している。特に、通常の意味では対称性の変化を伴わない相転移の典型例である金属-絶縁体転移に、一次相転移の近接効果によって、特異な量子臨界性が現れることを明らかにした。今までの量子臨界現象の理論は、スピンゆらぎ理論も含め、対称性の破れによって記述される量子相転移に対して、展開されてきた。しかしながら、一般に相転移は大きく分けて対称性の破れによって記述されるものと、対称性の変化がなくトポロジーの変化によって記述されるもの、という2つの範疇がある。後者のトポロジーの変化によって記述される相転移、およびその臨界現象の理論には未開拓な部分が多い。また、この2つの異なる範疇に属する量子相転移は、全く独立にかつ無関係に生じるものと考えられてきた。第3章の研究の成果は、この常識を覆すものとなった。第3章の研究では、金属-絶縁体転移を記述する最も基礎的な模型であるハバード模型にたいして、平均場近似を行い、金属-絶縁体転移の臨界性を系統的に調べている。その結果、あるパラメータ領域の絶対零度では、フェルミ面の有無というトポロジーの変化で特徴づけられ、対称性の変化を伴わない金属-絶縁体間の連続相転移が生じることを示した。一方、この連続相転移は電子間の相互作用やフラストレーションの効果によって絶対零度での一次相転移に切り替わり、この一次相転移面は有限温度に伸びて、その終端線として古典的な臨界線を形成する。本論文は有限温度での古典的な臨界線がイジング型の対称性の破れで特徴付けられる普遍性クラスに属することも明らかにした。有限温度での古典的な臨界線と絶対零度での量子臨界線の会合点(限界量子臨界点)は、対称性の破れで特徴付けられる古典臨界現象と、トポロジーの変化で特徴付けられる量子臨界現象の会合点でもある。従来関連がないと思われていた、対称性の破れによる相転移の機構とトポロジー変化による相転移の機構の間に密接なつながりがあり、その二つが絡み合って生じる限界量子臨界点という非従来型の量子臨界点が現れることを見出したのは本論文の大きな成果である。この限界量子臨界点は、トポロジーの変化と対称性の破れという二面的な性格を併せ持つために、従来の臨界現象とは全く異なる普遍性クラスが現れることも明らかにしている。さらに、この限界量子臨界点の臨界性が有機導体□-(ET)Cu[N(CN)2]Clにおいて観測されている金属-絶縁体転移の非従来型の臨界性を、臨界点からの温度依存性、圧力依存性ともによく説明することを明らかにした。また、トポロジー転移と対称性転移の会合という、画期的に新しい概念の現実物質での存在をさらに検証するために、熱膨張係数の高精度測定などを提案している。

第4章は全体のまとめと議論にあてられている。

今回の博士論文の研究は、量子臨界現象の研究に、一次相転移の浸み出し効果から生じる、新しい視点を導入した。量子三重臨界点と限界量子臨界点という二つの非従来型の量子臨界点の臨界性は、量子臨界現象の研究にいくつもの新概念を導入して、新たな地平を切り開くものとなっている。さらにこの研究を発展させることによって、強相関電子系の未解明の問題である、高温超伝導などの特異な現象を解明する上で重要な役割を果たすことが期待され、物理学および物理工学への寄与は大きい。

以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(工学)の学位論文として合格であると判定した。

なお本論文は山地洋平氏、および指導教員今田正俊との共同研究の部分があるが,論文提出者が主体となった計算、解析において、論文提出者の寄与が、学位授与に当たって、十分であることが認められた。

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