学位論文要旨



No 124261
著者(漢字) 佐橋,亮
著者(英字)
著者(カナ) サハシ,リョウ
標題(和) 台湾海峡両岸に向かい合うアメリカ : 冷戦の前哨における信頼性と安定の均衡の追求
標題(洋)
報告番号 124261
報告番号 甲24261
学位授与日 2009.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第224号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 藤原,帰一
 東京大学 教授 久保,文明
 東京大学 教授 川出,良枝
 東京大学 教授 中谷,和弘
内容要旨 要旨を表示する

冷戦期、世界は自由主義と共産主義の二つの陣営に引き裂かれていた。一方の盟主であったアメリカ合衆国(以下、米国)は封じ込め戦略を展開するために、大規模な軍拡と前方展開、さらに多くの国家と同盟を形成することで、共産主義陣営の膨張を抑止し、同盟国に安全を保障しようと試みていた。果たして、米国が提供する「拡大抑止」は実際にはどのように展開されたのだろうか。アジアにおける最大の共産国家であり中国大陸を実効支配していた中華人民共和国(以下、中国)に向かい合う米国は、どのように拡大抑止を機能させたのだろうか。なぜ、米国は中国に対して強硬な外交姿勢を長く維持したのだろうか。その一方で、朝鮮戦争以来、なぜ、どのように中国と砲火を交えることを避けたのだろうか。いかなる米中関係を米国は望んでいたのだろうか。他方で、台湾及び澎湖諸島、沿岸諸島を実効支配しつつも、中国大陸の正統な支配を求め大陸への反攻を放棄せず、扱いづらい交渉相手であった台湾移転後の中華民国政府(以下、国府)に対して、なぜ米国は外交関係を維持し、1954年に同盟を形成したのだろうか。果たして、米国は何を意図して国府に対する政策をたてていたのだろうか。さらに、ニクソン政権はなぜ米中和解プロセスを開始したのか、それは米国の中国・台湾政策をどのように変化させたのか。

本論文は中国・台湾地域における封じ込め戦略の具体的な展開を、トルーマン政権期からフォード政権期という比較的広い期間を通じて分析することで、信頼性の維持という目標と引き受けることが可能なコストとの調整、すなわち「信頼性と安定の均衡」を米国が追求していたという仮説を検証する。そのような視座を設定することで、拡大抑止の提供者が「信頼性の維持」を図ろうとするという封じこめ戦略のイメージに強く影響された見方を修正することになる。さらに、一見すると矛盾するとも思える政策が採られてきた米国の対中国・台湾政策の背景にある意図を解明することになり、50年代から60年代における政策と、ニクソン政権による米中和解プロセス開始後の政策を連続した政策変化の過程と捉えることも可能になる。また、米国は信頼性と安定の均衡を追求していたために、現状改訂的な動機を持つ「内なる脅威」だった国府を、階層的な同盟構造によって「抑制」しようとしていた。そのような米国の対華同盟の形成と管理の過程を分析することで、封じ込め戦略のイメージに依拠していた先行研究と異なる同盟像を明らかにし、また同盟理論における抑制の議論に貢献することになる。

すなわち、グローバルな冷戦戦略を遂行するうえで米国は拡大抑止の信頼性を保持する必要性を認識しており、そのような意図から朝鮮戦争への介入以後も共産圏の抑止をはかり、国府へ相互防衛条約と多大な軍事援助、経済援助を与えた。しかし、米国と同盟国は必ずしも政策選好を共有しない。米国は現状改訂的な動機から地域へ介入することも多かったが、他方で同時に多くのコストを引き受けることができない場合など、現状維持的な動機から安定を重視して行動することもあった。台湾海峡において米国は軍事的な介入を好まず地域の安定を望んでいたため、中国との緊張の発生にも安定を実現するために行動し、中国政策における柔軟性を徐々に示し始める。特に、中国の中長期的な成長、中ソ関係の悪化という「強く、独り立ちした中国」という対中認識がケネディ政権期以降に形成されるなかで、このトレンドは強まった。米国が支援を与えていた国府は、台湾移転後も中国大陸への反攻という目標を放棄していなかったが、階層的な力関係から成立している米華同盟の形成と維持を通じて米国は国府の抑制を図った。つまり、米国は拡大抑止の信頼性を保障すると同時に、コストの高い政策を避け安定を実現しようとする、「信頼性と安定の均衡」を意図していた。一見すると矛盾する、これらの行動は一般的な封じ込め政策のイメージ、「二重の抑止」論のいずれによっても包括的に説明できないものだった。

米国は信頼性の維持という目標を決して放棄していなかった。特に、米中和解プロセス開始後も国府に対する安全保障上の約束を保障する手段を米国が模索したことは、安定を押し広げるための米中和解の実現も、信頼性との均衡を追求していたことを示す。

本論文では第1編において以上の仮説を論じた上で、以下に検証していく。豊富な二次文献を踏まえた上で、特にケネディ政権期以降に関しては米国(国立公文書館II、ケネディ大統領図書館、ジョンソン大統領図書館、ニクソン大統領文書、フォード大統領図書館等)において収集した未刊行の外交史料に基づいて、本論文は事実関係を検討し、その上で議論を行っている。

第2編(3・4章)では台湾問題が形成される過程を分析していく。チャイナ・ロビーやチャイナ・ブロックの活動は第二次大戦期から戦後まで続いていたが、49年末までは特にアチソンに率いられた国務省によって中国政策の見直しがされていた。しかし、50年における冷戦の見直し、朝鮮戦争の勃発により、台湾はグローバルな冷戦の文脈に位置づけ直されることになり、中国の封じ込めと孤立は米国外交の少なくとも表面的な目的となった。アイゼンハワー政権期においても、台湾の防衛はアジアにおけるベルリンと評価されるほど信頼性の文脈から議論されたが、二度にわたる台湾海峡危機において、同政権はコストの高い政策を排除し、安定を重視するために政策の調整を行う。対中抑止を実現すると同時に、国府の現状改訂的な行動を抑制するためにも1954年に米華同盟は形成され、国府は自由主義陣営における発展のショーケースとして活用されると同時に、米国の厳しい抑制の対象となった。

第3編(5・6章)では、1960年代、特にケネディ政権、ジョンソン政権において中ソ対立、核開発など中国の軍事的成長といった国際環境のトレンドの変化によって、米国の対中政策をめぐる状況は一変したことを明らかにする。「強く、独り立ちをした中国」への対処が政府内において議論され始めた。米国は中ソ再連携の可能性を防ぎつつ、短期的な国内の混乱にも拘わらず中長期的に成長すると予測していた中国の国力、国際的影響力の高まりに対応するために、対中政策の見直しを国連代表権問題や沿岸諸島問題を中心に再検討していくことになる。国連総会における中国代表権問題、台湾海峡における緊張の高まり、中印国境紛争などを経て、米国は米華同盟の信頼性を保障し、中国の非難をせざるを得ない状況に置かれたため、中国政策再検討の機運は一時後退することにもなった。

また、中国核実験は第1回実験前後には予防攻撃を検討する程に深刻な安全保障上の脅威として認識され、トンキン湾事件、北爆実施と介入が進むインドシナ半島でも中国の介入による直接戦争の可能性があった。アメリカの決意の信頼性が問われていた。しかし、ジョンソン政権期には、中国核開発の実質的な黙認、ベトナム戦争における対中衝突の回避のための努力、そして米国内外の世論の変化により実現された政権高官による相次ぐ中国政策の柔軟性を強調する演説など、硬直的な封じ込め政策では捉えきれない、安定を重視した米国の行動がより強く観察できる。他方で、大陸反攻を放棄しない国府に対する抑制は増したが、中国に対する抑止の信頼性は公に保障されていた。

第4編(7~9章)では、ニクソン政権による米中接近から始まる、対中和解プロセスを扱う。資料的制約から、カーター政権期に関しては、論点を提示するにとどめる。ニクソン・キッシンジャー外交による対中和解の実現は、台湾問題の解決を目指したものではなく、望ましい国際秩序の形成のために目指されていた。国府の切り捨てと受け止められかねないメッセージを公に出すことは国内、同盟国から否定的に評価される可能性があり、さらに国府が望ましくない行動を取る可能性も懸念され、上海コミュニケと口頭にて中国指導者に与えられる了解に格差が生じたのだった。米中関係の安定化を押し広げ、さらにそれを戦略的に利用するために対中和解は開始されたが、その過程においても信頼性への配慮は損なわれていなかった。

ニクソン訪中後も、中国の内政における混乱に左右されながら、キッシンジャーは幾度も訪中を重ねる。正常化のための鍵である台湾問題の処理について徐々に政府内の議論、及び交渉が本格化するが、米国内における政治状況、サイゴン陥落は正常化のための大きな譲歩を困難にしていた。フォード訪中では、成果がさして上がらないことは既にわかっていたものの、その後の対中交渉につながる布石として台湾問題の処理について「日本方式」での解決を大統領自ら約束するという事態になった。

米中和解プロセスに対する国府の反対は顧みられなかったが、後ろ盾を失った国府が米国の承認を得ない行動を起こすことは懸念されていた。国府がソ連に接近する可能性、核開発を行う可能性などが想定された。他方、国府に対する武器売却は一定の制約を受けつつ重要性を増していた。また、米国には台湾における経済発展が台湾社会、蒋経国政権の安定を実現するという楽観的な見通しが存在し、蒋経国を合理的な判断を行う指導者として強く期待していた。この時期、米国は将来的な統一の可能性を排除しないまでも台湾を放棄することまでは想定せず、また米中関係の安定に伴って海峡危機の蓋然性が低下するとの前提の中で、新しい状況に適応させた中で台湾を確保する意志があったようである。米中和解が正常化として結実し対華断交につながること、また既に生じていた国際的孤立などを前提として、この時期は新しい状況に国府を適応させるための「準備」を米国は進展させるべきと考えられていた。国府の抑制も新たな段階に入っていたと言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中国における共産党政権成立からカーター政権成立に至る時期における米中関係に関して、アメリカの共産党政権と国民党政権へのアプローチの双方を視野に収め、米中・米台関係の連続性に重点を置いて論じたものである。

冷戦期における国際関係のなかで、米中関係はもっとも変化の激しい国際関係として論じられてきた。中国共産党政権との国交を拒んだアメリカは、台湾の国民党政権と同盟を結び、キューバ危機後に米ソ関係が相対的な安定を迎えた後も、米中間の緊張は続いた。だが米中両国の緊張はキッシンジャー訪中とともに一転し、アメリカは共産党政権との国交樹立に踏み切る。この経緯を見れば、米中関係において連続性を論じる意味は乏しい。

だが、金門島事件や中国核実験などの度重なる危機にもかかわらず、米中間に戦争が勃発することはなかった。また、米中接近後も、中国政府が台湾を軍事制圧したわけではない。これまでの研究は米中両国の緊張と変動に注目してきたが、実は米中関係において、危機が戦争にエスカレートすることを抑制するような条件も見られたのではないか。これが本論文の着眼点である。

以下、論文の要旨を述べる。

第一編では、米中・米台関係を捉える理論的枠組みが提示される。アメリカの対外政策では同盟国の協力を得る目的から、同盟国に対する安全の提供、すなわち拡大抑止戦略に基礎が置かれてきた。同盟国に対する信頼関係の保持を優先すれば軍事的コミットメントが過大となってしまう。これまでの学説は、この拡大抑止と信頼性の保持が封じ込め戦略の硬直を生み出したと指摘してきたが、著者はこの点に疑問を提起し、アメリカは同盟国の信頼確保に努めつつも引き受けることの可能なコストとの調整を図っており、信頼性維持のために過大なコミットメントを引き受けることには慎重であったと指摘する。さらに力関係の非対称的な階層的同盟においては同盟国の要請に対する抑制も加えられ、信頼性の確保と過大なコストを必要としない安定の確保、すなわち「信頼性と安定の均衡」が政策の中心にあったと著者は述べている。

第二編では、トルーマン政権からアイゼンハワー政権に至るアメリカの中国政策の展開を、台湾問題の形成に焦点を置いて述べている。共産党政権が成立する過程では中ソを離間させる可能性を検討するなど、国務省において中国政策の見直しが進められていたが、朝鮮戦争によってその見直しは頓挫し、中ソ一枚岩という認識に基づいた中国封じ込め政策が進められる。だが、国民党政権の過大な要求や現状打破の要請に対してはアメリカ政府の対応は慎重であった。1954年の米華同盟形成も国民党政権の行動にワシントンが抑制を加えるという意味があり、事実、二度にわたる台湾海峡危機においてコストの高いコミットメントが回避された。

第三編はケネディ・ジョンソン政権における対中政策の展開を対象としている。中ソ対立が深まる一方で独自の核開発を進める中国は、それまでとは異なる「強く、独り立ちをした中国」として、新たな安全保障上の脅威となった。アメリカは米華同盟の信頼性を保障しつつ中国政府への非難を繰り返したが、ジョンソン政権はその緊張のなかでも中国の核開発に事実上の黙認を与え、ベトナム戦争においても米中両国の直接の衝突は回避するように努力し、その他方では本土反攻を放棄しない国民党政権に対して抑制が加えられていた。ここには、中国核実験とベトナム戦争のなかで米中対立が深刻となったとこれまで指摘されてきた時期においても、コストの高い関与に対してアメリカ政府が慎重であったことが示されている。

第四編は、ニクソン政権からカーター政権発足に至る時期における、対中・対華政策の転換が議論されている。ニクソン・キッシンジャーによる対中和解政策は米中関係の安定と、その政治的利用を目指してはいたが、台湾問題への波及は目的ではなかった。国民党政権から共産党政権に一方的に切り替えてしまえば、同盟国の信頼を失うばかりでなく、後ろ盾を失った国民党政権がアメリカの承認を得ない行動に走る危険が生まれてしまう。ここでみられる政策は台湾の放棄ではなく、むしろ米中関係の安定とともに国民党政権をもアメリカの影響下に保つ試みであり、国民党政権に対する武器売却はそこに政治的意味があった。アメリカ側には台湾における経済発展によって蒋経国政権が安定を高めるだろうという楽観的な認識があり、事実国民党政権も米台交易の拡大を積極的に進めたため、台湾を手放さずに米中関係を安定させる政策は実現可能であるように見えた。

結果としては、カーター政権の下で米中間の国交が正常化するとともに、米華相互防衛条約はアメリカ政府の宣言によって終了し、米台関係はアメリカの国内立法である台湾関係法に規定されることになる。だが、相互防衛条約の終了はアメリカ政府と国民党政権との関係を断ち切ることを意味していたわけではない。国交正常化交渉においても、米華相互防衛条約終了から一年を経た後は台湾に武器を売却することができると中国に黙認させ、台湾問題の平和的解決を期待するという米国政府の声明も行われた。「ひとつの中国」の承認は中国政府による台湾併合の承認ではなかったのである。条約上の義務ではなくなり、駐留米軍を大きく削減した後も、武器売却などを通して台湾の孤立化を回避する政策が続けられていった。

すなわち、米中関係において、どれほど同盟国からの要請が強くても、アメリカはコストの高いコミットメントは回避すべく、信頼性と安定の均衡を図ってきた。また、米華同盟に見られるように、同盟国との関係は信頼性の確保ばかりでなく、アメリカの意思に反する行動を同盟国がとらないように抑制するという目的によっても支えられていた。封じ込め政策とその転換という視点だけをとるのであれば、このような米中・米華関係の重要な側面は視野から脱落してしまうだろう。

以下、本論文の評価に入る。

本論文の長所の第一は、トルーマン政権からフォード政権に至る長期間にわたる米中関係・米華関係を捉える大きな見取り図を示したことである。現在の米中関係研究は、公開された資料が膨大なためもあって、中国核武装や米中接近など、特定の時期における特定の危機の解明に焦点を置くものが圧倒的に多く、ウォーレン・コーエンの古典的な米中関係史を例外とすれば、米中関係の全体を捉えるような試みは行われていない。本論文はその制約を打破する意欲的な試みとして位置づけることができる。

第二に、その分析が一次資料の広汎な収集に基づいていることを挙げるべきだろう。ワシントンの国立公文書館はもとより、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード各大統領図書館所蔵の史料も集めており、当事者へのインタビューも含め、周到な史料収集が結論に説得力を与えている。なお、史料はすべてアメリカ側のものに限られ、中国側の一次史料は用いられていないが、叙述はアメリカ政府の意思決定に議論が絞られているため、この限界が議論を弱めているとはいえない。

第三に、定説を打ち破ろうという意欲がどのページにも見られることである。近年の米中関係研究では米中関係の緊張に注目する業績が多く、そこではアメリカ外交の、ともすれば慎重を欠いた強硬策に目が向けられがちであったが、著者はその研究動向に正面から挑戦し、台湾海峡危機や中国核実験のような安全保障上の危機においても慎重な対外政策を求める声がアメリカ政府のなかに見られたことを丹念に跡づけている。もちろん著者は対中・対華政策に変化がなかったと主張しているのではないが、その安定性・連続性に焦点を置いた本論文には、研究史の流れを反転させる気概があふれている。そのような議論が着実な史料分析に基づいて進められており、本論文は戦後アメリカ外交の歴史解釈において貢献をもたらすものといっていい。

次に、本論文の弱点と考えられるのは、以下の点である。

第一に、対外政策の連続性を論じるうえでの、その概念設定について疑問が残る。著者は米中・米華関係を捉える枠組みとして「信頼性と安定のバランス」をとりだしているが、時期によって同盟国の信頼確保と拡大抑止の追求がより強く現れた時期も、また過剰な介入に対して抑制的で慎重な対外政策がとられた時期もあることは否定できない。著者の枠組みはその双方を含む者として設定されているが、ここまで概念の幅を大きくとって議論するとき、この枠組みから逸脱した政策を考えることは困難ではないか、という疑問も生まれる。

第二に、政策の転換期として適切な時期が選ばれているといえるのか、という疑問がある。著者の指摘するとおり、対中・対華政策の転換点としてはニクソン・フォード政権ばかりでなく、カーター政権と、その下での米華条約終結に触れなければならない。だが本論文はフォード政権でほぼ分析を終えており、カーター政権期の対中・対華政策について議論は少ない。これはカーター政権については利用可能な歴史史料が著しく乏しいという現状から見て無理のない限定ではあるが、それでも「台湾切り捨て」と目される政策のとられた時期の検討が乏しいという点は、本論文における米中・米華関係の構図にとってやはり問題となるだろう。史料公開に依存するとはいえ、カーター政権における米中・米華関係の分析が望まれるところである。

しかし、以上のような弱点が本論文の価値を損なうものとはいえない。概念の設定が広いのは、極論に走らない適切な枠組みを模索した結果と見ることができる。カーター政権を対象としていないことは著者の責任に帰すことのできない理由によるものであり、史料収集が可能な時期については十分な史料収集が行われている。このように、概念設定と外交史料の解読の両面において、本論文は、その筆者が高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する優秀な論文として認められる。以上の理由により、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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