学位論文要旨



No 124208
著者(漢字) 篠田,雄大
著者(英字)
著者(カナ) シノダ,タケヒロ
標題(和) サメ直腸腺Na+,K+-ATPaseの三次元結晶化とX線結晶解析
標題(洋)
報告番号 124208
報告番号 甲24208
学位授与日 2008.11.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3358号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 小川,治夫
 東京大学 准教授 西山,賢一
内容要旨 要旨を表示する

P型イオンポンプはATPの加水分解エネルギーを利用し、能動輸送を行うことで細胞内イオン組成の維持を担う、生命活動にとって最も重要な蛋白質群のひとつである。

代表的なP型イオンポンプのひとつであるNa+,K+-ATPaseはほぼすべての動物細胞に発現している膜貫通型膜蛋白質で、αサブユニット(触媒サブユニット)、βサブユニットおよびFXYD蛋白質から構成されている。ジギタリスやウアバインなど心不全治療薬の標的分子としても良く知られており、古くから研究されてきた代表的な膜蛋白質のひとつでもある。

Na+,K+-ATPaseは1分子のATP消費による細胞内の3つのナトリウムイオンと細胞外の2つのカリウムイオンの対向輸送が主な機能ある。さらに、心筋等ではジギタリス様ステロイドホルモン受容体として機能し細胞内情報伝達に関与することが知られており、イオン輸送以外の機能も注目されている。したがって、Na+,K+-ATPaseの原子構造を得ることはイオン輸送機構の解明に留まらず、細胞内情報伝達や創薬にも多くの知見を与えると考えている。

P型イオンポンプの触媒サブユニットの原子構造はすでにウサギ筋小胞体Ca(2+)-ATPaseで得られているが、Na+,K+-ATPaseには巨大な糖鎖を持つβサブユニットとαサブユニットの制御分子として機能するFXYD蛋白質の存在など固有の特徴がある。2007年にMorthらによって報告されたブタ腎臓Na+,K+-ATPaseの結晶構造は分解能が3.5Åと低く主鎖や側鎖間の相互作用が不明瞭であること、さらにβサブユニット/FXYD蛋白質については膜貫通ドメイン以外構造のモデリングに成功していないなど不十分なものであった。

本研究はX線結晶構造解析によるNa+,K+-ATPaseのα/β/ FXYDプロトマーの高分解能構造の決定を目的とし、共同研究者であるデンマークAarhus大学のFlemming Cornelius博士より提供された、Squalus acanthias (和名アブラツノザメ、以下サメと省略)直腸腺Na+,K+-ATPaseの三次元結晶化を行った。サメNa+,K+-ATPaseのアミノ酸配列は、αサブユニットでヒトα1と94%と非常に高い類似性をもち、βサブユニットでもヒトβ1と80%の高い類似性をもつ。さらに、このサメ固有のFXYD蛋白質であるFXYD10は、細胞質側にプロテインキナーゼAおよびプロテインキナーゼCのリン酸化部位を持っており、ヒトFXYD1と類似性がある。したがって、サメNa+,K+-ATPaseの結晶構造から得られる情報はヒトをはじめとしてほとんどの生物種に有効である。

1サメNa+,K+-ATPaseの可溶化条件検討

膜蛋白質の結晶化は、通例界面活性剤で可溶化した試料を用いて行われるが、膜蛋白質と界面活性剤の組み合わせが適当でないと失活や変性を生じる。したがって、膜蛋白質の可溶化に際して最も重要なことは目的蛋白質の活性・構造を保持して可溶化できる界面活性剤を見つけ出すことである。特に結晶化では長期間構造を安定させておく必要があるため界面活性剤の選択は実験の成否に直結する。

本研究では膜蛋白質の可溶化によく用いられるoctaethyleneglycol dodecyl ether (C(12)E8)、dodecylmaltoside (DDM)、 3-[(3-cholamidopropyl)dimethylammonio]-1-propanesulfonate (CHAPS)、および lauryldimethylamine-N-oxide (LDAO)を使用し、可溶化遠心上清に回収された蛋白質量とNa+,K+-ATPase活性の収量を比較した。その結果、C(12)E8 を用いて可溶化した試料に非常に高い収量を示した(図1左)。さらに、C(12)E8 を用いて可溶化した試料について、長期間(47日間)4℃で放置したときの活性の安定性を調べたところ、100 mM KCl存在下で60%以上の活性が残存しており、高い長期安定性を示した(図1右)。

2阻害剤の検討

蛋白質の結晶化では蛋白質を特定の構造に安定に保つ目的で阻害剤がしばしば用いられる。F-と特定の多価金属イオンの錯体は燐酸の類似体としてNa+,K+-ATPaseやCa(2+)-ATPaseの細胞質ドメインに結合し強力な阻害剤として作用する。この際、用いる多価金属イオンに応じて異なる燐酸化中間体を模することができ、MgF4(2-)の結合したNa+,K+-ATPaseはカリウムイオンを膜貫通領域内に結合したE2・2K+・Pi状態を模するとされている。

本研究ではサメNa+,K+-ATPase結晶化でのMgF4(2-)の必要量を見積もる目的で100 mM KCl, 4 mM MgCl2, 25℃下、2.50 mg/ml サメNa+,K+-ATPaseの活性阻害に必要なフッ化カリウム(KF)量を調べた。図2に反応時間ごとのKF量と残存するNa+,K+-ATPase活性を示したが、8 mM KFでは反応時間 10 minで残存活性が1%未満にまで阻害可能で、90 minではほぼ完全に阻害することが可能であることがわかった。この結果から、結晶化でのMgF4(2-)処理は2.50 mg/ml サメNa+,K+-ATPase, 100 mM KCl, 4 mM MgCl2, 8 mM KFで行うことにした。

3サメNa+,K+-ATPaseの三次元結晶化

サメNa+,K+-ATPaseの結晶化は透析ボタンによる微量透析法を用いて行った。

結晶化溶液(透析液)は各条件に調製後十分に脱気し、使用直前に還元剤を添加して用いた。

あらかじめ蛋白質濃度と脂質濃度(phosphatidylcholine (PC)およびcholesterol濃度)を定量した2.50 mg/ml可溶化サメNa+,K+-ATPaseに100 mM KCl, 4 mM MgCl2, 8 mM KF, PC溶液, C(12)E8溶液を添加し、25℃、90分間反応させた。反応後この蛋白質溶液を透析ボタンに移し、用意した結晶化溶液中に沈め、25℃下、1~2か月間放置して結晶化を行った。

蛋白質溶液の条件検討は脂質/蛋白質重量比 [mg/mg] (α値)および界面活性剤/脂質モル比 [mol/mol] (γ値)を指標に、添加するPC溶液とC(12)E8溶液を調節して行った。また、結晶化溶液は始めに沈殿剤の検索を行い、微小結晶を得たPEG3000に沈殿剤条件を固定して以降の条件検討を進めた。その結果、蛋白質溶液条件がα = 1.15, γ = 6.50, 結晶化溶液条件が18 % PEG3000, 2.75 M glycerol, 5 % 2-methyl-2,4-pentanediol、100 mM potassium acetate、10 mM KCl, 4 mM MgCl2, 4 mM KF, 10 mM glutathione, 2 μg/ml 2,6-di-t-butyl-p-cresol, 20 mM MES-Tris, pH 7.0, 25℃で図3左に示したような良質な三次元結晶を再現良く得ることに成功した。この条件で得られる結晶の空間群はC2、格子定数はa = 270 Å, b =55 Å, c = 175 Å, β = 115°と大きく、6Å程度の分解能しか得られなかったが、結晶凍結直前に高濃度の沈殿剤で処理することで結晶格子が縮小し、SPring-8(ビームラインBL41XU)で分解能2.6Åの回折データを得ることができた(図3右)。この結晶の空間群はC2、格子定数はa = 224.0 Å, b = 51.0 Å, c = 163.7 Å, β = 105.3°であった。

4多重同型置換法を用いた位相決定

X線回折データから電子密度分布を再構成するには各反射の位相角を決定しなければならない。

本研究では広く使用されている金(I)試薬の誘導体を作製したほかに、タリウム(I)塩やルビジウム塩を使用して膜貫通領域に結合したカリウムイオンを置換した重原子誘導体を作製し、多重同型置換法を用いて位相決定を試みた。溶媒平滑化の結果、図4に示す電子密度図が得られ、βサブユニットとFXYD蛋白質の細胞外ドメインの構造も見ることができた。

5まとめ

本研究はサメNa+,K+-ATPase α/β/FXYDプロトマーのE2・2K+・MgF4(2-)状態での三次元結晶化とX線結晶構造解析により、βサブユニットとFXYD蛋白質の細胞外ドメインを含む高分解能の電子密度図を得ることに初めて成功した。この結果はNa+,K+-ATPaseの対向イオン輸送機構と固有の特性を側鎖レベルで理解できるだけでなく、Na+,K+-ATPaseを介する細胞内情報伝達の理解やNa+,K+-ATPaseを標的にした薬物の開発に大きく貢献できると考えている。

図1各種界面活性剤の検討(左)およびC(12)E8 で可溶化した試料の長期安定性の検討(右)

図2各反応時間でのKF濃度と残存するNa+,K+-ATPase活性の関係

図3サメNa+,K+-ATPaseの結晶(右)とそのX線回折写真(左)

図4サメNa+,K+-ATPase三次元結晶のパッキングの様子(左)と多重同型置換法により得られた3.2Åの電子密度図(右)

審査要旨 要旨を表示する

P型ATPase(イオンポンプ)はATPの加水分解エネルギーを利用し、能動輸送を行うことで細胞内イオン組成の維持を担う、生命活動にとって最も重要な蛋白質群のひとつである。Na+,K+-ATPaseは代表的なP型ATPaseのひとつで、αサブユニット(触媒サブユニット)、βサブユニットおよびFXYD蛋白質から構成されている膜貫通型膜蛋白質である。Na+,K+-ATPaseはATP1分子を消費し、細胞内の3つのナトリウムイオンと細胞外の2つのカリウムイオンの対向輸送を行うほか、ジギタリスやウアバインなど心不全治療薬として用いられている強心ステロイドの標的分子でもある。従って、Na+,K+-ATPaseの原子構造を得ることはイオン輸送機構の解明だけでなく薬剤開発にも有用である。

本論文は全八章から構成されており、第一章の序論と第二章の材料と方法に続き、第三章から第六章にSqualus acanthias (和名アブラツノザメ)直腸腺Na+,K+-ATPase(以下Na+,K+-ATPaseと略す)の可溶化条件の検討、阻害剤として働く燐酸アナログの検討、Na+,K+-ATPaseの結晶化、及び回折データ収集について記されている。また、第七章には考察、第八章には結論が記されている。

第三章ではNa+,K+-ATPaseを含むサメ直腸腺精製膜断片の可溶化条件の検討について記述している。界面活性剤を用いて可溶化した試料について、可溶化遠心上清に回収された蛋白質量とNa+,K+-ATPase活性を比較し、一般的な界面活性剤四種のうちC(12)E8を用いて可溶化すると非常に高い収量が得られることを示した。さらに、C(12)E8を用いて可溶化した試料について長期安定性を調べたところ、100 mM KCl存在下4℃で放置した試料は1ヶ月半後でも60%以上のATPase活性を保持していた。

第四章では結晶化に使用する燐酸アナログについて記述している。Na+,K+-ATPaseは燐酸アナログMgF4(2-)が細胞質領域に結合すると、カリウムイオンが膜貫通領域内に結合したE2・2K+・Pi状態を模するとされている。100 mM KCl, 4 mM MgCl2, 25℃下、2.50 mg/ml Na+,K+-ATPaseの活性阻害に十分なフッ化カリウム(KF)濃度をNa+,K+-ATPase残存活性量を指標に検討した結果、8 mM KF添加により反応時間 10分で残存活性を1%程度まで減少させ、90分でほぼ完全に阻害出来ることを示した。

第五章では透析ボタンによる微量透析法を用いたNa+,K+-ATPaseの結晶化条件の検討を記述している。一般的な還元剤四種についてサメNa+,K+-ATPaseに対する効果を調べ、グルタチオンとシステインがNa+,K+-ATPase活性に影響を与えず、長期安定性を改善することを示した。さらに、結晶化条件にグルタチオン或いはシステインを添加することで、長辺が300 μmを超える四角形の板状結晶が得られることを示し、その添加が透析法によるサメNa+,K+-ATPaseの結晶化において決定的な条件であることを明らかにした。また、Ca2(+)-ATPaseの結晶化において重要な因子である蛋白質/脂質/界面活性剤比、及び2-methyl-2,4-pentanediolや酢酸塩の添加がNa+,K+-ATPaseでも同様に重要であることを明らかにした。これらの条件を最適化することで大きく厚みのある結晶を再現性良く得られるようになった。

第六章では、初めに、結晶の脱水和による結晶格子や分解能への影響について記述している。前章までの段階で得られたNa+,K+-ATPase結晶は5.0 Åの分解能しか示さず、原子モデルの構築は不可能なものであった。結晶を透析ボタンごと結晶化条件より高濃度の沈殿剤(PEG3000)を含む緩衝液に移して透析すると、脱水和が進行し、結晶格子の体積は約70%まで縮小した。これにより結晶格子中の分子の規則性が改善され、3.0 Åを超える高分解能の回折データが得られるようになった。次に、異常散乱多重同型置換法(MIRAS; multiple isomorphous replacement with anomalous scattering)による位相決定について記述している。MIRASには六種類の重原子誘導体が用いられており、これより得られた初期位相から描いた電子密度図は、αサブユニットだけでなくβサブユニットとFXYD蛋白質についても膜貫通領域と細胞外領域の主鎖を追跡できる電子密度を示した。

以上、本研究ではサメ直腸腺Na+,K+-ATPaseのE2・2K+・MgF4(2-)状態での三次元結晶化を行い、2.4 Åという高分解能の回折パターンを与える結晶を得ることに成功した。特に、βサブユニットとFXYD蛋白質の細胞外領域について、原子モデル構築可能な電子密度を得たのは本研究が最初である。これによりNa+,K+-ATPaseの機能を原子レベルで理解することが可能となるだけでなく、原子構造に基いた薬剤開発も可能となる。従って、本研究の成果は学術面だけでなく医療への応用においても非常に大きい意義がある。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として相応しいものと認めた。

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