学位論文要旨



No 124229
著者(漢字) 鶴見,英成
著者(英字)
著者(カナ) ツルミ,エイセイ
標題(和) ペルー北部、ヘケテペケ川中流域アマカス平原における先史アンデス文明形成期の社会過程
標題(洋)
報告番号 124229
報告番号 甲24229
学位授与日 2008.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第850号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 名誉教授 大貫,良夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 准教授 網野,徹哉
 南山大学 専任講師 渡部,森哉
内容要旨 要旨を表示する

【第1部:序説】

●第1章.はじめに:本論文の目的と背景

本論文の目的は以下の3点である。第1に、南アメリカ大陸ペルー北部ヘケテペケ川中流域、アマカス平原に密集する神殿建築群「アマカス複合遺跡」での調査を通じて得られた、多様な考古資料およびその分析結果を提示することである。第2に、アマカス複合を支えた「アマカス社会」の社会過程を、データに立脚した堅実な論考として提示することである。第3に、地方的・限定的な1事例としてではなく、中央アンデス全域の社会過程のさらなる解明へと貢献するような視点から、アマカス社会を分析することである。

中央アンデス地域の各地に紀元前3000~50年頃、大規模な神殿建築を中核とした定住社会が成立した。この時代を先史アンデス文明形成期と呼ぶが、世界の他の古代文明と交渉のない、その独自な文明形成過程についてさまざまな説明が試みられてきた。とくに神殿の果たした役割の重要性が近年注目されている。一般的に神殿建築には儀礼的更新の反復(神殿更新)が見られるが、神殿の大規模化と社会発展とは相互に刺激し合ったものと考えられるのである。ただし神殿と社会との関わりは一様でなく、事例ごとにさまざまな過程がその背景に想定されよう。本論文はアマカス複合の事例について多角的な検討を行い、文明形成の議論への貢献を目指すものである。

●第2章.ペルー北部・ヘケテペケ谷の形成期研究

中央アンデス地域の各地において食糧採集から食糧生産への転換が次第に進み、やがて多くの河谷において神殿が登場したことが報告されている。しかしヘケテペケ谷ではそれが紀元前1500年頃と、他の河谷より遅い点が特徴である。

調査地であるアマカス平原には現在貯水池が広がっており、多くの神殿遺跡がすでに水没しているが、ダム竣工の前に数件の考古学調査がなされている。その中のひとつモンテグランデ遺跡では、神殿建築の周囲に多くの住居址が確認され、神殿が実際に居住地の中核として機能していたこと、さらに神官階層と一般成員との階層分化が示唆された。それと同様の規模、ほぼ同時期の神殿が密集して多数立ち並ぶアマカス複合は、アンデス形成期において類例の少ない形態の遺跡であるが、そこにはどのような社会過程が見いだされるのか。またヘケテペケ川下流域と上流域にもそれぞれ形成期の神殿が知られるが、地理的に両者の中間にある中流域の社会はどのような性質を持っていたのか。これらの問題を解明すべく調査計画を立案し、2003、04、05年に実施した。調査の中心となったのは一帯で最大規模、また長期にわたる利用が想定される神殿遺跡ラス・ワカスの発掘であった。

【第2部:データ】

この第2部は、第1章冒頭に掲げた目的のうち、とくに第1の目的に即した内容である。

●第3章.ラス・ワカス遺跡の建築と年代

ラス・ワカス遺跡の神殿建築および居住用建築に関し、発掘によって判明した建築フェイズに従って記述する。また建築に伴う炭化物からの絶対年代測定の結果を提示する。

形成期前期アマカス期(紀元前1450年~)、形成期中期テンブラデーラ期(前1250~800年)と、建築が改変されて行く過程が解明された。アマカス期にはごく小規模な居住域であったものが、他の神殿の放棄とともに大型化し始め、やがて一帯で最大の神殿となったのである。なお山から下ってきた鉄砲水による建築の破壊と、その修復が何度も繰り返されていた様子も明らかになった。

●第4章.ラス・ワカス遺跡の土器

ラス・ワカス遺跡の出土土器を全27タイプに分類し、それらを建築フェイズと対応させ、編年上の位置を示す。これはアマカス複合の他の神殿や、ヘケテペケ谷全体、さらに他の河谷の出土品と比較する上で重要なデータとなる。アマカス期とテンブラデーラ期を、それぞれ前後(I期・II期)に二分することで、より的確に土器の変化をとらえられることが分かった。

●第5章.ラス・ワカス遺跡の人工遺物

ラス・ワカス遺跡から採取した、石器、土製品、骨角器・貝製品など、土器以外の遺物各種の概要、および他地域における類例について記載する。

●第6章.ラス・ワカス遺跡、レチューサス遺跡の自然遺物

ラス・ワカス遺跡と、その放棄後の時期に対応するレチューサス遺跡の、自然遺物の分析結果を提示する。多様な植物種子・組織の他、土器・石器に付着した澱粉の分析からは、アマカス期にはとくにマニオクが、テンブラデーラ期以降はトウモロコシやジャガイモが多く利用されたことが分かった。海産資源としてカタクチイワシなどの海産魚や、チリイガイなどが多く出土している。獣骨はいずれの時期も一貫してシカのものが最も多く、ラクダ科動物は確認されなかった。

●第7章.アマカス複合遺跡の調査

アマカス複合のラス・ワカス以外の神殿群、および居住域や墳墓についての情報を整理・記述し、ラス・ワカスとの比較のために実施した小規模な調査の成果を提示する。アタウデス、パンテオン、メガリト、チュンガルという4遺跡の調査により、アマカス平原に密集する基壇建築群は9単位の神殿としてとらえられること、またそれぞれの編年上の位置が明らかになった。

●第8章.テンブラデーラ地域・ヨナン地域の調査

アマカス平原との比較のために、やや上流側のテンブラデーラ地域・ヨナン地域において、レチューサス、カンタリーヤ、セロ・ヨナンという3つの遺跡で発掘調査を実施した。ラス・ワカスの放棄後の形成期後期Iレチューサス期(紀元前800~550年)に、レチューサスに大規模な神殿が成立したことなどが分かった。

●第9章.ヘケテペケ川中流域の形成期遺跡の分布

中流域全域におよぶ踏査により新規登録された遺跡の情報を示し、既知の遺跡と合わせて広域にわたるセトルメント・パターンの通時的変化を提示する。

【第3部:論考】

●第10章.アマカス社会の社会過程

本章は第1章冒頭に掲げた中の、とくに第2・第3の目的に関わる論考を提示する。

先土器期から狩猟採集活動が行われていたヘケテペケ谷中流域では、土器という新技術によりマニオクの加熱調理が可能となり、また沿岸部から海産資源を調達するようになってから、神殿を囲む定住村落が成立したと考えられる。アマカス平原においては、アマカス期の初期の神殿は平原西端の山裾に位置し、それが次第に東の方へと移転し始めるが、テンブラデーラ期にはより東側の段丘上を占めて、より長期間存続するようになる。

アマカス期を通じた神殿の変化は、単一地点で拡張を重ねるのでなく、神殿の放棄と新造を反復して漸次的に活動の中心が移っていく「移転型神殿更新」ととらえられる。アマカス平原の3次元モデルを用い、雨水の集まりやすさを地点ごとに比べると、初期の神殿は水資源豊富で耕作に適する立地であるが、同時に鉄砲水の危険性が極めて大きい。また神殿が放棄される前に石を環状に組んだ「塔状墳墓」が神殿に添えられるが、この墳墓は被葬者個人を可視化し、祖先崇拝の儀礼を行うための装置と見られる。そして新しい神殿は閉鎖された古い神殿に方向軸を向け、墳墓を含めて眺望できるような立地を選択している。これらを総合すると、水資源の獲得と水害回避の戦略、祖先崇拝の儀礼を神殿更新活動に組み込んだのが、アマカス複合に特徴的な移転型神殿更新であると見ることができる。

つづくテンブラデーラ期には移転が止まり、ラス・ワカス神殿の拡張が始まる。このとき神殿の至近には神官のための住居のみが設けられ、一般成員は谷底の耕作地に住まうこととなったようである。また大規模なラス・ワカスと、他の小規模な神殿群とが長期間併存するようになり、そこには神殿ごとの機能・意味に根ざした複雑な関係が見て取れる。総じてテンブラデーラ期には、階層間の不平等や専業的な職能集団の成立など、社会の複雑化が進行したようであり、その結果が神殿の形態・立地に反映されているのである。

アマカス複合の神殿群が放棄されたレチューサス期には、唯一の神殿であるレチューサスを中心として、新たな組織化が図られた。

●第11章.アマカス社会の空間的・時間的位置の検討

本章は第1章冒頭に掲げた目的のうち、とくに第3の目的に関わる論考である。

前章にて示されたアマカス複合の社会過程を、先史アンデス文明の形成過程の中で今後さらに議論していくために、時間的な位置付け、また各時期の遺跡分布をふまえた空間的位置付けが明らかにされねばならない。まずアマカス複合の編年を、絶対年代測定および土器編年の比較対照により、ヘケテペケ川流域全体の中に位置づける。さらに中流域における遺跡分布の通時的変化から、アマカス複合が流域全体においていかなる特徴を持っていたのかを考察した。形成期前期には谷の全域を通じて、中流域のアマカス複合とポルボリン遺跡だけに神殿が存在した。土器製作や「移転型神殿更新」などの活動は先進的で独自なものだったのである。つづく形成期中期I(テンブラデーラ1期)には上流期に神殿が成立するが、土器製作活動などにおいて中流域は依然として独自性が高い。ついで形成期中期II(テンブラデーラ2期)には下流域に多くの神殿が成立し、下流域に特徴的な神殿の形態や土器が流域全体に遍在するようになり、アマカス複合の先進性・独自性は薄まることとなった。

さらに広い範囲における空間的・時間的位置づけのために、他の河谷における層位発掘の成果と、それにより提示された土器編年との比較対照を行った。その結果、河谷ごとに最初に土器が導入された時期に差があるという可能性が示唆された。なおアマカス社会の先進性には、河谷間を結ぶ地域間ルートの結節点という側面に求められる見通しがあり、精緻な地域間比較から今後さらなる展望が開けることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

鶴見英成氏の学位論文「ペルー北部、ヘケテペケ川中流域における先史アンデス文明形成期の社会過程」は、同氏の長年にわたる現地調査に裏打ちされたアンデス考古学への大きな貢献であると評価することができる労作である。

論文は、第1部:序説、第2部:データ、第3部:論考の三部構成からなる。第一部第1章「はじめに」では、本論文の目的と背景が述べられている。論文の目的は、第一に、南アメリカ大陸ペルー北部ヘケテペケ川中流域、アマカス平原と呼ばれる地域に密集する神殿建築群「アマカス複合」における考古学調査を通じて得られた、多様なデータおよびその分析結果を提示すること、第二に、アマカス複合における社会過程を、データに立脚した堅実な論考として提示すること、第三に、上記の社会過程を地方的・限定的な一事例としてではなく、アンデス全域につながるものとして解明すること、の三点であると述べられている。第2章「ペルー北部・ヘケテペケ谷の形成期研究」では、これまでのペルー形成期研究が概観され、調査地の概況説明を加えて、現地調査に至る背景が詳述されている。

第2部:データは、上に述べた第一の目的に沿った詳細なデータ提示を目的とした部分である。第3章から第5章は、鶴見氏の中心的な発掘対象であるラス・ワカスの発掘調査の報告である。まず第3章においては、神殿建築および居住用建築を、発掘によって解明された建築フェイズの進展プロセスに沿って概観する。第4章では、出土土器を27 のタイプに分類し、編年上の位置を示す。第5章は、土器以外の各種遺物の概要および他地域における類例を記載した章である。第6章においては、ラス・ワカス遺跡のデータにレチューサス遺跡のデータを加えて、農産物、海産物、畜産物に関する分析結果を提示する。第7章から第9章は、ラス・ワカス遺跡から次第に範囲を広げ、へケテペケ谷中流域全体へと論考を拡大させている。すなわち、第7章では、ラス・ワカスを含むアマカス複合神殿群全体に関する情報の整理が、第8章ではより東方の3地点における発掘調査の成果が、第9章ではヘケテペケ谷全域踏査によって新規登録された遺跡の情報の提示が、それぞれ行われている。

第2部において提示されたデータは、出土遺物の分析も的確であり、将来の研究において引用されるに足る質を備えていると評価される。考古学の発掘調査に基づく研究において非常に重要な一次データの提示という点で、本論文は非常に高いレベルを示している。

第3部:論考は、前述の第二、第三の目的すなわち「アマカス社会の社会過程の解明」と「アンデス文明地域全体への定位」にあてられた部分である。第10 章においては、アマカス地方における神殿の更新が、他地域のような一カ所における神殿の拡大ではなく、西から東へと移動しながら拡張する形をとったこと、また旧神殿を放棄する際に搭状墳墓を建設して祖先や神殿を新神殿から見えるものとしたこと、しかるに東方のラス・ワカス神殿に至って移動は休止して同地点における拡張開始され、神官と一般住民の居住地が分離されて階層分化が成立し、複数の神殿が同時に機能するようになったと分析されている。第11 章では、アマカス複合の編年を、絶対年代測定および土器編年の比較対照により、ヘケテペケ川流域全体の中に位置づける。また、中流域における遺跡分布の通時的変化から、アマカス複合が流域においていかなる位置にあったかを分析している。さらに、広い範囲における空間的・時間的位置づけのために、他の河谷における層位的発掘の成果と、そこで提示された土器編年との比較対照を行った。そして、精緻な地域間比較によって、土器制作が始まったアンデス文明形成期についての、新たな研究の展望が開けることを予想・期待して全編が締めくくられている。

先に述べたように、本論文の第一の目的である信頼に足る詳細のデータの提示は十分に果たされている。本論文が将来さまざまな研究において言及・引用されるものとなることは疑いない。また、第二、第三の目的に関しても、対象を一遺跡に限定せず、ひとつのまとまりを持った地域全体を対象にしていることに対して、審査員から共通して賛意が示された。この研究が、歴史プロセスの再現を企図しており、考古学データに基づきながら人類学にも影響のある視点を提供していることを高く評価する審査員もあった。

本論文にも瑕疵なしとしない。データの提示法・解釈に関して審査員と意見と異にする場面もあり、論文の結論部分の締めくくりが唐突にすぎ、論文の全体の総括が不足しているとの指摘もあった。また、自らの一次データから構築された仮説はあるものの、他のモデルの理論的レビューが不足しているという批判もあったことを付け加えておく。

しかしながら、これらの瑕疵は論文全体の価値を大きく損なうものではなく、論文は博士論文として十分な内容を備えている、したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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