学位論文要旨



No 124239
著者(漢字) 鄭,性喆
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ションチョル
標題(和) 九十九里浜海岸クロマツ林内におけるニセアカシアの繁殖生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 124239
報告番号 甲24239
学位授与日 2009.01.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3360号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 准教授 練,春蘭
 東京大学 准教授 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

ニセアカシアは,北米原産のマメ科樹木で,世界の温帯地域に広く植栽されている。日本では,街路樹や庭園樹,砂防樹種として各地に植栽され,薪炭材や良質の蜜源植物としても利用されてきた。海岸クロマツ林では,クロマツの生育を促進する肥料木として,ニセアカシアの混植が各地で行われた。他方,過去の植栽地からの逸出と考えられるニセアカシアの生物学的侵入が全国各地で確認され,海岸林の群落構造や生物多様性に影響を及ぼしている。今後,ニセアカシアを適切に管理するためには,本種の生態的特性を十分解明することが必要不可欠であろう。そこで本研究では,ニセアカシアの生態的特性を明らかにすることを目的として,九十九里浜海岸クロマツ林内に生育するニセアカシア個体群の繁殖特性をDNA多型解析に基づいて明らかにし,さらに林内における本種の分布決定に関わる要因を検討した。

海岸クロマツ林内に生育するニセアカシア個体群の繁殖特性

ニセアカシアは,種子による繁殖と根萌芽による栄養繁殖により分布を拡大することが知られている。しかし,海岸クロマツ林への本種の分布拡大過程において,それぞれの繁殖方法がどの程度寄与しているのかについては詳しく解明されていない。そこで,マイクロサテライト(SSR)マーカーを用いた多型解析により,本種のジェネットの分布域を調査し,海岸クロマツ林における本種の繁殖方法を考察した。さらに,ジェネット拡大を担う水平根の発達とラメット形成について,水平根上のラメット形成位置と水平根の肥大成長過程の調査により検討した。

クロマツ林内に,20 m×20 mの方形調査区を2ヶ所(P1とP2)設置した。また,海側の林縁から内陸に向かって汀線と垂直方向に110m,汀線と平行方向に40mの方形調査区(P3)を設置した。調査区内に生育するニセアカシアの全ラメットの立木位置を測定し,葉を採取した。採取した葉からDNAを抽出し,4個のSSR遺伝子座を用いて多型解析を行った。ニセアカシアのラメットは,いずれのプロットでも草本層から亜高木層まで見られた。P3では,ラメットは,調査区内の海側の林縁から20mまでの区域には存在せず,それよりも内陸側の区域に生育していた。これらのラメットの遺伝子型を調査してジェネットを決定した結果,P1で1個(G1),P2で9個(G2~G10),P3で3個(G11~G13)のジェネットが同定された。これらのジェネットのうち,G10以外は複数のラメットにより構成されており,7個は45~889ラメットから構成される大きなものであった。したがって,本調査地付近のクロマツ林内では,ニセアカシアは根萌芽による栄養繁殖により分布を拡大し,種子による繁殖はほとんど行っていないものと推測された。

P3の3個のジェネットの分布域は,互いにほとんど重なり合っていなかった。この理由を明らかにするために,まず,地上部のラメットの分布から推測されたG11とG12の分布域の境界部において,各5ラメットの水平根と水平根から発生していたラメットの位置を記録した。10ラメットの水平根のうちの3本は,ジェネット間の境界を超えて,隣のジェネットの分布域の中まで伸長していた。分布境界域付近での水平根からのラメットの発生は,異なるジェネットの分布域内では全く観察されず,過去に発生した痕跡も認められなかった。次に,この場所での水平根の成長過程を明らかにするために,3ラメットの水平根の年輪解析を行った。年輪数は,ラメットに近い部位に比べてラメットから1~2m離れた部位で2年分以上少なく,ラメットから離れた部位の年輪形成は1~3年分であった。水平根の1年目の年輪幅は,ラメットに近い部位と離れた部位との間に大きな差はなく,水平根全体でほぼ一定であった。栄養が水平根を通過する際に根の肥大成長を伴うと仮定すれば,以上のことは,ラメットから水平根への栄養供給は,伸長1年目にはラメットからの距離と関係なく行われるものの,2~4年目以降にはラメットに近い部位以外は急激に減少することを示している。水平根が伸長していくためには,そのための栄養供給源が必要であり,仮に新生されたラメットが水平根への栄養供給源になっていた場合には,水平根の発達には水平根の先端部においてラメットの新生が必要であろう。したがって,異なるジェネットの分布域がほとんど重なり合わないのは,異なるジェネットの分布域内へ水平根が侵入しても,栄養供給源であるラメットが新生されないために,その後の水平根の発達が制限されるためではないかと推測される。

調査区では多数のラメットが着果していたのにも関わらず,種子繁殖が行われていなかった原因を明らかにするために,種子の発芽率と発芽後の実生の生存数の推移を調査した。調査区内の50ラメットから2005年9月に採取した種子を,2007年4月に熱湯に10分間浸漬した後に,育苗箱に播いた。対照として,市販の種子を同様に処理した後に播いた。播種後の育苗箱は,東京大学附属小石川樹木園のガラス室内に置いた。また,2007年5月に,調査区内の海側の林縁から20m,50m,90m内陸側の地点に,2ラメット(R189とR705)から採取した種子と,市販の種子(対照)を,熱湯または蒸留水に10分間浸漬した後に播いた。小石川樹木園の播種試験では,調査区内の3ラメットの種子のみが発芽した。しかし,発芽した種子は少なく,市販の種子の発芽率が36%であったのに対して,これらのラメットの種子の発芽率は10%以下であった。調査区の播種試験では,R189と対照の種子が発芽し,20m地点の熱湯処理をした種子の発芽率が最も高く,R2で14%,対照で74%であった。一方,R705の種子は,いずれの場所でも発芽しなかった。発芽後の個体は,ニセアカシアが存在していなかった20m地点では,R189と対照ともに,発芽後6週間目でも数本しか枯死しなかった。これに対して,ニセアカシアが生育していた他の2地点では,発芽6週間後までに全個体が枯死した。以上のことから,本調査地付近のクロマツ林内では,発芽能力を有する種子の生産量が少なく,また,ニセアカシアのラメットが生育している林床では実生が生残できないものと推測された。

クロマツ林内におけるニセアカシアの分布決定要因

ニセアカシアの海側への分布は,クロマツに比べて大きく制限されていた。一般に,植物種の分布域を決定する要因としては,生物的環境条件や物理化学的環境条件が考えられているが,ニセアカシアについての詳細は不明である。そこで,ニセアカシアの水平根の分布状況と成長過程の調査,クロマツ林内の物理化学的環境の調査,現地への苗木植栽試験を行い,ニセアカシアの分布決定要因を検討した。

市販の3年生のニセアカシア苗をポットに1本ずつ植栽し,そのポットを汀線と平行方向に海側の林縁から0,10,20,30,40mの地点に10個ずつ埋設した。0mと10mの地点に植栽した苗木は,展葉,小葉周辺部の褐変・萎凋,落葉を繰り返し,植栽5ヶ月後までに,0mに植栽した9本と10mに植栽した3本の個体が枯死した。20~40mに植栽した個体には,5ヶ月後までには葉の変色・萎凋は観察されず,枯死した個体もなかった。苗木植栽場所の飛塩量を測定した結果,海側で多く,内陸ほど少なくなる傾向が見られた。また,小石川樹木園において,ニセアカシア苗木の葉を海水に浸漬した結果,植栽試験で観察されたものと酷似した小葉周辺部の褐変が発生した。一方,植栽場所の光環境の測定や調査地内の土壌調査の結果から,クロマツ林内の光環境や土壌環境は,ニセアカシアの生育阻害要因ではないことが示唆された。以上のことから,海側におけるニセアカシアの最大の生育阻害要因は,潮風であると推測された。

海側に生育していたニセアカシアの19ラメットについて,水平根と水平根から発生していたラメットの位置を記録した。19ラメットの樹齢は1~2年であり,これらのラメットから海方向へ伸長した水平根の多くは,長さが短かった。また,ラメットの形成が認められない水平根も見られたが,ラメットが存在していなかった0~26mの区域への水平根の伸長は確認されなかった。これらのことから,ラメットの分布と同様に,海側への水平根の伸長も制限されていることが解った。さらに,17ラメットの水平根について年輪解析を行った結果,樹齢が2年のラメットでも,ラメットから10~20cm離れた部位では,水平根の年輪は1年しか形成されていなかった。したがって,栄養が水平根を通過する際に水平根の肥大成長を伴うと仮定すれば,海側に生育するラメットから水平根への栄養供給は最初の1年しか行われていなかったと考えられる。

以上のことから,新生されたラメットが水平根への栄養供給源になっているとすれば,潮風により新生ラメットの生育が阻害される海側の区域では,水平根への栄養供給が十分に行われないために水平根の発達が悪くなり,新たな水平根の伸長やラメットの形成ができなくなったと推測される。その結果として,ニセアカシアの海岸側への分布が制限されているのであろう。

以上のように,本研究により,九十九里浜海岸クロマツ林において,ニセアカシアは主に根萌芽により分布を拡大していることが明らかにされた。また,水平根を通しての栄養移動・転流は最大でも水平根形成後の数年間であり,水平根の発達には栄養供給源となるラメットの新生が必要であることが示唆された。そのため,ラメットの新生が阻害されるジェネットの境界域や飛塩量が多い海側の区域では,ニセアカシアの分布拡大が制限されているものと推測された。

審査要旨 要旨を表示する

ニセアカシアは,薪炭材や良質の蜜源植物等に利用される北米原産のマメ科樹木である。我が国各地の海岸クロマツ林でも,クロマツの生育を促進する肥料木として,ニセアカシアの混植が行われてきた。他方,過去の植栽地からの逸出によるニセアカシアの生物学的侵入が全国各地で確認され,海岸林の群落構造や生物多様性への影響が問題にされている。今後,ニセアカシアを適切に管理するためには,本種の生態的特性を十分理解することが必要不可欠である。本研究は,ニセアカシアの生態的特性を明らかにすることを目的として,九十九里浜海岸クロマツ林内に生育するニセアカシア個体群の繁殖特性をDNA多型解析に基づいて明らかにし,さらに林内における本種の分布決定に関わる要因を検討したものである。

第一章では、ニセアカシアの樹種特性や利用の歴史を幅広く概観している。

第二章では、九十九里浜海岸クロマツ林のニセアカシア個体群について繁殖特性を明らかにしている。ニセアカシアは種子繁殖と根萌芽による栄養繁殖により分布を拡大することから,それぞれの繁殖方法がどのように寄与しているかを,マイクロサテライトマーカーによるジェネット解析と水平根の堀取り調査により検討した。その結果、ニセアカシアジェネットのほとんどは、多数のラメットにより構成される大きなものであり,ニセアカシアは根萌芽による栄養繁殖により分布を拡大し,種子繁殖はほとんど行っていないこと、さらにこのニセアカシア個体群で生産される種子の発芽率が低いこと、光条件により実生の生残率が低いことがその原因であることを、現地での発芽試験および植栽試験によって明らかにしている。

一方、ジェネット解析の過程で、異なるジェネットの分布域が互いにほとんど重なり合わないという現象も見いだしており、堀取り調査によって、この現象の原因が、水平根の伸長阻害ではなく、水平根上でのラメット形成の阻害によるものであることを明らかにしている。このような現象とその原因に関する解析はこれまでに報告が無く、新規性が高い。堀取り調査では、水平根の年輪解析も行っている。その結果、水平根の年輪数は,ラメットに近い部位に比べてラメットから離れるに従って少なくなり,隣のラメットに近づくに従って再び増加することを発見している。このような現象は、これまで報告が無い。本論文では、この極めて新規性の高い発見をもとにして、「ラメットから水平根への栄養供給は,伸長1年目には水平根の先まで行われるものの,2~4年目以降にはラメットから離れた部位への栄養供給は急激に減少する」という仮説を提案している。この仮説は、水平根を通過する栄養量が肥大成長に対応していると仮定しており,その仮定の厳密な検証が今後必要であるが、実証可能な極めて独創的な仮説であり、インパクトは大きい。

第三章では、クロマツ林内におけるニセアカシアの分布が、海岸沿いに制限される原因を解析している。ニセアカシアの水平根の分布状況と成長過程の調査,クロマツ林内の物理化学的環境の調査,現地への苗木植栽試験を行い,ニセアカシアの海側での分布限定要因を検討した。市販の3年生のニセアカシア苗を、同一土壌のポットに植栽し,そのポットを汀線からの距離を変えて埋設し、その後の褐変・萎凋,落葉を観察している。その結果、自然での分布範囲に対応して、渚線に近い苗は枯死するが離れた苗は生育することを観察し、土壌条件ではなく、地上部の条件の違いで分布が制限されていることを明らかにしている。さらに、現地における他の環境要因の検討結果をふまえて,海側におけるニセアカシアの最大の生育阻害要因が潮風であることを示している。さらに、汀線に沿った分布限界のラメットについて水平根の堀取り調査を行っている。その結果、ラメットの分布域より海側には、ほとんど水平根が伸びておらず、また、樹齢が2年のラメットでも,ラメットから10~20cm離れた部位では,水平根の年輪は1年しか形成されていなかったことから、海側に生育するラメットから水平根への栄養供給が最初の1年しか行われないことを推定しており、分布制限のメカニズムに関して、栄養供給の変化を取り込んだ独創的な仮説を提案している。

第五章では、得られた結果を基に、ニセアカシア個体群の繁殖機構と分布制限のメカニズムについて総合考察している。

以上のように本研究は、分子生態学的解析と水平根の年輪解析によって、海岸林ニセアカシア個体群の繁殖生態を明らかにした。得られた知見は、有用樹種であり一方で外来侵入樹種であるニセアカシアの管理方法の基礎となるものである。また、新規性の高い仮説も提案されており、本研究の独創性、先駆的意義は大きい。従って、本研究は応用上、学術上の貢献が極めて大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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