学位論文要旨



No 124246
著者(漢字) 神戸,崇
著者(英字)
著者(カナ) カンベ,タカシ
標題(和) イネにおける染色体断片置換系統群(CSSL)および戻し交配後代を用いた有用表現形質に関する量的形質遺伝子座(QTL)解析
標題(洋)
報告番号 124246
報告番号 甲24246
学位授与日 2009.02.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3361号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 准教授 山岸,徹
 東京大学 准教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

作物は,人類との関わりの過程で多様な特性を備えた品種に分化し,1950年代からはじまった半矮性遺伝子を導入した耐肥性品種の育成および普及は,世界の作物生産量の飛躍的な増大をもたらした.他方,出穂期や収量性といった農業上重要な形質の多くは,一般に多数の遺伝子が関与する量的形質遺伝子座(QTL)によって支配されている.近年,QTL解析手法の向上およびマーカー利用選抜(MAS)の進展に伴い,種々の有用形質関連QTLが発見され,新たなQTL解析用集団が数多く育成されてきた.特に,共優性DNAマーカーによるほぼ飽和した遺伝地図に基づき,微細な染色体断片を置換した染色体断片置換系統群(CSSL)を用いたQTL解析は,エピスタシスなどの複雑な遺伝子間の交互作用を軽減させ,CSSLと反復親との間の表現型および遺伝子型の差異に基づいて,簡便且つ高い検出力を以ってQTL領域を特定することが可能である.CSSLにおいて検出されたQTLの遺伝地図上における位置の精緻さは,置換された染色体断片の大きさに依存するため,一般に劣る.しかしながら,このようなCSSLの難点である比較的長大なQTL領域は,QTLを保持していたCSSLに反復親を戻し交配して作出した分離集団を用いた後代QTL解析を行うことにより,容易に克服され,更にQTL上の相加効果,優性効果といった対立遺伝子効果やQTLの寄与率を推定することが可能になる.また,作物学的に重要な生理形質の多くは日変化を伴い,QTL解析には大量な集団に対して同時に迅速な測定や採集を行う必要があり,解析が困難か,多大な労力を要するものが多い.CSSLは,BILやNIL等と比較して比較的少ない系統数(本研究では39)で遺伝解析を行うことが出来,戻し交配後代におけるマーカー解析も,CSSLに移入された供与親由来の染色体領域について行うだけで済む.これらのことから,イネにおいて作物学的に重要な出穂期頃の草型や生理形質に関するQTLを,CSSLを用いれば比較的簡明に解析できることが期待される.

本研究は染色体断片置換系統群(CSSL)を用い,種々の生理,生態学的形質について量的形質遺伝子座(QTL)解析を行い,従来の分離集団を使ったQTL解析と比較して高い検出力と,遺伝的交互作用の低減化,簡明な統計モデルを以って新奇な解析を行ったものである.

1.CSSLおよび後代集団を用いた生育および草型に関するQTL解析

39コシヒカリ/Kasalath交配由来CSSLsを用い,生育や草型に関する形質について圃場試験した結果,種々の形質に広範な変異を示した.3年間の圃場における草丈および茎数の増加パターンの推移を積算成長度日(GDD)からみると,草丈の増加パターン関する9箇所のQTL,茎数の増加パターンに関する1箇所のQTLを特定した.コシヒカリとの統計的な差異が置換されたKasalath染色体断片の影響に帰することのできるCSSLを用いることによって,このような作物学的形質について品種間差レベル以上の遺伝的解析がはじめて可能になったと考えられた.CSSLにおけるKasalath遺伝子型の置換に鑑みて,染色体別に比較群としANOVAを行ったところ,稈長,草丈,穂数,クロロフィル含量,比葉重といった草型に関する8つのQTLを特定した.作物学的に重要な穂数,クロロフィル含量および比葉重に関するQTLを保持していたCSSL(SL-204,SL-209およびSL-222)にコシヒカリを戻し交配して作出した後代F2においてQTL解析した結果,穂数に関するQTL qPN-2が第2染色体RM3865~RM6378間,クロロフィル含量に関するQTL qCHL-4-1およびqCHL-4-2が第4染色体RM241~RM255およびRM255~RM349間,比葉重に関するQTL qSLW-7が第7染色体RM2752~RM234間において,それぞれ詳細な位置特定がされた.第7染色体RM2752~RM234では,比葉重と同時に葉面積に関するQTL qFLA-7が特定され,優性度および偏相関分析の結果に鑑みたところ,比葉重の低下が葉面積の増加を導くことが明らかになった.

2.作物生理学的有用表現形質に関するQTLの探索

シンク,ソース機能およびそれらの関係性は,禾穀類においてバイオマスおよび収量生産に決定的な影響を及ぼす生理学的要素である.39コシヒカリ/Kasalath交配由来CSSLsおよび戻し交配F2後代を供試し,従来作物生理学的に重要性が指摘されている,出穂期の止葉葉身におけるRuBisCOおよび第3葉鞘におけるNSCに関するQTLについて調査した.第10染色体RM8201~RM5708間において出穂期のRuBisCO含量およびNSC濃度に関するQTLqRCH-10,qNSCLSH-10-1およびqNSCLSH-10-2が同時に検出された.これらQTLの効果は共に相加的で,周辺形質とも重要な相関も認められなかったことから育種への応用可能性が示された.また,新たに多収性インド型品種ハバタキを供与親として,ササニシキを反復親として連続戻し交配により育成されたササニシキ/ハバタキ39CSSLおよび戻し交配F2後代を供試し,全国3箇所での連絡試験を行い,多収に繋がる作物生理学的形質に関するQTLの特定を試みた.第5染色体RM3476~RM7452間において,RuBisCO含量,NSC含量に関するQTL qRCH-5,qNSCCH-5-1およびqNSCCH-5-1を特定した.このQTL上のハバタキの対立遺伝子の効果は共に相加的で,育種上有望であると考えられた.RM1386~RM5642間では,NSC含量に関するQTLが出穂期および出穂14日後の2時期共に認められた.

3. 遺伝資源としてCSSLを用いたQTLの応用可能性

遺伝資源としてCSSLを用い,今後注目される食味およびバイオマスに関する新奇なQTLについて調査した.コシヒカリ/Kasalath交配由来CSSLは,わが国おいて作付面積30%以上を占める代表的良食味品種で商業上価値のあるコシヒカリの遺伝的背景にKasalathの染色体断片が置換されており,QTLの特定後,有用QTLを保持するエリートコシヒカリNILの育成が容易である.このため,コシヒカリの遺伝的背景に対する,染色体断片置換の影響を様々な角度から評価することは重要である.近年,良食味系統選抜において,自動食味計を利用した,簡便且つ迅速な測定の有効性が報告されている.コシヒカリ/Kasalath39CSSLsにおいて,食味計値に関する13の広範なQTL領域を特定した.そのうち第1,第2,第3,第6,第9,第11および第12染色体上の9箇所はKasalath染色体断片置換の影響により食味計値の低下を招いていたが,第4,第5,第7および第8染色体上の4箇所においてはKasalath染色体断片の移入がコシヒカリの食味を増加させる可能性を示していた.また,近年,生物資源の高度利用に関して様々な検討が行われ,イネにおけるバイオマスの利用についても注目されている.わが国においても,温室効果ガス低減のために輸送用燃料へのバイオマスエネルギーの利用,農業生産現場における未利用バイオマスの利用促進などを目指す動きが盛んである.コシヒカリ/Kasalath39CSSLを供試し,穂重,藁重およびバイオマスに関するQTLを,第2染色体C499~C747間およびC747~C1470間,第8染色体R1943~C390において計3箇所特定し,バイオマス増加に向けた情報を得た.

以上より,CSSLを用いたQTL解析において,単純な検定によって新たなQTL特定への端緒となる情報が得られること,その後の戻し交配F2後代において完全な再現性があることが特長として示され,また,形質により,CSSLの検出力の高さから新たなQTLの特定に繋がること,既報との対応性が高いこと, CSSLが研究材料としても育種素材としても利用価値があることが示された.CSSLを用いたQTL解析は,QTL上の対立遺伝子の相加効果を固定し,微細な染色体断片を置換したQTL-NILを得ることによって,今後はこれまで行い得なかった作物生理学および生態学的形質の向上を意図した実用品種育成への途を拓き得ると考えられた.

審査要旨 要旨を表示する

作物学的に重要な生理形質の多くは量的形質遺伝子座(QTL)によって支配されている。染色体断片置換系統群(CSSL)を用いたQTL解析は、エピスタシスなど遺伝子間の交互作用を軽減させ、遺伝構成によっては不良形質との連鎖を除いた条件で、CSSLと反復親との間の表現型および遺伝子型の差異に基づいて簡明にQTL領域を特定することが可能であり、新たな生理形質に関するQTLの特定が期待される。本研究は、このような従来の解析集団と比較して一般に高いと報告されている検出力を持ち遺伝的交互作用を低減化しているCSSLを用い、種々の生理、生態学的形質についてQTL解析を行ったものである。

1.CSSL及び後代集団を用いた生育および草型に関するQTL解析

39コシヒカリ/Kasalath交配由来CSSLを用い、生育や草型に関する形質についてQTL解析を行った。成長期間の積算温度(GDD)を基礎にした3年間の圃場における草丈および茎数の増加の推移に基づき、それらの増加パターンに関するQTLを特定した。コシヒカリとの統計的な差異が置換されたKasalath染色体断片の影響に帰することができ、かつ、少ない系統数(39)からなるCSSLを用いることで、このような作物学的形質についての遺伝的解析が容易になったと考えられた。また、染色体別に比較群とし分散分析を行ったところ、稈長、草丈、穂数、クロロフィル含量、比葉重に関する8つのQTLを特定した。穂数(qPNV-2)クロロフィル含量(qCHL-4)および比葉重に関するQTL(qSLW-7)を保持していたCSSLにコシヒカリを戻し交配して作出した後代F2において詳細な位置特定がされた。このうち、穂数と比葉重は新たに見出されたQTLである。冷夏でも発現したqPN-2は安定的な穂数の確保に寄与し、クロロフィル含量に関するqCHL-4は光合成速度と関係し、qSLW-7は出穂期のソース器官である止葉葉身に関するものであることから、これらのQTLはイネの収量性向上に資することが示唆された。

2.作物生理学的有用表現形質に関するQTLの探索

シンク、ソース機能およびそれらの関係性は、バイオマスおよび収量に影響を及ぼす重要な生理学的要素である。39コシヒカリ/Kasalath交配由来CSSLおよび戻し交配F2後代を供試し、重要なソース機能である出穂期の止葉葉身におけるRuBiscoおよび第3葉鞘における非構造炭水化物(NSC)に関するQTLについて調査した。第10染色体RM8201~RM5708問において出穂期のRuBisco含量に関するQTL(qRCH-10)およびNsc濃度に関するQTL(qNSCLSH-10-1およびαNSCLSHー10-2)が新たに検出された。これらQTLの効果は共に相加的で、周辺形質ともほとんど相関も認められなかったことから育種への応用可能性が示唆された。また、多収性インド型品種ババタキを供与親、ササニシキを反復親として育成された39ササニシキ/ババタキCSSLおよび戻し交配F2後代を供試し、全国3箇所での連絡試験を行った。その結果、第5染色体RM3476~RN7452間において、出穂期のRuBisco含量に関するQTL(qRCH-5)およびNsc含量に関するQTL(qNSCCH-5-1および(qNSCCH-5-2)を特定した。これらの領域には、既に収量等に関する多くのQTLが報告されており、作物学的にも重要な領域であることが強く示唆された。qRCH-5上のババタキ対立遺伝子効果は相加的で、育種上有望であると考えられた。また、同じ染色体上のRM1386~RM5642間では、NSC含量に関するQTLが出穂期および出穂14日後の2時期に認められた。形質間および出穂期、出穂14日間の相関係数の絶対値は総じて低く、これらの形質に関する独立した関係性は特定されたQTLを育種に結びつける上で好適であると考えられた。

3.遺伝資源としてCSSLを用いたQTLの応用可能性

遺伝資源としてCSSLを用い、近年注目されている食味およびバイオマスに関するQTLについて調査した。コシヒカリはわが国の代表的良食味品種であり、染色体断片置換の影響を様々な角度から評価することには意義がある。39コシヒカリ/KasalathCSSLにおいて、自動食味計による食味計値に関する13の広範なQTL領域を特定した。そのうち第1、第2、第3、第6、第9、第11および第12染色体上の9箇所はKasalath染色体断片置換の影響により食味計値の低下を招いていたが、第4、第5、第7および第8染色体上の4箇所においてはKasalath染色体断片の移入がコシヒカリの食味を増加させる可能性を示していた。また、穂重、ワラ重およびバイオマスに関する年次間で安定的なQTLを第2染色体C499~C747間およびC747~C1470間、第8染色体R1943~C390において計3箇所特定し、バイオマス増加に資する情報を得た。

以上より、csSLを用いたQTL解析においては、単純な検定によって草丈や茎数増加パターンといった新たな生育モデルQTL特定が可能になること、また、形質によっては従来のQTL解析集団と異なる遺伝構成によって、あるいは従来言われている検出力の高さから新たなQTLの特定に繋がること、戻し交配F2後代において十分な再現性があることが特徴として示された。これらによって、出穂期頃に重要視されているRuBisco含量、Nsc蓄積量といった複雑な作物学的形質のQTLを安定的に特定し、それらの遺伝的理解を深めるとともにソース-シンク機能の向上を通じた収量向上へのターゲットとして捉えることが可能になった。CSSLの戻し交配後代を用いたQTL解析では、QTL上の対立遺伝子の相加効果を推定し、さらに微細な染色体断片を置換したQTL-NILを得られることから、今後はこれまで難しかった作物生理・生態学的形質の向上を意図した品種育成への途を拓き得ると考えられた。

以上本論文は、CSSLを端緒とした遺伝解析により簡明に新たな有用QTLを特定したものであり、出穂期におけるRuBisco含量や葉鞘におけるNscの蓄積といった作物生理・生態学的形質の遺伝的理解の深化とそれらの向上を意図した育種に資するものと期待されることから、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42759