学位論文要旨



No 124174
著者(漢字) 伊藤,孝
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タカシ
標題(和) MMP-7によるVEGF活性化に伴うがん選択的血管新生機構の解析
標題(洋) MMP-7 reactivates latent VEGF and promotes angiogenesis in the tumor environment
報告番号 124174
報告番号 甲24174
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第391号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 落合,淳志
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 准教授 久恒,辰博
 東京大学 准教授 園池,公毅
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

序論

成体において血管新生は非常に厳密に制御されており、女性の性周期に関わる器官を除き通常血管新生は起こっていない。一方がん組織では血管新生は継続的に亢進されており、がん悪性化の一因となっている。がん化により血管新生が起こるメカニズムに関して解明されていない疑問のひとつが、正常組織由来の種々の細胞VEGF(Vascular Endothelial Growth Factor)を始めとする種々の血管新生因子を産生するにも関わらず、正常組織では血管新生を起こさない点である。また正常組織由来の細胞はがん組織中にも存在するが、これらの細胞ががん組織においてどのように血管新生に影響するかもよく分かっていなかった。本研究では、正常組織において血管新生因子VEGFが不活性化される機構をいくつかのモデルを用いて見出した。さらにこの不活性化したVEGFががん組織においてはがん細胞によって活性化され、がん組織内限局的に利用されることも見出した。VEGFを再活性化する因子として、がん細胞特異的に産生される細胞外タンパク分解酵素MMP-7(Matrix Matalloproteinase-7)を同定した。以下にVEGF活性制御機構に関して、モデルとした1.線維芽細胞、2.血管内皮細胞、3.大腸組織の3点に分けて述べる。

結果

1.線維芽細胞由来VEGFの活性制御機構

線維芽細胞は正常組織にもがん組織にも多量に存在する細胞種である。線維芽細胞はいずれの組織においてもVEGFを発現することが知られていたが、血管新生にどの程度影響するかはよくわかっていなかった。線維芽細胞由来VEGFががん組織選択的に利用される仕組みがあるかを以下のように検討した。

がん環境において線維芽細胞由来VEGFが血管新生能を持つか解析するために、ヒト線維芽細胞VA-13をヒト膵がん細胞Capan-1とともにヌードマウス皮下に植え形成されたがん組織を評価した。その結果、線維芽細胞VA-13を加えたがんでは体積と組織内血管密度が増加した。siRNAにより線維芽細胞VA-13のVEGF発現を抑制することでこれらの効果が抑制された(図1a)ことから、線維芽細胞VA-13由来VEGFはがん環境において血管新生を亢進することを示した。

非がん環境における線維芽細胞VA-13由来VEGFの血管新生能を評価するために、線維芽細胞VA-13を単独でヌードマウス皮下、ニワトリ胎児漿尿膜内に移植した。がん環境に植えた際とは対照的に、どちらの動物内においても血管新生を亢進しなかった。さらに線維芽細胞VA-13培養上清は血管新生を亢進しないことも管腔形成法により確認した。なお培養上清中はVEGFが分泌されていることをELISAにより確認した。これらの結果より、線維芽細胞VA-13由来VEGFは不活性化した状態で分泌されている可能性を考えた。また上記段落の結果も合わせると、がん環境ではこの不活性化したVEGFが活性化される機構があると考えた。

上記の分子機構として、線維芽細胞VA-13由来のVEGFはCTGFにより不活性化され正常組織では機能しないこと、がん組織ではがん細胞が産生するMMP-7の作用でVEGFが再活性化されがん選択的に血管新生を亢進することを示した。線維芽細胞VA-13培養上清をMMP-7で処理する事により培養上清の血管新生能が誘発され、その効果は抗VEGF中和抗体により抑制されることを管腔形成法で示した。このことからMMP-7は線維芽細胞由来の不活性化したVEGFを活性化することが示された。またMMP-7により誘発された血管新生能はCTGF添加によっても抑制されたことから、CTGFが線維芽細胞由来のVEGFを不活性化することが示された。これらの分子機構ががん組織内においても働くか検討するために、siRNAによりがん細胞Capan-1のMMP-7、線維芽細胞VA-13のCTGFの発現を抑制した後にヌードマウスに植え、形成されたがん組織を解析した。その結果、がん細胞Capan-1のMMP-7発現を抑制することで線維芽細胞VA-13由来のVEGFによる血管新生効果が失われた(図1b)。さらに線維芽細胞VA-13のCTGF発現を抑制する事で、MMP-7抑制によって失われた効果が再び現れた(図1b)。これらの結果より、in vivoモデルでも同様の機構が働く可能性を示した。

さらにこの分子機構がVA-13以外の線維芽細胞でも働くかを検討した。種々の肺がん患者、膵がん患者由来の初代培養線維芽細胞において、VEGFが線維芽細胞VA-13と同程度発現していることを定量性PCRで確認した。さらにCTGFも高発現しており、MMP-7は発現が見られず、これらの発現パターンは線維芽細胞VA-13に類似していた。このうちの膵がん患者由来初代培養線維芽細胞の培養上清を用いて線維芽細胞VA-13同様にMMP-7処理により培養上清中VEGFが活性化されること、CTGFにより不活性化されることを管腔形成法で示した。これらの結果より、今回の分子機構は線維芽細胞間である程度の共通性をもつと考えている。

以上、線維芽細胞由来VEGFはCTGFにより不活性化されており、がん細胞が産生するMMP-7により再活性化されることで、がん環境内特異的に活性を持ち血管新生を亢進することをin vivo、in vitro実験モデルにおいて示した。概要を図2に示す。

2.血管内皮細胞周囲におけるVEGFの活性制御機構

VEGFは血管新生を亢進する際に、血管の構成細胞である血管内皮細胞上のレセプターに結合する必要がある。しかし血管内皮細胞は、VEGFに結合しその機能を抑制することで知られるsVEGFR-1(soluble VEGF Receptor-1)を大量に産生する。したがって血管内皮細胞周囲にはsVEGFR-1が存在しており、VEGFが近くに来たとしても機能が抑えられてしまうと考えられる。それにも関わらずがん組織においてVEGFによって血管新生亢進が起こる機構は分かっていなかった。この際にもMMP-7がsVEGFR-1を分解することでVEGFを再活性化し血管新生を亢進することを示した。

始めにMMP-7がヒトリコンビナントsVEGFR-1を分解することをウェスタンブロットで検討した。時間依存的にsVEGFR-1のバンドの減少とともに、分解断片と予想される低分子量のバンドの生成が見られた。さらにヒト血管内皮細胞HUVEC培養上清中の内因性のsVEGFR-1もMMP-7により分解されることも確認した。管腔形成法においてsVEGFR-1添加によりVEGFの血管新生効果を抑制したが、MMP-7処理により再び効果が表れた(図3)。この効果はVEGF中和抗体添加により抑制された(図3)。同様の結果が別のin vitroの血管新生評価法である血管内皮細胞の遊走能測定に関しても得られた。これらの結果より、MMP-7はsVEGFR-1により不活性化されたVEGFを再活性化することが示された。

血管内皮細胞の周囲においてVEGFが血管内皮細胞由来のsVEGFR-1に捕捉されるモデルとして、血管内皮細胞HUVECの培養上清にVEGFを外から添加し、共免疫沈降で複合体の形成を確認した。その結果、添加したフリーのVEGFに血管内皮細胞由来のsVEGFR-1が結合した。さらにMMP-7で処理することで、VEGFに結合するsVEGFR-1が減少した。その一方でVEGF量の減少や、分解断片の形成は見られなかった。以上の結果より、VEGFは血管内皮細胞の周囲でsVEGFR-1により捕捉されるが、MMP-7存在下では再び遊離し活性化されることが示唆された。MMP-7の発現はがん組織内に限定されることからも、この機構ががん環境でも起こる可能性があると考えている。図4にモデルを示す。

3.ヒト大腸組織におけるMMP-7、VEGFと血管新生の関係

上記実験モデルで示した、MMP-7によるVEGFの活性化が実際のヒトでも起こる可能性があるかを大腸がん患者37例の手術検体を用いて検討した。正常大腸組織大腸がん組織におけるVEGF、CTGF、sVEGFR-1、MMP-7の発現を定量PCRにより調べた。VEGFはがん組織において発現が亢進したが、その一方で正常組織にも発現が見られた。CTGFとsVEGFR-1は両組織で同程度の発現が見られた。MMP-7は正常組織ではほとんど検知できず、がん組織で約140倍発現が亢進していた。この結果は、正常組織ががん化し血管新生が起こるようになる際に、VEGFの発現亢進だけではなく、MMP-7によるVEGF活性化がヒト組織においても必要な可能性を示唆する。

さらにがん組織における血管新生とMMP-7、VEGFの発現との相関も調べた。VEGF発現が高くMMP-7が低い症例では血管新生亢進は見られない一方で、VEGF、MMP-7をともに高発現する症例群では血管新生が有意に亢進していた。以上より、実際のヒト大腸がんにおいても本研究で示したようなMMP-7によるVEGFの活性化が起こる可能性が示唆される。

結論

ヒト線維芽細胞、ヒト血管内皮細胞、そしてヒト大腸組織を用いてMMP-7がVEGFを活性化することでVEGFががん環境選択的に利用される可能性を示した。この機構ががん組織と正常組織の血管新生制御の差を生む一因となる可能性があると考えている。この機構はがん細胞が種々の正常組織由来細胞を自身の成長のために利用する巧妙な戦略であるとも言える。

図1線織芽細胞VA-13由来VEGFはCTGFにより不活性され、腫瘍内でがん細胞の産生するMMP-7により再活性化される種々のsiRNAで処理した膵がん細胞Capan-1と線織芽細胞VA-13をヌードマウス皮下に植え形成された腫瘍の血管密度を2週後に評価a.線維芽細胞VA-13由来VEGFの腫瘍血管密度への影響b.膵がん細胞Capan-1由来MMP-7と線維芽細胞VA-13由来CTGFの影響

図2線維芽細胞由来VEGFの活性制御に関するモデル正常組織では線維芽細胞由来のVEGFはCTGFの作用により不活性する。かん組織ではがん細胞由来のMMP-7の作用で再活性化され血管新生を亢逃する

図3sVEGFR-1によるVEGF抑制に対するMMP-7の影響の評価ヒト血管内皮細胞HUVECを用いた管腔形成法により評価。MMP+群はMMP-7で37度24時間処理した溶液

図4血管内皮細胞周囲におけるVEGF活性制御に関するモデル正常環境では血管内皮細胞の周囲に産生されるsVEGFR-1の作用によりVEGFは血管内皮細胞にアクセスできない。がん環境ではMMP-7の作用によりsVEGFR-1が分解されることでVEGFが開放、血管内皮上のレセプターに結合し、血管新生を亢進する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はがん組織に特異的に起こる現象である血管新生の分子機構に関して、種々のモデルならびに実際のヒトがん切除材料を用いて解析したものである。本論文において研究された機構として、正常組織では血管新生因子VEGFは線維芽細胞から同時に産生されるCTGFにより不活性化されること、がん組織ではそのVEGFが活性化されることでがん組織限局的に血管新生が亢進することを試験管内モデルだけでなく、動物モデルならびに実際のヒト手術材料を用いて明確に示している。

本論文は実験モデル毎に3章から構成される。第1章はヒト線維芽細胞が産生するVEGFは、同じ線維芽細胞が産生するCTGFと結合し不活性かされているが、動物モデルにおいては間質線維芽細胞が、がん細胞と同時に存在する時のみ活性化され、血管新生が始まる機構(angiogenic switch)が存在すること、第2章は試験管内において不活化されたVEGFは、がん細胞が産生する蛋白分解酵素MMP-7によりCTGFが分解され活性化され、ヒト血管内皮細胞の管腔形成を行なうこと、そして、MMP7によるCTGFの切断部位を明らかにした。そして、第3章は切除されたヒト大腸組織を用い、ヒト大腸がん組織において血管新生はVEGF産生が高いだけでなく、MMP7産生がともに高い時のみ強い相関が示され、動物実験モデルおよび試験管内モデルで認められた、がん間質細胞が産生するVEGFは、がん細胞が産生するMMP7により活性化されると考えられた。

これまでがん組織における血管新生がその産生された増殖因子の量に規定されると考えられてきたが、この理論では、実際のがん組織において起こっている、「がん細胞周囲にのみに局在して強い血管新生が引き起こされる現象」を説明出来なかったが、彼の研究結果は、がん組織の血管新生は増殖因子の活性化を引き起こすプロテアーゼとの相互作用が必要であり、このプロテアーゼの血管新生因子の活性化がスイッチになる事を示した点で画期的であると考えられる。また、現在血管新生阻害治療が大腸がん患者に用いられているが、今後の新しい治療法の開発にも極めて重要な機構を提案したと考えられる。

本研究は、いずれの領域においても論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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