学位論文要旨



No 124182
著者(漢字) 富田,涼都
著者(英字)
著者(カナ) トミタ,リョウト
標題(和) 「ひとと自然のかかわり」の環境倫理に向けて : 自然再生事業を例に
標題(洋)
報告番号 124182
報告番号 甲24182
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第399号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 准教授 清水,亮
内容要旨 要旨を表示する

わたしたちは、環境問題の解決において、なにをなすべきであるのか。そして、それはどういう論拠から導き出されるのだろうか。

これまでの環境倫理の議論の多くは、「人間中心主義」と「非人間中心主義」の二項対立図式として理解されてきたし、論者たちもそれを意識して議論を行ってきた。特に、1970年代以降の環境倫理の議論では、「人間中心主義」から「非人間中心主義」への転換という流れを見出すことができる。

1970年代以降の環境倫理はそうした「非人間中心主義」の勃興と、それへの批判を軸にして議論が行われてきた傾向が強い。つまり、よくもわるくも「非人間中心主義」は、環境倫理の議論を牽引してきたのである。その結果、これまでの環境倫理の議論においては、「人間」と「自然」を独立した要素として線引きし、論じられることがほとんどであった。

これらの議論は、「自然」と「人間」を厳密に線引きし、自然は人為が加わらない状態が最も価値があるという考え方を下敷きにしている。「非人間中心主義」の議論において、人為を排した「原生自然」が最も望ましいものとして扱われることが多いのは、むしろ当然の帰結といっていい。

しかし、これまでの環境倫理の議論において語られている「人間」や「自然」とは一体何を指しているのだろうか。そして、その線引きは、現実においてそれだけ妥当性を持つのだろうか。

現実の世界においては、きわめてあたりまえのことかもしれないが、「人間」が「自然」を一方的に支配することもできなければ、「人間」はただ一方的に「自然」に決定されるものでもない。そうだとすれば、そもそも「人間」と「自然」を個別の独立しているスタティックな要素の対立として捉えること自体に無理があるし、現実の世界にとっては無意味である。むしろ、「人間」と「自然」が独立した要素ではなく、お互いに影響しながらダイナミックに動くからこそ「人間」と「自然」は交わり、あいまいとなって現場でさまざまな葛藤が生まれるのと思われる。

そう考えると、「人間」と「自然」を独立したものとして線引きすることは可能だろうか。また、どこかで線引きをして、「人間」か「自然」のどちらかを守るという規範を立てたところで、葛藤がまさに「人間」と「自然」の相互作用において発生しているのならば、問題解決には至らない。むしろ、「人間」と「自然」の相互作用、すなわちダイナミックな「ひとと自然のかかわり」を対象として環境倫理を論じていく必要があるだろう。

環境問題の解決が、その基本に人間が環境容量のなかで生き続けるという「環境持続性」があるとしても、社会的公正や存在の豊かさいう観点からも望ましいものとなるには、生態系のダイナミズムにだけ目を向けているのでは不十分である。少なくとも、社会のダイナミックな変動を正面から捉えて、「ひとと自然のかかわり」のあり方を考えていかなければ「社会的公正」や「存在の豊かさ」を達成し、望ましい解決をもたらすことはできないと言っても過言ではない。

環境倫理の議論も、「ひとと自然のかかわり」から、規範を示すものにならざるを得ないと思われる。そのように環境倫理の方向性を考えると、まず、大前提として捉えなくてはならないのは、現実の世界で発生している「人間」と「自然」のダイナミックな変動であり、双方の相互作用だろう。そのなかで現場の葛藤や軋轢を把握し、解決に導くための理念を提示しなくてはならないのである。

本研究ではこうした問題意識を踏まえ、現代の環境運動において盛んになっている、「生物多様性の保全」の社会的実践であり、その到達点である自然再生事業を事例として検証していくことで、二項対立図式を脱却したところで、「ひとと自然のかかわり」において、環境問題を解決するためになすべきことを定めていくための、新たな環境倫理の枠組みについて素描することを目的とする。

この枠組みは、生態系と社会のダイナミックな変動を前提とすれば、ある道徳的な規範を定めればよいというスタティックなものではない。むしろ、ダイナミックな状況が変動していく中で、どう具体的な問題解決を図っていくかというプロセスが重要になるはずである。だからこそ、そこで語られる望ましい「ひとと自然のかかわり」は、単なるスタティックな過去の復元ではなく、生態系と社会の双方のダイナミックな変動を反映した、未来への新しい「ひとと自然のかかわり」でなくてはならない。この点を見誤ると「生物多様性の保全」は、社会に対して「伝統社会」を素朴に称揚したりして、そこから零れ落ちるひとびとに対して抑圧的に働くことになる。これは「生物多様性の保全」や「持続可能性」などの環境運動についての言葉が、国際的にも認知されてある種のグローバルスタンダードとなっている現代では決して杞憂ではないのだ。

そこで、本研究では、こうした新たな「ひとと自然のかかわり」を生成していくための望ましい姿を、過去の復元(Restoration)という実体的な目標ではなく、〈再生〉(Reganeration)というプロセスとして提示することで、目的とする枠組みを検討したい。

これまでの環境問題においては、Restoration(復元や修復と訳されることが多い)という言葉が使われることのほうが一般的であった。また、本研究で事例とする自然再生事業は、Nature Restorationの訳語として使われている。このRestorationという言葉においては、概念的に元々あったものに戻るかどうか、過去の特定の状態になるかどうかが問題となる。

しかし、自然再生事業をはじめとする環境運動は、「過去の復元」には、原理的にも事実上もなり得ない。それに対して、ここでいう〈再生〉(Regeneration)とは、文字通り再び生きる、再び生まれる、再び生み出す、という過程を意味している。つまり、Restorationと異なり、そこで主たる問題になるのは、ある特定の状態になるかどうかではなく、生み出すという未来へのプロセスそのものである。復元のように特定の状態を問題にし、スタティックな目標を議論するのか、〈再生〉のようにダイナミックな過程を議論するのかには、結果的に大きな違いが生まれる。環境倫理が生態系と社会のダイナミズムの中で、現場でのなすべきことを示すことが求められているのならば、この違いを重要視して議論するべきだろう。

本研究では、このような観点から〈再生〉(Reganeration)という概念を用い、「ひとと自然のかかわり」を生成していくための望ましい過程を、事例研究をもとに議論していく。そのなかで、〈再生〉という過程を支えるための基盤として、なにが必要なのかを具体的に論じる。

以上のような議論の目的を達成するために、本研究ではまず第2章で、本研究において実際の事例を分析していくための枠組みとしての「ひとと自然のかかわり」について検討する。そこでは、ひとびとの実体的な営みと、その営みが依存する便益である生態系サービスと生物多様性という生態系の様相の関係を整理する。そして、どのような生態系サービスの享受が求められるのかという、営みの枠組みとしての社会的な価値観との関係を検討する。これにより、環境問題の解決において、ひとびとの営みの動向が大きな焦点となることを示した。また、ひとびとの営みの歴史的な文脈への依存性を検討し、営みはひとびとの日常の世界のなかで歴史的な文脈をもつからこそ、営みの枠組みがある種の世界観として、ひとびとに意味あるものとして認識され得ることを示し、事例研究の際の注目点になることを明らかにした。これらのことから、〈再生〉は、この生態系サービスの享受を保とうとするなかでの新しい「ひとと自然のかかわり」の生成の過程として位置づけられることを提示した。

第3章では、第一の事例として茨城県霞ヶ浦・関川地区で行われた自然再生事業の事例研究を行い、営みの変遷と、「ひとと自然のかかわり」の変化から、関川地区で行われた自然再生事業がどのような意義を持ち、また目指すべきであるのかという検討を行った。その結果、自然再生事業は単純に自然環境を対象とした復元(Restoration)を目指していけば事足りるというものではなく、多様な生態系サービスの享受を維持するような営みのあり方を考え、「ひとと自然のかかわり」を〈再生〉(Regeneration)する必要があることを明らかにした。いわば、自然再生事業を生態系の問題としてのみ考えるのではなく、きわめて社会的、価値的な問題としても考えるという枠組みである。

続く第4章と第5章では、「公論形成の場」が設置された自然再生事業の事例を社会的な実践という観点から検討し、それが日常の世界とどのような接点を持っているのかについて明らかにした。また、第6章で比較検討を行うことで、自然再生事業が、〈再生〉として機能していくためには、なにが必要であるのかを考察した。

第4章でとりあげた第二の事例である霞ヶ浦・沖宿地区の事例では、市民参加で設置されたはずの「公論形成の場」である自然再生協議会において当初の生態学的な問題設定が硬直したものになっており、それゆえに問題設定の齟齬を解消できないことを明らかにした。その結果、「公論形成の場」を設置するだけではひとびとの日常の営みとの接点を持つことができておらず、現段階では〈再生〉のプロセスとなることは難しいことが明らかになった。

それに対して、第5章でとりあげた第三の事例である松浦川・アザメの瀬では、自然再生事業が「生物多様性の保全」という枠組みを超えて、日常の営みとの接点を持ち、また、その取り組みが日常の営みへと多少なりとも転化しつつあり、アザメの瀬の自然再生事業がひとびとの日常の世界と接点をもち、〈再生〉となっていく可能性があることが明らかになった。

第6章では、霞ヶ浦・関川地区および沖宿地区と松浦川・アザメの瀬の自然再生事業の比較を行い、アザメの瀬でみられた、異なる論理の併存と相互変容やそれを引き起こしやすくする非日常的な磁場の発生を通じた営みを検討していくことで、それをダイナミックなプロセスとして捉えられることを示してきた。また、そのダイナミックなプロセスの中だからこそ、公論形成の場においては、一時的な〈同意〉に意味があることを考察した。

第7章では、〈再生〉の共時的課題として、ダイナミックなプロセスが生態系の「望ましさ」を達成して、結果的に環境持続性を確保するための課題を検討する。具体的には、知の体系という「事実」と未来への視野という「価値」の両面から、生態系サービスという実体をテコにして営みを制御することが可能であることを指摘し、その制御への具体的な目標としての、生態系の「望ましさ」をどう評価できるかを検討する。そこで、環境持続性の評価を生態系の「望ましさ」の評価に利用するということや、それに伴う諸課題を指摘する。

また、〈再生〉を実現させるために、通時的な課題として、過去-現在と、未来が持つ根本的な不確実性(現在との断絶)を〈跳躍〉することが必要であること、それが身体的行為の共有によるある種の覚悟の共有によってなされることを明らかにした。

そして、第8章では、これまでの理念的な検討によって示唆される、具体的な〈再生〉を実現させるための方策を検討する。ここでは、〈再生〉の具体的な作業をかたちづくって営みの制御をしていくために、問題設定のフレーミングの社会的な検証を明確に組み込んだ「社会的な順応的管理」を行うことと、その具体的な社会的な検証や順応的管理の社会的な基盤を構築し、未来への〈跳躍〉を可能にするための参加型のローカルな知のネットワークの構築を行うことの2つの方策を提示する。そのことによって、営みを制御するために必要な未来の持つ不確実性の〈跳躍〉を可能にし、プロセスとしての〈再生〉を担保することができることを提示する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる。

第1章では環境倫理学の従来の研究の流れを概括しつつ、人間と自然を対置し、人間中心主義と人間非中心主義を二項対立図式で捉える従来の環境倫理学が、とりわけ自然保護(生態系保全、生物多様性保全)にかかわる領域において、理論的にも実際の現場の状況の中でもさまざまな問題を抱えていることを明らかにし、「自然」の捉え直しにより新たな環境倫理学の地平を拓くことが求められていることを提起している。保全生態学では既に、従来の有機体論的で固定的な把握から解放され、「生態系」をダイナミックな形で捉え、その中で保全や再生が議論されているにもかかわらず、環境倫理学など人文社会科学の領域では、固定的な「自然」概念を前提に、人間社会との関係においてもをスタティックな関係性の議論に終始しており、保全や再生の現場では十分に学問的な寄与がなされておらず、「自然」においても、「自然」と「人間」の関係性においても、ダイナミックな形で捉え直すことにより、環境倫理学の全体の枠組みを転換する可能性と意義が意欲的に論じられている。

本論文では、このような観点から、「自然再生事業」を取り上げ、「再生すべき自然」「まもるべき自然」をどう考えるべきかについて、理論的、実証的に明らかにしようとしている。理論的な観点だけでなく、具体的事例を詳細に検討することにより実証的に取り組んだことがこの論文の重要な特徴にもなっている。

その中で、象徴的な概念が「〈再生〉(Regeneration)」である。単に元に戻す(復元Restoration)と違い、「自然」の生態系のシステムにおいても、「人間」との関係性においても、「ひとと自然のかかわり」を生成し、未来に向けてダイナミックな形で再構築されるべきものとして提起し、その概念を軸にして、人間と自然の関係性だけでなく、自然のシステムも人間社会との関係の中でダイナミックに構成されるべきものとして捉え、環境倫理学の新たな理論的な枠組みを構築するために重要な貢献をしようとしている。

第2章では「ひとと自然のかかわり」という領域に関して詳しく検討している。ひとびとの営みと、その営みが依存する便益である生態系サービスと生物多様性という生態系の様相の関係を整理している。そのことによって、生物多様性保全などの環境問題の解決においては、ひとびとの営みのあり方に注目せねばならないこと、また、また、ひとびとの営みは日常の世界のなかで歴史的な文脈をもつからこそ、営みの枠組みがある種の世界観として、ひとびとに意味あるものとして認識されるし、事例の実証的な研究の理論的な軸として捉えるべきことが理論的に明らかにされている。このことから、〈再生〉が、この生態系サービスの享受を保とうとするなかでの新しい「ひとと自然のかかわり」の生成の過程として位置づけられることを提示している。

第3章では、第一の事例として茨城県霞ヶ浦・関川地区で行われた、自然再生事業の先鞭をつけた先駆的な事業の事例研究を行い、営みの変遷と、「ひとと自然のかかわり」の変化から、関川地区で行われた自然再生事業がどのような意義を持ち、また目指すべきであるのかという検討を行っている。この実証研究から、自然再生事業が、単純に自然環境を対象とした復元(Restoration)を目指していけばいいのではなく、多様な生態系サービスの享受を維持するような営みのあり方を創造し、「ひとと自然のかかわり」を〈再生〉(Regeneration)の過程であるべきことが明らかにされている。

第4章と第5章では、「公論形成の場」が設置され、地域社会との何らかの関係性を担保されている自然再生事業の事例を事例として検討している。

第4章でとりあげられている第二の事例である霞ヶ浦・沖宿地区の事例では、市民参加で設置されたはずの「公論形成の場」である自然再生協議会において当初の生態学的な問題設定が硬直したものになっており、それゆえに問題設定の齟齬を解消できないことを明確に示している。「公論形成の場」を設置するだけではひとびとの日常の営みとの接点を持つことができないのである。

それに対して、第5章でとりあげられている第三の事例である松浦川・アザメの瀬の事例研究では、自然再生事業が「生物多様性の保全」という枠組みを超えて、日常の営みとの接点を持ち、また、その取り組みが日常の営みへと多少なりとも転化しつつあり、アザメの瀬の自然再生事業がひとびとの日常の世界と接点をもち、〈再生〉となっていく可能性があることが明らかにされた。

第6章では、霞ヶ浦・関川地区および沖宿地区と松浦川・アザメの瀬の自然再生事業の事例研究で明らかにあったことを土台にして、比較を行い、特にアザメの瀬でみられた異なる論理の併存と相互変容、それを引き起こしやすくする非日常的な磁場の発生を通じた営みを検討し、それを人間と自然とのダイナミックなプロセスとして捉えられることが示されている。

第7章では、その際に、〈再生〉の共時的課題として、根本的な問題として考えなければならない「環境持続性」を確保し、〈再生〉が環境問題の解決に貢献するための理論的な課題を整理している。技術や文化などの知の体系や、社会的な価値観としての営みのあり方(未来への視野)から営みを制御することが必要であることを示され、そのようなプロセスを実現させるための通時的課題として、未来が持つ根本的な不確実性(現在との断絶)を〈跳躍〉することが必要であること、それが身体的行為の共有によるある種の覚悟の共有によってなされることが明確に示されている。

そして、第8章では、以上の事例研究の実証的な検討と、ここまで議論されてきた理念的な検討によって、具体的な〈再生〉を実現させるための方策が検討されている。問題設定のフレーミングの社会的な検証を明確に組み込んだ「社会的な順応的管理」と、そのための社会的な基盤を構築し、営みを制御するために必要な未来の持つ不確実性の〈跳躍〉を可能にするための、参加型のローカルな知のネットワークの構築を行うことの、2つの方策を提示されている。このことによって、プロセスとしての〈再生〉が実現されることが提示されている。

このように、自然保護(生態系保全、生物多様性保全)や自然再生にかかわる領域で特に重要な、「まもるべき自然」とは何かという根本的な理念的な問題を、環境倫理学の中でどう論じるべきかという、環境倫理学においても本質的で困難な大きな課題に対して、〈再生〉(Regeneration)という理論的な概念を、「自然」や「自然」と人間との関係性のダイナミズムのあり方を明確に表現するべく再定義して、それを事例研究の概念装置として整備して詳細な実証的な検討を積み重ね、理論的にも本質的な議論を行い、社会的な順応管理、不確実性の跳躍、身体的行為の共有による参加型ローカル知のネットワーク、プロセスとしての再生といった、現実の問題にも十分に適応可能な重要な概念のセットを生み出し、検討している。その結果、環境倫理学の新たな枠組みの構築にも寄与できるオリジナリティの高い研究をなし遂げた。この成果は、環境倫理学や環境社会学にとどまらず、環境にかかわる人文社会科学的研究や、保全生態学まで射程を持ったトランスディシプリナリな研究まで拡がりを持ち、普遍性を持ったものであり、他の領域にもインパクトがあるような形で提示している。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/55725