学位論文要旨



No 124265
著者(漢字) 小林,慶二朗
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ケイジロウ
標題(和) ゼオライトナノ細孔による不安定分子の生成、安定貯蔵、および有機合成反応への適用
標題(洋) Formation and Preservation of Labile Molecules in Zeolite Nanocages, and Its Application to Organic Synthesis
報告番号 124265
報告番号 甲24265
学位授与日 2009.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第856号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾中,篤
 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 准教授 錦織,紳一
 東京大学 准教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

ゼオライトという物質名は、1756 年に発見された天然鉱物に始まり、以来、近年まで結晶性の多孔質アルミノケイ酸塩の総称として用いられてきた。ゼオライトは洗剤、脱臭剤、抗菌グッズ等、我々の身近な場所で利用されている人体に無害な無機物質であり、0.3~1.3ナノメートルの規則性細孔を有し、分子レベルでのふるいわけが行える材料である。最も基本的なゼオライトの構成単位は四面体構造の[SiO4]4-および[AlO4]5-であり、頂点酸素の共有により互いに連結することでゼオライト骨格を形成する。このとき、電気的中性を維持するために、それぞれの四面体[AlO4]に対してそれに見合うだけの正電荷が必要となる。これはゼオライト中に静電気的に取り込まれた交換性陽イオンにより補われる。ゼオライト科学の進歩により、骨格構造を形成するT(Si, Al)原子の位置がB, Fe, Ga, Ge, P などの元素で一部あるいは全部置換された、いわゆる骨格置換ゼオライトが合成されるようになった。このような経緯から、現在、天然型ゼオライトは40 種類、人工的な合成ゼオライトは150 種類ほどあり、おおよそ200 種類のゼオライトが存在している。本研究は工業的に大量合成が可能であり、人体に無害な天然型のゼオライトを主に用い、そのナノ細孔内に通常の方法では取り扱いが困難な不安定分子を発生・保存し、有機合成反応にまで発展させることを目的に行った。

不安定な化学種は反応性に富むため興味深い化学的特性を持つ。しかし、不安定な化学種は、分解や重合が起こらない極低温下、マトリックス分子中などの制限された条件で取り扱う必要があり、反応試薬として簡便に用いることは困難である。近年、このような不安定な分子を安定に取り扱うための方法として、共有結合や遷移金属錯体で作られたカプセル状分子のナノ空間をホストとし、ゲスト分子である不安定化学種を閉じ込め安定化する方法が開発されてきた。しかし、共有結合ホスト分子は多段階の合成が必要であり容易に入手できるものではない。カプセル状遷移金属錯体は、自己集合を利用するため容易に調製することができるが、有機溶剤中ではその構造を維持することができず、安定性に問題がある。また、これらの手法は不安定分子を閉じ込めて観測するには有効な手段であるが、ゲスト分子はホスト分子系を壊さない限り取り出すことができず、せっかく作り出した不安定分子を利用することができない。

一方、ゼオライトは工業的に合成されているため入手が容易であり、有機溶剤でも水溶媒でも安定な強固な骨格を有する。また、その強い吸着力でさまざまな低分子を吸着し、閉じ込めることができる。閉じ込められた分子は隔離されたカチオンサイトの近傍に存在するため、不安定な分子を吸着させると自己反応が抑制され安定化されることになる。また、細孔表面にはアニオン性酸素格子と対カチオンの間に生じる強い静電場があり、その作用で吸着分子は強く分極されるため活性化されることになる。したがって、ゼオライトの持つサブナノメートルの細孔は吸着された不安定分子を安定化し、かつ、活性な状態に保つ「容器 」として考えることができる。さらに、ゼオライトの細孔構造は開放系であるため、外部から他の分子を送り込むことができる。このため、細孔内に閉じ込めた不安定分子を観測することのみならず、反応試剤として活用することも可能である。ゼオライトの持つこれらの優れた特徴を利用することで、N-無置換アルジミンやジアゾ酢酸エチルのような不安定分子を安定貯蔵し、有機合成反応へ応用した結果について以下にその概要を述べる。

アルジミンは、還元的アミノ化反応、求核付加反応(アルキル化およびシアノ化反応)、Mannich 反応、芳香族への求電子置換反応(Friedel-Crafts 反応)、1,3-ジエンとのDiels-Alder反応、オレフィンとのイミノーエン反応等、さまざまな反応に用いられ含窒素化合物に変換される。このため、有機合成化学において極めて重要な前駆体である。通常、これらの反応に使用されるアルジミンは、窒素上をさまざまな置換基で保護した形で用いられており、この保護基は最終的に除去しなければならない。高い原子効率を達成するためには窒素上を保護しない、N-無置換アルジミンを用いた合成法の開発が必要である。しかし、N-無置換アルジミンは、非常に不安定な分子であるため、常温・常圧では重合等の自己反応により単量体として存在しないことが知られている。前述したゼオライトの持つ優れた特徴を利用すれば、不安定で容易に取り扱うことができなかったN-無置換アルジミンをゼオライト細孔内で観測することのみならず、求電子反応剤として用いることも可能と考えた。ナトリウム型フォージャサイトゼオライトであるNaX やNaY に安定な前駆体アルデヒドを吸着しアンモニアを作用させた結果、予想通り常温・常圧では単離できなかったt-BuCH=NH、4-ClC6H4CH=NH、およびPhCH=NH のようなN-無置換アルジミンが直接的に作り出せることが明らかとなった。しかも、驚くべきことに、ゼオライト細孔内のこれらN-無置換アルジミンは100 ℃のような高温でも安定であり、室温においては少なくとも3 ヶ月間単量体で存在することを固体(13)C,(15)N-NMR 法で確認することができた。特に、t-BuCH=NH は低温下、高真空条件でも単離された報告例はなく、NaX およびNaY 細孔内で高純度な状態で保存できることを初めて明らかにした。次に、NaY 中で発生させたN-無置換アルジミンを無溶媒条件下、電子豊富なインドール誘導体と反応させた結果、Friedel-Crafts 付加体が高収率で得られることを見出した。本反応は、アルジミン窒素上に保護基を必要としないため高い原子効率を達成でき、遷移金属塩触媒や有機溶剤を必要としないため環境負荷の少ない優れた反応である。単離不可能であったN-無置換アルジミンをゼオライト細孔内で生成・捕捉し、しかも長期間安定に貯蔵できることを明らかにし、さらに、有機合成反応に利用した例は初めてである。

ジアゾ酢酸エチルはジアゾ化合物の中では比較的安定な化合物であるが、爆発性であり、酸や光により分解するため使用直前に調製しなければならない試薬として知られている。このようなジアゾ酢酸エチルをゼオライト細孔内に安定に貯蔵することができれば、より簡便に取り扱え、有機合成反応に利用できるものと考えた。ゼオライト細孔を有機反応の場として用いるため、入手が容易なゼオライトとして最も細孔径の大きなNaY ゼオライトに着目した。しかし、NaY ゼオライトは弱い酸性をもつため、そのナノ細孔中で脱窒素を伴う分解を受けずに安定に存在できるかが問題であった。そこでまず、NaY 中でジアゾ酢酸エチルが分解せずに存在できるかどうかを固体NMR で確認することにした。その結果、ジアゾ酢酸エチルはNaY ゼオライトの細孔内で、少なくとも室温3 ヶ月間は安定に存在することが明らかとなった。このため、NaY のナノ細孔を反応場としたジアゾ酢酸エチルの有機合成反応への利用を考えた。一般に、ジアゾ化合物の炭素-炭素三重結合への1,3-双極子付加反応は、優れたピラゾール複素環化合物を合成する方法として知られており、数多くの生理活性物質がこの方法で合成されている。しかし、ジアゾカルボニル化合物のアルキンヘの1,3-双極子付加反応は、電子豊富なジアゾ化合物に比べて反応性が低下するため、分子間で1,3-双極子付加反応を高収率で進行させることは意外にも困難であり、塩化インジウムをLewis 酸触媒とした水溶媒中での反応例のみが報告されていた。NaY ゼオライトの細孔空間は高い親水性と強い静電場もつため、遷移金属塩触媒を使用することなく水中で促進されるこのタイプの反応が効率的に進行し、ピラゾール誘導体が得られるのではないかと考えた。検討の結果、塩化メチレン溶媒中に懸濁させたNaY ゼオライトに電子求引基を有する各種アルキンとジアゾ酢酸エチルを順次加えるという簡便な操作で、穏和な条件下、高収率でピラゾール誘導体が得られることを見出した。本反応は、人体に無害なゼオライトで反応が進行するため遷移金属塩などの活性化剤を必要としないこと、ゼオライトはろ過によって簡単に生成物と分離できることなどの特徴を持ち、有用なピラゾール誘導体の合成法となりうる。

以上のように、本研究は、ゼオライトの持つ吸着分子の隔離による安定化能と、細孔内の強い静電場による活性化能という相反する特性を利用し、使用直前に調製して利用しなければならなかった不安定分子のみならず、常温・常圧では存在できなかった不安定分子がゼオライト細孔内で安定に保存でき、かつ、従来では困難であった有機合成反応に応用できることを明らかにしたものである。最適な反応場を提供するゼオライトは、自然界に豊富にあるナトリウムを金属対カチオンとして持つNaY ゼオライトで良く、遷移金属塩等のLewis 酸を必要としないことが特徴である。さらに、NaY ゼオライトは人体に無害な無機シリケート物質であり、ろ過によって簡単に生成物から分離することができる。このため、遷移金属塩触媒を反応に用いた場合にしばしば発生する生成物からの遷移金属成分の除去や残留の問題を回避することが可能である。以上のような特徴から、本研究において開発されたNaY ゼオライトを用いる反応は、不安定な分子を簡便に取り扱う手法を提供することのみならず、環境負荷の少ないプロセスへの応用を可能にするものであり、今後のゼオライトを用いた持続可能なプロセスへの展開が期待される。

Table 1. N-無置換アルジミンのインドール類へのFriedel-Crafts 反応a)

Table 2. 1,3-双極子付加反応における基質一般性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章は研究全般の緒言であり、ゼオライト鉱物についての概論と、ナノ空間化学に関する研究の背景および最近までの研究例が記述されている。第2章は、常温・常圧では重合等の自己反応により単量体として存在し得ない非常に不安定な分子であるN-無置換アルジミン(RCH=NH)を、ゼオライトの持つ特徴を活すと、ゼオライト細孔内で発生・観測できることのみならず、求電子反応剤として用いることも可能であることが述べられている。第3章では、爆発性のジアゾ酢酸エチルがゼオライト細孔内で安全に貯蔵され、しかも電子求引基を有する各種アルキンと効率良く反応し、医薬品として有用なピラゾール誘導体を高収率で与えることを述べている。第4章は総括であり、ゼオライトが示す吸着分子の隔離安定化能と、細孔内の強い静電場による活性化能という相反する特性を利用し、常温・常圧では存在しえなかった不安定分子がゼオライト細孔内で安定に保存でき、かつ、従来では困難であった有機合成反応に応用できたことが纏められている。

ゼオライトという物質名は、1756 年に発見された天然鉱物に始まり、以来、現在まで結晶性の多孔質アルミノケイ酸塩の総称として用いられてきた。ゼオライトは洗剤、脱臭剤、抗菌製品等、我々の身近な場所で活用されている人体に無害な無機多孔質物質であり、0.3~1.3 ナノメートルの均一細孔を有し、分子レベルでの篩い分けを行える材料である。

本研究は、人体に無害な天然型のゼオライト鉱物が、そのナノ細孔内に、通常の方法では取り扱いが困難な不安定分子を発生・保存でき、しかも有機合成反応の促進剤としての機能も示すことを明らかにすることを目的にしたものである。

不安定な化学種は反応性に富むため興味深い化学的特性を持つ。しかし、不安定な化学種は、分解や重合が起こらない極低温下、マトリックス分子中などの制限された条件で取り扱う必要があり、反応剤として簡便に用いることは困難である。近年、このような不安定な分子を安定に取り扱うための方法として、共有結合や遷移金属錯体で作られたナノ空間を有するカプセル状分子をホストとし、不安定化学種をゲスト分子として閉じ込めて安定化する方法が開発されてきた。しかし、共有結合ホスト分子は多段階の合成が必要であり容易には入手できない。また、カプセル状遷移金属錯体は、自己集合を利用するため調製することは容易であるが、有機溶剤中ではその固有の空間構造を維持できず、安定性に問題がある。また、これらの手法は不安定分子を閉じ込めて観測するには有効であるが、ホスト分子骨格を壊さない限りゲスト分子を合成反応に利用することができない。

一方、ゼオライトは工業的に合成されているため豊富にあり、有機溶剤中でも水中でも安定な強固な骨格を有する。また、その強い吸着力でさまざまな低分子を吸着し閉じ込めることができる。閉じ込められた分子は隔離されたカチオンサイト近傍に局在するため、吸着された不安定分子は自己反応が抑制され安定化されることになる。また、細孔表面には、アニオン性酸素格子とその対カチオンの間に強い静電場が形成されており、その作用で吸着分子は強く分極し、活性化された状態になる。したがって、ゼオライトの持つサブナノメートルの細孔空間は、吸着した不安定分子を安定化し、同時に活性な状態に保つ「ミクロな容器 」と考えることができる。さらに、ゼオライトの細孔構造は開放系であるため、外部から他の分子を取り込むことができる。このため、細孔内に閉じ込めた不安定分子を観測することのみならず、反応剤として活用することも可能である。

第2章では、アルジミンの化学を追究した。アルジミンは含窒素化合物に変換されるため、有機合成化学において極めて重要な反応中間体である。通常、使用されるアルジミンは、窒素原子を置換基で保護した形(RCH=NR')で用いられており、この保護基は最終的に除去しなければならない。高い原子効率を達成するためには窒素原子を保護しない、N-無置換アルジミン(RCH=NH)を用いた合成法の開発が必要である。しかし、N-無置換アルジミンは、非常に反応性が高く、常温・常圧では重合等の自己反応を起こし単量体として存在しないことが知られている。本研究で、ゼオライトの持つ特徴を活かし、この不安定なN-無置換アルジミンをゼオライト細孔内で観測することのみならず、求電子反応剤として利用することに成功した。すなわち、ナトリウム型フォージャサイトゼオライトであるNaX やNaYに安定な前駆体アルデヒドを吸着し、その後アンモニアを作用させた結果、予想通り常温・常圧では単離できなかったt-BuCH=NH、4-ClC6H4CH=NH、およびPhCH=NHのようなN-無置換アルジミン化合物を直接調製できることを明らかにした。しかも、驚くべきことに、ゼオライト細孔内に発生したN-無置換アルジミンは100 ℃のような高温でも安定であり、室温においては少なくとも3 ヶ月間単量体で存在することを固体13C、15N-NMR 法で確認できた。特に、t-BuCH=NHは低温、高真空条件下でも単離された報告例はなく、NaX およびNaY 細孔内で高純度な状態で保存できることを初めて明らかにした。次に、NaY 中で発生させたN-無置換アルジミンを無溶媒条件下、インドール誘導体と反応させた結果、Friedel-Crafts 付加体が高収率で得られることを見出した。単離不可能であったN-無置換アルジミンを発生させ、有機合成反応に成功した例は今までに報告されていない成果である。

第3章では、ゼオライト細孔中でのジアゾ酢酸エステルの挙動とその反応性について述べている。ジアゾ酢酸エチルはジアゾ化合物の中では比較的安定な化合物ではあるが、爆発性があり、酸や光により分解するため使用直前に調製すべき試薬として知られている。このようなジアゾ酢酸エチルをゼオライト細孔内に安定に貯蔵することができれば、より安全な化学合成を実現できると考えた。まず、NaY 中でジアゾ酢酸エチルが分解せずに存在するかどうかを固体NMR 法で調べた。その結果、ジアゾ酢酸エチルはNaY ゼオライトの細孔内で、少なくとも室温3 ヶ月間は安定に存在することがわかった。次に、NaY のナノ細孔を反応場としたジアゾ酢酸エチルの有機合成反応への適用を試みた。一般に、ジアゾ化合物の炭素-炭素三重結合への1,3-双極子付加反応は、ピラゾール複素環化合物を合成する優れた方法として知られており、数多くの生理活性物質が作り出されている。しかし、ジアゾカルボニル化合物のアルキンヘの1,3-双極子付加反応は、電子豊富なジアゾ化合物に比べて反応性が低下するため、分子間で1,3-双極子付加反応を高収率で進行させることは困難であった。研究の結果、塩化メチレン溶媒中に懸濁させたNaY ゼオライトに電子求引基を有する各種アルキンとジアゾ酢酸エチルを順次加えるという簡便な操作法で、穏和な条件下、高収率でピラゾール誘導体を与えることを見出した。本反応は、人体に無害なゼオライトで反応が進行するため遷移金属塩などの活性化剤を必要としないこと、反応後にゼオライトを簡単に生成物から分離できることなどの特徴を持ち、ピラゾール誘導体の有効な合成法となりうることを明らかにした。

結び

本論文中の第3章の一部は、増井洋一氏、伊倉悠太氏との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって実験、解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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