学位論文要旨



No 124228
著者(漢字) 石井,苗子
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ミツコ
標題(和) 健康診査受診勧奨のためのキャンペーン介入研究
標題(洋)
報告番号 124228
報告番号 甲24228
学位授与日 2008.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3171号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 木内,貴弘
 東京大学 准教授 李,廷秀
 東京大学 准教授 井上,和男
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

2008年度からの新保健制度下、健康診査(以下「健診」)の受診率向上は、国保保険者である自治体にとって重要な課題となる一方、本研究の対象地域である千葉県鴨川市は従来から受診率が高くなく、受診率向上のためにこれまでの受診勧奨にとどまらない対策を必要としていた。

本研究は、今後の健診受診率を向上させる対策を検討するため、鴨川市の2007年度健診勧奨を、「キャンペーン」の方式を用いて地域ごとに「密度」を変えて実施した介入研究である。キャンペーンを全く実施しない対照地域も設定することにより、健診受診率の変化との「量反応関係」を前向きに観察することを目的とする。本研究での「密度」とは介入条件(キャンペーン回数や地域の健康推進員の活用の程度など)を意味し、「高密度」とは最も強い介入をおこなったことを指す。副次的に、2008年度からの新健診制度に対する住民の知識に与えるキャンペーン効果も検討する。

2.方法

鴨川市の2007年度健診にさきがけ、鴨川市を構成する行政地域(鴨川、長狭、江見、天津小湊)のうち、長狭地域3区(大山、主基、吉尾)のみで健診勧奨の介入を実施した。介入密度の設定は、大山区・平塚地区を「高密度」とし、キャンペーン回数を最多、健康推進員を最大限に活用した。平塚地区以外の大山区6地区と主基区5地区を「中密度」、吉尾区は「低密度」として吉尾区全体で1回のみのキャンペーンを実施した。キャンペーンは市の健康推進課職員と地域健康推進員および本研究者で、健診の説明や受診の勧奨、生活習慣病に関する講演、質疑応答などを行った。さらに以下の3つの調査を行った。1.住民の健診受診状況を把握するための葉書き回答による事前調査 2.キャンペーン実施会場での聞き取り調査 3.健診現場での受診者調査。研究全般にわたり東京大学医学部・医学系研究科倫理委員会の審査と承認を得た。

3.結果

事前調査では、葉書き回答を返信してくる住民のほとんどが受診希望者であり、60代の女性の回答率が最も高かった。受診する理由には性差と年齢差が見られ、若年ほど「病気を見つけて欲しい」、高齢者ほど「これまでの習慣で受診する」という傾向が認められた。全般に未受診を希望する住民からの調査への回答は少なかった。とくに2005年に鴨川市に合併された天津小湊地域は、合併前は健診が無料だったことも影響し、健診の便益に対する住民の人関が低い傾向が見られた。数少ない未受診理由の回答の中では、「受療中である」あるいは「他機関で健診受診している」が多かった。

2007年度鴨川市の健診受診者数および受診率は、中・高密度に設定した大山区において有意に増加した。鴨川市全体では40歳以上の住民全体を対象とした場合には14.1%から15.1%への1%の増加であったのに対し、大山区では13.8%から20.4%へ6.6%の増加、大山区・平塚地区では13.2%から23.8%へ10.6%の増加が観察された。国保加入者に限定した場合は、鴨川市全体では18.3%から19.7%へ1.4%の増加であったのに対し、大山区では17.5%から25.5%へ8.0%の増加、大山区・平塚地区では15.9%から28.5%へ12.6%の増加であった。中・低密度設定の主基区と吉尾区の純増は、キャンペーンを行わなかった鴨川市の3地域(鴨川、江見、天津小湊)と同程度であり、介入密度と受診増減に対する正規偏差間のピアソン相関係数は0.426(p=0.0002)と全体としては有意であるものの、中密度から高密度介入を行うことによって初めて統計的に有意な量反応関係が見られることが解った。

受診者調査の結果からは、中・高密度に設定した大山区の住民が、新しい健診制度に対する事前知識が最も高く、主基・吉尾区がこれに続き、キャンペーンを実施しなかった3地域では半分以上の受診者が「新制度について初めて聞いた」と答えた。新制度に対する知識には性差(女性の事前知識が高い)があった。

4.考察

大山区で受診率が向上したのは、キャンペーンの回数に依存するのか、健康推進員の積極的な関与に依存するのかは分離できないものの、彼らの参画は有効に機能したと考えられる。受診率向上目的の受診勧奨や健診結果通知方法としては、地域住民活動を活用することが有効であることが既存研究において指摘されている。本研究でも健康推進員の活用が有効であることが強く示唆されたが、人材の選択、その教育と動機付けが課題になると同時に、健康問題に限定されない分野への活動の展開をも視野に入れることが、健診受診勧奨も含めた地域活性化の観点から重要と思われる。

本研究では、「中・高密度」の設定によって初めてキャンペーンが有効であったことが示されたが、この密度をもって広範囲(例えば鴨川市全域)に健診勧奨の活動を実施することは、市当局の現在の人的資源と時間的制約の下では極めて困難であり、今後の健診勧奨においては経済性(費用対効果)の検討も必要であると考える。また経済性の点からも、地域住民の協力を得た体制作りが必須と思われる。

研究の意義

文献検討により、癌検診において何らかの比較対照を設けて受診率向上を検討して介入研究は多く存在することが確認できたが、本研究のように地域の健診勧奨を、介入条件(「密度」)に変化をつけて実施した例は見出すことができなかった。このことから、キャンペーン実施敷居と対照地域の健診受診者数増減の比較、さらにキャンペーン「密度」の高低と健診受診率の増減の関係(量反応関係)を分析することを通じ、キャンペーンの介入効果の検証と、健診受診率を増大させるために必要な「密度」の測定を可能としたことに新規性があると思われる。さらに、今後日本における新保健制度の下、適切な健診勧奨の方法を模索していくことが求められる中で、密度を変えたキャンペーン介入が地域で実施可能であることを示したことにも、本研究の意義があると思われる。

研究の限界

介入の効果を統計的に厳密に検証する最良の方法である小地域を割り付け単位としたクラスターランダム化試験が、実施上の制約により出来なかった。本研究の成果は、健康推進員を活用したキャンペーン介入が受診率向上の点で有望な方法であったことを示したにとどまる。継続的な効果を受診者増加という点においてもたらすのか、さらに住民の健康増進(アウトカム)に寄与するのかは今後の検討に待たねばならない。事前調査は回収率が低く、健診会場での調査は受診者のみを対象としているので、これらの結果の解釈には限界が伴う。回答は匿名化せざるを得なかったため受診状況や健診結果とのリンケージが行えなかった。

地域を対象として実証研究においては不可避の限界ではあるが、鴨川市という対象地域の特殊性が結論にどの程度影響するかは、本研究のみから検討を行うことはほぼ不可能である。また今回介入を行った鴨川市長狭地域は、もともと農業が盛んな地域であり、地域コミュニティー活動の素地があったことも結論の一般化可能性を損ねる可能性がある。

7. 結論

健診受診率向上のため、地域住民の積極的関与を伴う「キャンペーン」による介入の効果を、介入の「密度」を変え、さらに介入を実施しない地域も含めて、受診率向上との量反応関係を通じて前向きに検討した。その結果、統計的に有意な量反応関係を見出すことができた。キャンペーン費用対効果(効率)の検討、他地域でのより厳密な検証の必要性など今後検討すべき課題はあるものの、新しい健診制度に関する理解を高める地域住民の健康増進のための有望な介入方法が提示されたと考える。

(3,175文字)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は千葉県鴨川市の全行政地域を対象地域とし2007年度健康診査にさきがけ、健康診査(以下「健診」)の受診勧奨を「キャンペーン」方式を用い、地域ごとに「密度」(介入の条件:キャンペーン回数や地域健康推進員の参画程度)を変えて実施した介入研究である。本研究における「高密度」地域とは、キャンペーンの回数が最多であり健康推進員の活用が最も多かった地域を意味する。キャンペーンを全く実施しない「ゼロ密度」地域も設定することにより受診率の変化との「量反応関係」を前向きに観察することを目的とした。本研究は、上記の介入研究の他に3種類の調査(1.住民の健診受診状況を把握するための葉書き回答による事前調査 2.キャンペーン実施会場での聞き取り調査 3.健診現場での受診者調査)をほぼ同時に実施し、副次的に2008年からの新制度に対する住民の知識に与えるキャンペーン効果も検討した結果、下記の結果を得ている.

1. 事前調査で葉書き回答を返信した住民のほとんどが受診希望者であり60代の女性の回答率が最も高かった。

2. 健診を受診する理由には性差と年齢差が見られ、若年ほど「病気を見つけて欲しい」、高齢者ほど「これまでの習慣で受診する」という傾向が認められた。全般に受診を希望しない住民からの葉書き調査への回答は少なかった。

3. 2005年に鴨川市に合併された天津小湊地域は、合併前は健診が無料だったことも影響し、健診の便益に対する住民の認識が低い傾向が見られた。

4. 葉書き調査の数少ない未受診理由の回答の中では、「受療中である」あるいは「他 機関で健診受診している」が多かった。

5. 2007年度鴨川市の健診受診者数および受診率は、中・高密度に設定した大山区において有意に増加した。鴨川市全体では40歳以上の住民全体を対象とした場合には14.1% から15.1%への1%の増加であったのに対し、大山区では13.8%から20.4%へ6.6%の増加、 大山区・平塚地区では13.2%から23.8%へ10.6%の増加が観察された。

6. 国保加入者に限定した場合は、鴨川市全体では18.3%から19.7%へ1.4%の増加で あったのに対し、大山区では17.5%から25.5%へ8.0%の増加、大山区・平塚地区では15.9%から28.5%へ12.6%の増加であった。

7. 中・低密度設定の主基区と吉尾区の純増は、キャンペーンを行わなかった鴨川市 の3地域(鴨川、江見、天津小湊)と同程度であり、介入密度と受診増減に対する正規偏差間のピアソン相関係数は0.426(p=0.0002)と全体としては有意であるものの、中密度から高密度介入を行うことによって初めて統計的に有意な量反応関係が見られた。

8. キャンペーン会場での聞き取り調査からは、新健診制度に関する情報の周知が不足していること、行政の政策に対する不満が提起された。

9. 受診者調査の結果からは、中・高密度に設定した大山区の住民が、新しい健診制度に対する事前知識が最も高く、主基・吉尾区がこれに続き、キャンペーンを全く実施しなかった3地域では半分以上の受診者が「新制度について初めて聞いた」と答えた。新制度に対する知識には性差(女性の事前知識が高い)があった。

以上、本論文は健診受診率向上のための勧奨を、「キャンペーン」方式を用い、地域住民の積極的関与を伴うなどの介入条件の「密度」を変えて実施し、さらに介入を行わない地域も含めて受診率の変化との「量反応関係」を通じて前向きに観察したものであり、その結果として統計的に有意な量反応関係を見出すことができた。住民と直接的なコミュニケーションを取ることで新健診制度に関する住民の理解を高め、介入条件の「高密度」地区で受信率の向上を得たことで地域住民の健康増進のための有望な勧奨方法を具体的に提示したとみなされることから、学位の授与に値するものと考えられる。

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