学位論文要旨



No 124263
著者(漢字) 桐生,裕子
著者(英字)
著者(カナ) キリュウ,ユウコ
標題(和) 近代ボヘミアにおける農村社会の変容 : 19世紀後半における農村住民・市民・国民をめぐって
標題(洋)
報告番号 124263
報告番号 甲24263
学位授与日 2009.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第854号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴,宜弘
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 石田,勇治
 東京大学 准教授 長谷川,まゆ帆
 東京外国語大学 教授 篠原,琢
内容要旨 要旨を表示する

ハプスブルク帝国下にあったボヘミアにおいては、1848/49年革命期に、隷農制とそれに由来する諸負担・義務・権利が廃止される。隷農制の廃止は、農民生産の最大の障害を取り除き、その発展の条件を整えただけではない。隷農身分の廃棄によって、農村住民は法的に自由な「市民(obcan)」となり、ボヘミアにおいても身分的に平等な市民から構成される市民社会の形成を可能にする法的基盤が与えられたといえよう。こうして新たな政治的・社会的・経済的条件を与えられたボヘミア農村は、国民運動、農業運動の展開をはじめ、19世紀後半に大きな変容を経験することになるのである。

近年のボヘミアおよびハプスブルク帝国を対象とした研究は、19世紀を身分制秩序が弛緩・解体し、市民社会的構造への転換が生じた時代ととらえ、その社会の変容を多様な局面に注目してとらえようとしている。このような研究の潮流は、19世紀のボヘミア、そしてハプスブルク帝国の社会において重要なテーマとなった、国民(narod)をめぐる諸問題を扱う視点をも変化させつつある。近年の研究は、「国民」を身分制が弛緩・解体する近代における新たな社会の編成原理としてとらえたうえで、「国民化」を新たな政治制度の導入、結社やメディアなどを基盤に新たな公共空間が構築され、さまざまなアクターがせめぎ合いながら政治的議論に参加してゆくなかで進行する、動態的過程として考察する必要を示しているといえる。

本論文の目的は、以上のような研究動向を踏まえ、隷農制が廃止される1848/49年革命期から20世紀初頭の時代を対象として、身分社会的構造から市民社会的構造への転換の過程でボヘミア農村が経験した変容を明らかにするとともに、身分制廃止後の社会変容、農村住民の隷農から市民への変化という具体的な文脈において、ボヘミア農村における国民化の問題について考察することにある。分析にあたっては、隷農制廃止後のボヘミア農村で普及し始める雑誌と結社、それに基づく社会的コミュニケーション網の緊密化といった側面に注目する。そして、雑誌や結社を基盤に新たな「公共圏」が構築されてゆくなかで、身分制社会を構成していた従来の閉鎖的な地域社会がいかに解体・再編され、身分的に解放された農村住民が新たな政治的主体として帝国や社会の運営にかかわる議論に関与していったか、その過程で「国民」という新たな社会の編成原理がどのように普及していったかを明らかにすることを通じて、ボヘミア農村における国民化の問題について検討を行なう。

以上の課題を設定することによって、本論文は次の2点において研究史上の貢献をはかることを目指すものである。第一に、これまで農業運動の過程として主に経済的観点から検討されてきた農村住民の政治化を、身分社会的構造から市民社会的構造への転換という文脈において生じたより長期的な政治文化の変化の過程として提示し、ボヘミア農村史研究に新たな視点を導入すること。第二に、ボヘミアの農村における国民化の問題を、身分社会的構造から市民社会的構造への転換という文脈において考察することによって、国民を身分制が弛緩・解体する近代における新たな社会の編成原理としてとらえる新たな視点からのボヘミア、ハプスブルク帝国における国民形成の研究の進展に貢献すること。同時に、従来の国民研究において支配的であった東西国民の二分法において、「非合理的」あるいは「有機的」とされてきた「東」のボヘミアにおける国民の問題を、市民化、市民社会との関わりにおいて論ずることによって東西国民の二分法を乗り越え、国民研究全般に新たな視点をもたらすとともに、歴史研究におけるヨーロッパと「東欧」という二分法を克服することを試みる。

以上のような目的を持つ本論文は、序章、本論III部6章、終章から成る。本論は基本的に通時的な流れに沿って展開される。

第I部は第一章、第二章の2章から構成され、本論文の導入部にあたる。この導入部では、1848/49年の隷農制の廃止が農村社会にとっていかなる意義を持ったかを明確にするとともに、19世紀後半におけるボヘミア農村社会の変容の基盤・枠組みとなる条件を確認する。第一章では、隷農制下の農村社会について概観した後、1848/49年革命における隷農制の廃止の経緯と、隷農制廃止後の農村社会に与えられた制度的・社会的条件について整理する。第二章では、19世紀後半の農村住民の社会における位置づけ、および農村における出版物や結社の普及の前提となる条件を確認するため、啓蒙絶対主義期から1848/49年革命期にかけての農村住民にかんする議論、農村住民に対する啓蒙活動を、主に帝国権力とチェコ系国民主義者に注目して検討を行なう。

第II部は第三章、第四章の2章から構成される。第二部は1850年代から60年代を対象とし、農民の「市民」、そして「国民」への育成を目指す隷農制廃止後の農村住民に対する啓蒙活動の過程で進行した、ボヘミア農村における雑誌の普及と結社活動の展開について考察する。

第三章では、隷農制廃止後の農村住民に対する啓蒙活動の一環として発行され、チェコ系リベラル派のコディム(F.S.Kodym)が編集者を務めたチェコ語誌『農事新聞(Hospodarske noviny)』を取り上げ、その読者と言論の空間について考察する。そして、19世紀中葉のボヘミア農村における出版物の普及状況の一端を示すとともに、農民の「市民」、そして「国民」への育成を目指す啓蒙活動を通じて、農村住民の社会的・文化的実践がいかに変化したかを明らかにすることを試みる。

第四章では、隷農制廃止後の啓蒙活動の一環として設立が開始される農業協会を取り上げ、1850-60年代の時代を対象に、その設立の経緯と活動について検討を行なう。そして、農業協会という新たな原則や規範に基づく結社的結合が、従来身分制秩序に基づいて運営されてきた地域社会において、いかに新たな「公共的な」議論の空間を生み出して地域社会を再編することになったか、その過程で「国民」という新たな社会の編成原理がどのように地域社会に持ち込まれることになったか、という問題を明らかにすることを試みる。

第III部は第五章、第六章の2章から構成され、1870年代から20世紀初頭にかけての農業結社と農村社会を考察の対象とする。

第五章では、1870年代から90年代にかけての農村における結社活動の展開について検討を行なう。この時代は一般に、農業利益の組織化が進み、その立法・行政機関における貫徹を求める運動、いわゆる農業運動が展開される時代とされる。そして、これまでの研究において農業運動は主に経済的視点、あるいは政治史的視点から検討されてきた。本章では、当該期に農村結社が急増することに注目し、農村への結社活動の浸透、農村における「公共圏」の拡張、村落社会と領邦・帝国レベルの政治との関係の緊密化の過程として、農業運動をとらえ直すことを試みる。そして、この時代にいかに結社活動が農村に普及したか、結社を媒介として既にナショナルな軸に沿って編成が進んでいた領邦・帝国レベルの政治と村落社会とがどのように結びつき、農村住民の政治的・社会的実践を変化させていったか、という問題について検討を行なう。

第六章は、19世紀末から20世紀初頭の時期を対象とし、農業結社を基盤とし、「国民」別編制をとるボヘミア王国農業審議会のチェコ・セクションが、農業労働者の問題にいかに取り組み、農村における富裕層である農民が農村下層民と取り結ぶ農業雇用関係の再編をどのようにはかろうとしたかについて検討するものである。この作業を通じて、隷農制廃止後の啓蒙活動によって推進された結社活動の階級的性格を明らかにするとともに、国民運動に参与しながら活動するこれらの結社に担われた農村再編の動きがどのような性質を持つものかを解明することを試みる。

以上の内容をもつ本論文は、国民の問題を、他国民や帝国権力との対抗関係に重点を置くのではなく、身分制廃止後の社会の編成原理の転換の過程、そのメカニズムに焦点をあわせて考察した点に大きな特徴がある。

本論文の成果は、大きく次の2点にあるといえるだろう。第一に、農村における出版物・結社活動の普及の過程に注目しつつ、当該期における農村住民の社会的・政治的・文化的実践の変化を考察することによって、チェコ国民運動の展開、あるいは国民化の進展が、市民的諸価値の実現を目指す動き、政治文化を含めた広義の文化の変容を伴ったこと、さらに国民化が性差・階層・地域などを基盤に新たな包摂・排除を伴い進行したことを明らかにした点。第二に、以上の発見を通じて、チェコの国民(narod)が従来考えられてきたように「言語的・文化的同質性」に基づいて、全ての住民を等しく含合するものなどではなかったことを明確に示し、近代の国民の興隆を、言語的・文化的に均質な「民族」の再生の過程ととらえる「民族再生論」に対して根本的な批判を行なった点。

このようにボヘミアおよびハプスブルク帝国における国民の問題を、身分制廃止後の社会変容という具体的な文脈、市民社会とのかかわりにおいて考察することの必要性を、説得力をもって示した本論文は、西の「市民的」国民と東の「民族的」国民を対置させてとらえる従来の研究に見られた東西国民の二分法の克服をはかり、国民研究に新たな視点をもたらすとともに、歴史研究におけるヨーロッパと「東欧」という二分法を乗り越えるという点でも一定の成果をあげたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

桐生裕子「近代ボヘミアにおける農村社会の変容-19世紀後半における農村住民・市民・国民をめぐって」は、1848/49年革命期から20世紀初頭を対象として、ボヘミア社会が身分制的な構造から市民社会的な構造へ転換する過程で、その農村が経験した変容を明らかにすると同時に、身分制廃止後の農村住民の隷農から市民への変化という具体的な経緯を分析し、ボヘミア農村における「国民化」の問題について考察した本格的な論文である。

19世紀後半期のボヘミアは、ハプスブルク帝国のなかでは、経済的に最も先進的な地域に成長するため、わが国のこれまでのチェコ近代史研究においては、プラハの産業化や都市の問題に焦点が当てられる傾向が強かった。こうした傾向に対して、本論文は隷農制廃止後のボヘミア農村で普及し始める雑誌と結社、それに基づく社会的コミュニケーション網の緊密化といった側面に注目し、チェコ語の史料や文献を駆使して考察を進めている。

分析に際しては、実体としてではなく、あらたな主体として国家や社会の運営に参画してゆこうとする人びとの政治的・社会的・文化的な実践のあり方を捉える概念として、「公共圏」を用いて次の二点を明らかにする試みがなされる。第一は、雑誌や結社を基盤として「公共圏」が構築されてゆくなかで、身分制社会の基礎となっていた従来の閉鎖的な地域社会が、いかに解体・再編され、身分的に解放された農村住民が新たな政治主体として、ハプスブルク帝国やボヘミア社会の運営にかかわる議論にどのように関与していったのか、という点である。第二点は、こうした過程で、国民という新たな社会の編成原理がどのような機能を果たしたのかということである。これら二点を明らかにすることにより、ボヘミア農村における「国民化」の問題について検討が加えられている。

本論文は序章、本論の三部6章、そして終章から構成されており、A4用紙で脚注を含めて270ページ、図表・地図が16ページ、参考文献表が15ページからなる力作である。基本的には、通時的な流れに沿って展開されている。

序章では、本論文の課題を提示した上で、この課題と関連する研究史が、(1)農村史研究、(2)ボヘミア史研究、(3)ハプスブルク帝国史研究の三点にわたって、詳細かつ手際よくまとめられている。チェコ語文献に加えて、ドイツ語圏や英語圏の研究を整理したこの研究史は貴重な貢献であり、ここから、本論文の位置づけがはっきりと読み取れる。本論文で「公共圏」や「市民社会」という分析概念を用いる理由も説明されており、こうした概念を用いることによって、従来の言語的・文化的に均質な「民族集団の覚醒」として「国民化」を捉えるのではなく、既存の社会秩序を再編してゆく複雑な権力関係の再編過程として捉えることが明示される。

第一部は2章から構成され、本論文の導入部にあたる。ここでは、1848/49年革命における隷農制の廃止が農村社会にとって、どのような意義を持ったかが示されるとともに、19世紀後半におけるボヘミア農村社会に変容の基礎となる条件が検討される。第一章では、隷農制下の農村社会について概観し、隷農制廃止の経緯とその後の農村社会に与えられた制度的・社会的条件が整理されている。

第二章では、19世紀後半期の農村社会における出版物や結社の普及の前提となる条件を確認するため、それ以前の時期の農村住民のあいだの議論や農村住民に対する啓蒙活動が、主としてハプスブルク帝国権力やチェコ系国民主義者に注目して検討されている。

第二部は2章から構成されており、ここでは、1850年代から60年代を対象として、ボヘミア農村における雑誌の普及と結社活動の展開が具体的に考察される。第三章では、ボヘミア王国農業協会が発行したチェコ語の雑誌『農事新聞』を取り上げ、その読者と言論空間が検討される。ボヘミア農村における出版物の普及状態の一端が示されるとともに、農民の市民、さらに国民への育成を目指す啓蒙活動を通じて、農村住民の社会的・文化的な実践がどのように変化したかが明らかにされている。

第四章では、ボヘミア王国農業協会を取り上げ、設立の経緯活動について検討される。農業協会という新たな原則や規範に基づく結社的な結合が、どのように新たな「公共的」な議論の空間を生み出して、地域社会を再編することになったか、その過程で国民という社会の編成原理がどのように地域社会に持ち込まれることになったのか、という問題を明らかにする試みがなされている。

第三部も2章から構成され、1870年代から20世紀初頭にかけての農業結社と農村社会が考察の対象とされる。第五章は1870年代から90年代にかけての農村社会における結社活動の展開が検討される。この時代は、いわゆる農業運動が展開された時期であり、従来の研究では、それが主に経済史的な視点あるいは政治史的な視点からなされてきたが、ここでは農村社会への結社活動の浸透、農村社会における「公共圏」の拡張、農村社会と領邦・帝国レベルの政治との関係といった視点から、捉えなおす試みが行なわれる。

第六章では、19世紀から20世紀初めの時期を対象として、農業結社を基盤とするボヘミア王国農業審議会チェコ・セクションが、農業労働者の問題にどのように取り組み、農村社会の富裕層が下層民と取り結ぶ農業雇用関係をどのように再編しようとしたのかについて検討される。

終章では、近代のチェコ国民が農村住民とその文化を核として形成されたという従来の「民族再生論」が批判され、ボヘミア農村住民の「国民化」は身分制廃止後に進行する社会の編成原理の転換の過程として、市民化と市民的な規範の受容を伴いながら進行したと結論付けられている。

本論文の研究上の貢献としては次の2点が指摘できる。第一に、ヨーロッパにおけるナショナリズム研究や国民(ネイション)研究は、西欧と東欧といった二分法に依拠してなされる傾向が強かった。西欧の「合理的・自発的国民」あるいは「市民的国民」と東欧の「非合理的・有機的国民」あるいは「民族的国民」に区分し、東欧の国民の「遅れ」を指摘して、西欧の国民を称揚するという議論である。しかし、本論文が実証的に明らかにしたように、ボヘミア農村の「国民化」は市民化を伴って進行したのであり、国民を単純に東西に二分することはできない。ボヘミアの農村社会を事例として、この点を解明したことは大きな貢献であり、ヨーロッパの国民研究にも大いに寄与する研究といえる。

第二は、本論文はわが国のチェコ近代史研究において、農村に注目した初めての研究である。チェコにおいては、農村史研究はもっぱら経済史や政治史の視点から行なわれてきたが、この論文は社会史の視点を取り入れている。また、ボヘミアで発行された雑誌を史料として駆使しているだけでなく、現在のチェコ歴史研究において、あまり参照されることのない戦間期の農村研究の文献を掘り起こし利用しており、この点は高く評価される。本論文は、今後のチェコ近代史研究にとって、一つの方向を提示しており、基本的な研究として長く参照されることはまちがいない。

上記のように、本論文はきわめて高く評価することができるが、問題点がないわけではない。審査会では、(1)農村社会の分析を19世紀以前の時期にまでさかのぼって、もう少し長いスパンで考察する必要がある。(2)史料上の限界があり、農民を啓蒙する目的の雑誌が主たる史料として使われているので、議論が図式的になる面が見られる。(3)「公共圏」という分析概念が十分に生かしきれていない。(4)史料の読み込みが必ずしも十分ではない、さらに突き詰めた分析をすべきである。(5)序章の問題提起、それを受けての終章でのまとめと本論文の課題については整合的に書かれているが、本論とのつながりが十分に論じられているとはいえない。以上のような本論文の問題点と今後の課題を含めた指摘がなされた。

しかし、審査委員会は指摘された問題点が本論文の学術的な価値を損なうものではなく、本論文が博士論文としての水準を十分に超えていると判断した。したがって、審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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