学位論文要旨



No 124179
著者(漢字) 橋本,直子
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ナオコ
標題(和) 16-19世紀における河川環境の変動が耕地開発に与えた影響評価
標題(洋) Impact Evaluation of environmental change of river for land development in the 16-19th century
報告番号 124179
報告番号 甲24179
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第396号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 春山,成子
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 准教授 斉藤,馨
 東京大学 教授 山路,永司
内容要旨 要旨を表示する

小氷期後を含む17-19世紀(江戸時代)は、長期気候変動の中で河川環境も変化期であり、江戸期に進められた土地開発は環境を大きく変貌させた。16世紀末期から継続する耕地開発(新田開発)は、17世紀末期にはピークを迎える。18世紀には、江戸幕府による年貢増徴政策のため新たな耕地が開発されたが、18世紀後半には開発限界に達して停滞した。停滞理由は、自然環境変動による耕作放棄と再開発が関連すると考えられるが、実態の検証は不十分である。耕地開発は人文現象である政治・経済と深く関わっている。17世紀以前の関東平野では、現在の荒川水系や、利根川水系、旧常陸川水系の河道変遷が激しかった。関東構造盆地沈降地帯の、内陸水面と河川の起伏が少ない特殊な地形形成を考えると、耕地開発への影響を評価した土地被覆変化は再構築される必要がある。本研究では、江戸時代の耕地開発における開発・荒廃・再開発のメカニズムを、自然環境変動の視点から分析を行った。そして、関東平野全体にわたる視野から、利根川本流の改変に大きな影響を与えた中小河川の改変・開削の時期を確定した。この結果得られた知見をもとに、現在の利根川流域における河川環境と開発行為の関係を示した。

1章では、本研究の背景と目的を述べた。

2章では、研究の手法について記述した。河道改変の分析手法には、近世古文書・近世絵図、近代的測量地図を用いた。近世耕地開発の分析手法には、土地測量成果である「検地帳」と、江戸幕府が行った全国統計である「郷帳」を石高データとして分析方法を述べた。本研究で用いる「開発景観」とは、集落と耕地に寺・神社・祠・墓所、林野、入会地などζ特定の時代の地理的環境を含めた歴史学における「村落景観」に、耕地の開発に影響を及ぼした地形、河川、用水路、排水路を加え、17-19世紀(江戸時代)という時間軸のなかで、現在との相違点(変化したもの)と定義を行った。

3章では、自然環境変動と耕地開発の関連を探るため、全国的な耕地開発の展開を、石高データを用いて分析した。全国的な石高増加は、68か国のうち、約半数が1.5倍程度の増加を示した。開発が顕著であった地域は、西日本では瀬戸内海や有明海、東日本では江戸湾沿岸部である。また、信濃川、木曽三川、利根川下流域の氾濫原地域である。沿岸部地域の干拓新田の開発は、小氷期における寒冷化と、この影響による海退が、沿岸部に余剰を生み出だした結果という結論を得た。また、18世紀の自然環境の変化を受けた事例として、利根川流域の水害史の概要を論じた。さらに、耕作放棄と再開発の実態を南東北の会津盆地の新田開発地帯で検証した。その結果、「新村」は、17世紀以降の開発地域に集中して確認できた。放棄された耕地がもともと自然的要因による制約を大きく受ける地域に展開し、開発当初から生産面で安定を欠いていたという知見を得た。

4章では、16世紀後期から17世紀前期の約100年間の利根川本流の変遷と、それに連動した諸河川の改変や締切時期を検討した。関東構造盆地沈降地帯である、武蔵国・下総国・下野国が接する地域では、独立した水系であった渡良瀬川、利根川、常陸川の各河川が、最終的には利根川水系として一体化された。考察した河川は、渡良瀬川、古利根川、権現堂川、赤堀川、佐伯堀、庄内古川の新旧の河道、利根古川、逆川の各河道である。本研究では、利根川本流の河道改変の始点を1546年としたこと。古利根川の最終締切時期を1600年としたこと。先行研究で明確な時期が示されなかった権現堂川の開削時期を、1596-1600年間が妥当であるという知見を得た。

5章では、利根川の本流の改変地域である、武蔵国の足立・埼玉・葛飾郡と下総国葛飾郡の4つの石高変化と耕地開発の成果である新田村が成立した地域の地形要因を分析した。この結果、1)16世紀以前の利根川・荒川の影響を受けた足立郡、2)16世紀まで利根川本流であった古利根川が流下した武蔵国埼玉郡、3)16世紀後期から17世紀前期にかけて利根川本流となる河川が次々に改変された武蔵国葛飾郡、4)江戸川開削以前の本流であった庄内古川が最後まで流下した下総国葛飾郡の順に開発は進展した結果を得た。特に下総国葛飾郡は、庄内古川が締め切られ、江戸川が開削された結果、急激に耕地開発が進行した。18世紀以降は下総台地部でも開発が行われたが、数値的には近世を通した全開発高の約2割弱であり、開発地の主力は低地部であった。流域の耕地開発は、利根川の本流の改変の影響を受けたという結果を得た。

6章では、16世紀末期から17世紀初頭まで利根川本流であった古利根川の最下流域に位置する武蔵国葛飾郡葛西領の開発を論じた。1596-1614(慶長年間)、中川低地に流下していた綾瀬川上流部に備前堤が構築された。この結果、葛西領では、元荒川・綾瀬川からの水害が緩和され、17世紀初頭にはすでに耕地が開発していた。18世紀以降の開発の特色は、16世紀には海域であった江戸湾沿岸部のデルタの干拓である。干拓・埋立には、江戸から排出された塵芥と水路浚いの土砂が使用された。また隅田川河口部に造成された土地は農地ではなく屋敷地として利用された。江戸城下の拡大に伴う市街地の確保という人為的な開発が複合した形態が葛西領の開発の特色である。

7章では、猿島台地の新田村である下総国猿島郡浦向村の開発景観の復原を試みた。開発の特色は、1)平地林が切り開かれた畑地新田に60の字が存在したこと。2)18世紀半ばで村高の約半数に達する税の対象にならない高外地が存在したこと。3)沼の縁に開発が試みられた水田は、利根川の水害の影響を受け、沼側からの冠水で耕作不能地なったことが指摘できた。

8章では、利根川支流小貝川流域の低湿地である鳥羽谷原の開発について論じた。鳥羽谷原では、18世紀江戸幕府による新田開発政策を受けて、入会地として存続していた谷原が開発された。しかし、絵図や史料の分析から開発地は、20年前後で水害のため湿地の状態に復しだ。再開発の成果はわずかで、開発地の大部分は芝地や耕作放棄地として存在したことを提示した。

9章では、鬼怒・小貝川間の旧豊田川の自然堤防上に立地した4つの集落からなる「四か村」が、近世の開発成果によって村として成立していく過程を検証した。開発景観からみた16世紀から17世紀にいたる土地利用の変化は、豊田川旧河道の水田化である。中世には自然堤防上の畑地を中心とした耕地は、近世初頭以降低湿地にまで及んだ。谷原開発は、利根川流域で同様な河川環境にあった地域と、同じ経過をたどっている。すなわち、台地間の沼沢地の開発は、18世紀以降の利根川の水害の影響を大きく受けていることが検証できた。

10章では、18世紀の享保年間、8代将軍のもとで新田開発を推進した伊澤弥惣兵衛が、関与した開発と河川環境の改変を記述した。井澤の開発の特色は、用水源であった湖沼を干拓するかわりに新たな水源を河川から取得する代用水の設置である。伊澤は、大宮台地の見沼代用水や、葛西用水の改変にも関わった。しかし井澤が関与した、関東平野の湖沼干拓新田は、開発後まもなく耕地として維持できなくなったものが大部分であった。この要因として、18世紀中期以降の利根川の水害の頻発を指摘した。

11章では、河道改変によって大きく変化した地域の用水として葛西用水を取り上げ、用水の構築、整備、改変過程を、河道改変や自然環境の変化の視点から考察した。前期葛西用水は中島用水であったが、1704年の利根川水害以降は、江戸川からの取水が不能になった。そこで1719年、葛西用水は、幸手用水を新たな取水源とする後期葛西用水が成立した。しかし、1741年の寛保水害、1783年の浅間山の噴火後を経て、頻発する水害は、葛西用水の取水不足を招きことになった。19世紀前期、武蔵国葛飾郡の葛西用水地域では、江戸川から用水を得ることにより(加用水)、耕地の維持を図った。葛西用水を事例に、自然環境変動による河道改変が用水整備に与えた影響を評価した。

12章では、前章までに示した成果を踏まえて、近世の耕地開発の歴史性と諸形態を、河川環境と耕地開発の相互関連性から再評価を行った。小氷期後を含む17-19世紀の自然環境変動は、デルタや河川下流域の耕地開発の進展に影響を与えた。利根川本流の河道改変の結果、中川低地の開発は進行し、旧河道は用水として利用された。しかし、1741(寛保2)年の寛保の水害以降、利根川流域では水害が頻発するようになる。特に1783年の浅間山噴火による泥流が形成した堰止湖の決壊は、さらなる利根川の河床上昇をもたらし、河川環境に大きな影響を与えた。河道改変による締切地点は、水害時には破堤地点となった。18世紀の新田開発政策による利根川流域の飯沼を代表とする湖沼干拓や低湿地の新田は、利根川の水害の激化と呼応して、再び開発前の沼地や湿地に復していった。18世紀以降の利根川流域では、水害による耕地の維持、用水の整備が必要とされた。一方、利根川の河道改変の視点からみると、会の川から、1594年の浅間川に始まる河道変遷は、利根川が多量の砂を供給するため、水害時に流域に及ぼす影響の回避のためとも推察できる。利根川本流を受けた庄内古川流頭部の開発が江戸川開削後に進展したのは、まさにこの利根川の影響下にあったためと考えられる。本研究におけるアプローチが、すでに景観として喪われてしまったかっての河川環境と耕地の関係を再認識し、変貌を遂げている国土と水防の指標となることを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は1章序論、2章研究の方法、3章自然環境変動と耕地開発、4章利根川流域の自然環境変動の視点からみた河道変遷、5章利根川河道改変地域の新田開発、6章デルタの干拓新田:東京低地、7章台地部の畑作新田:猿島台地、8章低湿地の開発1:小貝川中流域鳥羽谷原、9章低湿地の開発2:豊田谷原四か村の開発、10章江戸幕府の新田開発政策と関東、11章河川環境の変動によって大きく変化した用水整備、12章結論の12章で構成されている。17-19世紀は河川環境変化期であり、江戸期の土地開発は人文環境・自然環境を変貌させた。耕地開発は17世紀に進行し、18世紀前半でピーク、18世紀後半に開発限界に達した。停滞理由と耕作放棄・再開発は自然環境変動と関係があるが、今までの研究では検証が不十分であった。本研究では、新出の古文書・古絵図を解析し、17世紀以降の利根川および支流河川の環境変化を明らかにし、河川流路の制御・管理と新田開発、利根川本流と諸河川の改変・開削過程を検証した。

1章は研究の背景と目的、2章は河道改変と耕地開発の分析に用いた文献・絵図資料、・近代的測量絵図類、石高のデータの分析方法を記述した。3章は石高データを用い旧68国の半数が1.5倍の石高増加を示し、海退が沿岸部の干拓新田の拡大にむけ、自然災害が開発停滞、社会状況の変化が荒廃地を出現させたことを示した。また、17世紀以降の新田開発地域で出現する耕作放棄地を新村という耕地維持をはかる政策的意義で説明した。4章では、16世紀後半から17世紀前半の約100年間を対象にして、利根川中流の河川環境変動と改変との関係、渡良瀬川・古利根川・権現堂川と佐伯堀・利根古川などの開削と掘削位置、河道位置を再検討・再整理し、未解決な河道改変の空間分布と開作時期を明らかにした。

5章では、近世古文書解読から新田開発を分析し、耕地開発の進展・後退の実態、利根川や関連諸河川の開削の相互関係を明らかにした。18世紀前期、江戸幕府が関与した湖沼干拓型新田の場合、開発後に旧状に復したことを示し、寛保水害以降に頻発する利根川水害、1783年浅間山噴火との関係をつきとめた。6章では、デルタ型干拓新田として東京低地の事例を2時期の国絵図から葛西領の河川の開削、付け替え、堰建設、用水施設の設置時期を明らかにした。7章では、台地部畑作新田として猿島台地の分析を進めた。寛永検地、寛文検地の2時期の検地帳を分析して、近世浦向村の成立過程を明らかにした。耕野明畑、水田の2側面から高外地の成立過程を示した。8章では、低湿地開発事例として小貝川中流域の鳥羽谷原を取り上げ、近世前期以降明治期までの開発過程を分析した。9章では、湖沼地域として豊田谷原四か村を取り上げ中世から近世の豊田谷原四か村の耕地開発と河川環境との関係を明らかにした。10章では、江戸幕府の新田開発政策をまとめ、関東地方の用水整備と耕地開発、飯沼開発などの干拓の技術手法を示し、葛西用水整備手法はが河川環境調和的であるとした。11章では、河川環境変動が変化させた用水整備として、葛西用水絵図から前期葛西用水の成立を葛西井堀、中島用水、幸手用水の開削時期、安定期、新規用水源獲得と河川環境との関係を示した。葛西用水系では河道変遷後、取水口設置、蛇行部自然地形を利用した溜井を設置し、用水廃止が水害による取水が困難にした理由を明らかにした。後期葛西用水では中島用水を分離、幸手用水再編を洪水との関係で説明した。

本研究の成果は以下の点である。17-19世紀における自然災害が環境変遷に与えた影響をしめし、変貌する新田開発の史的変化と新田開発モデルを提示した。耕地開発と停滞の理由、耕作放棄・再開発の実態を河川環境変動との関係から説明した。17世紀初頭以降を主たる時間軸としで、東京低地における河川流路の制御・管理と周辺地域の開発に関わる利根川本流の開削・付け替え・堰設置・用水路開削と用水源となる溜井の設置位置を河川環境の特性との関係を分析し、持続的新田開発を促した農業的水利用体系の形成過程を、古文書解読、並びに古地図・絵図解析・現地調査から解釈を加え、新理論を展開した。利根川中流地域の複雑な河道改変を古絵図・古文書解読から時空間軸で変動を明らかにした。氾濫原の微地形解釈を加えて、新田開発・用水体系をデルタ型、台地型、氾濫原型などの開発手法の異なるタイプが存在していることを明らかにし、耕地開発が環境に影響を与え、また、ブイードバックして環境変動が耕地荒廃を引き起し、再開発原動力となったことを示した。

これらの研究成果は、自然環境学的にみて学問的に有用であるとともに、平野氾濫原の防災を考える上で、河川管理・地域計画への一助となる。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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