学位論文要旨



No 124158
著者(漢字) 佐藤,慎一
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シンイチ
標題(和) 体験学習を支援するシステム環境の構築と評価
標題(洋)
報告番号 124158
報告番号 甲24158
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6927号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 准教授 渡邊,克巳
 東京大学 講師 谷川,智洋
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,効果的な体験学習の実現を目指し,次の3点を目的としている.

●体験学習を行うための学習支援システムを設計・構築し,大学の情報基盤として全学的な導入を行う.

●導入した学習支援システムを,実際に大学で行われている体験学習において,実践的に活用する.

●体験学習における活用状況を分析・評価し,学習支援システムを活用した学習における効果と課題を明らかにする.

体験学習を情報通信技術(以下,「ICT」という)により支援するという研究事例は少なく,本研究では,それを大学における共通的な情報基盤を用いて取り組んでいく.

体験学習に含まれる学習がどのようなもの指すのか,必ずしも統一されてはいないが,ここでは,次のような学習を対象とする.

●講義型の授業ではなく,学習者自らが計画・遂行していく場面がある.

●1人で行うものではなく,複数人により協同で行われる活動である.

●教室外に出て,現場における直接的な(学習)体験がある.

講義室で学んだ知識の活用とそれによる定着,以後の学習への動機付けなど,体験学習では,多くの効果が期待される.しかしその一方で,活動の目的があいまいになりがちな面もあり,断片的な活動に終始してしまい,体験を発展・再構成するには至らないという危険性もある.こうした状況に陥らないように,効果的に体験学習を行っていくためには,(1)具体的な経験,(2)省察的な観察,(3)抽象的な概念形成,(4)積極的な試行活動,の4つからなる段階を意識して取り組むことが重要と言われている.特に,各プロセスにおける「振り返り」の活動が重要であるとされている.振り返りの重要性は,学習理論が,行動主義から認知主義,構成主義へと変遷していく中でも強調されるようになってきており,振り返りを行うための具体的な方法や,支援システムを確立しておくことは重要であろう.

ICTを活用した振り返りの支援はCSCL(Computer Supported Collaborative Learning)研究として,学習科学の分野で多くの知見が積み重ねられてきている.思考を文書として外化させることを中心としながら,学習者の認知プロセスを様々な形で支援することを目指し,そのための支援システムも開発されてきた.こうした取り組みは,従来は主に講義形式で行われていた概念理解の科目,特に,科学教育分野での事例が多い.システムも高機能なものが多く,授業時間内で指導,活用させていくものがほとんどである.本研究では,体験学習を対象としており,実体験が重視されるため,学習者のシステムを活用するための負荷は極力軽減するよう,システムの機能は必要最小限とし,特に支援がなくても学習者自身で利用できるようなものとすることを前提とする.

振り返りを支援することを考えた場合,CSCLの先行研究などからも,考えていることを書き出して外化することが有効であると考えられる.体験学習においても,「学習ジャーナル(Learning Journal)」として,体験したこと,そこで感じたことや考えたこと,さらに,その体験を踏まえて今後どのようにしていくべきか,ということを記録していくことが重要であるとされている.協同で学習していくためには,こうした記録を参加者同士はもちろん,多くの人と共有し,意見交換していくことも重要であろう.また,「書く」という活動自体,振り返りを促進することになるが,こうした日々の振り返りに加えて,一定期間の学習プロセスを振り返ることも必要であると言われている.以上から,次の5点を学習支援システムの要件とした.

●気軽に書き込めること

●活動参加者の書き込みの更新状況を把握できること

●書き込みに対するコメント,意見交換を多くの人とできること

●コメントした書き込みのその後の状況を把握可能であること

●活動参加者の活動期間中の書き込みをまとめて把握可能であること

これらを実現するため,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下,「SNS」という)を,fuxi(フクシイ)という呼称で全学的に導入することとした.eラーニングの普及に伴い,高等教育では学習管理システム(以下,「LMS」という)が導入されているのが一般的である.従って,全学の情報基盤として効果的に活用していくことができるよう,導入済みLMSとの連携方法についても検討を行い,システムとして実現させた.また,fuxiだけでは,5点目の要件を実現することが困難であることから,fuxi内の情報を可視化するためのビューア(Pisionと称す)を開発した.fuxi,Pisionとも,各々の用途において,ユーザビリティとしては,問題なく活用できるものであり,体験学習の質の向上に寄与することが期待されるものとなった.

このような学習支援システムを用いた体験学習を実践した.具体的には,事前,事後の活動を含めて約2ヶ月(実質1ヶ月強)の短期集中で行われる海外研修,また,通年で週1度ペースで行われる演習科目(フィールドワーク),の2つの活動を対象として実践を行った.前者は希望学生による自主活動,後者は必修科目である.どちらの活動においても,担当教員から参加学生には,準備段階での協同作業や現地での体験について,着実に振り返り,書き出していくことが重要である旨を伝えられた.演習科目は,1年生の科目ということもあり,活動当初は,学内情報環境に慣れるという意味合いも兼ね,参加学生にはfuxiの活用を強く促した.しかし,海外研修や,演習科目における一定期間経過後については,基本的に,学生たちの自主性に任せている.

両活動の評価は,活動後に提出される振り返りレポート,また,学生に行った自己評価アンケートの結果を用いて行うこととした.レポートについては,担当教員間で相談して,評価の観点を定め,観点ごとに到達レベルを設定した.当該評価基準に従って,2名の教員により点数化を行った.今回対象とした海外研修は,2006年度の取り組みであるが,2005年度にも同様の取り組みを,本研究による学習支援システムを活用せずに実施している.従って,レポートの点数,アンケートの結果については,両年度の間の違いについても分析・考察を行った.また,演習科目では,fuxiをよく活用した者と,あまり活用しなかった者に分かれたため,両グループ間の違いについて分析を行っている.

fuxiは全学システムとして運用しているため(ただし,2006年度海外研修時点では限定的),両活動において,参加者の書き込みに対し,参加者以外からのアクセスも見られた.内訳としては,同学部の知人(友人や先輩・後輩)に加え,面識の無い者からのアクセスも見られた.参加者外の知人からは,日記に対する励ましや助言などのコメント投稿も一定数行われた.活動に没頭していない者からのコメントは,客観的な側面もあり,活動の振り返りに有効な部分もあったのではないかと考えられる.

アクセス者数としては,面識の無い者からのものもかなりを占めるが,アクセス回数ではその割合は減り,さらに,コメントまで行う者はほとんど居なかった.面識の無い者同士では,オンライン上での学習が成立しにくい傾向にあるという先行研究の知見を支持する結果となった.しかし,特定の事例ではあるものの,第三者へ伝えることを意識しながら,継続的に書き込みを行うことで,面識の無い学生からの踏み込んだコメントも見られるなど,新たな学習への発展の可能性が感じられるような活用も見られた.

振り返りレポートでは,実地体験から学んだことについては,fuxiの活用状況に関わらず,ほとんどの学生がある程度詳細に記述していた.しかし,体験学習において重視している協同性,特に,事前準備段階における参加者同士の協同作業の重要性やその難しさに関する記述は,fuxiを活用している者の方が,有意に評価が高かった.日々,着実に振り返ることで,印象に残りやすい実地体験に加え,見落としたり,忘れてしまいがちな学習のプロセスにおける重要なポイントについても意識が向いたものと考えられる.

アンケート結果については,海外研修と演習科目における参加者の背景や活動の性質の違いからと思われる傾向の違いが見られた.ただし,いずれにせよ,協同作業を効果的に遂行していくための支援になりうることは,両実践のアンケート結果から共通的に示唆された.

fuxiに1人により蓄積された情報は,完全なものにはなり得ないが,参加者全体で見たときには,記録としてみた場合にも有効なものである.また,個人の領域に記録,蓄積していけるということも手伝ってか,心情が表れたような投稿も多く見られる.こうした情報は,教員による情報把握,また,それに応じた適切な介入に役立つものであった.また,次年度の学習者が,活動内容を実感するのにも有効なものであった.その際,fuxiへの登校状況を一望するのに,Pisionの活用が有効なものであった.

本研究では,学習支援システム構築し,大学の情報基盤として導入,運用し,体験学習を実践した.体験学習における重要な要素である協同への気づきなど,学習成果の向上が示唆されるものであった.高等教育におけるICT基盤環境の新たな活用の方向性の1つを示すことができたと考える.

審査要旨 要旨を表示する

18歳人口の減少に伴う大学全入時代を迎え、大学の教育改革に向けた各種の議論が行われている。特に、学習意欲の欠如への対応、主体的な学習姿勢の育成に関する課題は広く指摘されており、そのための方策の1つとして実体験を伴う学習、すなわち「体験学習」に対する期待が寄せられている。従来、体験学習を情報通信技術(ICT)により支援する試みは行われてきたが、体験学習で重要とされる振り返りについては効果的なものにできておらず、活動の継続性にも欠けるのが現状である.

本論文では、「体験学習を支援するシステム環境の構築と評価」と題し、体験学習を効果的なものとするための学習支援システムを提案し、大学における教育支援基盤として導入した上で、実際に体験学習における利活用を行い、収集したデータに基づいて、システムの分析・評価を行っている。システムを実践的に活用して評価を行った結果、学習の中でこうしたシステムを位置づけていくことで、学習の成果を高めうることを示している。

第1章では、本研究の背景、目的について述べている。大学の現状について取り上げ、教育の1つの方法として期待されている体験型の学習について述べている。また、情報化の進展、大学におけるICTを活用した教育の事例について整理している。こうして得られた研究のマッピングの中で、本研究をICTを活用した効果的な体験学習の実現のための取り組みとして位置づけている。以上をふまえ、最後に本論文の構成について述べている。

第2章では、体験学習を支援するシステム検討の基礎となる、体験学習に関する先行研究、学習・教育の理論と実践についての調査を行い、従来の事例について整理している。体験学習の状況を文書に記録し、学習成果に結び付けるとともに、同じ参加者としての目線からの経験や知見として共有し、次年度以降の学習にも生かすことが重要である点を指摘している。また、大学の情報環境としては、教材配信だけでなく様々な用途で活用できること、特に、学生・教員間や学生間の双方向性の支援が重要であることを論じている。

第3章では、体験学習のもつ一般的な性質として、振り返り、協同活動の支援の重要性について述べている。また、学習においては他者を含めた周辺の状況との関係性が影響するという点から、体験学習への参加者のみならず、知人、また、面識のない学生も含めて、広く関係を持ちうる学習支援システムとして全学規模で利用可能な情報基盤とすることの必要性を明らかにした。「書く」ということ、お互いを「共有する」ことを支援することに焦点を当て、学習支援システムとして取り扱う範囲について明示している。

第4章では、まず学習支援システムの要件をまとめ、その議論に基づき、参加者が個々に文書を記録・蓄積していけること、それらを相互に共有できることに注目し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を核とし、「参加者の書き込みの更新状況を把握できる」ようにeラーニングの基盤として利用される学習管理システム(LMS)との連携した支援システム(fuxi)の構築を行っている。さらに、学習活動の中で複数人により蓄積された情報を効果的・効率的に提示するため、SNS中の書き込み・コメントの状況把握と詳細の閲覧を可能にするViewer(Pision)の構築を行っている。

第5章では、構築した学習支援システムの全学導入後の運用状況と、記録・蓄積された文書のViewerのユーザビリティ評価について述べている。登録者数や投稿とアクセスの状況から、学習支援システムは、7000名程度の登録者、1000名程度の常時利用者がいるなど一定の広がりが見られた。個人領域への日記の投稿を通じたやり取りが活性化していることから、SNSが学習支援のプラットフォームとして適切であることを示している。体験学習の中で複数人の学習者により一定期間記録・蓄積されたデータを対象に、Viewerのユーザビリティの観点からの評価実験を行った結果、数人分同時に時間軸で閲覧したり、ランダムに閲覧するなど、全体的な流れの把握をしており、学習者の過去に遡った学習プロセスの振り返りや第三者による閲覧に有効活用されうることを示している。

第6章では、体験学習の実践を通して学習支援システムの学習支援に関する有効性の評価を行っている。体験学習としては、短期集中で行われた海外研修、および、通年で行われる初年次導入教育科目としての基礎演習を取り上げ、学習支援システムの活用状況の詳細について分析を行っている。体験学習参加者のシステムへの投稿内容、学習のまとめとして学生が提出したレポートの評点、協同での活動に関する意識調査の結果、システムを利用した群の方が、作業を進める上で重要な「協同」という視点がレポートに現れ、振り返りの効果が判明した。また、達成動機、社会的技能の項目でアンケート結果が有意に高く、学習支援システムを活用することが、協同活動の円滑な推進に寄与し、体験学習推進に有効であることを示している。さらに、実践の状況を踏まえ,次年度以降の体験学習者の課題を明示している。

第7章では、本論文を統括して研究成果をまとめるとともに、本提案システムが体験学習の振り返りと協同活動を支援に有効であり、全学規模に展開可能で、広く実質的に活用していける情報基盤であると結論づけている。また、大学全入時代において不可欠な学習意欲の向上、主体的な学習姿勢の育成に期待できるとしている。

大学という実際の舞台において取り組まれた本研究は、理論を現場に展開したという点、また、実データに基づく理論の再考を可能にするという点において、理論と実践をつなぐものであり、今後の体験学習システムの改善を行うことに寄与するところが大きいと考えられ、工学的に重要な問題を取り扱っていることが示されている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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