学位論文要旨



No 124231
著者(漢字) 福井,眞
著者(英字)
著者(カナ) フクイ,シン
標題(和) 物質循環を基盤とした細胞内共生の進化に関する理論解析 : コンパクトな生態系からの視点
標題(洋) A theoretical study on evolution of endosymbiosis based on material cycling : from the compact-ecosystem perspective
報告番号 124231
報告番号 甲24231
学位授与日 2008.12.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第852号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 池上,高志
 東京大学 客員教授 深津,武馬
 東京大学 教授 山内,淳
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

自然界には生物種間で密接に生活する「共生」の生活様式をとる複合体生物がしばしば見られる。共生(symbiosis)はまさに"living together"を意味し、これには寄生から偏害共生、偏利共生を経て相利共生まで広い関係を内包する。その中でも、細胞内共生という現象は、宿主個体の細胞内に共生関係を築くことで統一体となった個体について、新たな空きニッチに対する適応放散が進行するという意味で、革新的な進化のひとつである(Maynard-Smith and Szathmary, 1995)。進化生態学的な視点では、相利関係はまず寄生関係から始まったと考えられおり (Roughgarden, 1975)、この視点から進化ゲーム理論の解析を用いて寄生から相利共生への進化の解析がなされてきた(Yamamura,1993,1996; Matsuda and Shimada, 1993)。しかしこれらの解析は寄生のコストと寄生による繁殖成功のベネフィットを基に適応度を計算しているものであり、共生体となった個体自身にどのような変化が起こるかということに注目したものではない。共生によってシステムの構成要素を増やし、複雑化していくことには、果してどのような適応的意義があるのだろうか。この問題に対して、Lotka(1922)は進化を通してシステムを通過するエネルギー流が最大化されるのではないかと示唆し、自然生態系において解析されている(Loreau, 1995,1998)。この考えに立脚して本研究では、共生によってシステム全体にどのような影響が及ぶのかを生態系生態学の視点から探った。

第2章 コンパクトな生態系としての細胞内共生

本章では先述の問題を、細胞内共生という現象を対象として考察した。細胞内共生は真核細胞の出現という進化史上もっともインパクトのある現象を引き起こしたことはいうまでもなく(Margulis, 1981)、自然界に広く見られる現象である(Buchner, 1965)。相利共生関係に至ったものに関して、その共生体の多くは代謝面で宿主に貢献している(Moran and Wernegreen, 2000)。この点に注目し、物質循環を基盤とする生態系生態学のアナロジーとして細胞内の代謝を定式化した。

生態系では植物、動物、微生物がそれぞれ生産者、消費者、分解者としての役割があり、物質循環が成立している。階層の異なる細胞内の代謝系にも同じような物質循環が見られることが最近の細胞生物学の知見から分かってきた(Mizushima, 2005)。それならば、細胞内においても生態系と同様に構成要素に役割を持たせることができるのではないだろうか。そこで、細胞内で代謝を制御する酵素を「生産者」に、宿主から資源を搾取する細胞内共生者を「消費者」に当てはめた。細胞質内で宿主自身の酵素やオルガネラ、または細胞内に侵入してきた細菌などを分解するシステムであるオートファジー(Nakagawa et. al.,2004)を分解者の役割として、次の場合について解析した。(1)宿主内に共生者がいない場合、(2)宿主が成長のために利用する代謝物を共生者が直接に搾取する場合、(3)共生者は宿主の中間代謝物を搾取することによって間接的に宿主の代謝に貢献する場合。連立微分方程式の局所安定解析によって、以下の帰結を得た。(a)共生者は宿主の分解から逃れることができるだけの増殖率が要求される。(b)共生体が相利共生関係を構築するためには宿主にある閾値以上の細胞サイズが要求される。(c)相利共生関係は共生体の代謝循環流を増大させる。これらの帰結は自然生態系の解析結果(Loreau, 1995)と共通するものであり、細胞内代謝系における共生者の間接的貢献に関わる進化のロジックを解明できた。

第3章 生態系における消費者の生態系プロセスに及ぼす影響

細胞内共生が進化するきっかけの一つに、システム全体が飢餓状態にさらされるというものがある(Jeon and Lorch, 1967; Todoriki et.al., 2002)。2 章で解析した細胞内共生の進化条件においても、自然生態系での相利共生関係の進化過程に共通パターンがあるなら、自然生態系においても飢餓状態が相利関係を進化させるきっかけとなる可能性がある。自然生態系では生産者(植物)に対して消費者(植食者)が中程度の摂食力をもつ場合には、分解過程をより速く循環させ、引いては生態系の一次生産を最大化させる (Loreau, 1995)。生物の生産性がその個体の適応度に正の相関があると仮定すると、消費者は生産者にとってポジティブな影響を持つことになる。このような影響は陸域、水域、あるいは生食・腐食連鎖に関わらずあらゆる生態系にみられるパターンである。

しかし、消費者自身の生産性、適応度を考えると、生産者との間に利害が一致するとは限らない。この章では、定常状態にある生産者と消費者の生産性には最適な摂食に対して不一致があることを示した上で、生態系内への栄養流入が安定供給されないような変動環境下で、両者の生産性がどのように変化するかを確かめた。栄養流入が途絶えると、それを固定して成長する生産者の一次生産がおちるが、消費者の存在下では、栄養塩の素早いリサイクルを通して生産性の低下が緩和されうることが明らかになった。断続的に栄養流入がある場合、外部からの栄養塩供給が乏しくなるほど、消費者の緩和効果が顕在化する。このため、たとえ栄養が豊富な場合に一次生産を落としてしまうような強い摂食をおこなう消費者であっても、変動環境下では一次生産を高い水準に維持できるのである。また、一次生産を維持する生態系は、変動周期を通しての生物量、生産性の変動性が小さく保たれ、物質循環の点から恒常性が維持されることが明らかとなった。変動環境下ではより高い摂食圧が一次生産を最大化するので、一次、二次生産の間のコンフリクトも緩和される。つまり、栄養飢餓的な状況は両者を相利関係へと導く効果があることが示唆された。

第4章 飢餓状態が細胞内共生の進化に与える影響

第2章の結果より、細胞内共生者が宿主と相利関係を結ぶ条件が明らかとなり、その一つとして共生者が宿主の代謝機能を補填することがある。これは実際に相利関係を結んでいる細胞内共生に見られ、相補的な代謝をおこなう高度に組織化した共生関係の事例に共通しているパターンである。しかし、このような都合の良い物質のやり取りを共生関係の初期段階から行っていたとは考え難い。第3章でも示したように、栄養飢餓状態では寄生関係にあった共生系が絶対相利関係へと関係性が転換した実験報告(Jeon and Lorch,1976)を鑑みれば、栄養環境が変動する場合には内部寄生者が宿主に有益に働く可能性がある。第2章で宿主と共生者の相互作用の中心的役割を担っていたオートファジーは、真核生物の栄養状態に応じて細胞成長などと一緒にTOR (Target of rapamycin)と呼ばれるシグナル伝達系の制御を受けている(Wullschleger, 2006)。TOR 制御により真核細胞はアミノ酸欠乏などの栄養飢餓に応答してオートファジーを過剰発現し、急場をしのぐことが近年明らかになってきた(Mizushima, 2005)。

第2章で組み立てた連立微分方程式系モデルにTOR による制御を取り入れ、数値シミュレーションを行った。生態系の消費者と同様に、共生者が飢餓状態を通してその関係性を寄生から相利共生へ転換させることがわかった。この内部共生者は栄養条件が良好なときに寄生者として振る舞うが、自身が栄養貯蔵として機能することで宿主に対して利益をもたらす。内部共生は宿主に栄養貯蔵という新規機能を付与することが示唆された。

第5章 総合考察

本研究により、定常状態において内部共生が相利関係を結ぶ条件、そして変動環境下で共生者の関係性が寄生から相利共生に変化しうることが明らかとなった。従来のシナリオとして、細胞内共生については寄生の搾取度合いが低下するなどを通してやがて相利関係に至るという見方に対して、本解析では相利関係を築く共生者は宿主に対して代謝能力の付与、そして栄養飢餓状態では栄養貯蔵としての新規機能をもたらすことによって宿主と一体化していくということが示された。

生態系の消費者は中程度の摂食圧をもつものが生産者の生産性を押し上げ、変動環境下において生態系内の物質循環に対して恒常性を増す効果があることが新たに示唆された。また、変動環境において一次生産を低下させる強い摂食をもつ消費者が、生態系内への侵入・存続の難しさが示唆され、生産者-消費者の共進化を考える際に、生態系がおかれる環境条件によって関係性に制約がかかることが予想された。

従来の進化生態学における共生の進化は、適応度を指標として寄生から相利共生へ一方向への進化動態を示してきた。それに対して、本研究は相利共生関係が構築されるための具体的な条件を明示し、宿主と共生者の関係性が生活する場の変動環境条件によって転換可能であることを示した。さらに、新たな要素をシステムの外から加えるような共生によってシステムの物質循環の恒常性が維持されるという性質は、複雑適応系の性質を具現化している。生態系であれ細胞代謝系であれ、相利共生関係の構築は複雑適応系の一つとして普遍的な性質を備えていることを明確に示すことが出来たといえる。

審査要旨 要旨を表示する

自然界には異種間で密接に生活する共生の生活様式をとる場合がしばしば見られる。共生には寄生から偏害作用、偏利共生を経て、相利共生まで広い関係を包含するが、進化学的な視点では、相利共生はまず寄生から始まったと考えられる。従来、この視点から進化ゲーム理論によって寄生から相利共生への進化の解析がなされてきた。しかしこれらの解析は寄生者のコストとベネフィットをもとに適応度を計算するもので、共生体となった複合生物自身にどのような変化が起こるかに注目したものではない。

一方、自然生態系では植物、動物、微生物がそれぞれ生産者、消費者、分解者としての役割があるが、Loreau(1995)は消費者の存在による物質循環の促進効果を取り上げ、生態系を通過する物質循環のフラックスが最大化されるモデルを解析している。申請者はこのモデルに着目し、細胞内共生もコンパクトな生態系であるとの視点から、細胞内代謝系に共生者が存在することでどのような影響が及ぶのかを、細胞内代謝系での物質循環の連立常微分方程式で理論解析した。

第1章は序論であり、真核細胞のミトコンドリアや葉緑体だけでなく、自然界に広く見られる現象であることを多くの事例を挙げて説明している。第2章では、近年細胞生物学で明らかになった細胞内代謝系の分解経路であるオートファジーを取り上げ、これをモデルに取り込んでいる。オートファゴソームは細胞内の生体高分子やオルガネラ、侵入した病原体などを包んで消化する膜系で、低分子の中間代謝物(アミノ酸やヌクレオチドなど)へと分解する。宿主細胞と共生者は、生物材料分子(ピルビン酸やグルコース6リン酸)や中間物質を利用して生活する。宿主細胞の合成する酵素を「生産者」、共生者を「消費者」、オートファゴソームを「分解者」と見なした連立常微分方程式系の線形安定性解析をもとに、以下の結論を得た。(a)共生者は宿主の分解から逃れることができるだけの増殖率が要求される。(b)共生体が相利共生関係を構築するためには宿主にある閾値以上の細胞サイズが要求される。(c)相利共生関係は共生体の代謝循環流を増大させる。これらの結果は自然生態系のLoreau(1995)の解析結果と共通するものであり、細胞内代謝系における共生者の間接的貢献を解明できた。この2章の内容は細胞内共生モデルとしては画期的なものとなっている。

第3章の自然生態系では、定常状態にある生産者と消費者の生産性には最適な摂食に対して不一致があることを示した上で、系内への栄養流入が供給されない飢餓状態が繰り返し生じる変動環境下では、両者の生産性がどのように変化するかを解析した。栄養流入が途絶えると、それによって生産者の一次生産が減少するが、消費者が存在した場合には栄養塩プールへの迅速なリサイクルを通して生産性の低下が緩和され、条件によっては、かえって生産者の生産性が向上する結果も見られた。また、一次生産を維持する生態系は、変動周期を通しての生物量の変動性が小さく保たれ、物質循環の点から恒常性が維持されることが解明された。栄養が豊富な場合には一次生産を落としてしまうような強い摂食をおこなう消費者であっても、変動環境下では一次生産を高い水準に維持できる。変動環境下では、より高い摂食圧が一次生産を最大化するので、一次、二次生産の間の不一致も緩和される。よって、飢餓状態では両者を相利関係へと導く効果が示唆された。先行研究のLoreauグループのモデル(de Mazancourt et al.(1998)など)をより現実的な環境変動下での条件に拡張して解析したものであり、独創性が高く評価された。

第4章では、この第3章の飢餓状態での解析を、もう一度、細胞内代謝系に置き換えている。最近の細胞生物学では、アミノ酸欠乏などの栄養飢餓に応答してオートファジーを過剰発現するTOR(target of rapamycin:インスリン増殖経路の一部)のシグナル伝達系の制御が明らかになったので、これを連立微分方程式系モデルに取り込んでいる。この共生者は栄養条件が良好なときには寄生者として振る舞うが、飢餓状態になると、共生者自身があたかも栄養貯蔵器官として新しい機能を付与することで、宿主に対して利益をもたらすことが解明された。第5章は総合考察であり、全体の帰結や章間の関連性について考察している。

以上をまとめると、自然生態系の挙動解析と細胞内代謝系を同一の視点で両面から解析し、von Bertalanffy(1968)の一般システム理論の言葉を借りれば、自然生態系と細胞内代謝系という階層が異なる系を貫く一般原理の同形性を究明するという点で、細胞内共生について新しく深い理解を提示したと言える。広域システム科学系の学位論文としては申し分なく、したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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