学位論文要旨



No 124233
著者(漢字) 今井,美沙
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ミサ
標題(和) ヒト顆粒膜細胞腫悪性化機構に関与する遺伝子群の同定
標題(洋)
報告番号 124233
報告番号 甲24233
学位授与日 2008.12.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第403号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 渡邊,俊樹
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 古川,洋一
 東京大学 教授 吉田,進昭
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

卵巣癌は婦人科系癌の中で致死率が最も高いことが報告されている。卵巣は様々な細胞で構成されることから、多様な腫瘍が発生することが知られている。卵巣腫瘍は、表層上皮性・間質性腫瘍、胚細胞性腫瘍、性索・間質性腫瘍とその他の四種類に分類される。また、悪性度を指標として、良性腫瘍、悪性腫瘍および境界悪性腫瘍に分類され、組織学的にも最も変化に富んだ腫瘍のグループである。

顆粒膜細胞腫は、境界悪性腫瘍に分類され、エストロゲン産生細胞である原始卵胞の上皮細胞(顆粒膜細胞)に由来する。卵巣癌と診断される全症例に占める顆粒膜細胞腫の割合は1~2%と少ないものの、20年後の生存率は極めて低い。また、初期の発症から再発・転移に数十年を要することや悪性度の低い病巣の方が再発・転移しやすいことなどから、穎粒膜細胞腫の悪性化は特殊な分子機構を介するものと推測される。穎粒膜細胞腫の好発年齢が更年期であることや発症のリスクが不妊治療により上昇する可能性も報告されていることから、性ホルモンの関与が示唆されているが、未だ決定的な証拠は得られていない。また、顆粒膜細胞腫特異的な腫瘍マーカーは明らかになっておらず、早期診断法および効果的治療法が得られるには至っていない。

そこで、本研究では、顆粒膜細胞腫の悪性化機構解明を目標として、顆粒膜細胞腫細胞株KGN細胞を用い、詳細な細胞特性解析を行うとともに、正常顆粒膜細胞との比較による差異的トランスクリプトーム解析を行い、顆粒細胞腫悪性化に関わる遺伝子群の同定を試みた。

KGN細胞の特性

KGN細胞は、癌細胞の特性を示すのみならず、アロマターゼ活性、ホルモン受容体の発現やプロゲステロン産生など、顆粒膜細胞の性質も保持していることがすでに報告されている。加えて、予備実験の結果から、継代を重ねるにしたがって増殖速度を著しく増していくことが明らかとなってきた。そこで、この結果を検証するため、異なる継代数のKGN細胞を用いて、細胞増殖能の測定を行ったところ、継代数を重ねた細胞(継代数47以上)は継代数の少ない細胞(継代数10以下)の約2倍の速度で増殖していることが示された。次に、異なる継代数のKGN細胞の浸潤能を明らかにするため、細胞浸潤アッセイを行ったところ、継代数を重ねた細胞は継代数の少ない細胞の約2倍の浸潤能を示し、増殖能と同様に浸潤能も顕著に上昇することが明らかになった。また、マイトマイシンC処理により増殖能を抑制したKGN細胞を用いた場合でも同様の結果が得られたことから、増殖能とは無関係に浸潤能を高めていると考えられる。以上の結果から、KGN細胞は継代により癌の特性を高めていることが明らかとなった。

次に、継代数を重ねたKGN細胞と継代数の少ない細胞の性質の変化を分子レベルで証明するため、それぞれの細胞における癌悪性化マーカーの発現解析を行った。その結果、顆粒膜細胞腫の腫瘍マーカーの一つであるp53は、継代数の増加とともに顕著に発現坑進していることが明らかとなり、同様に、他の細胞腫の悪性化マーカーとして知られるOPNやBag1などの発現も継代とともに増加していることを確認した。一方、悪性化マーカーの一つであり、アポトーシス促進分子として知られるBaxの発現は顕著に減少していることが明らかとなった。これらの結果は、いずれも細胞の継代を進めるにしたがってKGN細胞の性質が変化していることを示す重要な証拠であると考えられる。

さらに、KGN細胞の特性変化の原因として、FSH、LH、hCGなどのホルモンや脂質、酸化ストレスが考えられることから、培養系にそれぞれのホルモンや脂質、過酸化水素を添加してKGN細胞の増殖能や浸潤能に及ぼす影響を検討したが、特に、KGN細胞の特性変化は認められなかった。また、ステロイド産生細胞であるKGN細胞は血清中の脂質を取り込んで細胞を活性化させていると考えられることから、リポタンパク質などを除去した血清を用いて細胞培養を試みたが、同様に変化は認められなかった。したがって、KGN細胞の体外培養系における増殖能や浸潤能の変化については、ホルモンやストレスとの関連は否定的であると考えられるが、in vivoの状況とは異なることから、これらの分子がin vivoでは重要な関連因子である可能性も否定できない。

次に、in vivoにおけるKGN細胞の特性を明らかにするため、継代数の異なるKGN細胞をヌードマウスの皮下に移植し、1週間おきに3ヶ月間観察を行った。継代数の相違に関わらず、移植後1週間目までは皮下において注入した細胞塊が観察されたものの、2週間目以降皮下におけるKGN細胞の増殖は目視で確認することができなかった。しかしながら、3ヶ月後、継代数を重ねたKGN細胞を移植した皮下において細胞が増殖していることが確認され、腹腔内を観察したところ、細胞の継代数に関わらず腸で結節が確認された。腸に新生した結節数は継代を重ねた細胞を用いた方が少ない細胞を用いた場合よりも顕著に多いことから、体外培養系におけるKGN細胞の特性および進行、転移速度の遅い顆粒膜細胞腫の特性をin vivoにおいても再現していると考えられる。

以上の結果から、KGN細胞がin vitroのみならずin vivoにおける顆粒膜細胞腫悪性化のモデル細胞として非常に有用であることが示された。また、皮下から腹腔内に転移する細胞株は現在までほとんど報告されておらず、顆粒膜細胞腫のみならず広く癌浸潤、転移機構を解明する上でも非常に有用な細胞株である可能性が示唆された。

顆粒膜細胞腫特異的遺伝子の同定

顆粒膜細胞腫悪性化の分子制御機構には、顆粒膜細胞腫自身によって作られるエストロゲンの作用や抗アポトーシス機構の活性化などが関わっているという報告があるが、未だに証明には至っていない。また、マウス顆粒膜細胞腫モデルでは、Wnt/β-cateninのシグナル伝達機構が関わっている可能性について報告されているものの、ヒト顆粒膜細胞腫でこれを支持する結果は得られていない。現在まで、顆粒膜細胞腫の悪性化を司る分子機構はほとんど明らかになっておらず、将来的に検査法や治療法を改善する上で情報の蓄積が必須である。そこで、顆粒膜細胞腫悪性化に関わる遺伝子群の同定を目的として、KGN細胞および正常顆粒膜細胞との比較による差異的トランスクリプトーム解析を行った。

データ解析の結果、顆粒膜細胞腫悪性化の原因遺伝子として報告されているWnt/β-cateninなどの発現は、予想に反して比較的変化に乏しいことが明らかとなった。また、ステロイド合成に関与する分子群の発現は全体的に減少傾向にあり、KGN細胞ではステロイド合成が不活発になっていることが示唆された。その他、アポトーシスやストレスに関与する遺伝子群の発現は抑制傾向が認められ、細胞の生存性が高まっていることが推測された。一方、正常顆粒膜細胞とは異なり顆粒膜細胞腫は増殖能を示すことからも予想されるように、増殖に関連する遺伝子群は大きく変化していることが明らかとなった。さらに、細胞外マトリックスを含む細胞接着を制御する遺伝子群の発現も大きく変化していることが明らかとなり、顆粒膜細胞腫の悪性化とともに接着機構が変化している可能性が示唆された。KGN細胞は高い浸潤能を示すにもかかわらず、予想に反して浸潤能と関わる遺伝子群の変化は小さいことが明らかとなったが、細胞外マトリックスの切断に直接的に関わるMMP2の発現は強く亢進しており(72倍)、KGN細胞の浸潤能を調節しているものと考えられる。

以上の結果をもとに、正常細胞には発現が認められずKGN細胞で強く発現が認められる30遺伝子に着目して、継代数の異なるKGN細胞で発現亢進する遺伝子群の選別を行い、顆粒膜細胞腫悪性化に関与する遺伝子群の同定を試みた。これらの遺伝子のうち、9遺伝子(STC2、GPRC5B、LOXL1、LOXL2、BMP1、CREB3L1、FAM38B、COL1A1、NRXN3)は継代数の増加とともにKGN細胞でさらに発現量が増加することが明らかとなり、顆粒膜細胞腫の悪性化と関連する候補遺伝子群であると考えられる。これらの遺伝子群に関して既に報告されている知見から、顆粒膜細胞腫悪性化分子機構にはコラーゲンのリモデリングが関与すると予想される。一方、現在まで機能解析が進められていない遺伝子も含まれており、顆粒膜細胞腫特異的な悪性化機構との関連が注目される。これまで、これらの9遺伝子が顆粒膜細胞腫悪性化機構と関連するという報告は見られず、新たな分子マーカーとしても利用価値が高いものと考えられる。

結論

本研究では、顆粒膜細胞腫悪性化機構の解明に向けて、非常に有用なKGN細胞の特性解析を進めてきた。体外培養系において細胞継代を進めるにしたがい、KGN細胞は増殖能、接着能および浸潤能を高め、マウス実験系では皮下におけるゆっくりとした増殖と腸管への転移性を示すことが明らかとなった。また、KGN細胞と正常顆粒膜細胞を用いた網羅的遺伝子発現解析の結果から、細胞外マトリックス(コラーゲン)のリモデリングが悪性化と関わる可能性が示唆され、いくつかの候補遺伝子を選別することに成功した。本研究により得られた新たな知見は、顆粒膜細胞腫の悪性化機構の解明、検査法および治療法の開発の基礎となるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、顆粒膜細胞腫の悪性化機構解明の為に、顆粒膜細胞腫細胞株KGN細胞が有用であることを明らかにしようとした。KGN細胞は継代を重ねるごとに細胞の増殖速度および浸潤能が亢進した。継代を重ねることによって悪性化したKGN細胞はヌードマウスへの皮下移植によって腫瘍形成能を獲得した。同時に腸管への転移形成が観察され、結節数は継代数に応じて顕著に増加した。継代数の異なるKGN細胞および正常顆粒膜細胞を用いた発現遺伝子解析により、がん細胞の増殖、浸潤、細胞死などにかかわりを持つ様々な遺伝子の発現変化を見出した。

顆粒膜細胞腫細胞株KGNの細胞特性

1.KGN細胞は、癌細胞の特性を示すのみならず、アロマターゼ活性、ホルモン受容体の発現やプロゲステロン産生など、顆粒膜細胞の性質も保持している

2.継代を重ねるにしたがって増殖速度を著しく増していく。

3.異なる継代数のKGN細胞を用いて、細胞増殖能およびマトリゲルに対する細胞浸潤能の測定を行ったところ、継代数を重ねた細胞(継代数47以上)は継代数の少ない細胞(継代数10以下)の約2倍の増殖能および浸潤能を示す。

4.腫瘍マーカーとして悪性化に伴って発現が上昇するp53、OPNおよびBag1の発現亢進し、悪性度に伴い発現が減少するBaxの発現は顕著に減少していることが明らかとなり、細胞の継代を進めるにしたがってKGN細胞の性質が変化し、腫瘍としての特性を増していることが示された。

5.KGN細胞のin vitroにおける増殖能や浸潤能の変化については、ホルモンやストレスとの関連は否定的である。

6.継代数の異なるKGN細胞をヌードマウスの皮下に移植し、3ヶ月間観察を行ったところ、皮下における造腫瘍は継代を重ねた細胞でのみ観察された。

7.KGN細胞は皮下から腸への転移能をもち、腸に新生した結節数は継代を重ねた細胞を用いた方が少ない細胞を用いた場合よりも顕著に多い。

正常顆粒膜細胞とKGN細胞の発現遣伝子解析

8.マウスにおいて顆粒膜細胞腫悪性化の原因遺伝子として報告されているWnt/β-cateninなどの発現は予想に反して比較的変化に乏しい。

9.ステロイド合成に関与する分子群の発現は全体的に減少傾向、アポトーシスやストレスに関与する遺伝子群の発現は抑制傾向が認められた。

10.増殖に関連する遺伝子群、細胞外マトリックスを含む細胞接着を制御する遺伝子群の発現は大きく変化し、浸潤能と関わる遺伝子群の変化は小さいことが明らかとなった。

11.正常細胞には発現が認められずKGN細胞で強く発現が認められる30遺伝子のうち、9遺伝子(STC2、GPRC5B、LOXL1、LOXL2、BMP1、CREB3L1、FAM38B、COL1A1、NRXN3)が継代数の増加とともにKGN細胞でさらに発現量が増加することが明らかとなった。

本研究では、ヒト腫瘍細胞株として非常にまれな顆粒膜細胞腫由来KGN細胞を用いて細胞生物学的な特性を解析した。この結果、KGN細胞が継代数の増加にしたがって増殖能、接着能および浸潤能を高め、マウスへの皮下移植実験において皮下から腸に転移する頻度を増すというヒト腫瘍細胞株として極めて珍しい性質を示すことを明らかにした。また、発現遺伝子の解析から、顆粒膜細胞腫の悪性化にかかわる可能性がある候補遺伝子を多数同定した。以上の結果により、KGN細胞が顆粒膜細胞腫悪性化機構の解明に極めて有用であることが明らかとなった。本研究により得られた新たな知見は、顆粒膜細胞腫の悪性化機構の解明、検査法および治療法の開発の基礎となるものと考えられる。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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