学位論文要旨



No 124244
著者(漢字) 金子,敏哉
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,トシヤ
標題(和) 特許権と著作権の準共有 : 持分に応じた使用を巡る一考察
標題(洋)
報告番号 124244
報告番号 甲24244
学位授与日 2009.01.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第223号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,宏樹
 東京大学 教授 大渕,哲也
 東京大学 教授 白石,忠志
 東京大学 教授 伊藤,洋一
 東京大学 准教授 水町,勇一郎
内容要旨 要旨を表示する

共有特許権の場合、第三者に実施を許諾するためには全員の同意が必要であるが(特許法73条3項)、共有者自らが実施する際には、他の共有者の同意を得る必要はなくまた持分割合による制限も受けない(同条2項)。他方著作権の共有においては、共有者全員の合意がない限り著作物を利用できない(著作権法65条2項)が、正当な理由無く合意の成立を拒むことはできない(同条3項)。共有物の持分割合に応じた使用(民法249条)との原則は、著作権法・特許法ともに妥当していない。

このうち、共有特許権については、有体物の使用とは異なり特許発明の実施には量的な限界が観念できず、また、ある共有者による実施は他の者の実施の妨げにもならない(情報財の消費の非排他性)ことが、自己実施が自由であることの根拠として従来指摘されてきた。しかし、この指摘は、同じく情報財を対象とする財産権である著作権には妥当していない。

本論文は、上記のような特許権と著作権の共有を巡る規律の異同に着目し、両者の規律が何故異なるのかについて考察を行なった。本論文は、特許権・著作権の共有に係る多様なルールの相互比較を通じて、既存の議論を相対化して分析し、その分析に基づいた範囲での暫定的な解釈論・立法論を提示することを試みたものである。

検討の順序として、まず日本著作権法、特許法の立法趣旨と従来の理解につき再検討を行なった(第二章)。

そして、特許庁等の特許法73条は創設規定ではなく民法249条のもとでも自己実施の自由が認められる、との説明に対して、民法を共有特許権に適用した場合の帰結について検討した(第三章)。その検討に際し、まずドイツの共有特許権者の自己実施を巡る議論を紹介した。ドイツでは特許法に共有につき特別の規定がなく、「他の共有者の使用を妨げない限り共有財産を使用できる」との趣旨のBGB743条2項の特許権への適用が問題となった。従来の通説は、実施能力の差によってもたらされる不公平と特許権の経済的価値が共有者の一人の実施により消耗されること等を理由にBGB743条2項の適用を拒絶していたが、2005年のBGHの判決ではBGB743条2項の適用により共有特許権者の自己実施の自由が認められた。次に、日本民法249条の特許権への適用につき検討した。その検討の結果、旧民法37条1項がBGB743条2項と同様の規定を有していたにも関わらず、現行民法の立法過程でそれが不公平とされ「持分に応じた使用」を為すべきこととされたこと、及び不動産の共有を巡る判例を踏まえると、民法249条を特許権に適用した場合、他の共有者を妨げるか否かに関わらず実施料相当額を持分割合に応じて支払わなければならないこといなることを指摘し、従来の特許庁の理解を誤りとした。

続いて、英米法において特許・著作権につき四者四様の規律が形成された点につき、裁判例の検討により、それぞれの根拠づけ、背景を明らかにした(第4章)。英国特許法では、特許状の文言とリスクとコストを負担しない者が利益の分配を求めることが不当であることが、自己実施の自由の根拠とされた。他方英国著作権法では、著作権法の文言とともに、共有者に著作権の自由な自己利用を認めた場合に共有者が大量に安い本を出版することで著作権の価値が破壊されてしまうことが危惧された。米国特許法では、自己実施のみならずライセンスも自由とされたが、その背景として実施の促進による公衆の利益の点が指摘されていた。他方米国著作権では、英国著作権のように全員の合意を要求すると一人の反対で著作物が利用できなくなることが問題とされ、他方で米国特許のように自由な利用を認めると著作権の価値が減耗することが危惧され、ライセンスと自己利用双方につき利益の清算が必要となるとのルールが形成された。そしてその背景には、20世紀前半から半ばにかけての著作権産業を取り巻く状況の変化が指摘されていた。

第4章までのそれぞれのルールの内在的検討を踏まえて、第5章にて英米のルールを中心に相互比較を通じて各ルールの根拠と問題点につき考察した。その中でも、特許権では共有者の競争により実施の促進が望まれ、著作権では各共有者のばらばらの利用による経済的価値の低下が危惧された点につき、両者の差異の原因としていくつかの仮説を提示した。そして特に重要な点としては、両者の市場を考える際に、小説の本(著作物自体の経済的価値+ごくわずかな紙代)と特許製品(特許発明自体の経済的価値+多大な製造販売コスト)とが想定され、著作権では「ごくわずかな紙代」が無視され競争による「著作物自体の経済的価値」の投売りが懸念されるのに対し、特許権では「実施に係る多大なコスト」が注目されそこでの共有者間での競争が期待されていることを指摘した。さらにその上で、現実には著作物の利用コストが大きい場合(音楽・出版の宣伝広告費用)もあり特許の実施コストが小さい場合(医薬品)もあることを考慮し、むしろ本来は特許・著作権共に、実施・利用コスト面での競争は促進されるべきであり、特許発明・著作物自体の経済的価値の低下までは期待しないことがあるべき政策判断であると解するに至った。

以上の考察をもとに、特許・著作権の両者に妥当しうる制度設計として「通常ライセンス料支払ルール」(各共有者が自己利用・ライセンスをした場合に、当該利用に係る通常ライセンス料相当額を他の共有者に持分割合に応じて支払う債務を負うルール)を提示した(第6章)。このルールは、各共有者には通常ライセンス料の限度で、権利自体の経済的価値としは保障される一方で、それ以上の利潤を清算する必要はないとすることで、共有者間での競争を特許・著作権共に実現しうることを意図したものである。

そして、本論文の考察全体から現行著作権法、特許法の解釈論、立法論に与える示唆として、著作権法65条3項の正当な理由の解釈と、特許法73条の評価につき検討した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、特許権と著作権の準共有の規律について検討を加えるものであるが、その出発点となる問題関心は、「何故、特許権と著作権とで共有の規律が異なるのか」との点にある。

本論文では、比較法(外国法との比較のみならず、所有権の共有及び特許・著作権相互の対比) による検討を通じて、特許権・著作権の共有の規律につき考察が試みられている。

第2章から第4章では、特許権と著作権の共有の規律がそれぞれどのような根拠、背景のもとに形成されてきたのかを、各国 (日独英米) の立法過程、判例、学説等を対象に所有権の共有との関係に留意しつつ検討がされている。ただし、ドイツの共有著作権の規律については、人格権としての性質が強いこと等のために、本論文では検討対象とはされていない。

第2章では、日本の著作権法、特許法の立法趣旨を巡る従来の議論の整理がされている。

著作権については、立法資料等で根拠とされた「共有者の連帯性・一体性」や「文化的所産の一体的利用」といった説明の妥当性、及び分割請求の自由が認められていることの整合性の問題が指摘されている。また、共有者の人格的利益については、共同著作物の著作者以外の者による著作権の共有の場合にまで重視すべき理由はないことが示されている。

そして本論文の検討では、著作権の人格権的要素の点は捨象し、経済財としての著作権と割り切ってもなお、特許権と異なる取り扱いとなるのか、との点のみを扱うこととし、本論文の検討対象を限定することが明示されている。

第3章では、特許権に関して、現在の特許庁等の民法249条のもとでも自己実施の自由が認められる、との説明の妥当性につき検討するために、民法を共有特許権に適用した場合の帰結について検討がされている。

その検討に際し、まずドイツの共有特許権者の自己実施を巡る議論が紹介されている。ドイツでは特許法に共有につき特別の規定が設けられていない。そのため、「他の共有者の使用を妨げない限り共有財産を使用できる」との趣旨のBGB743条2項の特許権への適用が問題となった。従来の通説は、実施能力の差によってもたらされる不公平と特許権の経済的価値が共有者の一人の実施により消耗されること等を理由にBGB743条2項の適用を否定していた。しかし、2005年のBGHの判決ではBGB743条2項の適用により共有特許権者の自己実施の自由が認められた。

これらを踏まえて、特許権の特性を理由にBGB743条2項の適用を制限し自由な自己実施を認めないドイツ特許法学説の議論との対比からいえば、情報財の消費の非排他性によって自己実施の自由を根拠付ける日本での従来の理解は説明として不十分であると指摘されている。

第4章では、英米法において特許・著作権につき四者四様の規律が形成された点につき、裁判例の検討により、それぞれの根拠づけ・背景が明らかにされている。

英国特許法では、特許状の文言とともに、リスクとコストを負担しない者が利益の分配を求めることが不当であるとの実質論が、自己実施の自由の根拠とされた。他方、英国著作権法では、著作権法の文言とともに、共有者に著作権の自由な自己利用・ライセンスを認めた場合に共有者が大量に安い本を出版することで著作権の価値が破壊されてしまうとの危惧から、著作権の行使につき全員の合意が必要とされている。

米国特許法では、自己実施のみならずライセンスも自由とされた。その背景として、リスクとコストの分担と利益分配の不当性に加え、ライセンスと自己実施の区別の不合理性、実施の促進による公衆の利益の点が指摘されていた。他方、米国著作権では、一方で英国著作権のように全員の合意を要求すると一人の反対で著作物が利用できなくなることが問題とされ、他方で米国特許のように自由な利用を認めると著作権の価値が減耗することが危惧され、ライセンスと自己利用双方につき利益の清算が必要となるとのルールが形成された。さらにその背景として、20世紀前半から半ばにかけての著作権産業を取り巻く状況の変化が挙げられていた。

第5章では、比較による考察がされている。

第5章第1節では、英米の特許権・著作権の共有を巡る四者四様の規律を中心に、相互比較を通じて、その根拠と問題点につきより整合的な理解が試みられている。そして、共有の規律の異同の原因となる相対立する考え方の中で、特に重要なものとして二つの点が指摘されている。

第一の点は、リスクとコストを分担しない者に利益を分配することを不当と考える実質論を巡るものである。

第二の点は、特許権と著作権における共有者間での競争に対する評価の違いである。特許については、各共有者が自由に実施、ライセンスをして競争しあうことで実施が促進されることが公共の利益にも適うとされているのに対し、著作権については、著作物の利用を巡り共有者が競争しあうことはお互いに悪影響をもたらすとして、英国では全員の合意が、米国では利益の清算が必要とされていることが指摘されている。

第5章第2節では、特許権では共有者の競争により実施の促進が望まれ、著作権では各共有者の個別の利用による経済的価値の低下が危惧された経済的な背景につき、いくつかの仮説と想定される反論についての検討がなされている。

第6章では、以上の考察をもとに、特許・著作権の両者に妥当しうる立法論的可能性の一つとして「通常ライセンス料支払ルール」(各共有者が自己利用・ライセンスをした場合に、当該利用に係る通常ライセンス料相当額を他の共有者に持分割合に応じて支払う債務を負うルール)が提示されている。このルールは、各共有者には通常ライセンス料の限度で、権利自体の経済的価値としは保障される一方で、それ以上の利潤を清算する必要はないとすることで、共有者間での競争を特許・著作権共に促すことを意図したものであるとされる。

第7章では、日本法への解釈論・立法論上の示唆として、著作権法65条3項の正当な理由の解釈と、特許法73条の評価につき検討がなされている。

著作権法65条3項の「正当な理由」の解釈については、利用した共有者から他の共有者への金銭の支払の要否に関しては、著作権の共有者の一人が著作物を利用するにあたり、特許法73条2項についての一般的な理解(情報財の消費の非排他性) を援用して他の共有者に対してなんら金銭を支払わない利用を主張した場合、他の共有者がその利用に対する合意を拒んだとしても、合意を拒む正当な理由は認められると主張されている。

利用の可否につき共有者間に争いがある場合については、共同著作物の著作者が著作権を共有している場合に限っては、各人の人格的利益をある程度重視して正当な理由の判断が行われるべきとされている。他方、共同著作者以外の者が著作権を共有する場合については、「利用を望む共有者が他の共有者に通常ライセンス料を持分割合に応じて支払うことを申し出ている場合には、他の共有者は当該利用につき合意の成立を拒む正当な理由はない」と原則解すべきであるとされる。

また、特許法73条のより整合的な理解としては、現行特許法73条2項の自己実施の自由の根拠につき、従前一般に主張されてきたような、情報財の消費の非排他性だけでは説明として不十分であり、実施の促進による公益の実現、リスクとコストを分担していないものが実施した共有者から利益の分配を受けることの不当性、適切な実施料相当額算定の困難を理由とすべきものと説明する方が適切であると指摘されている。

以上が本論文の要約である。

本論文の長所として、次の諸点を挙げることができる。

第1点として、特許権と著作権の双方の準共有のルールについて、正面から、総合的な分析を加えていることである。従前から、特許権と著作権のそれぞれの準共有のルールについて、本格的研究が長らく待ち望まれてきたところであるが、そのあまりの複雑困難性のためか、特許権と著作権のいずれについても、敬遠されて本格的研究がほとんど行われてこなかったのが実情である。このような中にあって、特許権と著作権の双方について正面から果敢に本格的な検討を加えている本論文の学術的意義は大きいということができる。なお、本論文の解釈論・立法論的検討の帰結については、異論の余地もあり得ようが、敬遠され議論が停滞していた困難な論点につき、問題点を洗い出して整理した上で、掘り下げた検討を加えて一定の結論を導いて、今後の議論のベースを提供し、今後の研究のいわば突破口を切り開いた点で、大きな学術的意義を有するものということができる。

第2点として、無体物についての特許権と著作権について検討を加えるに当たって、有体物についての所有権についても正面から対象として、両者を対比して視野に入れている点が挙げられる。特許権についても、著作権についても、研究が敬遠されてきた原因としては、特許権、著作権それ自体の困難性に加えて、有体物についての所有権との対比の困難性があったもののように見受けられるが、本論文は、この面でも、果敢に正面から取り組んでおり、その学術的意義は大きいものがある。

第3点として、総合的な比較法的分析を加えている点が挙げられる。英国法と米国法の双方について、いずれも、特許法、著作権法の双方についての総合的な比較法研究が展開されている。先行研究が乏しい中で、英国特許法、英国著作権法、米国特許法、米国著作権法、の四者につき、総合的な比較法研究を展開している点で、大きな学術的意義を有するものと解される。

なお、英国法、米国法それぞれについて、特許権、著作権それぞれのルールは、四者四様であり、わが国の解釈論・立法論のための比較法的示唆が得にくい状況にあるが、そのような中でも、各法のルールそれ自体を日本法に取り込むという手法ではなく、各法のルールの実質的な根拠とされるものについて批判的に検討しながら、自分自身のあるべきルールを追求しようとしている点も評価に値する。

その反面、本論文にも短所は見られる。

第1点としては、なにゆえ、特許権、著作権のそれぞれのルールが違うのかという問題意識から出発しているために、両者の相違を相対化して考える方向に傾斜しがちであり、特許権と著作権のそれぞれに特有の要素に対する考慮が必ずしも十分とはいえないうらみがある点である。そのことが、それぞれのあるべきルールに関する筆者の結論を提示するロジックをややわかりにくくしている面がある。ただ、これは、本人の問題意識の中核がこの点にあることからすると、やむを得ない面もあろう。そして、今後、本論文で得られた基本的視角を踏まえて、日本法のより具体的な解釈論・立法論について検討を進めていく過程で、この点は改善されるものと思われる。

第2点としては、著作権については、財産権的要素のほかに、人格権的要素をどこまで、取り込むかという、著作権法の永遠の課題ともいうべき論点があるが、本論文では、人格権的要素をひとまず捨象して考えた場合にどうなるかの問題に検討の射程を限定している点で、物足りなさを感じる向きもあるかもしれない点である。ただ、この点は、財産権的要素に限定して著作権と特許権を対比した場合の図式をクリアに示すために、著作権に固有の人格権的要素に深入りすることで問題が複雑化することを避けたほうがよいとの筆者の現実的な選択の結果であり、そのメリットもある。この点は、人格権的要素との結びつきが強いことから本論文では検討の対象とされなかったドイツ著作権法の検討を含めて、今後、正面から検討を加えた研究によって補完されることが十分に期待される。

以上のような短所は見られるものの、それらは長所を大きく損ねるものではない。本論文はこれまで十分におこなわれてこなかった難問についての研究を多面的かつ果敢に行っており、学界に裨益するところは大きいと考えられる。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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