No | 124216 | |
著者(漢字) | 猪野,弘明 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イノ,ヒロアキ | |
標題(和) | リサイクルと廃棄物の経済学 | |
標題(洋) | Economics of Recycling and Waste Management | |
報告番号 | 124216 | |
報告番号 | 甲24216 | |
学位授与日 | 2008.11.26 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(経済学) | |
学位記番号 | 博経第239号 | |
研究科 | 経済学研究科 | |
専攻 | 現代経済専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | リサイクルと廃棄物の経済学では,通常の経済モデルでは捨象されている財の消費後の廃棄行動,ならびにその再生活動を明示的に取り上げ分析する.この分野の主要課題は廃棄費用をいかに内部化するかである.ゴミ有料化政策(ピグー税)によって,財の廃棄費用を消費者から徴収しようとしても,消費者は費用負担を避ける不法投棄が可能であるため,監視費用が高くつく.これを避けるために,行政が無料の廃棄サービスを提供すると,廃棄費用は外部費用となる.このような場合に,理想的な政策として提唱されてきたのが,デポジット・リファンド政策(生産物市場における税とリサイクル市場における補助金の組み合わせ政策)である.この政策では,内部化の段階を消費者の廃棄時から,より上流の生産物の取引時とより下流のリサイクルの取引時に分配して市場べース化する.これにより,消費者の監視費用を避けつつ,ピグー税の代わりに最善を達成できると信じられてきた.だが,このようなシステムが実行されるようになると,政策的なリサイクル促進が,企業に廃棄・再生のコストを避けて不法投棄を行うインセンティヴを新たに付与する.しかし,既存の研究では,消費者段階での不法投棄の可能性は深刻視する一方,企業段階での不法投棄の可能性は取り上げられてこなかった.本論では,生産物市場とリサイクル市場を明示的に扱う経済モデルを用い,企業側も含めて監視問題に注目しつつ,消費後の廃棄・再生活動を制御する最適政策を探求する. 第二章では,容器包装・食品・建築資材等のように廃棄物がどの企業製のものかについてトレーサビリティがない財を考える.このような財は数多くの匿名の企業により供給され,製品も同質であると考えられるため,完全競争市場を分析対象とする.この場合に適切にリサイクルを促進するには,企業の不法投棄を防ぐことが重要になり,そのための監視費用を加味した次善のデポジット・リファンド政策を導かなければならない.本章では,この次善政策のもとでは,リサイクル市場価格が十分に高くなる一部のケースを除けば,最善の水準よりも低くなることを示した.このことは,リサイクルが高度に発達していない限り,リサイクルの促進策は企業の監視問題によりある程度あきらめなくてはならないことを示唆する.特に,補助金の最適水準はちょうどリサイクル回収費用に一致することがあり,これは日本の容器包装リサイクル法に見られるようにリサイクル回収を行政が肩代わりするような政策も理論的にサポートされ得ることを意味する.また,数量政策である回収義務・排出権取引の組み合わせ政策が,価格政策であるデポジット・リファンド政策と同値に働くことを示した.この場合の次善の設計は,回収義務量の初期免除点と生産量に応じた限界的変化の組み合わせであることが明らかになった. 第三章では,家電・自動車のように廃棄物がどの企業製のものかを容易にトレースできる財を考える.この場合には,企業は少数で非匿名でなくてはならず,製品も差別化されていると考えられるため,(独占を含む)寡占市場における分析を行う.この場合,各企業が消費後の製品廃棄に関しても責任を負い,回収されずに投棄された自社製品に関して何らかの義務(罰金)を負うという拡大生産者責任(EPR)を実行しやすい.本章ではこの罰金が,ピグー税と同値にリサイクルを促進することを示し,次いで,その寡占における次善水準を導出し,既存研究で示されている通常の寡占下でのピグー税水準を越えることを示した.また,寡占下でのピグー税水準は最善の水準より低くなることが知られているが,EPRにおける次善の罰金水準は最善水準より高くなることさえありえる.なお,これらの結論は全て製品差別化のある寡占市場に拡張しても成立する. 第四章では,前章で述べたEPRの分析を,寡占市場から完全競争市場での分析につなげるための理論的土台ともなる理論分析を提供する.本章では,完全競争市場のもとである1企業が技術革新(限界費用の削減)に成功した場合,市場がどのような構造になり,技術革新の利益がどの程度になるかを明らかにした.具体的には,旧技術は誰もが利用可能になっており,競争的な市場であるという状況を捉えるために,新技術を与件として,旧技術を利用可能な企業数を無限大に飛ばしたときの極限定理として分析されている.結果として,技術革新者が独占企業になってしまうほど急激な技術革新でない限り,以下に述べる結論がサポートされる.もし技術革新者がシュタッケルベルク・リーダーになれるなら,技術革新が小さい場合は完全競争行動を取り続けるが,技術革新が大きければ元の完全競争価格の下で全ての市場を占有する(新技術が市場を席巻する).前者の場合,技術革新の利益は完全競争下での技術差による利益に過ぎないが,後者の場合は完全競争下での利益を凌駕することになる.技術革新者がシュタッケルベルク・リーダーにはなれず,クールノー競争が行われる場合には,技術革新の多寡に関わらず,市場は技術革新者の部分独占になる.この場合,技術革新の利益は(特に技術革新が小さいとき)完全競争下での利益を下回ることもありえる.この章の手法と結果を応用すると,EPR政策下において,リサイクル市場が発達し,生産者以外のリサイクル業者の参入により完全競争に近づくと,生産者のみの寡占市場では有効だったEPR政策が無効化することが示せる.循環型社会が未熟でリサイクル市場が拡大生産者責任を負う生産者のみに魅力的な場合に,EPR政策は適当であることをこの結果は示唆する. | |
審査要旨 | 審査論文の主題と位置付け 本審査論文は、リサイクルと廃棄物という環境被害に関する研究分野において、著者独自の新しい問題意識を背景に、今までは分析上捨象されてきたいくつかの政策課題を明示的に分析し、望ましい環境安全規制政策のあり方を理論的に解明した一連の研究成果をとりまとめたものである。学位請求論文は、研究全体の問題背景を記述し、デポジット・リファンド制などのリサイクルと廃棄物に関する政策に関する既知の知見を要領よくまとめた第1 章、廃棄物のトレーサビリティが存在しない完全競争産業の場合に、リサイクル回収物自体を再生利用せずに企業が不法廃棄するインセンティブを取り上げ、次善のディポジット・リファンド政策を分析した第2章、廃棄物のトレーサビリティが存在する寡占市場において、回収されずに廃棄された自社製品に生産者が罰金義務を負う拡大生産者責任制度の下での次善の政策を分析した第3章、完全競争市場で一つの企業が技術革新(限界費用の削減)に成功した場合、シュタッケルベルグ競争の下でこの企業の行動がどう変わるかの分析を通じて、生産者以外も参加するリサイクル市場における拡大生産者責任制度の意味と限界を論じた第4章という、4つの章から構成されている。 アーサー・ピグーの古典的業績以来、ごみ廃棄問題をその一例とする外部効果の問題は、直接規制やピグー課税による内部化を中心的論点として取り扱われてきた。しかしごみ廃棄問題では、廃棄物の直接規制や廃棄へのピグー課税は、廃棄活動を完全に監視できる場合にしか最善を実現できない。それに対して、一方でデポジット制度という現実の解決策の普及と、他方ではD.Fullertonなどによる2点セット政策(Two Parts Instruments:2PI) という新たな解決策の理論的発見に伴って、廃棄活動が不完全にしか観察できない場合でも最善が実現できる政策に関心が集まるようになった。生産物への課税とリサイクル回収物への補助金給付というデポジット-リファンド(D-R制度であり、ゴミ問題に2PI を応用した解決策である。とはいえ、この研究分野には未だに気付かれてさえいない幾つもの問題点や未解決のさまざまな問題が存在する。D-R政策の場合でも、リサイクル回収された財自体を廃棄することで、給付された補助金を只取りするインセンティブが存在するという産業廃棄物の問題に注意を向けた研究者はいなかった。また、最近関心を呼びつつある拡大生産者責任制度が機能する一つの必要条件は、財から生産者を割り出すことができるかどうかというトレーサビリティの問題である。さらに、D-R政策が適切な形で機能するためには、課税対象の生産物生産者と補助金給付対象のリサイクル回収業者が同一経済主体でなくてもよいのはどのような場合かを明らかにする必要がある。これらの問題は、ゴミ問題が引き起こす外部効果を2PIを通じて内部化する、という政策を現実に採用しようとする場合、あらかじめ明らかにしておかなければならない必須の問題点である。本論文では、これらの現実政策にかかわる新しい重要な問題点が、厳密な理論分析によって体系的かつ明確な形で分析されている。 以下、第1章から第4 章の各章のより詳しい内容とその主要な貢献、残された課題などについて述べることにしたい。 II.各章の概要と評価 第1 章では、廃棄物管理とリサイクル問題に関する標準的な知見が、分かりやすい数学モデルと図解を使って説明されている。完全競争産業の生産物が消費された後、廃棄されるかリサイクルされるとする。廃棄されると、汚染によって外部不経済が発生する。リサイクル物は生産者企業が資源として購入し、再利用する。政府が廃棄活動を完全に監視でき、廃棄者に廃棄量に応じた罰金を徴収できるなら、外部効果(廃棄物が生み出す環境破壊)に対してピグー課税を行うことが可能であり、最善(First Best)が実現する。消費者による生活廃棄物がもたらす環境汚染が問題なら、ピグー課税の代わりに、生産物の販売に課税しリサイクル回収に補助金を払うことによっても、最善を実現できる。生産量とリサイクル回収量の差は、ちょうど消費者による廃棄量に対応しているからである。課税・補助金の仕組みは、生産物に対する課税を飲料ボトルに対するディポジット、ボトルのリサイクルに対する補助金をディポジットの返金と考えれば、いわゆる飲料ボトルのディポジット制度に対応している。(従って、以下ではこの税補助金の仕組みを、D-R(Deposit-Refund)政策と呼ぶ。)このように、政府が廃棄活動を完全に監視でき情報が完全なら、ピグー課税とD-R政策が同値になる。しかし普通、廃棄活動には情報の非対称性が付きまとい、政府は誰がどれだけの量を廃棄したのか完全に監視することができない。消費者の廃棄が完全に監視できないという情報の不完備性がある場合、ピグー課税は情報の非対称性のために次善しか実現できない。これに対して、D-R 政策なら消費者の廃棄を監視する必要がないため、最適が実現できることが示される。 第2章の主要部分である前半部では、D-R政策に対する新たな問題点が指摘され、それに対する望ましい政策対応の在り方が分析される。D-R政策の下でも生産者企業には、消費者から回収し補助金を受け取った後に、リサイクル物を(産業廃棄物として)廃棄するインセンティブが存在する。通常のD-R 政策の場合、リサイクル回収に対する補助金は、消費者からリサイクルを回収した時点で企業に与えられる。そのため、リサイクル回収物を再利用するより廃棄した方が安価で済む場合、企業にはそれを廃棄するインセンティブが生まれるからである。 本章では、次のような所得効果の存在しない部分均衡分析の枠組みを設定し、情報の非対称性を制約とした場合の次善の政策を分析する。消費者の廃棄活動や企業の廃棄活動によって環境が破壊され、生産物の廃棄1単位あたりd>0だけの外部不経済が生まれる。政府は消費者の生活廃棄や生産者の産業廃棄活動を監視でき、監視によって確率的に発見される廃棄物に定額の罰金を科すことは可能である。しかし、監視を行うためにはコストが必要であり、発見確率を高めるためにはより大きな費用が必要になる。 このような枠組みで、どんな政策の組み合わせが次善の政策になるだろうか。これに対する本章の結論は、次のようなものである。第一に、(a)どんな場合にも生産物には単位あたりt=dだけの課税をし、他方、(b)消費者の生活廃棄の監視は行わないで自由に廃棄をさせることが望ましい。「生産量=生活廃棄量+企業のリサイクル回収量」という関係が常に成立する以上、生産量に単位当たりd の課税を行えば、生活廃棄量にも同額の課税が自動的に行われることになり、生活廃棄活動を監視しなくとも最適な廃棄量が選ばれることになるからである。第二に、単位当たり外部効果d(したがって生産物課税の税率)が十分小さい場合、リサイクル回収にも単位あたりs=dの補助金を与えるという通常のD-R 政策を行うことが望ましい。この場合、リサイクル価格が補助金を下回り、政府の監視がなくとも企業には直接廃棄のインセンティブが存在せず、最善が実現されるからである。 第三に、外部効果の大きさd が大きくなると、通常のD-R 政策では最善を実現することはできなくなる。dと同額の補助金を出すとそれがリサイクル価格を上回るようになり、過剰にリサイクル物を回収し、補助金を受け取った上でその一部を今度は産業廃棄物として廃棄するインセンティブが企業に生まれるからである。この場合、企業の直接廃棄のインセンティブを抑制することが必要になる。その方法として、二つの代替的な方法がある。方法A は、補助金がリサイクル物価格以下になるように、上限sにとどめることである。この場合、補助金s=s は生産物税率t=dより低くなるのでリサイクル回収が過少になり、厚生損失が発生する。しかし、回収したリサイクル物を廃棄しても、補助金が低いため利益が出ないので、企業の直接廃棄のインセンティブは存在しない。方法B は、補助金sをsより高く設定し企業の直接廃棄を是認するが、費用をかけて監視することで、企業の直接廃棄のインセンティブを抑制することである。この場合、政府は監視費用を負担しなければならないが、補助金と税率がかい離することに伴う厚生損失を抑制できる。 最善は実現できないがd がそれほど大きくない(したがって生産物課税の税率がそれほど大きくない)場合、次善の政策としては方法Aを採用することが望ましい。リサイクル補助金率と生産物税率がかい離するが、大きな費用を払って監視費用を負担するまでの必要はないからである。d がさらに大きくなる場合、方法A だけでは補助金と税率のかい離が拡大し、厚生損失が拡大する。この場合、それがもたらす厚生損失を受け入れるより、企業の直接廃棄を許容しつつ、政府の監視によって廃棄量を管理する方法B が次善の政策組み合わせになる。 第2章の後半部では、以上のような生産物課税・リサイクル補助金政策(D-R政策)の代わりに、各企業に生産量の一定割合(a>0) の回収を義務付け、その回収義務を市場で売買させるというアイディアが分析されている。これは、地球環境問題において温暖化ガスを抑制する対策として温暖化ガスの排出権の取引市場を設けるというアイディアの応用であり、いわば生活廃棄物の廃棄権を市場で取引させることで、廃棄物管理を行おうというアイディアに他ならない。 いまこのような回収義務の市場があり、その均衡価格がPだったとしてみよう。生産量を1単位増やせば回収義務はaだけ増大するから、企業はaP の追加負担を課されることになる。いわば、生産物の生産に1単位当たりaPの課税がなされたと同じことになる。他方、リサイクル購入を1単位増やせば回収義務を1単位余分に満足させることになり、その分を他企業に売却することでPの追加収入を得られる。いわば、リサイクル購入には単位当たりPの補助金が課されたことになる。こう考えれば、このような回収義務の市場を作ることは、この章の前半で考えた税補助金の仕組み(t,s)を、回収義務の割合と市場価格の組み合わせ(aP,P)で置き換えたことと同値になる。しかしこの仕組みには問題が一つある。前半でみたように次善の政策は! 0≦s≦dだから、もし(t,s)=(aP,P)にしようとするとa≧1にしなければならない。特に、最善が実現できない次善の場合にはt>sだから、a>1 の回収義務を設定する必要がある。ところがaは生産量のうち回収義務を負う割合だからa≦1 のはずであり、a>1 という回収義務は実現不可能にみえる。しかし、この問題は容易に解決可能である。生産量の一部にだけ回収義務を課せば、a=2 の義務を課すことが物理的に可能になるからである。たとえば、生産量の半分には回収義務を課さず、残りの半分にだけa=2の回収義務を課せば、企業はちょうど生産量分の回収義務を負うことになる、というわけである。従って、回収義務付けを行う際に義務の免除量と義務割合を適切に選べば、次善の政策に必要な生産物課税とリサイクル補助金と同一の結果を実現することができる。 このように、消費者から回収したリサイクル物を直接廃棄する可能性がある場合、政府は生産物課税・リサイクル回収補助金と産業廃棄物廃棄監視活動を組み合わせることによって、あるいは回収の義務付け・回収義務市場と監視活動を組み合わせることで、次善を実現できることになる。以上が本章の主要な結論である。 本章のもっとも大きな貢献は、消費者による廃棄の監視が不完全にしかできずピグー課税が不完全でも、生産物に対する課税とリサイクル回収への補助金というD-R 政策によって最善を実現できるという、最近の研究が明らかにしてきた「常識」に対する挑戦である。つまり、補助金によってリサイクル回収を行っても、回収した廃棄物を企業が再度、産業廃棄物として廃棄してしまうインセンティブを持っているという点は、既存研究の盲点であった。著者はこのようなインセンティブが存在することを明示的に受け入れつつ、それを踏まえた次善の政策を明らかにしたのであり、その点にこの論文の大きな貢献がある。 とはいえこの章のモデルには、明確な結論を得るためにおかれたいくつかの制約的な仮定が存在していることを指摘しておくべきだろう。部分均衡モデルであること、消費者の効用が準線形であること、生産物市場が完全競争的であることなどは、制約的ではあるが現実性を失うものではない。これに対して、政府の廃棄物監視活動についておかれたいくつかの仮定はかなり制約的であるといわざるを得ない。第一に、消費者からの生活廃棄物にせよ、生産者からの産業廃棄物にせよ、廃棄活動の監視費用の総額は、廃棄物のうち監視活動によって発見できる廃棄物の割合だけに依存しており、廃棄物の総量には依存しないと仮定されている。監視費用は発見確率だけに依存するというこの仮定は、監視費用が監視活動の規模に依存しないことを意味していることになり、現実性を欠いていると言わざるを得ない。ただ、監視費用を一般化すると政策の特徴づけが極めて困難になるため、次善の政策を特徴づける上で何らかの単純化は不可欠である。そのため、まずはこのような単純化の仮定を置いた上で分析を行ったのであり、この仮定が本章の価値を減じるものでは決してない。第二に、監視によって発見された廃棄者への罰金の問題である。監視活動の有効性を決定づけるのは、廃棄が監視活動によって発見された場合に課される罰金が、廃棄をやめようというインセンティブを生み出す点にある。従って、発見確率が同じである限り、罰金の額を高めることで上記のインセンティブを高めることができる。その意味で、本論文で置かれている罰金額が固定されているという仮定は、最適な罰金額とは異なる額が仮定されているという問題を引き起こしている。とはいえこの仮定も、現実の政策では何らかの社会的・法的制約から、罰金額に上限があると考えれば、むしろ現実的な仮定だと正当化できるかもしれない。 第3章では、消費者の廃棄問題が引き起こす外部不経済について、最近大きな話題になっている環境問題における「拡大生産者責任(Extended Producer Responisitility;ERP)」制度の意義を分析する。とりわけ、生産物が同質財寡占産業で生産されているという追加的な市場の失敗が存在する場合に、拡大生産者責任制度を含めて外部効果を解決するための次善の政策を分析することが本章の目的である。また本章では、第2 章と異なってリサイクル物を回収し補助金を受け取った後での、企業側の直接廃棄のインセンティブの問題は存在しないと仮定する。従って問題は消費者による廃棄が引き起こす環境汚染だけであり、本章ではそれに対する監視活動は完全・無費用に行えると仮定される。 著者はまず、この場合次のような結果が得られることを明らかにする。 (a) 各生産者に当該企業生産物の生産量とリサイクル量の差に課税することと、 (b)各消費者の直接廃棄にピグー課税を行うこととは、 寡占が存在する場合でも全く同値である。なぜなら、(a) または(b) のどちらかを行えば、結果として「リサイクル回収できなかった生産物総量」=「消費者の家庭廃棄総量」のどちらかに課税することになり、ここで問題にしている生産物産業が完全競争的か寡占的かを問わず、まったく同等の結果を生むことになるからである。従って、産業が完全競争であろうとクールノー競争であろうと、消費者の直接廃棄への課税τと、生産者の「生産量のうちリサイクルされなかった分」への課税(単位あたり賠償義務) は完全に代替的になり、均衡における生産量やリサイクル量は両者の和φ+τだけに依存する。以下ではφ+τを環境課税の水準と呼ぶ。 完全競争の場合、最適なのは、環境課税の水準φ+τを直接廃棄が生み出す限界的な外部効果(以下、d)と等しくすることである。これに対してクールノー競争の場合、環境課税の水準はより高くなるだろうか、それともより低くなるだろうか。これが、本章の第一の問題意識である。 まず主要な結論として、完全競争に比べてクールノー競争には、二つの相反する効果があることが示される。一つは、生産物の売り手としての独占力が生産物価格を吊り上げるという歪みを緩和するために、環境課税水準を(完全競争の場合より)低くし、生産物価格を下げることが望ましいという効果である。他方、寡占企業はリサイクル品の購入者である。買い手としての独占力がリサイクル物価格を押し下げ、結果として生産物価格を押し下げるという歪みを緩和するために、環境課税水準を(完全競争の場合より)高くし、リサイクル物価格を上げることが望ましいという効果である。結論として、クールノー寡占の場合には、これら二つの効果のどちらが大きいかによって、完全競争の場合の最適税率φ+τ=dに比べて、税率をより低くまたはより高く設定することが次善の政策になる。それぞれの効果の大きさを需要弾力性などを使って明示的に明らかにし、完全競争より低い税率にすべき十分条件が明らかにされる。 ところで以上の結果は、消費者の直接廃棄への課税τと生産者への賠償義務φとの差を明示的に考慮していない。しかし実際には、消費者の直接廃棄への課税のためには、誰が廃棄したかを特定する必要がある。しかし通常、このための監視は不完全になり、またそのための費用も必要になる。他方、寡占産業の生産物の場合には普通、廃棄された生産物の生産者が特定可能である。その場合、廃棄された生産物の賠償責任を拡大生産者責任によって生産者に課せば、生産者自身に廃棄生産物を回収するインセンティブが生まれる。またそのために、そもそも消費者が廃棄せず生産者の回収に応じるような仕組みを作るインセンティブも生まれる。これらを考えれば、拡大生産者責任制度には、消費者の直接廃棄に課税することと比べて、大きなメリットがあるということが指摘される。 本章の残りの部分では、 (1)同質財寡占の場合から異質財寡占の場合への拡張、 (2)非生産者によるリサイクル需要が存在する場合への拡張 が行われる。(1)では、異質財の場合に拡張しても、結論は維持されることが示される。他方、(2)のようにモデルを拡張すると、リサイクル品の再利用から利益が得られるなら、生産物の生産者だけでなく一般の企業からのリサイクル需要も存在することになる。この場合、一般企業は生産物を生産していないから、「生産量のうちリサイクル回収しない部分」に対するERP 課税φ は、非生産者企業には適用されないことになる。その結果、τとφの完全代替性が消滅し、 (i)生産者企業と非生産者企業が対称的に行動する通常のクールノー・モデルでは、ERPに基づいた課税φより消費者廃棄への課税τの方が厚生を高めること、 (ii) リサイクル回収市場において、生産者企業が先導者で一般企業が追随者であると考えるシュタッケルベルグ均衡では、リサイクル需要における両者の戦略的立場の違いが、歪みを拡大すること、 が明らかにされる。 このように本章は、OECDや日本政府が推進する「拡大生産者責任(ERP)」制度について、経済学の立場から初めて本格的な意味づけを行った点にある。特に、消費者の製品廃棄による環境破壊を管理することには情報上大きなコストがかかること、それに対して生産者に責任を負わせることが情報の問題を回避しながら同等の結果を生み出すことを明らかにしたことは、政策的にも大きな意味を持っている。いうまでもなく、ERP制度は単にリサイクル回収のインセンティブを強め、廃棄の監視費用を節約することだけを狙ったものではない。むしろ、ERP制度によって、生産者企業の製品設計や生産・販売の仕組み自体をより環境にやさしいものにすることにこそ、本来の狙いがあるというべきだろう。その意味で、本章の貢献には一定の限界があることは事実であるが、そのことは決して、既存の文献で取り上げられることのなかったERP制度の初めての理論的分析を成し遂げたという功績を減じるものではない。 第4章では、第3章までのモデルと異なり、一般的な同質財寡占についてのゲーム論的分析が展開される。生産技術の革新(生産費用の引き下げ)は、革新を実現した企業に一定の独占力とそれに伴う特別利潤をもたらすと考えられてきた。そのもっとも有名な結果が、アロウによる発明がもたらす利益の分析である。アロウは、発明によって引き起こされる費用の引き下げがもたらす特別利潤が、産業構造によってどのように影響されるかを検討した。アロウの結論は、技術革新が起こる以前の産業構造自体が独占であった場合の方が、最初は完全競争であった場合に比べて、特別利潤の額が小さくなるということである。革新が起こる以前から独占利潤が存在するため、技術革新が起こっても得られる利潤増は相対的に小さくなり、独占が技術革新のインセンティブを阻害するというわけである。しかしアロウのモデルは限界費用一定という特殊な仮定を基にしている。本章は、限界費用逓増というより一般的な場合にもアロウの結論が維持されるかどうかを厳密なゲーム理論的分析によって検討すると共に、結論を環境問題におけるリサイクル市場に応用し、拡大生産者責任の問題についてその含意を分析する。 全く同一の費用関数Cd(q)を持っている無限個の既存企業と、Co(q)という費用関数を持っている技術革新に成功した企業1社からなり、逆需要関数がP(q) で表わされる同質財寡占産業を考える。ここで費用関数は、固定費用がゼロで限界費用が逓増する凸関数だとする。d>0は生産費用の効率性を表すパラメータであり、dが大きくなると、どんな生産量水準qでも限界費用・平均費用がより大きくなる。従って、dは革新者既存企業に対するコスト優位の程度を表しており、d=0ならコスト優位は存在せず、それが大きくなればなるほど優位性が高まると解釈できる。 以上の前提の下で、革新企業が先導者、既存企業が追随者というシュタッケルベルグ数量競争を考える。この場合、革新企業は、既存企業が正の生産を行うインセンティブを持つ限界費用の下限C(td)(0)以下、既存企業の最低限界費用と呼ぶ)の水準で、上から天井をかぶせられた市場需要曲線に直面することになる。論文の主要な結論は、 (a)もし、生産技術の革新の程度が大規模(d>d)なら、既存企業の存在が作り出す市場需要への制約は意味を持たず、革新企業がこの産業を独占し、通常の独占価格がつく。 (b)生産技術の革新が中程度( d>d>d)なら、既存企業の存在がもたらす制約のために通常の独占価格より低い価格がつくことにはなるが、革新企業がこの市場を独占し、既存企業の最低限界費用を超える価格が均衡価格になる。 (c)生産技術の革新の程度がわずか(d>d>0)なら、既存企業の最低限界費用が均衡価格となり、革新企業は既存企業と産業全体の総需要量を分け合うことになる。したがって、総生産量は既存企業だけが完全競争的に生産する場合に等しい。 というものである。特に、生産技術の革新の程度がわずかな場合、革新者の存在は、市場全体での価格や総供給量に影響を与えない、という結論が得られることが本質的である。 さて、このような結論をアロウの文脈に戻してみると、次のようなことが分かる。生産技術の革新の程度がわずかで上記(c)が成立する場合、革新が起こっても価格は変化せず、費用が逓増するために革新企業の得られる特別利潤はわずかかもしれない。他方、限界費用が逓増的だから、より多くの企業がその技術を所有して市場需要を分け合うほど、市場ではより効率的な結果が実現し、得られる総利潤は少ない。結果として、既存の技術自体が革新企業によって最初から独占されていた場合の方が、革新が起こる以前の市場構造が完全競争だった場合に比べて、革新から得られる利益がかえって大きくなるかもしれない。これは、アロウの結論とは全く逆であり、限界費用逓増の世界ではアロウの結論が成立しない可能性が存在することが明らかになった。 最後に以上の結果を、リサイクル市場における生産者と非生産者間の競争を論じた第3章のモデルに適用すれば、次のような結果が含意されることになる。拡大生産者責任制度の下では、リサイクル市場における補助金は生産者だけに支払われ、非生産者には支払われないため、生産者だけが費用優位性を持つことになる。しかしこの補助金額が小さく費用優位がわずかな場合、リサイクル市場に生産者が存在してもしなくても、非生産者の数が十分に大きければ、リサイクル市場全体の均衡価格や回収総量に変化はない。このことは、非生産者がリサイクル市場に多数参加する場合、生産者しか存在しない寡占市場では有効だった拡大生産者責任制度の有効性がなくなる場合があることを示している。 このように本章は、長年にわたってこの分野で大きな影響力を持ったアロウの結果が、実は限界費用一定という特殊な仮定に大きく依存していることを明らかにし、より一般的な場合にはその結論が変わることがありうることを明確にした点で、技術革新の経済学に大きな貢献をなす業績であると認められる。もちろん、生産技術の革新の程度が大きければともかく、その程度がわずかであっても革新企業と既存企業間の競争がシュタッケルベルグ・ゲームで説明できるのか、費用関数の一般化において固定費用の存在を考えなくて良いのかなど、残された問題は多岐にわたる。しかし、独占力の存在は技術革新のインセンティブを阻害することになるというアロウの結論が、研究開発の経済学においてあまりにも当然の結果と考えられてきたことを考えれば、その結論が限界費用一定という単純化の仮定に大きく依存していることを明らかにしたことは、大きな功績であるといえよう。 III残された課題と審査の結論 以上のような内容と意義をもつ本研究であるが、いくつかの改良の余地がないわけではない。第一に、企業によるリサイクル回収物の廃棄問題を扱った第2章の分析が可能になり結論が得られるのは、いくつかの重要な仮定によって製品市場とリサイクル市場が分断されているという事情に基づいている。まず、消費者が負担するリサイクル費用は、不用品の量を決定することになる製品需要量には依存しないという仮定がある。他方、リサイクル品を再生してもそれが製品生産費用には無関係なために、製品生産費用はリサイクル需要に依存しない。これらの仮定から、製品とリサイクル品の市場はそれぞれ独立に分析できることになり、お互いの間の相互関係を無視できる。また、消費者の廃棄物を監視する監視費用と、リサイクル回収物を廃棄した場合の監視費用とはお互いに独立だという仮定から、製品とリサイクル品に対する政策を独立に取り扱えることにもなっている。これらの仮定があるからこそ、第2 章の結論のようにクリアで簡明な結論が出るわけだが、現実の市場を分析するためにはかなり非現実的な仮定であることは否めない。より一般的な仮定に置き換えて分析することが本来は望ましいだろう。とはいえ、このことがリサイクル回収物を企業が廃棄してしまうという可能性に着目して、全く新しい視点から分析を行った第2章の価値を減じるものではない。第二に、回収物のトレーサビリティと拡大生産者責任を分析した第3章では、生産者の自社製品回収義務のために、本来なら製品もリサイクル品も生産者ごとに差別化されるはずであり、それらを同質的な製品として分析することには問題がある。確かに、リサイクル回収を考える際には、非生産者によるリサイクル回収と生産者への売却という裁定行為を導入することで、実質的に完全競争モデルで近似できるかもしれない。しかしそれは本来証明するべき事柄であって、第3章のように証明なしに分析に取り込んでよいとは考えられない。これらの点を明示的に分析して、より明確に拡大生産者責任制度が持つ意味を明らかにすることが求められるだろう。以上のような問題点が存在することは事実だとしても、本論文の内容と質の高さはそれらの欠点を代替して余りあることは明白である。事実、第3章はすでに国際的な英文査読誌であるEconomics Bulletin誌の2007年度分に掲載済みであり、第4章も水準の一層高い国際的英文査読誌Economics Bulletin誌に掲載が決定している。第2章はいまだに査読誌に投稿をしていないが、審査論文の中でもっとも独創性が高く水準の高い論文であり、投稿すれば高い水準の査読誌に採用されることは間違いないと考えられる。以上述べたように本研究はそれぞれ将来的な分析課題を残してはいるものの、その学術的な貢献は十分に高いものと評価される。従って、本論文は全体として学位請求論文としての要件を十分に満たしており、審査委員会は猪野弘明氏が博士(経済学)の学位を取得するにふさわしい水準にあるという結論に達した。 | |
UTokyo Repositoryリンク |