学位論文要旨



No 124230
著者(漢字) 河野,仁志
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,ヒトシ
標題(和) 中国の地域間所得格差とそのメカニズムの研究
標題(洋)
報告番号 124230
報告番号 甲24230
学位授与日 2008.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第851号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 准教授 鍾,非
 東京大学 名誉教授 石井,明
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

近年、中国の所得格差が大きな問題となっている。本論文では中国の所得格差のうち地域間所得格差、都市と農村の所得格差について分析を行った。そして所得格差の要因とそのメカニズムに関して、戸籍制度や経済政策との関連を分析した。これらの結果をもとに、所得格差の今後のゆくえや課題について検討し、所得格差解消のための方策を提案した。以下に各章ごとの内容を要約する。

1.研究の課題と方法

本研究では、地理的要因と気候からなる「自然的要因」が、産業構造、人口構造、教育・文化水準や情報化からなる「経済的・文化的要因」に影響し、戸籍制度と経済政策からなる「政治的・法律的要因」と複雑に絡み合って、地域間所得格差を拡大したり、縮小したりするという枠組みを提示し、公式統計数値に基づき、地域間所得格差に対するこれらの要因の影響を統計的に分析した。あわせて中国特有の戸籍制度や経済政策を調査することにより、中国の地域間所得格差のメカニズムを検討した。

2.中国の省間格差の現状

地域間所得格差を議論する前段階として、省間格差の現状把握を公式統計により行い、各省の人口と自然的要因についてその特徴を検討し、自然環境に恵まれた東部沿海部と中部の16省に人口が集中していることを明らかにした。その後各省の経済的・文化的要因に関する統計データを、人口と順位が上に凸の関係にある場合、人口の少ない省の1人当たりの値が過大評価されることを是正する回帰偏差値という評価方法を導入し、人口の大小に左右されない省間の1人当たりデータの順位付けを行った。その結果、第一次産業従事率や1人当たり第一次産業生産額が高い省に貧しい省が多く、裕福な省は、第三次産業従事率や1人当たり第三次産業生産額、教育文化、情報化、財政関連データの順位が高いことが特徴であることが分かった。

3.地域区分の検討と地域間所得格差分析

中国の地域区分は「東部」・「中部」・「西部」という3地域区分が一般的であり、既存の研究では、ほとんどが3地域区分で地域間所得格差を論じている。しかし、3地域区分は大雑把であると思われるので、その妥当性を検討した。検討に当たっては、2004年の各省に関する20種類の統計数値の1人当たりデータから回帰偏差値を算出し、その値に対して主成分分析とクラスター分析を行い、地理的要因と統計数値の分析結果に基いて、地域区分の再検討を行った。そして本論文では従来の3地域区分に対して、10地域区分を提案した。その上で3地域区分と10地域区分により、1952年から2004年までの所得格差のタイル尺度を計算した。

その結果、3地域区分に基づく地域間所得格差と地域内所得格差の推移は、1949年の建国以降、公式統計が入手可能な1952年から、改革開放政策を決定した1978年まで、地域内所得格差が地域間所得格差に比べ大きかったのに対して、改革開放政策の進展とともに二つの格差は縮小し、1988年に地域間所得格差が地域内所得格差より大きくなるという逆転現象が生じ、それ以降は地域間所得格差が大きくなっている。一方、10地域区分では、1952年から1978年まで、地域内所得格差と地域間所得格差の大きさはほとんど同じであった。改革開放政策の進展と共に地域間所得格差の方が大きくなるという傾向が顕著となり、1990年頃から地域間所得格差と地域内所得格差の差がさらに拡大していった。以上の結果から、3地域区分より10地域区分の方が所得格差推移の実態をよりよく反映しているといえる。

4.都市と農村の所得格差分析

中国の家計調査の公式統計データをもとに1980年から2004年までの各省別、10地域別の都市と農村における収入と支出の比較・検討を行い、都市と農村の所得格差の要因を分析した。あわせて消費関数を計算し、都市と農村の限界消費性向と基礎消費の違いを検討した。その結果、下記のことが明らかになった。

(1)都市と農村の収入と支出の不平等度は年々拡大している。

(2)各省別の消費関数を計算した結果、都市の限界消費性向は平均で0.75、農村の限界消費性向は平均で0.68である。都市の方が収入の上昇に伴う消費の増加割合が高い。

(3)限界消費性向に関して都市より農村の方が低いのは、自家消費分の推計が困難であるという制約があるとはいえ、農村が経済的に貧しく、消費水準そのものが低いことによると思われる。

(4)都市の基礎消費は平均で160元、農村の基礎消費は平均で107元であり、都市の基礎消費の方が大きい。

5.貧困の実情と国定貧困県の所得格差分析

中国における1978年の絶対貧困人口は2億5,000万人、貧困発生率30.7%であったのに対して、1985年には絶対貧困人口は1億2,500万人に減少した。この間中国の貧困対策は大いに進んだといえる。しかし、その中でも特に貧しく国定貧困県に指定されている県を見ると、そのような県は現在でも中国経済で大きな割合を占めている。すなわち、国定貧困県の合計は、中国全体の人口の17.6%(2億2,898万人)であり、第一次産業人口では23.1%、GDPでは6.7%、食糧生産では19.7%を占めている。

国定貧困県の特徴は下記の通りである。

(1)国定貧困県には山岳部の革命根拠地であった県、辺境の県、少数民族県が多くある。

(2)劣悪な自然環境におかれている。

(3)産業の発展が遅れており、第一次産業の占める割合が高い。社会インフラ整備も遅れており、投資金額も少ない。

(4)国定貧困県の貧困農民は教育不足である。

これらの貧困を克服するために社会インフラの整備と貧困農民の教育訓練を行い、識字率を高めるとともに、技能を身につけさせ、第一次産業から第二次、第三次産業への職業の選択が拡がるような政策を採る必要がある。すなわち、貧困世帯への資金的な援助だけでなくて、地道な教育、技能訓練と社会インフラの整備が貧困から抜け出すための必須条件である。

6.中国の所得格差推移と戸籍制度

この章では、中国の戸籍制度の推移を経済政策の変化との関連に注目することにより、戸籍制度が中国の所得格差に与えている影響を検討した。

戸籍制度の本質的な点は、戸籍が都市戸籍と農村戸籍の2つに分かれていることである。都市戸籍か農村戸籍かという区分は、都市で個人が食糧配給などの特権を得ることのできる公的受給資格の有無を決定する。したがって、都市か農村かという戸籍登録場所は極めて重要である。中国は建国当初重工業優先政策を推進するため、農業部門と工業部門の不等価交換を行った。このため、農村においては人民公社を設立し、低賃金で農民を働かせ、永続的に搾取し続けるシステムとした。そのためには農民の移動を強制的に制限し、職業の自由を奪う必要があった。戸籍制度はこの目的達成のために極めて有効であった。経済発展とともに戸籍制度の規制は緩和されつつあるとはいえ、現在も基本的に変更されていない。これが、農村からの出稼ぎ者である「農民工」を生み出した要因であるとともに、都市と農村の所得格差の最大の要因の一つである。

7.情報化における地域間所得格差の分析

情報化における地域間所得格差を分析するため、各省のインターネットユーザのジニ係数を計算した。その結果、中国では豊かな省の方がジニ係数は大きく、貧しい省の方がジニ係数は小さいという結果が得られた。中国のインターネットは規制が強く、言論の自由が限られているため、インターネットの特性である情報発信と情報取得の機能が生かされていない。しかし、今後インターネットユーザが増加するにつれて、インターネットは政治体制を変革する要素となる可能性がある。

8.中国の地域間所得格差の要因検討

中国の地域間所得格差の要因を財政、経済政策、政治体制に関し検討すると、以下のようにまとめられる。

第一に財政における所得格差の要因として次の3点がある。

(1)義務教育・医療サービスなどに関する費用は、末端の地方政府の負担となっている。

(2)末端の地方政府の歳入は不安定な農業関係税である。

(3)末端の地方政府は農民に「三提五統」という租税以外の費用負担を強いてきた。しかし、税制改革により「三提五統」を禁止したため、ただでさえ苦しい末端の地方政府の財源が枯渇しつつある。

第二に経済政策における所得格差の要因として次の2点がある。

(1)建国直後から国力を増強し、戦争に備えるために、第二次世界大戦で疲弊した経済を立て直し、必要な資本の蓄積を行わないまま、重工業優先政策を遂行する決定をした。重工業優先政策を実施するために、農業部門の利益を強制的に重工業部門に移転させる必要があった。

(2)都市住民は主として重工業に従事しているため、政府から食料や日曜生活品を安価に購入できる特権を与えられている。一方農民は、食料や日曜生活品、住宅などを自力で調達しなければならなかった。都市住民は農民に比べはるかに優遇されている。

第三に政治体制における所得格差の要因として、次の2点がある。

(1)共産党一党独裁体制の下で、共産党の政策に反対する者を力でねじ伏せることが行われており、健全な批判勢力が育っていない。農民の声を代弁する組織さえないのが実情である。

(2)格差を小さく見せるような虚偽の数値の報告、幹部の汚職が重なり共鳴しあうことにより、中国の地域間所得格差、都市と農村の所得格差が実態より過小に評価され、格差を縮小する有効な対策が後手に回っている。

9.中国の地域間所得格差の今後と格差縮小方策

現在の中国では、国家の手で運営ないし厳しく規制されてきた諸部門が民営化され、規制緩和政策が推進されているため、地域間所得格差や都市と農村の所得格差は、今後さらに拡大していくと予想される。所得格差縮小方策として、戸籍制度における都市と農村の差別的規定の漸進的廃止や中央政府が義務教育を主管することにより「機会の平等」を実現し、所得再配分政策の採用と都市と農村の社会保障システムを統一して「結果の平等」を実現することにより、所得格差の縮小を図る方策が有効であると考えられる。

おわりに

本論文の作成当初は、都市と農村において現地調査を実施し、所得格差の実情を把握することを計画していた。しかし、諸般の事情により現地調査を行うことができなかったので、公式統計に頼るしか所得格差把握の手段がなかった。また、中国語の論文や研究書も可能な限り参照したものの、参照文献数が少なく量が限られてしまったことが、本論文の課題である。

今後の課題としては、中国が現在以上に豊かになり、「機会の平等」や「結果の平等」が実現し、地域間所得格差が少なくなった場合、人々の生活が豊かになり、自動車等の普及による大気汚染や、大量のエネルギー消費による環境破壊に地球自体が耐えることができるかということである。中国の地域間所得格差が縮小することは望ましいことであるとはいえ、その場合のマイナス面、特にエネルギー需要や地球環境に与える影響なども考慮して、中国だけでなく、日本や世界への影響を含めて検討すべきである。このような問題およびそれに付随する諸問題に関しては、今後の研究としたい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、現代中国の各省の現状について所得格差に影響を与えていると考えられる統計指標を分析した上で、地域区分の検討を行い、あわせて戸籍制度や経済政策の変遷を論じることにより、地域間所得格差がどのような要因で発生し、どのようなメカニズムで変化しているのかを明らかにしようとしたものである。

中国は1949年の建国以来、社会主義的経済政策を経た後、1978年の改革開放政策の採用、さらには1992年の社会主義市場経済の導入によって、急速な経済発展を遂げ、2008年には北京オリンピックを開催できるまでの経済力を持つようになった。しかし、そのような経済発展の過程において、さまざまな問題が発生している。その中で特に注目を集めているものの一つが地域間所得格差の問題である。この問題については、中国だけではなくて諸外国の人々が大きな関心をもつと同時に、中国、日本、欧米など多くの国の研究者がさまざまな角度から分析を行っている。

そのような中で、本論文は、近年の中国における公的統計を収集整理、データベース化し、それらにいくつかの統計手法を適用して地域間所得格差の現状や都市農村間の所得格差を明らかにした上で、その基本的な要因を抽出して、それらに関する詳細な分析と経済政策や戸籍制度の歴史を調査検討することによって、地域間所得格差の要因とメカニズムについて筆者独自の見解を展開している点が大きな特徴である。

本論文は、第1章から第9章からなる。また、本論の論述にかかわるデータや概念を表示するために、総計102の表と38の図(グラフ)を提示している。

具体的な内容は、以下のとおりである。

第1章「研究の課題と方法」では、産業別就業者数などに関して、1990年と2004年の日本と中国の比較を行い、中国と日本の経済発展の実績を比較することにより、ペティ・クラークの法則が成立することを確認している。また、本研究の先行研究である林燕平氏の「地域間所得格差は産業構造、人口構造、教育構成と密接に関連している」という分析の枠組みを検討し、地域間所得格差はそれら3つの要因だけに影響されるのではなくて、地理的要因と気候からなる「自然的要因」が産業構造、人口構造、教育文化水準や情報化という「経済的・文化的要因」に影響し、戸籍制度と経済政策からなる「政治的・法律的要因」と複雑に絡み合って、地域間所得格差をもたらすという、先行研究の成果も踏まえた分析の枠組みを再構築し、分析方法を提示している。

第2章「中国の省間格差の現状」では、地域間所得格差を議論する前段階として、中国の省間格差の現状把握を行っている。公的統計により、各省の人口と自然的要因についてその特徴を検討し、自然環境に恵まれた東部沿海部と中部の16省に人口が集中していることを確認した上で、各省の経済的・文化的要因に関する統計データを、単純な1人あたりの数値による比較がもつ欠点を是正した回帰偏差値による比較という方法を用いて、省毎の1人あたりデータの順位付けを行っている。この方法は人口規模に左右されない比較となっている。その結果、第一次産業生産額・従事者率が高い省に貧しい省が多く、裕福な省では第三次産業生産額・従事者率が高いこと、教育文化、情報化、財政関連のデータは裕福な省の順位が高いこと明らかにしている。

第3章「地域区分の検討と地域間所得格差の分析」では、中国の地域区分の検討と地域間所得格差の分析を行っている。この章では第2章で算出した回帰偏差値に対して主成分分析とクラスター分析を行うことにより、各省間の格差を明らかにしている。さらに中国の地域区分に関して従来の東部、中部、西部の3地域区分の妥当性を批判的に検討し、新たに10地域区分を提案している。そして各省の1952年から2004年までの1人当たりGDPと人口の統計データをもとにタイル尺度とジニ係数を計算し、その結果と歴史的事実とを対照させることにより、地域間所得格差の推移について検討した結果、3地域区分に比べ10地域区分の方が、地域間所得格差の推移や実状をより的確に捉えることができると主張している。

第4章「都市と農村の所得格差分析」では、中国の家計調査のデータをもとに1980年から2004年までの各省別、10地域別の都市と農村における収入と支出の比較・検討を行い、都市と農村の所得格差の要因を分析している。またケインズ型消費関数を推計し、都市と農村の限界消費性向と基礎消費の違いを検討している。その結果、都市と農村の収入と支出の不平等度は年々拡大していること、また都市の限界消費性向は平均で0.75、農村のそれは平均で0.69であり、限界消費性向が都市より農村の方が低いのは、農村が経済的にきわめて貧しく、消費水準が低いためであると論じている。

第5章「貧困の実状と国定貧困県の所得格差分析」では、中国農村貧困監測報告にもとづき、貧困基準、貧困人口や低収入人口の分布、食物消費、収入と支出、生活水準、教育文化などの統計数値を分析することにより、中国の貧困の現状を検討している。その結果、これらの貧困を克服するために社会インフラの整備・充実と貧困農民の教育訓練を行い、識字率を高めるとともに、技能を身につけさせ、第一次産業から第二次、第三次産業への職業の選択が拡がるような政策を採る必要があること、貧困世帯への資金援助だけではなくて、地道な教育、技能訓練と社会インフラの整備が貧困から抜け出すための必須条件であるとの結論を導いている。

第6章「中国の所得格差推移と戸籍制度」では、中国の戸籍制度の推移を経済政策の変化との関連に注目することによって、戸籍制度が地域間所得格差に与えている影響を検討している。筆者によると、戸籍制度の本質的な点は、戸籍が都市戸籍と農村戸籍の2つに分かれていることであり、都市戸籍か農村戸籍かという区分は、都市で個人が食糧配給や公的受給資格の有無を決定していることを指摘している。その歴史的な経緯として、中国は建国当初重工業優先政策を推進するため、農業部門と工業部門の不等価交換を行い、農村においては人民公社を設立し、低賃金で農民を働かせて、永続的に搾取し続けるシステムとした。そのためには農民の移動を強制的に制限し、職業の自由を奪う必要があり、この目的のため戸籍制度は非常に有効であったとしている。経済発展とともに戸籍制度の規制は緩和されつつあるとはいえ、現在も基本的に変更されていない。これが、農村からの出稼ぎ者である「農民工」を生み出した要因であるとともに、都市と農村の所得格差の要因の一つであると述べている。

第7章「情報化における地域間格差の分析」では、情報化における地域間所得格差分析のため、各省のインターネットユーザのジニ係数を計算して、中国では豊かな省の方がジニ係数は大きく、貧しい省の方がジニ係数は小さいことを明らかにしている。そして中国のインターネット利用は規制が強く、言論の自由が限られているため、インターネットの特性である情報発信と情報取得の機能が生かされていないとはいえ、今後インターネットユーザが増加するにつれて、インターネットは政治体制を変革する要素となる可能性があると言及している。

第8章「中国の所得格差の要因検討」では、中国の所得格差の要因を財政面と経済政策の両面から検討している。財政面の要因としては、義務教育・医療サービスなどに関する費用が末端の地方政府の負担であること、その地方政府の歳入は不安定な農業関係税であることを明らかにしている。

次に経済政策面の要因として、中国は第二次世界大戦で疲弊した経済社会を回復させるための資本蓄積を十分行わないまま、重工業優先政策を遂行する決定をしたこと、その政策を実施するために、農業部門の利益を強制的に重工業部門に移転する必要があったこと、都市住民は、重工業生産に従事するのが主であったため、政府から食料や日用生活品を安価に購入できる特権を与えられたのに対して、低賃金を強いられ、さらに住宅や自分の食料ですら自力で調達しなければならない農民に比べて、はるかに優遇されていることが地域間所得格差の要因となったとしている。

政治体制面での要因として、共産党一党独裁体制の下で、共産党の政策に反対する者を力でねじ伏せることが頻繁に行われており、健全な批判勢力が育っていないこと、そして格差を小さく見せるために一部虚偽の統計数値の報告が行われており、それが幹部の汚職と重なり共鳴しあうことにより、中国の地域間所得格差、都市農村格差が実態より過小評価され、格差を縮小する有効な対策が後手に回っていると論じている。

第9章「中国の所得格差の今後と格差縮小方策」では、この論文のまとめと今後の展望を述べている。特に、近年世界的に採用されてきた「新自由主義政策」と中国の経済政策の関連を検討し、中国が現在の「新自由主義政策」をとり続ける限り、地域間所得格差は拡大するとしている。格差縮小方策については、先行研究の格差縮小方策を分析し検討した上で、戸籍制度の漸進的廃止や中央政府が義務教育を主管することにより「機会の平等」を実現し、所得再分配政策の採用と都市部と農村部の社会保障システムを統一して「結果の平等」を実現することにより、所得格差の縮小を図ることが有効であると論じている。 最後に今後の課題として、中国の地域間所得格差が縮小した場合の影響についての問題点を提起している。

以上のような内容をもつ本論文には、次のような長所が認められる。

まず第1に、中国の膨大なマクロ経済データおよび地域データを網羅的に収集・整理し、それらを所得格差という観点から図表化、分析している点である。 現在、中国において経済データの整備とそのデジタル化は急速に進んでいるものの、デジタル化されていない中国貧困監測報告等の統計表などの膨大な印刷データをデジタル化した成果は、今後この分野の研究の基礎資料として十分価値をもつものと評価できる。

第2に、そのような膨大なデータを標準化し、各種の統計分析を行うことによって、中国の地域区分に関して、従来の3地域区分より、筆者の提案する10地域区分の方が、地域間所得格差をより的確に捉えられることを明らかにした点は高く評価できる。

第3に、中国の地域間所得格差や都市農村間の所得格差の要因として、戸籍制度の歴史と特質を入念に調査研究し、戸籍制度が所得格差の要因に大きな影響を及ぼしていること、1952年から2004年に至るタイル尺度の計算によって、改革開放前は重工業化のために強制的に農村から都市に所得が移転されたこと、改革開放以降は民営化に代表される新自由主義政策の採用により所得格差が拡大したことを示した点である。

第4に、地域間所得格差解消方策として「機会の平等」と「結果の平等」という2つの概念を取り入れ、曖昧になりがちな「平等」の定義を明確にした上で、地域間所得格差を解消するためには「機会の平等」実現のために、戸籍制度の漸進的廃止、中央政府が義務教育を主管する必要性を示したこと、そして「結果の平等」実現のために、所得再分配政策の実施と、都市部と農村部の社会保障システムを統一することが重要である主張している点も評価できる。

現在、農民工の都市での不安定な生活状態、戸籍制度による農民への差別や農民に対する社会保障の整備の必要性、一部の富豪に対する富の集中の問題が注目されており、これらの問題に関しても本論文は一つの知見を与えていると評価できる。

しかしながら、本論文にも問題点がないわけではない。

具体的に、第1には、地域間所得格差分析に使用した統計データが省レベルのデータに留まっており、分析が省間および地域間の所得格差に限定されていることである。省内の地域間所得格差の分析もあわせて行えば、地域間所得格差の要因やメカニズムに対する見解がさらに説得力を増したと思われる。

第2に、地域間所得格差に影響を及ぼすとしている「自然的要因」、「経済的・文化的要因」、「政治的・法律的要因」という3つの要因のうち、「経済的・文化的要因」と「政治的・法律的要因」はきわめて密接に関係していると考えられるにもかかわらず、その点についての分析が必ずしも十分とはいえないことである。要因間の関連性という視点をもっと取りこむべきであったと考えられる。

第3に、都市と農村の消費関数の推計において、農家の限界消費性向が都市より低いという結果を得ているが、公的統計では農家の自家消費分を捕捉しきれないことから、本論文での消費関数の推計にはそれが含まれていないことである。農家の自家消費を消費関数の推計データに反映させれば、農家の限界消費性向は都市と同程度、あるいはそれ以上になる可能性は否定できない。

第4に、先行研究を比較検討して地域間所得格差解消方策を提言しているとはいえ、提言された方策は常識的なものに留まっている点である。人的資本論の立場から初等教育を充実することを強調するだけでは不十分であり、例えば、高等教育を受け中央で成功した後、地方に戻ってその地域の開発に貢献できるというようなシステムを検討することで、独自のユニークな格差解消方策が提示できるであろう。

以上、本論文は若干の欠点をもつとはいえ、豊富なデータと着実な実証分析によって、中国における地域間所得格差に関する研究に十分貢献するものであると評価できる。

よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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