学位論文要旨



No 124219
著者(漢字) 松井,郁一
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,ユウイチ
標題(和) マウス免疫寛容モデルにおける遺伝子発現解析
標題(洋)
報告番号 124219
報告番号 甲24219
学位授与日 2008.11.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3169号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田原,秀晃
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 准教授 武内,巧
 東京大学 講師 別宮,好文
 東京大学 講師 高橋,強志
内容要旨 要旨を表示する

平成2年から平成17年末までに生体肝移植は約3700例施行されている。このように臓器移植は非可逆的臓器不全に対する確立した治療法の一つである。治療手段として確立し得たのは拒絶反応を制御する免疫抑制剤の進歩によるところが大きい。しかしながら、拒絶反応は最も多い合併症の一つで、いまだ臨床的に免疫寛容を誘導する方法は確立されていない。ここで免疫寛容とは、

1. 特定の抗原に対して免疫反応が起こらない。

2. 継続的に免疫抑制剤を投与する必要がない。

3. その他の抗原に対しては免疫反応が正常に起こる。

という3点を満たすものとして定義される。

拒絶反応は移植臓器(グラフト)の主要組織抗原に対するレシピエントの特異的免疫反応であるが、現在の免疫抑制剤はすべて抗原非特異的に作用する。そのため長期服用による発癌、ウイルス・真菌への易感染性の問題を抱えている。移植医療の問題点の一つはこのようにグラフトを拒絶から守るために抗原非特異的に免疫抑制を行っていることであり、グラフト特異的な免疫寛容の誘導は移植免疫での究極目標である。

抗原提示から異物の認識に際しては共刺激(co-stimulation)シグナルと呼ばれる抗原非特異的な別のシグナルが必要である。知られている共刺激シグナルは、抗原提示細胞上のB7(CD80、86)分子とT細胞上にあるCD28分子などである。この共刺激を欠くと、不応答(anergy)と呼ばれる末梢性免疫寛容状態になる。マウスでは、この共刺激シグナルを阻害する方法による免疫寛容誘導が確立されており、筆者は免疫寛容における分子生物学的な変化を明らかにする目的で、マウス異所性心移植モデルにおいて抗CD80/86抗体を腹腔内に注射し免疫寛容を誘導し、DNAマイクロアレイを用い網羅的遺伝子解析を行った。

マウス異所性心移植を以下の3群に対し行った。

1.同系移植群(アイソグラフト群);C57/BL6(H2-b)→C57/BL6(H2-b)。

2.急性拒絶群(アログラフト群):Balb/c(H2-d)→C57/BL6(H2-b)。

3.免疫寛容群:Balb/c(H2-d)→C57/BL6(H2-b) + 100μgの抗CD80、抗CD86モノクローナル抗体を腹腔内注射。

まず、グラフト生存日数を観察する目的で、手術を行った(n=5)。同系移植群、免疫寛容群はいずれも100日以上拍動を続けた。急性拒絶群の拍動停止までの日数は、8±0.7(平均±標準偏差)であり、ほか2群に比べ有意に短かった(p<0.05)。

次に移植術後7日目にグラフト心を摘出し、病理組織学的検討を行った。急性拒絶群では冠動脈周囲および心筋間への激しい単核球浸潤が観察され、同系移植群では単核球浸潤はほぼ見られなかった。興味深いことに免疫寛容群においても、単核球の炎症細胞浸潤が軽度見られた。

また、前述した3群での遺伝子発現を比較するため、術後7日目に摘出した移植心を用い、マイクロアレイにて網羅的遺伝子発現解析を行った(n=3)。今回用いたAffymetrix社GeneChip(R)MG-U74AV2のアレイは12488プローブセットからなっており、EST(expressed sequence tag)を含め12488遺伝子の発現強度の解析が可能である。解析にあたり、発現値であるAverage Difference(A.D.)と発現が確からしいかの指標であるAbsolute Callを用い、フィルタリングを施した。基準群より3倍以上発現が上昇しているものを有意な上昇と判断した。

その結果、免疫寛容群においては64遺伝子が同系移植群より、16遺伝子が急性拒絶群より有意に発現が上昇していることが判明した。2つの比較で、共通して上昇している2遺伝子が免疫寛容群で特異的に上昇している遺伝子として同定された。その2遺伝子とは、histocompatibility 2, class II antigen Ea(H2-Ea)とsecreted frizzled-related protein (FRZB)であった。H2-Eaはヒトにおける主要組織適合抗原(human lymphocyte antigen; HLA)のDR-αのホモログであり、FRZBは、Wntシグナルの拮抗因子で、発生における器官の形成や分化に重要な役割を担っているとされる。残念ながら、H2-Ea、FRZBと免疫寛容誘導を結びつける機序の解明は今後の課題である。

急性拒絶群においては、140遺伝子が同系移植群より、22遺伝子が免疫寛容群より有意に上昇している遺伝子として同定された。この2つの比較で共通して上昇している21遺伝子を急性拒絶群で特異的に上昇している遺伝子として同定し、urokinase plasminogen activator receptor、integrin beta 2、COX-2、TGF beta、CCR1、colony stimulating factor 3 receptorなどが急性拒絶群で特異的に上昇していた。

興味深いことに急性拒絶群で上昇していたほとんどの遺伝子が免疫寛容群でも上昇パターンをとっていた。急性拒絶との関連が示されている、IFN-gammaによって誘導されるMIG、RANTESといった炎症性ケモカイン遺伝子については、統計学的にも有為に免疫寛容群でも発現が上昇していた。さらに、これらの発現上昇は術後7日目のみならず免疫寛容誘導後70日目においても発現上昇が持続していた。リアルタイムPCR法における評価でも、同様の結果が確認された。つまりこれら炎症性ケモカインの遺伝子発現上昇があっても、免疫寛容の導入および維持は保たれることがin vivoで示された。

機能面から遺伝子をグループ分けし、同系移植群、急性拒絶群、免疫寛容群での遺伝子発現を解析した。するとMIG、RANTES、IP-10、MCP-2といった炎症性ケモカイン・サイトカインおよびCCR-1、CCR-5、CXCR-3といったケモカインレセプターは、急性拒絶群・免疫寛容群の両群で上昇している傾向があった。インテグリン、ICAM、CTLA-4といった接着因子やSTAT-1、NFATc-1、TRAF-6、Vav-1といったシグナル伝達因子、カスパーゼ、TNFRSF1A、TRAF-1といったアポトーシス関連遺伝子も、急性拒絶群のみならず免疫寛容群でも上昇している傾向があった。一方、トロポニン、アクチンやデコリンといった細胞骨格因子やチトクローム6a2、NADHデハイドロゲナーゼといった細胞代謝因子は急性拒絶のみで発現が抑制されている傾向があった。

今回の研究では、急性拒絶群と免疫寛容群で遺伝子発現のプロファイルが類似しており、興味深いことに、両群で多くの炎症性サイトカイン・ケモカインの遺伝子発現が上昇していることが判明した。つまり、炎症性サイトカイン・ケモカインの遺伝子発現が上昇していても寛容状態は中断されない。しかも、免疫寛容群では移植後70日経っても、これら炎症性サイトカイン・ケモカインの遺伝子発現は引き続き高いままであった。これより炎症性サイトカイン・ケモカインのmRNA発現上昇は、誘導期のみならず維持期においても、かならずしも免疫寛容状態を破壊するものではないということが示唆された。

病理学的所見および遺伝子発現解析では上記のように急性拒絶群と免疫寛容群で類似しているところはあるものの、一方でグラフトは拒絶され拍動を停止し、他方で移植心は拍動を続けている。その結果の差を生んでいる機序の一つとして、T細胞の活性化後細胞死(Activation-induced cell death; AICD)の役割が重要と思われる。AICDとは、抗原がT細胞に提示され刺激を受け続けた場合に起こる、いわばリンパ球のhomeostasisを保つ機構で、大部分がFas-FasL により開始される細胞死(アポトーシス)である。1991年Lenardoらによると、T細胞のAICDが免疫寛容誘導には必要であり、一方IL-2やIFN-gammaはAICDを亢進させる。今回の研究でcaspase1, caspase4, Fas Antigen, TNFRSF1A、TRAF-1といったアポトーシス関連遺伝子は、発現上昇しており、また、IFN-gammaシグナルも急性拒絶群、免疫寛容群とも活性化していた。これらよりIFN-gammaシグナルの活性化がAICD亢進を通じ寛容誘導に寄与している可能性があると考えられる。

筆者は本研究において、マウス異所性心移植モデルを用い免疫寛容における遺伝子発現をマイクロアレイを用い解析し、免疫寛容群にて特異的に誘導されている遺伝子として、histocompatibility 2, class II antigen Ea(H2-Ea)とsecreted frizzled-related protein (FRZB)を同定した。また、IFN-gammaによって誘導されるMIG、RANTESといった炎症性ケモカイン・サイトカインの遺伝子発現は、急性拒絶群ばかりでなく、免疫寛容群の誘導期、維持期でも上昇しており、これらケモカイン・サイトカインの遺伝子発現上昇は免疫寛容の誘導や維持を破綻させないということを示した。

DNAマイクロアレイは今後の臨床分野で、1.診断:急性または慢性拒絶反応の分子生物学的診断、2.新規治療薬:メカニズムを解明し、分子標的分子を同定するといった、診断および治療の面で応用の可能性を備えている。今回の研究は、以上のような臨床的免疫寛容誘導に向けての新たな診断および治療法の開発にあたり、重要な基礎的データたり得ると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は免疫寛容誘導および維持における分子生物学的な変化を明らかにする目的で、マウス異所性心移植モデルにおいて抗CD80/86抗体を腹腔内に注射することで免疫寛容を誘導し、DNAマイクロアレイを用い網羅的遺伝子解析を行い、同系移植群、急性拒絶群と比較検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.2遺伝子を免疫寛容群で特異的に上昇している遺伝子として同定した。その2遺伝子とは、histocompatibility 2, class II antigen Ea(H2-Ea)とsecreted frizzled-related protein (FRZB)であった。

2.21遺伝子を急性拒絶群で特異的に上昇している遺伝子として同定した。免疫寛容群に比べ急性拒絶群で上昇していた22遺伝子と急性拒絶群で特異的に上昇していた21遺伝子は、urokinase plasminogen activator receptor(Plaur)、transforming growth factor beta(TGF-β)、cyclooxygenase 2(COX-2)などのようにほとんどが共通であった。

3.同系移植群に比べ急性拒絶群で上昇していたほとんどの遺伝子が免疫寛容群でも上昇パターンをとっていることが明らかになった。なかでもIFN-gammaによって誘導されるMIG、RANTESといったケモカイン遺伝子については、統計学的にも有意に免疫寛容群でも発現が上昇していた。

4.上記のようなMIG、RANTESといったIFN-gammaで誘導されるケモカイン遺伝子の発現は、リアルタイムPCRにおいても、免疫寛容群7日目、70日目ともに持続的な上昇をしていることが確認された。つまりこれら炎症に関わるとされていたMIG, RANTESといったケモカインの遺伝子発現上昇があっても、免疫寛容の導入および維持は保たれることがin vivoで示された。

5.免疫寛容群において組織学的に、冠動脈周囲および心筋間に単核球の炎症細胞浸潤が軽度見られた。急性拒絶群ではより激しい単核球浸潤が観察され、同系移植群では単核球浸潤はほぼ見られなかった。

6.本研究で得られたマイクロアレイによる網羅的遺伝子発現解析のデータベースをもとに、遺伝子名から発現値を調べ、同系移植群、急性拒絶群、免疫寛容群での遺伝子発現を比較した。そうしたところ以下のような結果が得られた。つまり、MIG、RANTES、IP-10、MCP-2といったケモカイン・サイトカインおよびCCR-1、CCR-5、CXCR-3といったケモカインレセプターは、急性拒絶群・免疫寛容群の両群で上昇している傾向があった。インテグリン、ICAM、CTLA-4といった接着因子やSTAT-1、NFATc-1、TRAF-6、Vav-1といったシグナル伝達因子、カスパーゼ、TNFRSF1A、TRAF-1といったアポトーシス関連遺伝子は、急性拒絶群のみならず免疫寛容群でも上昇している傾向があった。一方、トロポニン、アクチンやデコリンといった細胞骨格因子やチトクローム6a2、NADHデハイドロゲナーゼといった細胞代謝因子は急性拒絶のみで発現が抑制されている傾向があった。

以上、本論文はマウス異所性心移植モデルを用い、同系移植群、急性拒絶群、免疫寛容群での遺伝子発現をマイクロアレイを利用し経時的・網羅的に解析した。その解析から、免疫寛容群で特異的に誘導されている遺伝子として、histocompatibility 2, class II antigen Ea(H2-Ea)とsecreted frizzled-related protein (FRZB)を同定した。

また、IFN-gammaによって誘導されるMIG、RANTESといった炎症性ケモカインの遺伝子発現は、急性拒絶群ばかりでなく、免疫寛容群の誘導期、維持期でも上昇しており、これらケモカインの遺伝子発現上昇は免疫寛容の誘導や維持を破綻させないということを示した。

本研究は臨床的免疫寛容誘導に向けての新たな診断および治療法の開発にあたり、重要な基礎的データたり得ると思われ、学位の授与に値すると考えられる。

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