学位論文要旨



No 124238
著者(漢字) 桑谷,立
著者(英字)
著者(カナ) クワタニ,タツ
標題(和) プレート境界における脱水変成作用と吸水変成作用 : 丹沢山地の変成岩と三波川帯中の五良津エクロジャイト岩体の岩石学的研究
標題(洋) Dehydration and rehydration metamorphism in plate-boundary zones-Petrological studies of metamorphic rocks in Tanzawa Mountains and Iratsu eclogite mass in the Sambagawa metamorphic belt
報告番号 124238
報告番号 甲24238
学位授与日 2008.12.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5276号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小澤,一仁
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 鳥海,充弘
 東京大学 准教授 田近,英一
 東京大学 准教授 岩森,光
内容要旨 要旨を表示する

脱水・吸水変成作用によって生産・輸送・消費される流体(水)は、プレート境界域のさまざまなダイナミクス(たとえば、プレートの物質変化や島弧火山活動・地震活動・造山運動など)にとって重要な役割を果たす。また一方で、流体の存在やその挙動は脱水・吸水変成作用の進行そのものに決定的な影響を与える。従来の変成岩岩石学では、鉱物組み合わせと鉱物化学組成から岩石の温度圧力履歴を復元することを主要な目的としてきたため、流体を定量的に取り扱った研究は不十分である。本研究は、プレート境界で起こる脱水・吸水変成作用の進行過程とその物理機構を、天然系の解析と物理モデルの構築を通して明らかにすることを目的とした。本研究の前半(1・2章)では、どちらもプレート境界変成岩である丹沢山地に産する変成岩類と三波川変成帯中の五良津エクロジャイト岩体を対象にして、岩石記載・組成分析・熱力学解析から、脱水・吸水変成作用時の反応場や反応プロセス、反応進行度の空間分布などについて定量評価を行った。本研究の後半(3・4・5章)では、熱力学相平衡論に加えて質量保存則や物質移動論・反応速度論などを新たに考慮することで、脱水・吸水反応進行の物理モデルの構築と予測的な数値計算を行った。また、それぞれ得られた結果から、脱水・吸水変成作用がプレート境界のダイナミクスに及ぼす影響についても考察を行った。具体的な内容を以下に示す。

1章 ギブス法による丹沢変成岩の温度圧力経路の解析

伊豆衝突帯に位置する丹沢山地には海洋性島弧地殻に相当する低圧塩基性変成岩と深成岩が広く露出している。本研究では主に、緑色片岩・角閃岩中に含まれる角閃石の化学組成に注目した。緑色片岩中の角閃石は、コアからリムにかけてアクチノ閃石→ホルンブレンド→チェルマク閃石のように幅広い組成累帯構造を持つ。一方、研究地域の東側では、逆にチェルマク閃石→ホルンブレンド→アクチノ閃石のように変化する。これらの角閃石の組成累帯構造から個々の岩石の温度圧力経路を熱力学的な解析(ギブス法)によって推定した。ギブス法では、累帯構造を示す角閃石の組成変化(dXs)を熱力学相平衡の式に独立変数として与えることで、温度・圧力変化を含む従属な変数(dT、dP、dXs:共存鉱物の組成変化)を得る。計算の結果、アクチノ閃石→チェルマク閃石のタイプは温度圧力が共に単純増加し、チェルマク閃石→アクチノ閃石のタイプは温度圧力が共に単純減少する温度圧力履歴をそれぞれ復元できた。dP/dTは両方のパスで一致し、およそ2.5MPa/℃程度である。得られた温度圧力履歴は、島弧地殻の衝突・付加に伴った、沈み込みプロセスと上昇プロセスをそれぞれ意味するものと推測される。上昇時のPTパスは後退吸水反応の進行に対応している。よって、後退吸水変成反応は空間的に不均質に進行することがわかった。

2章 五良津エクロジャイト岩体の吸水変成反応進行の定量評価

四国三波川帯高変成度地域に存在する五良津エクロジャイト岩体は、その上昇時に大規模な後退吸水変成作用を被ったため、ほとんどが角閃岩化している。岩体中には吸水反応の進行を示す痕跡が数多く存在するため、沈み込み帯深部の吸水変成作用の進行過程や空間分布を明らかにするのに非常に適している。本研究では特に、エクロジャイト相鉱物が低温含水鉱物によって元の外形を保持しながら置換された組織(シュードモルフ)に注目した。このシュードモルフについて組成分析および画像分析を行い、反応の前後に質量保存則を用いることで、後退吸水変成作用時の化学反応を特定し、反応進行度と吸水量・物質移動量を見積もることが可能である。この手法を岩体の中心から縁辺部まで適用し、詳細なマッピングを試みた。これらの結果から、吸水反応進行に関して以下の知見が得られた。

吸水変成反応は、吸水変成反応とは違って、水の外部からの供給に律速されるため、しばしば本来は非平衡な鉱物が残存している。よって、反応進行はこのような非平衡鉱物を分解(溶解)しながら新しい平衡鉱物が生成、成長(析出)する。

岩体の中心部では、吸水反応進行度が小さくエクロジャイト相鉱物が残存し、吸水反応は以下のようにシュードモルフを形成する置換反応として進行する。

ザクロ石+水→角閃石(パーガス閃石)+緑簾石、

オンファス輝石+水→角閃石(ホルンブレンド)+斜長石

上式からわかるように、元の鉱物の種類によって、生成物の鉱物組み合わせ・鉱物の化学組成が異なる。このとき、各シュードモルフ間で部分的に元素を交換し合うが、系全体ではおおよそ閉鎖系を保つようなザクロ石・オンファス輝石の分解反応進行度の比を持つ。岩体の中心部では、シュードモルフごとにサブシステムを形成するような不均質な「局所平衡系」であったと推測される。

一方、岩体の縁辺部では、エクロジャイト鉱物はほぼすべて消滅し置換反応の痕跡がほとんどない。角閃石(バロア閃石)+緑簾石+斜長石±緑泥石の鉱物組み合わせを持ち、角閃石の組成は均質でバロア閃石である。これはザクロ石+オンファス輝石+水→角閃石(バロア閃石)+緑簾石+斜長石±緑泥石の反応が均質に進行したことを示唆する(均質完全平衡系)。

この2つの対照的な反応・平衡様式は岩体の中心部から縁辺部にかけて漸次的に遷移することがわかった。また、吸水反応の進行が変形構造の強さや物質移動量、岩相などに対して強い相関を持つことが定量的に示された。反応機構は、粒間拡散と表面反応速度の比によって支配され、流体の存在形態と量に強く影響される(5章)。五良津岩体中でみられる反応組織・反応進行度の空間的遷移は、岩体外部からの流体浸入過程を直接的に記録している。

3章 塩基性岩の脱水変成作用の前進解析

1章の温度圧力経路解析で用いたギブス法に、新たに質量保存則を制約条件として加えることで、任意の温度圧力経路(dP,dT)から鉱物の物質量・化学組成(dMs,dXs)の変化を解析することが可能である(微分熱力学フォーワードモデル)。天然系の解析などから示唆されるように、脱水変成作用は比較的均質に進行するため、均質完全平衡の仮定がある程度妥当である。本研究では、沈み込むスラブの温度圧力経路を与えることで、各深度に対応した海洋地殻からの連続的な脱水量プロファイル(dMwater)を計算した。典型的な温度圧力構造を持ついくつかの沈み込み帯に適用した結果、計算によって得られた脱水量のピークの深度と、観測されるやや深発地震・高ポアッソン比異常・スロースリップ/低周波微動などの発生深度が一致することが明らかになった。この結果は、沈み込み帯深部の地震発生要因としての脱水不安定仮説を強く支持する。また、連続的な脱水量を定量的に決定できることは、脱水不安定仮説の物理的なメカニズムを考えるうえで重要である。

4章 塩基性岩の吸水変成作用の前進解析

五良津エクロジャイト岩体の解析(2章)から明らかになったように、吸水変成反応は、外部からの流体供給に強く依存し、本来なら不安定な残存非平衡鉱物を分解しながら進行する。よって、3章で開発した前進解析モデルをそのまま用いることはできない。そこで、質量保存則を書き換えることで、吸水変成作用の前進解析モデル(dP,dT,dMwater→dMs,dXs)を開発した。このモデルでは残留エクロジャイト鉱物(ザクロ石とオンファス輝石)が分解減少し、新たに平衡な含水鉱物が成長する様子を解析可能である。本章では簡単のため反応速度論的な扱いが必要な「局所平衡系」は考慮しなかった。

このシミュレーションを高温と低温の沈み込み帯の温度圧力条件下で行った。数値計算の結果、高温側では角閃石、低温側では緑簾石・緑泥石が多く成長すること、高温側の方が少ない水の供給量でエクロジャイト鉱物を分解し効果的に密度が低下すること、などがわかった。このことは、高温の変成帯の方が、蛇紋岩を伴わなくても、吸水変成作用によって得た自らの浮力で上昇する可能性を示唆する。これは、世界各地の沈み込み帯に産出するエクロジャイトの地質学的産状とその上昇時の温度圧力履歴をコンパイルした結果とも調和的である。

5章 新しい流体変成作用モデルの構築

天然系の観察・解析(1章・2章)によって明らかになった、脱水・吸水変成作用の反応組織・平衡様式・律速過程を説明するために、固溶体水溶液化学平衡・表面反応速度・粒間拡散を考慮した単純なカイネティックモデルを新たに構築した。系の挙動は各元素(i)の粒間拡散係数に対する表面反応速度の大きさを表す無次元パラメータ γi によって支配され、局所平衡系(不均質・置換反応・拡散律速)から、完全平衡系(均質・反応律速)まで変化する。γiはシステム中の流体の存在形態と量に強く依存するため、五良津岩体の中心部と縁辺部との顕著な岩石組織・反応進行様式の違い(2章)は、流体の存在量に起因するものと推測される。さらに、本モデルを複雑な固溶体反応についても扱えるように拡張し、ザクロ石-オンファス輝石シュードモルフについてのフォーワードモデルを構築した。γiパラメータの値を調整することによって、五良津岩体の中心部と縁辺部の吸水反応をそれぞれ再現できた。

この流体変成作用モデルを発展させることにより、天然系でみられる岩石組織や化学組成から、反応速度論的な変数や流体量・水溶液組成などについてのインバージョンが可能になるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

この流体変成作用モデルを発展させることにより、天然系でみられる岩石組織や化学組成から、反応速度論的な変数や流体量・水溶液組成などについてのインバージョンが可能になるだろう。

まず、これまでの沈み込み帯変成作用のレビューを行った上で変成作用に関する問題点を整理したイントロダクションに続く第一章は、海洋性島弧地殻の断面が露出する丹沢変成帯の温度圧力経路の推定に関する章である。平衡近似の適用可能性を検討した上で、平衡熱力学に基づいて鉱物の累帯構造から温度圧力変化を推定できるギブス法を角閃石の累帯構造に適用し、前進脱水反応の進行に対応して温度圧力が共に単調増加する経路(dP/dT~2.5MPa/℃)と、後退吸水反応の進行に対応して温度圧力が同様のdP/dTで共に単調減少する経路が、地域的に分かれて分布することを見出している。この結果に基づいて、空間的に不均質に進行する後退吸水変成反応の特徴を明らかにし、ほぼ同様のdP/dTで前進・後退変成作用を経験している点に注目し、島弧地殻の衝突・付加に伴った沈み込みと上昇過程について考察している。

第二章では、四国三波川帯高変成度地域に存在する五良津エクロジャイト岩体の後退吸水変成反応の定量的評価を行っている。岩体中央部の後退吸水反応組織は、無水条件でより安定である粗粒な鉱物(エクロジャイト鉱物=ざくろ石+オンファス輝石)を低温高含水条件で安定な鉱物より成る細粒の反応縁(角閃石+緑簾石±斜長石等)が静的に置換するように取り囲む組織で特徴づけられる。本章では、この反応縁の化学組成と体積の測定結果に基づいて化学反応式の特定、反応進行度と物質移動量の推定を行い、ざくろ石とオンファス輝石の反応縁間で元素を交換し合うことで、水を除くほとんどの成分について局所的閉鎖系を保ちつつ吸水反応が進んだことを明らかにしている。さらに、この反応組織は、岩体縁辺部にむかって、強い変形を示唆する伸張自形等粒状鉱物(バロア閃石+緑簾石+斜長石±緑泥石)で特徴づけられる均一組織に漸次的に遷移していることを述べ、縁辺部では、エクロジャイト鉱物の吸水反応が、空間的に均質な大域平衡に向かってより進行したと結論している。このように、岩体の内部から縁辺部に向かう吸水反応進行度、変形強度、物質移動量の増加を定量化することで、吸水反応が岩体外部からの流体浸入によって引き起こされ、粒間拡散と表面反応速度の比および流体の存在形態と量によってその進行度が支配されていたことを明らかにしている。

第三章ではギブス法に、新たに質量保存則の制約を加え、任意の温度圧力変化から鉱物の物質量・化学組成変化を決定する微分熱力学フォーワードモデルを構築し、塩基性岩系の脱水変成作用の前進解析を行っている。天然系では脱水変成作用が比較的均質に進行するという一般則に基づいて、フォーワードモデルを脱水反応へ適用する妥当性を述べた上で、沈み込むスラブの温度圧力経路を与え、海洋地殻からの脱水量をスラブの温度と深度の関数として推定している。その結果に基づいて、脱水量がピークに達する深度が、高ボアッソン比異常・スロースリップ・低周波微動等の特異性を持つ、沈み込み帯の中深度地震の発生深度と一致することを明らかにし、沈み込み帯深部の地震発生要因として脱水不安定が重要な役割を果たしていると結論している。

第四章は塩基性岩の吸水変成作用の前進解析の開発について述べている。吸水変成反応は、外部からの流体供給に強く依存し粗粒鉱物を分解しながら非平衡を保って進行するという第二章の五良津エクロジャイト岩体の解析結果に基づいて、第三章で取り扱った脱水反応の前進解析モデルを吸水反応にそのまま適用することはできない事を指摘した上で、質量保存則を改善することで吸水変成作用に適用可能な前進解析モデルを開発している。これによって高変成度で安定な鉱物が高含水条件で不安定となり縁辺部から分解しながら、含水鉱物が局所平衡を保って成長する非平衡吸水反応過程の解析が可能となった。エクロジャイトの吸水反応について本モデルを適用し、高温のスラブではより少ない水の供給量でエクロジャイト鉱物が分解され効果的に密度が低下することを明らかにしている。このことは、高温の変成帯は、浮力源となる蛇紋岩を伴わなくても、吸水変成作用によって得た自らの浮力で上昇する可能性を示唆しており重要な成果である。

第五章では、天然系の組織や鉱物化学組成から、脱水・吸水反応を支配する速度論定数、流体量、水溶液組成等のインバージョンをめざして、固溶体水溶液化学平衡・表面反応速度・粒間拡散を考慮した反応拡散モデルを新たに構築している。このモデルの挙動は元素の粒間拡散係数に対する表面反応速度の大きさを表す無次元パラメータに支配され、局所平衡系(不均質・置換反応・拡散律速)から、大域平衡系(均質・反応律速)にわたる反応系を取り扱うことが可能であり、応用における汎用性が高い。第二章で明らかにした五良津エクロジャイト岩体のざくろ石とオンファス輝石の反応縁系に適用し、各元素の無次元パラメータの値を最適化させることによって、五良津岩体の吸水反応様式の空間変化の再現に成功している。

本研究は、非常に困難とされてきた本質的に非平衡開放系である変成作用を閉鎖系平衡近似から開放系非平衡過程におよぶ様々なモデルと天然系からの情報抽出によって迫ったものであり、沈み込み帯における水輸送の理解にむけた岩石学的アプローチの端緒を開いたと言え、地球科学における意義は非常に大きい。よって本審査委員会は、全員一致で本論文が本学の博士(理学)の学位を授与するに値するものと認定した。

なお本研究の一部は、鳥海光弘氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったもので、その寄与が十分であると判断する。

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