学位論文要旨



No 124173
著者(漢字) 墨谷,暢子
著者(英字)
著者(カナ) スミヤ,ノブコ
標題(和) 単細胞緑藻Nannochloris bacillarisの富リン酸培養下におけるFtsZリング形成と葉緑体DNA合成に関する研究
標題(洋) Studies on FtsZ ring formation and chloroplast DNA synthesis in the unicellular green alga Nannochloris bacillaris under phosphate-enriched culture
報告番号 124173
報告番号 甲24173
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第390号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 高野,誠
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

序論

原核生物由来の葉緑体分裂タンパク質FtsZは、葉緑体分裂の初期にリング状構造を形成する。葉緑体は普通1回の分裂に1つのFtsZリングしかもたない。しかし、1つの葉緑体が複数のFtsZリングをもつ例がゼラニウムやタバコ培養細胞BY-2で報告されている。不等分裂するゼラニウムの胚帽細胞の葉緑体では、1葉緑体に複数のFtsZリングが観察される(Kuroiwa et al.2001)。タバコBY-2細胞では植え継ぎ直後に葉緑体DNAが増加し、葉緑体の巨大化、FtsZリングの多重化が起きる(Momoyama et al.2003)。また、シロイヌナズナでFtsZリング形成位置調整タンパク質minDやminEの発現量が変化するとランダムな間隔に局在した多重FtsZリングが観察される(Fujiwara et al.2008)。

水圏の富栄養化は主に窒素(N)やリン(P)などの栄養塩類の濃度が原因と考えられている。自然界では、リンは、Al(3+)、Fe(3+)、Ca(2+)と結合して土壌や湖の不溶な沈殿となりやすいため、藻類の要求量に対して欠乏する傾向にある。その結果、リンは、窒素と並んで藻類の増殖における制限因子となっている(Barsanti and Gualtieri 2005)。単細胞緑藻Chlamydomonas reinhardtiiはリン欠乏下で培養すると葉緑体DNA量が減少する(Yehudai-Resheff et al.2007)。葉緑体DNAがリン源となり得るということは以前から知られており(Sears and Van Winkle-Swift 1994)、植物はDNAのみをリン源として栽培できることも知られている(Chen et al.2000)。こうしたことから、環境中のリン濃度により、葉緑体はその分裂やDNA量を調整している可能性がある。

本研究では、バクテリアでゲノムDNAとFtsZリング形成がリンクしている点に着目し、富リン酸下におけるFtsZリング形成と葉緑体DNA合成について調べた。研究材料には、単細胞緑藻Nannochloris bacillarisを用いた。単細胞緑藻であることは、分化した高等植物と異なり、リン酸の影響を直接観察可能にさせると考えられる。またその構成は、1細胞に1葉緑体と単純であり分裂様式も2分裂と単純である(Arai et al.1998,Yamamoto et al.2001,2003,2007)。N.bacillarisでは緑色植物のFtsZl、FtsZ2グループにそれぞれ属するNbFtsZ1とNbFtsZ2が単離されている(Koide et al.2004)。以上の点から本研究にはN.bacillarisが適した材料であると考えた。

結果と考察

1.葉緑体分裂周期におけるFtsZの発現

緑色植物の多くは1細胞に多数の葉緑体をもち同調せずに分裂するため、葉緑体分裂周期におけるFtsZ1とFtsZ2の発現様式はわかっていなかった。葉緑体分裂周期におけるNbFtsZ1とNbFtsZ2の発現を調べるために、N.bacillarisの同調培養系を検討した。N.bacillarisの培養に用いているF+培地中より有機物を除いたF培地で12時間明期、12時間暗期で培養すると約80%の細胞が同調して分裂した。F-培地ではFtsZリングは葉緑体分裂期に形成された。この培養系においてNbFtsZ1は葉緑体分裂期特異的に発現した。一方、NbFtsZ2は細胞周期を通して常に発現していた。

2.富リン酸下で誘導される多重FtsZリング

1)リン酸濃度によって変化するFtsZリングの形成パターン

F+培地中のβグリセロリン酸塩濃度を0~2mMと変えて培養した。細胞の倍加時間や、細胞長の平均はほとんど変わらなかった。培地中のリン酸濃度は増殖速度や大きさに影響を与えない。

抗NbFtsZ抗体を用いてFtsZリングを観察した。1mMでは、FtsZリング本数は細胞分裂直後から葉緑体分裂期へ細胞周期が進行するにつれて増加し、最大で4本のFtsZリングが形成された。2mMでは、葉緑体分裂期に最大1つの葉緑体あたり6本のFtsZリングが観察された。増殖速度や大きさに影響が無かったにも関わらず、培地中のリン酸濃度に応じてFtsZリングの本数が変化したことは、リン酸濃度がFtsZリングの形成パターンを変えることを示唆する。

2)多重FtsZリングをもつ葉緑体におけるPDリング形成

富リン酸下ではFtsZリングは複数形成されたが、1細胞周期に葉緑体分裂が複数回おこることはなかった。葉緑体分裂で力を発するのは、透過型電子顕微鏡(TEM)で観察されるPDリングであるとされている。そこで、多重RsZリングが形成されるときのPDリングの本数を調べるために、富リン酸培地で培養した細胞をTEMで観察した。TEM下ではFtsZリングは観察できない。また、PDリングを構成するタンパク質はまだ同定されていない。そのためPDリング構造とFtsZリング構造は同時に観察できないが、富リン酸培地で培養した細胞ではFtsZリング本数は葉緑体が長くなるにつれて増加したので、葉緑体長からFtsZリングの本数を推測できる。FtsZリングが複数本あると推測される葉緑体の分裂面にはPDリングが形成されていたが、分裂面以外の箇所にPDリング様構造は観察できなかった。このことよりFtsZリングとPDリングの形成のトリガーが異なるため、富リン酸下でも細胞周期における葉緑体分裂は1回に保たれることが推測された。

3)培地中のリン酸濃度と葉緑体DNA量

リン酸濃度を変えたときFtsZリング本数が細胞周期の進行にともなって増加したことは、1細胞周期の中でのリング形成回数が増加したためだとみられる。バクテリアでゲノムDNAとFtsZリング形成がリンクしている点、リン欠乏時に葉緑体DNA量が減少した点を考慮すると、富リン酸下では葉緑体DNA合成が持続したためリング形成回数が増加したと考えられる。そこで、貧リン酸培地と富リン酸培地で培養した細胞の葉緑体DNA量に着目した。貧リン酸、富リン酸培地ともに、細胞長に比例して葉緑体DNA量は増加した。しかし、富リン酸培地のほうが、貧リン酸培地よりも葉緑体DNA量は2~3倍多かった。富リン酸下での葉緑体DNA量増加はリンを葉緑体DNAの形で蓄えるためにおこったと推測される。富リン酸下での多重FtsZリング形成と葉緑体DNA量の増加との関連を調べるため、富リン酸培地中にFdUrを添加して葉緑体DNA合成を阻害した時のFtsZリング形成を調べた。FtsZリング本数は富リン酸下で培養されたにも関わらず1本であった。FtsZリング形成と葉緑体DNA合成はリンクしていて、多重FtsZリングはリン酸濃度の増加にともない葉緑体DNA量が増加した結果形成されたことが示唆された。

3.FtsZリング形成と葉緑体DNA合成

1)葉緑体DNA合成をともなわない葉緑体分裂とFtsZリング

多重Ftszリングのうち葉緑体分裂に用いられるのは、1細胞周期につき1本だけである。葉緑体分裂には葉緑体DNA合成をともなう分裂と、ともなわない分裂がある(Kuroiwa et al.1989)。過剰に形成されたFtsZリングは、葉緑体DNA合成をともなわない葉緑体分裂のときに使われるのではないかと考えた。この可能性を検討するために、富リン酸培地から無機培地へ細胞を植え継いだときの葉緑体DNA合成とFtsZリング形成について調べた。

富リン酸培地から無機培地へ植え継いだ細胞を明所で培養すると、始めの15時間は、細胞は富リン酸培地中と同じ倍加時間で増殖した。15時間以降、倍加時間は無機培地中とほぼ同じ倍加時間となった。葉緑体DNAはほとんど合成されなくなり、葉緑体核様体あたりのDNA量は時間が経つにつれ減少した。FtsZリングの本数は24時間で1本に減少した。無機培地へ植え継いで暗所で培養すると、15時間で分裂は完全に停止し葉緑体DNA合成は停止した。FtsZリングは多重のまま形成され続けた。無機培地に植え継ぐと、活発な葉緑体DNA合成とFtsZリング形成をともなわずに既存の多重FtsZリングを用いて葉緑体は分裂することがわかった。

2)葉緑体DNA合成をともなう葉緑体分裂とFtsZリング

葉緑体DNA合成とFtsZリング形成が培地中のリン酸濃度に応答しているかを確かめるために、無機培地、明所で培養した細胞を富リン酸培地へ戻した。植え継いで12時間まで、細胞はほとんど増加しなかったが、細胞長の増加、核様体あたりの葉緑体DNA量の増加とそれにともなう核様体の形態の変化、活発な葉緑体DNA合成がおきていた。FtsZリングは12時間目にはすでに1葉緑体に複数本形成されていた。細胞は富リン酸環境になると短時間でリンを取り込んで葉緑体DNAを合成し、これにともないFtsZリングも複数形成されることが示された。

結論

培地中のリン酸量を増加する実験により、通常は葉緑体分裂期に1本形成されるFtsZリングが、リン酸濃度に応じて複数形成されることがわかった。これは特に富リン酸下で細胞がリンを葉緑体DNAの形で蓄えようとして活発な葉緑体DNA合成が起こったことに誘導されて、1細胞周期に複数回リング形成がおこったからであった。しかし、1回の分裂に用いられたリングは1本だけであった。余剰のFtsZリングは細胞が貧栄養に晒され、葉緑体DNA合成をともなわない葉緑体分裂を行うときに用いられることが富リン酸培地から無機培地へ植え継いだときの葉緑体DNA合成とFtsZリング形成を調べた実験より示された。

図1.富リン酸培地におけるFtsZリング形成。最大で5本のFtsZリングが形成される場合のステージIa~IV(ステージIIIaが葉緑体分裂期に相当する)における位相差像(PC)をa-fに、抗FtsZ抗体染色像(FtsZ)をg-1に、抗FtsZ抗体染色像とDAPI染色像と葉緑体自家蛍光像の重ね合わせ像(Merge)をm-rに示した。Bar=3μm

図2,細胞を植え継いだ時の核様体あたりの葉緑体DNA量の変化。細胞をDAPIで染色し葉緑体上のDAPI蛍光強度を核様体数で割ることにより核様体あたりの葉緑体DNA量を見積もった。a.富リン酸培地から無機培地へ植え継いで明所(□)もしくは暗所(■)で培養した細胞の核様体あたりの葉緑体DNA量の変化。b.無機培地から無機培地(□)もしくは富リン酸培地(○)へ植え継いで明所で培養した細胞の核様体あたりの葉緑体DNA量の変化。バー=標準誤差

図3.培養条件ごとの葉緑体DNA合成とFtsZリング形成のモデル図。a無機培地、b.富リン酸培地、c.富リン酸培地から無機培地へ植え継ぎ明所で培養もしくはd.暗所で培養したとき、e.無機培地から富リン酸培地へ植え継いだときの、FtsZリング形成と葉緑体DNA合成を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は単細胞緑藻Nannochloris bacillarisを用いて富リン酸下で誘導される多重FtsZリング形成と過剰に複製された葉緑体DNA合成について、第2章は、N.bacillarisの培地を変換することによって誘導された葉緑体DNA合成とFtsZリング本数の変化について述べられている。

原核生物由来の葉緑体分裂タンパク質FtsZは、葉緑体分裂の初期にリング状構造を形成する。ほとんどの報告例では、葉緑体は1回の分裂に1つのFtsZリングしかもたない。しかし、1つの葉緑体が複数のFtsZリングをもつ例がゼラニウムやタバコ培養細胞BY-2の巨大化した色素体で報告されている。

第1章では、N.bacillarisを用いて葉緑体の巨大化をともなわずに多重FtsZリング形成を誘導することを試みた。藻類の富栄養化の原因として窒素やリンなどの栄養塩類の濃度が原因と考えられている。そのうちの培地中のリンの濃度に着目し、N.bacillarisをリン酸濃度を変えた培地で培養した。リン酸濃度を変えて培養しても倍加時間や細胞・葉緑体のサイズは変化しなかったが、富リン酸下では葉緑体あたり複数本のFtsZリング(多重FtsZリング)が形成された。FtsZリングの本数は培地中のリン酸濃度が増加するにつれて増えた。多重FtsZリングが形成されても1細胞周期に葉緑体分裂が複数回おこることはなかった。葉緑体分裂で力を発するのは、透過型電子顕微鏡(TEM)で観察されるPDリングであるとされている。富リン酸培地で培養した細胞をTEMで観察した。FtsZリングが複数本あると推測される葉緑体の分裂面にはPDリングが形成されていたが、分裂面以外の箇所にPDリング様構造は観察できなかった。このことよりFtsZリングとPDリングの形成のトリガーが異なるため、富リン酸下でも細胞周期における葉緑体分裂は1回に保たれることが推測された。バクテリアでゲノムDNAとFtsZリング形成がリンクしている点、リン欠乏時に葉緑体DNA量が減少した報告がある点を考慮すると、富リン酸下では葉緑体DNA合成が持続したためリング形成回数が増加したと考えられる。そこで、貧リン酸培地と富リン酸培地で培養した細胞の葉緑体DNA量に着目した。富リン酸培地のほうが、貧リン酸培地よりも葉緑体DNA量は2~3倍多かった。富リン酸培地中に葉緑体DNA合成阻害剤FdUrを添加して葉緑体DNA合成を阻害した時のFtsZリング形成を調べた。FtsZリング本数は富リン酸下で培養されたにも関わらず1本であった。FtsZリング形成と葉緑体DNA合成はリンクしていて、多重FtsZリングはリン酸濃度の増加にともない葉緑体DNA量が増加した結果形成されたことが示唆された。

多重FtsZリングのうち葉緑体分裂に用いられるのは、1細胞周期につき1本だけである。葉緑体分裂には葉緑体DNA合成をともなう分裂と、ともなわない分裂がある。過剰に形成されたFtsZリングは、葉緑体DNA合成をともなわない葉緑体分裂のときに使われるのではないかと考えた。この可能性を検討するために、第2章では、富リン酸培地から無機培地へ細胞を植え継いだときの葉緑体DNA合成とFtsZリング形成について調べた。富リン酸培地から無機培地へ植え継いだ細胞を明所で培養すると、葉緑体DNA合成が低下して細胞の増殖にともなって、葉緑体DNA量とFtsZリングの本数が減少した。無機培地へ植え継いで暗所で培養すると、15時間で分裂は完全に停止し葉緑体DNA合成は停止した。FtsZリングは多重のまま形成され続けた。無機培地に植え継ぐと、活発な葉緑体DNA合成とFtsZリング形成をともなわずに既存の多重FtsZリングを用いて葉緑体は分裂することがわかった。無機培地、明所で培養した細胞を富リン酸培地へ戻すと、植え継いで12時間まで細胞数は変化しなかったが、細胞長の増加、核様体あたりの葉緑体DNA量の増加とそれにともなう核様体の形態の変化、活発な葉緑体DNA合成がおきていた。FtsZリングは12時間目にはすでに1葉緑体に複数本形成されていた。細胞は富リン酸環境になると短時間でリンを取り込んで葉緑体DNAを合成し、これにともないFtsZリングも複数形成されることが示された。

なお、本論文第1章は、平田愛子、河野重行との共同研究、また、本論文第2章は、尾張智美、河野重行との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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