学位論文要旨



No 124172
著者(漢字) 佐藤,華代
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ハナヨ
標題(和) シアノバクテリアにおける環境変化に対する光合成装置の量的変化機構の解析
標題(洋) Analysis of the regulation of quantitative modification of photosynthetic apparatus in response to environmental changes in cyanobacteria
報告番号 124172
報告番号 甲24172
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第389号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 園池,公毅
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 宇垣,正志
内容要旨 要旨を表示する

序論

シアノバクテリアを含む光合成生物は様々な環境変化に対して様々な応答をすることにより光合成をはじめとする生命活動を円滑に行っている。光化学系量比の調節は光合成生物で広く観察される環境応答の一つであり、光の強さや光質に応答して光合成装置である光化学系の量を変化させることにより電子伝達を最適化する機構である。光合成装置は強い光に曝されると過剰な電子伝達によって活性酸素の発生などの酸化ストレスによる細胞の損傷を招く。これを避けるために、光化学系IIに対する相対的な光化学系Iの量を減少させる事が知られている。また、シアノバクテリアは窒素欠乏状態に曝されると集光アンテナ複合体、フィコビリソームを分解して不足した窒素を補う事が知られている。このように光合成装置の量的な変化はシアノバクテリアにおいて重要な環境変化に対する応答の一つであるが、その調節機構については多くのことがわかっていない。

これまでにシアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803株において、強光での光化学系量比調節に関与する因子としてSll1961とPmgAという二つの因子が報告されている。一方、Synechococcus elongatus PCC7942株において窒素欠乏時の応答に必要な因子としてNblA、NblCなどの因子が知られている。強光応答に必要なPmgAと窒素欠乏時の応答に必要なNblCは高い相同性を持つことから、強光応答と窒素欠乏時の応答では共通した調節機構を有している可能性が考えられる。そこで本研究では、Synechocystis sp. PCC 6803とSynechococcus elongatus PCC 7942でこれらの因子の変異株を用いて、これらの因子が強光応答、窒素欠乏時の応答に関与しているかを検証することによって、環境変化に対する光合成装置の調節機構の解明を目的とした。

結果と考察

1. 光化学系量比調節因子の窒素欠乏時の応答への関与

Synechocystis sp. PCC6803株において、強光下で光化学系量比調節に関与するSll1961とPmgAの変異株を用いて窒素欠乏時の応答への関与を調べたところ、NblCと相同のPmgAの変異株では野生型と同様にフィコビリソームが分解され、青緑色の培地が退色するbleachingが起こっていた。しかしsll1961変異株においてはbleachingが起こらず培地が青緑色のままのnon-bleaching表現型が観察された。この時の色素量を比較したところ光化学系Iの主要色素であるクロロフィル量については野生株との差が認められなかったが、フィコビリソームの主要色素であるフィコシアニンについてはsll1961変異株でのみ高いレベルを維持している事がわかった(Fig.1)。フィコビリソームの構成因子であるcpcBAの転写を調べたところ、slL1961変異株で野生株と同じく窒素欠乏培地に移行後発現は抑制されており、新規フィコビリソーム合成の抑制には欠損がない事が示唆された。これまでSynechococcus elogatus PCC 7942株で報告されているnon-bleaching変異株の多くはnblAの転写異常によりnon-bleaching表現型になることが知られている。そこでsll1961変異株でnblAの転写を調べたところ、sll1961変異株ではnblAの発現は窒素欠乏培地移行後上昇している事がわかった。それに対し、pmgA変異株では部分的にnblAの発現量が抑制されていた(Fig.2)。この結果よりSynechocystis sp. PCC 6803株においてPmgAはNblCと同様にnblAの発現上昇に関与するものの、部分的なnblAの発現の抑制はフィコビリソームの分解に影響しない事がわかった。次にNblAのSll1961の制御への関与を調べるためnblA変異株におけるsll1961の転写量を調べたところ、野生株と比較して抑制されている事がわかった。この結果より、NblAはsll1961を正に制御しており、nblA変異株で観察されるnon-bleachingの表現型はsll1961が正常に発現されていない事によって引き起こされている可能性が考えられる。この可能性を調べるために、窒素欠乏下でも恒常的に発現しているpsbAIIのプロモーターにsll1961遺伝子をつなぎ、nblA変異株でsll1961を恒常的に発現させたが窒素欠乏時のnon-bleachingの表現型は相補されなかった。これらの結果より窒素欠乏時のフィコビリソーム分解にはsll1961とnblAが両方発現している事が必要である事が示唆された。

2. フィコビリソーム分解に関与する因子の強光応答への関与

次にフィコビリソーム分解に関与する因子が強光への応答に関与するかどうかを調べた。まずSynechocystis sp. PCC6803株でフィコビリソーム分解に関与する事が知られているNblAの変異株で光化学系量比調節が正常に行われているかを液体窒素温度下のクロロフィル蛍光スペクトルの測定により調べた。強光移行後、野生株では光化学系IIに対する相対的な光化学系Iのピークの減少が観察されるが、nblA変異株では量比の変化が観察されなかった。そこで光化学系Iの反応中心タンパク質PsaA/Bの量を調べたところ、nblA変異株では強光移行後も野生株ほど減少していない事がわかった。これらの結果よりNblAはSll1961と同様に窒素欠乏時のフィコビリソームの分解と強光下の光化学系量比調節の両方に関与している事がわかった。

次にSynechoccus elongatus PCC 7942株を用いて窒素欠乏時のフィコビリソーム分解に関与する因子の強光応答への関与を調べた。まずNb1Aの変異株で光化学系量比を調べたところ光化学系Iのピークの減少が観察され、正常な光化学系量比調節が行われている事がわかった。また、Synechocystis sp. PCC 6803株のPmgAと相同の因子NblCの変異株についても同様に正常な光化学系量比調節が観察された。これらの結果よりSynechococcus elongatus PCC 7942における強光下での光化学系量比は、Synechocystis sp, PCC 6803とは異なる機構で調節されていると考えられる。

3. Sll1961とNblAの光質変化による光化学系量比調節への関与

光化学系量比は光の強さに加え、光質の変化によっても調節されることが知られている。光化学系Iによって主に吸収される青色光によって強光と同様に光化学系Iの相対的な量が減少する事が報告されており、強光に対する応答と同様の光化学系量比の調節機構が存在すると考えられている。そこで強光下で光化学系量比調節に関与する事が明らかになったSll1961とNblAが、Synechocystis sp, PCC6803において青色光による光化学系量比調節にも関与するかを調べた。液体窒素温度下のクロロフィル蛍光スペクトルの測定により光化学系量比を調べたところ、sll1961変異株、nblA変異株ともに青色光に応答した光化学系Iのピークの減少が観察され、共に光質による光化学系量比調節には欠損がない事がわかった。これにより、青色光に対する光化学系量比調節機構は、強光に対する機構とは異なる事が示唆された。次に青色光への応答でも光化学系Iの量の減少によって光化学系量比調節がされているかを調べるため光化学系に含まれる色素量を測定した。通常強光下では光化学系Iの量の減少に伴って光化学系Iに結合しているクロロフィル量が減少する事が知られている。しかし、青色光下では野生株、sll1961変異株、nblA変異株すべてにおいてクロロフィル量が変化していない事がわかった。これらの結果より青色光下では光化学系IIあたりの相対的な光化学系I量は低下するが、光化学系Iの量は変化していない事が示唆された。さらに光化学系IIのアンテナ色素であるフィコシアニンは青色光下で増加しており、光化学系IIが増加している可能性が考えられた。そこで光化学系IIの反応中心タンパク質D1の量を調べたところ、野性株、sll1961変異株、nblA変異株のすべての株で青色光移行後増加している事がわかった(Fig.3)。これらの結果から、強光に対する応答では光化学系Iの量を減少させることによって光化学系量比を調節しているのに対し、青色光に対する応答では光化学系IIの量を増加させることによって光化学系量比を調節しており、Sll1961とNblAは光化学系量比調節において光化学系Iの減少には関与するが、光化学系IIの増加には関与していない事がわかった。この結果から、光化学系量比は光化学系Iの量の調節によってのみ行われるというこれまでの仮説に反し、青色光に対する応答では光化学系IIの量の調節という全く異なる調節機構が存在することが明らかとなった。

Fig.1 窒素欠乏培地移行後の色素量の変化

窒素欠乏培地(BG110)移行後のSynechocystis sp. PCC6803野生株(丸)、sll1961変異株(四角)、pmgA変異株(三角)における(A)細胞あたりのクロロフィル(Chl)量と(B)細胞あたりのフィコシアニン(PC)量。

Fig.2窒素欠乏培地移行後のnblAの発現

ノーザンプロットによる窒素欠乏培地移行後のSynechocystis sp. PCC6803野生株、sll1961変異株、pmgA変異株における刀blAの転写量の変化。rRNAはローディングコントロールとして表示。

Fig.3青色光における光化学系IIの量の変化

ウエスタンブロットによる光化学系IIの反応中心D1タンパク質の変化。白色光(WL)から青色光(BL/445nm-465nm)に移行後24時間経過したときのSynechocystis sp.PCC 6803野生株、sll1961変異株、nblA変異株におけるD1タンパク質の量。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章では光化学系量比の調節に関わる転写因子Sll1961がシアノバクテリアにおいてアンテナ複合体として働くフィコビリゾームの分解反応に関わっていることを示し、第2章では逆にフィコビリゾームの分解反応に関わることが報告されていたNblAが光化学系量比の調節に関わることを示し、さらに第3章では光環境の変化による光化学系量比の調節が、光の量が変化した場合と光の質が変化した場合で異なる可能性を示している。

シアノバクテリアを含む光合成生物は様々な環境変化に対して様々な応答をすることにより光合成をはじめとする生命活動を円滑に行っている。光化学系量比の調節は光合成生物で広く観察される環境応答の一つであり、光の強さや光質に応答して光合成装置である光化学系の量を変化させることにより電子伝達を最適化する機構である。これまでにシアノバクテリアSynechocystis sp.PCC 6803株において、強光での光化学系量比調節に関与する因子としてSll1961とPmgAという二つの因子が報告されている。強光応答に必要なPmgAと窒素欠乏時の応答に必要なNblCは高い相同性を持つことから、強光応答と窒素欠乏時の応答では共通した調節機構を有している可能性が考えられる。そこで本論文では、Synechocystis sp.PCC 6803とSynechococcus elongatus PCC 7942でこれらの因子の変異株を用いて、これらの因子が強光応答、窒素欠乏時の応答に関与しているかを検証することによって、環境変化に対する光合成装置の調節機構の解明した。

具体的にはまず第1章で、光化学系量比調節因子の窒素欠乏時の応答への関与を検討した。Synechocystis sp.PCC 6803株において、強光下で光化学系量比調節に関与するSll1961とPmgAの変異株を用いて窒素欠乏時の応答への関与を調べたところ、NblCと相同のPmgAの変異株では野生型と同様にフィコビリソームが分解された。しかしsll1961変異株においてはbleachingが起こらず培地が青緑色のままのnon-bleaching表現型が観察された。これらの結果より窒素欠乏時のフィコビリソーム分解にはsll1961とnblAが両方発現している事が必要である事が示唆された。

第2章ではフィコビリソーム分解に関与する因子の強光応答への関与について検討した。まずSynechocystis sp.PCC 6803株でフィコビリソーム分解に関与する事が知られているNblAの変異株で光化学系量比調節が正常に行われているかを液体窒素温度下のクロロフィル蛍光スペクトルの測定により調べた。強光移行後、野生株では光化学系IIに対する相対的な光化学系Iのピークの減少が観察されるが、nblA変異株では量比の変化が観察されなかった。そこで光化学系Iの反応中心タンパク質PsaA/Bの量を調べたところ、nblA変異株では強光移行後も野生株ほど減少していない事がわかった。これらの結果よりNblAはSll1961と同様に窒素欠乏時のフィコビリソームの分解と強光下の光化学系量比調節の両方に関与している事がわかった。

さらに第3章で、Sll1961とNblAの光質変化による光化学系量比調節への関与について検討した。光化学系量比は光の強さに加え、光質の変化によっても調節されることが知られている。光化学系Iによって主に吸収される青色光によって強光と同様に光化学系Iの相対的な量が減少する事が報告されており、強光に対する応答と同様の光化学系量比の調節機構が存在すると考えられている。そこで強光下で光化学系量比調節に関与する事が明らかになったSll1961とNblAが、Synechocystis sp.PCC 6803において青色光による光化学系量比調節にも関与するかを調べた。液体窒素温度下のクロロフィル蛍光スペクトルの測定により光化学系量比を調べたところ、sll1961変異株、nblA変異株ともに青色光に応答した光化学系Iのピークの減少が観察され、共に光質による光化学系量比調節には欠損がない事がわかった。これにより、青色光に対する光化学系量比調節機構は、強光に対する機構とは異なる事が示唆された。

なお、本論文は、園池公毅、藤森玉輝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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