学位論文要旨



No 124221
著者(漢字) 山岸,孝輝
著者(英字)
著者(カナ) ヤマギシ,タカテル
標題(和) 大気大循環モデルと3次元氷床モデルを用いた氷期北半球氷床上の表面質量収支に関する研究
標題(洋) A numerical study of surface mass balance on the Northern Hemisphere ice sheet during ice age by atmospheric general circulation model and 3-D ice sheet model
報告番号 124221
報告番号 甲24221
学位授与日 2008.12.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5274号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 木本,昌秀
 名古屋大学 准教授 藤田,耕史
 東京大学 准教授 佐藤,正樹
 東京大学 准教授 阿部,彩子
内容要旨 要旨を表示する

第四紀には寒冷な氷期と温暖な間氷期が数万年のスケールで交互に現れる、氷期間氷期サイクルと呼ばれる気候変動が存在し、その変動に対して大陸氷床は直接の寄与が大きいことに加えて、気候を構成する他のサブシステムとの相互作用においても重要な役割を果たし、間接的にも大きい影響をもったことが先行研究により示されている。また氷期間氷期サイクルよりも短い数百年から数千年スケールの気候変動においても、氷床崩壊に伴う海洋への淡水流入を介して、海洋循環場を変化させることで影響を与えたと考えられている。また過去の気候変動への影響のみならず、地球温暖化に伴いグリーンランドと南極の氷床が融解して海水準を上昇させ、人間活動に影響を与えることに対する懸念があり、数値モデルによる将来予測と氷床融解に影響を与えるプロセスの評価が求められている。

氷期氷床の変動は、地質学的指標により体積変化の時系列や縁辺部の分布などがわかっており、これらデータと数値モデル実験結果の比較を通じて、数値モデルの検証を行うことが出来る。また地質学的データが得られないプロセスまたは時間空間的に限られた部分のみでしか地質学的データが得られないプロセスが、氷床変動に与える影響を数値モデルにて調べることが出来るため、数値モデル実験は氷期氷床の変動を考察することに適している。それ故これまでに数値モデルによる氷期の氷床変動研究が多くなされてきた。氷期の氷床の変動とそれに影響するプロセス、並びに氷床と相互作用する他の気候サブシステムを数値モデリングによって理解することは、氷期気候変動の理解へとつながる。そして、それにて得られた知見は、氷床の将来予測の精度を上げることになる。

氷期氷床の変動に影響するプロセスと、氷床と他の気候サブシステムとの相互作用については、先行研究によると未だ不明なことが多く、それらが氷床変動に与える影響の大きさの評価は、先行研究間ごとに大きく異なっている。加えて、近年の観測から、ice streamなどの新しいプロセスの重要性も指摘されており、過去の気候変動を説明できるほどに、または十分信頼ある将来予測が出来るほどに氷床変動に関する研究が進んでいるとは必ずしも言えないのが現状である。そのような中では、関係するプロセス一つ一つに詳細な考察を加えていき、知見を積み上げていくことが重要である。本研究では、氷床変動に関係するプロセスのうち、氷床表面の質量収支に注目した。融解と降雪から成る表面質量収支は、氷床の質量の入力であり、他の気候サブシステムとつながるプロセスである。しかしながら、氷床の流動など他のプロセスに比べて理解が進んでおらず、その不確定性が氷期氷床変動に与える影響を定量的に調べた研究は無く、検討する価値がある。

本研究では、氷期氷床上の表面質量収支のメカニズムの理解、従来の表面質量収支の数値実験手法の再評価、新しい数値実験手法の提案、そして新しい実験手法によって初めて考慮されたプロセスが氷床変動に与える影響を評価をする目的で、大気大循環モデル(AGCM)と3次元氷床モデルを用いた数値実験を行った。

AGCMを用いて氷期氷床表面の融解量を調べた研究では、地表面のエネルギーバランス計算から融解量を計算するAGCMと、現在グリーンランド氷床上の観測値を元にしたパラメータを用い、表面気温を入力として融解量を経験的に計算する従来の経験則モデルの比較を行った。グリーンランドより低緯度な領域では、従来の経験則モデルでは、物理過程を詳細に考慮しているAGCMよりも、融解量が消耗域での領域平均で約7割少ない。これはAGCM実験結果の解析により、従来の経験則モデルでは正味短波放射が緯度と表面温度に大きく依存することを表現出来ないためであることが示された。

従来の氷期氷床変動研究では経験則モデルで融解量を計算しており、正味短波放射が緯度と表面温度に依存することが融解を通じて氷床変動に与える影響を考慮していない。正味短波放射が緯度と表面温度に依存することが氷期氷床変動に与える影響を調べるために、地表面のエネルギーバランスから融解量を計算するモデルを作成した。このモデルは氷期AGCM実験結果に基づく経験則から地表面の各エネルギー項を計算する。そのため直接AGCMにて地表面エネルギー各項を計算する場合に比べて計算負荷が小さく、氷期氷床変動実験のような数万年スケールの長期実験にも対応している。これを3次元氷床モデルと結合して、AGCMで再現した最終氷期極大期の気候条件の元で、氷期北半球氷床の応答実験を行った。その結果、氷期氷床変動を考察するにあたって、正味短波放射が十分大きな影響を氷床に与えること、特に氷床が低緯度に進出する場合にはその影響が大きいことが示された。

従来の氷期氷床変動研究では、氷床上の降水は、現在気候の降水もしくはAGCM実験による降水を、気温変化に応じて経験的な関係式で修正して表現している。この経験的な推定式の再評価ならびに新しい推定式の提案と、降水と氷床の相互作用について詳細に調べるために、AGCMによる感度実験を行った。加えて、従来の式と新しく提案した推定式を3次元氷床モデルに適用して最終氷期氷床の応答を調べることにより、従来の関係式では考慮されなかったプロセスが氷床変動に与える影響を調べた。その結果、氷床地形の変化を伴う気温変化では降水の変化率が大きいこと、気温だけでは表現できない降水の変化である、内陸部の乾燥化、縁辺部での上昇流に伴う降水、低気圧経路の変化に伴う降水の集中が氷床上には起こること、そして降水変化率には季節性があることが示された。また、氷床体積には降水変化率の季節性の影響が大きいことと、北米氷床南東部で起こる降水の増加は、氷床の進出もしくは後退を増幅する可能性がある事が示された。

本研究は、以上の結果によって、表面質量収支が氷期氷床変動に与える影響は、従来の研究で指摘されてきた他の要素が与える影響と同程度に重要であることを初めて指摘することが出来た。3次元氷床モデルを用いて表面質量収支の重要性を定量的に示し、AGCM感度実験によりその要因を調べたことは本研究が初めてである。これにより、氷期氷床変動のさらなる理解が進み、それは氷床と他の気候サブシステムとの相互作用並びに氷期気候変動の理解へとつながると考える。そして、氷期氷床変動研究にて得られた知見を基に、懸念されている将来の氷床変動の予測の精度を上げることにつながると考える。

審査要旨 要旨を表示する

新生代第四紀には、寒冷な氷期と温暖な間氷期が数万年スケールで交互に現れる、氷期間氷期サイクルと呼ばれる気候変動が存在する。大陸氷床はその気候変動に対して直接の寄与が大きく、気候を構成する他のサブシステムとの相互作用においても重要な役割を果たす。氷期氷床の変動に影響するプロセスや、氷床と他の気候サブシステムとの相互作用については、未だ不明なことが多く、それらが氷床変動に与える影響の大きさに関しては大きなばらつきがある。

氷床変動に関係するプロセスのうち、氷床表面の融解と降雪から成る表面質量収支は氷床質量の入力であり、他の気候サブシステムとつながるプロセスでありながら明確でない。本研究では、氷期氷床上の表面質量収支のメカニズムの理解、従来の表面質量収支数値実験手法の再評価、新しい数値実験手法の提案、そして新しい実験手法によって初めて考慮されたプロセスが氷床変動に対する評価をする目的で、大気大循環モデル(AGCM)と3次元氷床モデルを用いた数値実験を行っている。

論文は、5つの章からなっている。第1章は序章で、これまでの研究と問題の背景が述べられている。第2章では、AGCMを用いて氷期氷床表面の融解量を調べている。地表面のエネルギーバランスを計算して融解量を計算するAGCMと、現在グリーンランド氷床上の観測値を基にしたパラメータを用いて融解量を経験的に計算する従来の経験則モデルの比較を行っている。グリーンランドより低緯度な領域では、従来の経験則モデルでは、物理過程を詳細に考慮しているAGCMよりも、融解量が消耗域の領域平均で約7割少ない。AGCM実験結果の解析によると、従来の経験則モデルでは正味短波放射が緯度と表面温度に大きく依存することを表現出来ないためである。

第3章では、従来の経験則モデルで考慮していなかった、正味短波放射が緯度と表面温度に依存する融解の氷期氷床変動に与える影響を調べるために、地表面のエネルギーバランスから融解量を計算するモデルを作成している。このモデルは氷期AGCM実験結果に基づく経験則から、地表面の各エネルギー項を計算するため、直接AGCMにて地表面エネルギー各項を計算する場合に比べて計算負荷が小さく、氷期氷床変動実験のような数万年スケールの長期実験にも対応できる。これを3次元氷床モデルと結合して、AGCMで再現した最終氷期極大期の気候条件の下で、氷期北半球氷床の応答実験を行っている。その結果、氷期氷床変動を考察するにあたって、正味短波放射が十分大きな影響を氷床に与えること、特に氷床が低緯度に進出する場合にはその影響が大きいことを示している。

従来の氷期氷床変動研究では、氷床上の降水は、現在気候の降水もしくはAGCM実験による降水を、気温変化に応じた経験的な関係式で表現している。第4章では、この経験的な推定式の再評価ならびに新しい推定式の提案と、降水と氷床の相互作用を詳細に調べるためにAGCMによる感度実験を行っている。さらに、従来の式と新しく提案した推定式を3次元氷床モデルに適用して最終氷期氷床の応答を調べることにより、従来の関係式では考慮されなかったプロセスが氷床変動に与える影響を調べている。その結果、氷床地形の変化を伴う気温変化は、降水変化率が大きいこと、気温だけでは表現できない降水変化である、内陸部の乾燥化、縁辺部での上昇流に伴う降水、低気圧経路の変化に伴う降水の集中が氷床上に起こること、降水変化率には季節性があることが示された。また、氷床体積には降水変化率の季節性の影響が大きいこと、北米氷床南東部で起こる降水の増加は、氷床の進出もしくは後退を増幅する可能性がある事を示している。第5章は全体のまとめである。

論文提出者は、氷期氷床変動に与える影響として、従来の研究で示されてきた他の要素と同程度に表面質量収支が重要であることを初めて指摘した。3次元氷床モデルを用いて表面質量収支の重要性を定量的に示し、AGCM感度実験によりその要因を調べたのは本研究が初めてである。このことにより、氷期氷床変動のさらなる理解が進み、それは他の気候サブシステムとの相互作用と氷期気候変動の理解へとつながり、氷期氷床変動研究にて得られた知見を基に、懸念されている将来の氷床変動の予測の精度を上げることにつながる。これらの研究は、表面質量収支という古気候モデリングの普遍的過程の新しい側面を開拓したものであり、独創性が高く、優れた研究と評価できる。

なお、本研究の成果の一部は阿部彩子・斎藤冬樹・瀬川朋紀・西村照幸氏との共著論文として印刷済みであるが、論文提出者が主体となって問題の設定、数値実験、解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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