学位論文要旨



No 124267
著者(漢字) 小野,洋
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ヒロシ
標題(和) 粗飼料生産技術の評価に関する理論的・実証的研究
標題(洋)
報告番号 124267
報告番号 甲24267
学位授与日 2009.03.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3366号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 木南,章
 東京大学 教授 鈴木,宣弘
 東京大学 准教授 中嶋,康博
 東京大学 講師 八木,洋憲
内容要旨 要旨を表示する

農業の生産環境は厳しさを増している。農業をとりまく主要な課題としては、生産調整への対応、家畜ふん尿がもたらす窒素過剰、耕作放棄地の増大、自給率向上等があげられる。本研究では、これらの課題に対処する手段としての粗飼料生産に着目する。粗飼料の生産拡大によって農業が抱える諸問題を解決するためには、技術開発によるコスト削減や収量増を通じた生産力の底上げが不可欠である。この点で技術開発の果たす役割は大きい。

ところで、技術開発への期待に近年の財政の逼迫が相俟って、農業技術研究のアウトカムがこれまで以上に厳しく問われている。労働力条件、圃場条件、栽培管理条件等を的確に組み込んだ技術評価が求められていると言い換えてよい。技術が生産現場において普及可能となるか否かは厳格な技術評価とスクリーニングによって確保されるが、同時にこうした厳格なスクリーニングは、多くの技術に対し一層の改善を求めることになるだろう。

本研究の課題は、現行の粗飼料生産技術の評価における問題点の整理、ならびに新技術が普及・定着するための条件の検討である。

技術開発の出口を構成する技術評価は、ピアレビューとしての経営的評価が一般的であり、そこでは技術導入による生産額の増加やコストの減少が計測される。数理計画法における理論の精緻化・手法の簡便化は、複数作目ないし労働・土地等の生産要素制約のあるケースの評価を容易にしてきた。しかし、技術評価における生産条件の捕捉が不正確ならば、当該技術の普及・定着は一部にとどまるだろう。本研究の柱の1つは、生産条件の把握・予測による経営的評価の精度向上にある。

技術普及において重要なもう1つの視点は環境影響評価である。環境問題への関心が高まるなかで環境影響を無視した技術は成立しえない。生産環境を反映した環境影響評価の実施、これが2つめの柱である。環境影響評価の対象としては、国民的関心が高く客観的に計測可能な地球温暖化ガスをとりあげる。加えて経済と環境の2つの評価の統合に関しても議論を行う。分析にあたっては、手法の簡便さ、計測のしやすさ、理解のしやすさに重点を置いた。いかに厳密かつ正確であっても、技術の評価手法や分析過程、評価結果が生産者にとってブラックボックスであれば理解は到底得られない。

技術の経営的評価は牧草生産を対象に第2、第3章で考察する。第2章では飼料生産技術の評価の現状と問題点を整理する。飼料生産技術の普及可能性は、通常、購入乾草利用と自給飼料生産のどちらがリーズナブルかで判断される。農業白書等においては、自給飼料生産費用価が乾草価格よりも低いことを根拠に、長期に渡って自給飼料生産が有利であるとされてきた。はじめに、自給飼料生産費用価と輸入乾草価格の乖離及び飼料生産数量・面積の経年的縮小に関するデータを示し、自給飼料生産拡大の可能性に関する通説的理解は、飼料生産の実態と矛盾することを確認する。続いて、収穫調製作業における自家労賃評価に焦点を当て、自給飼料生産費用価の算定上の課題を検討する。自給飼料生産の隘路は飼料生産労働とりわけ収穫調製労働にある。収穫調製労働は、その季節性のみならず作業自体に高い熟練度が求められることから、市場を通じた労働力の確保は容易ではない。ところが、従来の飼料生産技術の評価では、通常期の管理労働と繁忙期の収穫調製労働を同一労働とみなしたため、飼料生産の実態が評価に十分に反映されることはなかった。そこで第2章ではシンプルな数理モデルを用いてこの問題点を整理し、労働制約下の収穫調製作業の自家労賃は現行水準よりも高いこと、自給飼料の利用においては保管コスト等が別途発生するために、自給飼料生産費用価を購入乾草価格と比較する手法には問題があることを議論している。

第3章では飼料生産技術を正しく評価するという立場から、自給飼料生産費用価算定に用いられる自家労賃の値が適正か否かに焦点が当てられる。労働制約に関する生産実態をどのように自家労賃評価に組み込むかが論点となる。実証分析では収穫調製労働の自家労賃を推計する。はじめに、線形計画モデルから自家労賃評価を直接推計する。ここでは、北海道農業生産技術体系に示されるモデル経営の自家労賃評価を計測し、鹿追町酪農家を対象に乳量・乳価・資材投入量等に関する個別経営データをできる限り反映させた線形計画モデルを解き、農家毎の自家労賃評価を計測する。前者の自家労賃は6,000円/h前後、後者は農家間変動が大きいものの、基準乳量に近い経営では4,700円/hとなった。これらは自給飼料生産費用価算定に用いられる(毎月勤労統計調査)1,619円/h、100頭規模酪農生産における時間当たり労働報酬(畜産物生産費調査)2,627円/hと比較しても有意に高い。続いてこれらの数値の妥当性を検証するため、飼料コントラクターへの支払いをベースに自家労賃評価を間接的に推計する。収穫調製作業を委託する酪農家がコントラクターに支払う料金は、自家労働投入による不効用、すなわち自家労賃評価を下回ることを数理モデルで整理し、24戸のコントラクター利用農家を対象に自家労賃を推計する。収穫調製の自家労賃評価は4,000-6,000円/hに分布し、24戸の平均は4,500円/hとなった。この数値は、収穫作業の自家労働評価が高く、ある程度のコストを支払ってもコントラクターに委託したいという酪農家の意向を反映している。

2つの手法による自家労賃の推計結果において、いずれの数値も現状の労賃評価を大きく上回ることが明らかとなるが、以上は現行の自給飼料生産費用価の修正が必要であることを示唆する。あわせて、2種類の手法から得られる自家労賃の大小関係が、最適化行動モデルから得られる事前の予想と整合するかを考察し、手法の確からしさについて検証を行った。コントラクター利用から推計される自家労賃が線形計画法による自家労賃評価を下回るという事実は、コントラクターの利用料金が利用農家にとってはリーズナブルであることを示している。

2つめの柱である環境影響評価は第4章、第5章で論じる。環境問題への関心の高まりは、技術評価における環境影響評価を不可避としている。農業生産活動に起因する環境への影響を無視した技術が普及することはない。対象としては、資源循環型技術、なかでも環境問題と密接な関係にある飼料イネを軸とした耕畜連携システムをとりあげた。

第4章では農業技術の環境影響評価実施上の課題を、社会の受容性と可測性に焦点当て包括的に議論する。はじめに地球温暖化ガス排出量の定量化が重視される背景を述べ、次いで、計測手法としてLCA(Life Cycle Assessment)をとりあげ、資材投入にともなうCO2排出と施肥にともなうN2O揮散を計測する際の留意点を整理する。あわせて、農業生産自体を縮小すべきでないという立場から、環境影響評価に際しては、新技術導入による環境負荷量の絶対量ではなく、環境負荷量の変化量に着目すべきことを論じる。ウシの腸管や水田から発生するCH4はそもそも農業技術と直接には関連しない。

持続可能な農業生産のために環境負荷軽減技術が求められる一方で、無定見なリサイクル信仰にもとづく手段の目的化が一部にはみられる。マテリアルリサイクル自体が最終目的となり、その過程で発生する環境負荷量に十分な関心が払われないケースでは、新技術の導入により環境負荷量はむしろ増大するだろう。こうした動きに対しては、資源循環型技術の環境負荷量を数値で示す科学的態度が必要となる。これもまた環境影響評価に課せられた重要な役割である。

第5章の実証分析では、広島県中山間地域の飼料イネ耕畜連携システムを事例として資源循環型技術導入による地球温暖化ガスの変化を計測する。飼料イネ耕畜連携システムは、自給飼料生産としての役割に加え、生産調整、家畜ふん尿処理、耕作放棄水田の解消等、日本農業が抱える多くの問題に対処する技術として近年注目を集めている。飼料イネ耕畜連携システムを対象としたLCAの結果は次にまとめられる。「現状の生産技術水準(10a当たり乾物収量1t、生産コスト10万円)では耕畜連携システム導入により地球温暖化ガス排出量はむしろ増大することから、技術の向上が不可欠である。」飼料イネ耕畜連携システムの評価において、資源循環自体を善と評価する傾向が少なからずあるが、以上の結果からこうした評価は批判を受けることになる。

第5章までの各章では、農業技術開発の目的は農業経営の改善及び農業生産環境の持続性の確保にあるとし、経済と環境のそれぞれの視点から農業技術の普及のための技術評価のありかたを論じた。残された課題は、経営的評価と環境影響評価の統合である。農業生産の振興と環境問題の克服という2つの課題を定量化する作業と言い換えてよい。

第6章では両者の統合に関する試論を展開した。経営改善効果は十分でなくとも、環境負荷軽減効果の大きい技術は社会的評価が与えられるべき、という考えをもとに、環境負荷軽減によるプラスの効果が経営的評価におけるマイナスの効果を打ち消す水準にあるか否かを考察した。両者を統合する指標として炭素価格を用いたが、現行の炭素価格の水準では、環境面のプラスの効果が経営面のマイナスをオフセットすることはなかった。

あわせて、経営的評価と環境影響評価の統合に関する展望を整理した。社会科学においては環境負荷と経済指標の統合が特段の留意なく実施される傾向にあるが、自然科学においては、諸効果のナイーブな統合には懐疑的な見方が多い。そこでは環境問題の指標はそれぞれが意味をもつことから、複数の指標を1つに統合することに自体に意味がないという立場がとられる。ただ、いずれの立場を選択するとしても、農業生産の投入構造に関する我が国のデータは不十分である。今後の技術評価の精度向上のためには、分析手法の精緻化とともにデータベースの整備が求められる。

審査要旨 要旨を表示する

農業の新技術のもたらす生産性の向上や農業経営の改善については、これまで主として経営的な観点に立った評価が行われてきた。理論・応用の両面で精緻化の進んだ数理計画手法を援用するなど、評価の手法も高度化している。しかしながら、現実の農業経営を取り巻く経済環境の把握や、経営者の行動が実際に準拠している機会費用水準の把握といった点で、技術の経営的評価にはなお改善の余地が大きい。

一方、新技術を推奨しうるか否かの判断に際しては、環境に対する影響の評価を欠くことはできない。持続可能な地球社会への貢献という意味で、農業技術の環境影響評価の重要性が一段と増している。ただし、経営的評価と環境影響評価は方向の異なる判断をもたらすことがある。この場合、より高次の判断の基礎として、ふたつの評価の統合が有益であるが、そのための方法論が確立しているとは言いがたい。

本論文は、農業の技術評価の理論的・実証的な到達点を踏まえながら、粗飼料生産の技術体系を研究対象として、経営的評価の具体的な改善策や経営的評価と環境影響評価を統合する手法を明らかにした業績である。論文は、先行研究のレビューと評価の論理体系を整理した第1章を含めて、全6章から構成されている。

第1章の整理を踏まえて、第2章では自給粗飼料生産が輸入粗飼料利用より経済的に有利だとする通説的な理解に対して、この理解が農業経営者の現実の行動と矛盾することを長期の時系列データで確認する。また、収穫調製労働の特性を考察し、技術の経営的評価が自家労働の機会費用水準を過小推計している点が、こうした矛盾を生んでいることを示唆する。

第3章では第2章で示唆された仮説を検証するため、北海道の酪農経営について、線形計画法を用いて収穫調製労働のshadow priceを計測する。24経営について計測した結果、従来の経営的評価が用いてきた「毎月勤労統計調査」の水準を有意に上回っていた。一方、主体均衡モデルから導出される余暇の効用水準と作業の外部委託料金の関係を利用して、機会費用の下限値を推定したところ、従来の労賃評価が著しく下方にバイアスを有していることが確認された。適正な機会費用評価を前提にすれば、輸入粗飼料依存度の上昇は酪農経営の合理的な選択行動であると結論される。

第4章と第5章では、資源循環型技術として推奨されている耕畜連携システムを対象に、環境影響評価の意義と課題を検討している。第4章において代表的な評価手法であるLCAを中心に、社会的受容性や可測性の観点から環境影響評価が満たすべき要件を吟味したうえで、第5章では広島県の飼料イネを軸とする耕畜連携システムの事例について、技術導入による温暖化ガス排出量の変化を計測した。計測手法は産業連関表を用いたLCAであり、現行の技術水準を前提にすれば、耕畜連携システムの導入はむしろ温暖化ガスの増加に結びつくとの結論が得られた。さらにシミュレーションにより、環境への好影響を生むために必要な収量水準を明らかにした。

第6章では経営的評価と環境影響評価の統合を試みている。とくに統合評価が有益であるのは、経営的評価がマイナス(プラス)で環境影響評価がプラス(マイナス)となって、高次の判断のための情報が必要とされる場合である。いくつかの統合手法について長短を具体的に検討した結果、理論的にはセカンドベストではあるが、計測のコストを加味するならば、環境要素のshadow priceを用いた費用便益分析が適切であるとの結論が得られた。試算の結果、現行の炭素価格と技術水準のもとでは、耕畜連携システムの経営面のマイナスを環境面のプラスが打ち消すまでには至らないことが明らかにされた。

以上を要するに、本論文は農業技術を経営面と環境面から評価する方法について、理論的・実証的に詳細な検討を加えたものである。ケース・スタディによる具体的な評価を通じていくつかの新知見が生み出されており、自家労働の機会費用評価や評価の統合などの面では、評価の方法論の精緻化がもたらされた。これらの点で、本論文の成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/25288