No | 124268 | |
著者(漢字) | 浅利,知輝 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | アサリ,トモキ | |
標題(和) | インクブロットテストにおけるユニークな表象の形成に関わる大脳神経ネットワークの構造的・機能的研究 | |
標題(洋) | Structural and Functional Neural Correlates of Unique Responses to the Inkblot Test | |
報告番号 | 124268 | |
報告番号 | 甲24268 | |
学位授与日 | 2009.03.04 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第3174号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 機能生物学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 他者と異なる形で外界を知覚することは、創造的な精神活動の重要な要素の一つであるとともに、統合失調症など精神疾患の症候学の上でもしばしば問題になる。しかし、そうしたユニークな知覚の神経基盤に関する研究はほとんど知られていない。知覚のユニークさを定量的に評価可能な心理検査の一つとして、インクブロットテスト(ロールシャッハ・テスト)がある。この検査では、多義的な解釈が可能な、曖昧なインクブロット図形を刺激図形として、それが何に見えるかを被験者に自由に答えさせる。ある刺激図形に対するある被験者のある反応が、対照となる被験者群の反応記録の中で非常に低い頻度でしか出現していなければ、それはユニークな反応ないし「独創反応」とみなされる。そうした独創反応の出現率は、芸術家群において、対照となる非芸術家群よりも高い頻度で出現することが知られている。一方で、健常者と異なる奇妙な知覚を症状とする精神科疾患の患者においても、同テストにおいて、他者が追認することが困難である特異な反応が、対照となる健常者群に比べ、高い頻度で出現することが知られている。精神病症状を呈するそうした患者群では、扁桃体を初めとする辺縁系領域の構造的な異常がしばしば報告されている。健常者における正常範囲内のユニークな知覚においても、同様に扁桃体など辺縁系領域の関与があるかどうかも興味深いところである。インクブロットテストにおける反応生成に関わる脳内のネットワークを解析することは、創造的・想像的な心的活動の基盤を探る上で有益であるとともに、幻覚や妄想知覚など異常な知覚体験が生成されるメカニズムの萌芽的な段階のものも明らかにするかもしれない。逆に、図版とよく一致した典型的な反応の生成を支える脳内ネットワークの解析からは、内的な表象と外部の知覚刺激とを照合するプロセス(現実検討)に関わる神経基盤を明らかにできるかもしれない。なお、同テストは臨床において最も用いられている心理検査の1つであるにもかかわらず、その反応生成に関わる神経基盤はほとんど知られていない。 本研究では、インクブロットテストにおいてユニークな反応が生み出される神経メカニズムを探るため、各被験者の脳の構造画像を取得するとともに、被験者がコンピュータ化されたインクブロットテストを施行中の機能的MRI画像を取得し、ユニークな反応を生み出す神経基盤を構造的・機能的解析の両面から同定する。なお、反応がユニークなものであるかどうかを定量的に分類するためのデータベースとして、年齢・性別などをマッチさせた大規模な被験者群の反応記録を用いた。また、インクブロット図形の解釈と関連して、辺縁系領域が、前頭葉・側頭葉・後頭葉のネットワークを修飾するような働きをしているのではないかという仮説をもとに、機能的結合性に関する解析を行った(研究の全体像については、以下の図A~Dを参照)。 方法 68名の被験者(イメージング群)がMRI実験に参加した。各被験者からはいずれも、東京大学医学部倫理委員会の規定に従って、書面によるインフォームド・コンセントを得た。各被験者の脳の構造画像がまず取得された。機能的MRI実験では、10個のインクブロット図形が刺激図形として用いられ、1回の機能的MRIスキャンにつき1つの図形がスクリーンに3分間提示された (図A左)。各被験者はスキャナー内で、図形が何に見えるかを口頭で答えるように指示され、その間の機能的MRI画像が取得された。刺激図形はボタン操作によって回転させることが可能になっており、複数個の回答が可能であることが、被験者に明示的に指示された。各被験者のマイクから記録された音声データはスキャン後に解析された。反応の分類に先立って、年齢・性別・学歴が画像実験の被験者群とマッチした、217名の被験者群をデータベース群として、データベースを作るための行動実験が行われた(図A右)。データベース群の被験者はスキャナー外で同様の課題を試行し、反応は刺激図形毎に分類・集計された。イメージング群の被験者で出現した反応は、データベース群の被験者の中での同じ反応の出現頻度をもとに、ユニーク反応(出現率0%)、中間反応(出現率0より高く2%未満)、頻出反応(出現率2%以上)に分類された。また、各被験者毎に「ユニーク反応率」が、全反応数に対するユニーク反応数の比率として定義された。 構造画像の解析には、Voxel-based Morphometry (VBM) を用いた(図B)。イメージング群の各被験者の構造画像はSPM5 を用いて標準脳に変換され、各ボクセルでの灰白質の濃度(存在比率)が、ユニーク反応率と相関する部位を同定した。なお、年齢、性別、全灰白質容積などの潜在的混交因子の影響を除去するため、多重回帰分析を行った。機能画像の解析は、各反応カテゴリー毎に5つ以上のユニーク反応が見られた被験者を対象とした。SPM2を用いて各反応のオンセットにタイムロックした事象関連解析を行い、ユニーク反応出現時に活動する脳部位と頻出反応出現時に活動する脳部位を同定した(図C)。また、各反応カテゴリーの出現比が刺激図形毎に異なるため、各図形の視覚的な違いが潜在的な交絡因子になり得ることを考慮して、出現頻度による反応の分類をパラメーターで表現するとともに、刺激図形毎の視覚的な効果も同時にパラメーターとして組み込んだparametric解析を代替的解析として施行した。さらに、機能的結合性の解析には、SPM2に組み込まれているphysiophysiologic interactionを用いて、機能画像の解析で同定された左前前頭前野と右側頭極の領域をシードとして、全脳を対象に、扁桃体の活動が左前前頭前野と右側頭極をそれぞれ中心とした機能的結合性を修飾している部位を同定した(図D)。 結果 イメージング群における各被験者毎の、各反応カテゴリーの出現数(平均±標準誤差)は、頻出反応、中間反応、ユニーク反応のそれぞれにつき、15.8±5.1、12.0±6.5、11.6±8.9であった。反応カテゴリー毎に、ある一つの種類の反応を答えた被験者数は、頻出反応、中間反応、ユニーク反応のそれぞれにつき、6.4±7.9、2.0±1.7、1.2±0.5であり、ユニーク反応の特異的な性格が示された。 構造画像のVBM解析では、両側扁桃体、帯状回に、0.1%水準でユニーク反応率との有意な正の相関を示すピークが見られた(図B)。解剖学的に定められた、左・右扁桃体、帯状回の範囲で平均された灰白質濃度とユニーク反応率の偏相関係数は、それぞれ、0.30、0.34、0.37といずれも5%水準で有意であり、辺縁系領域とユニーク反応との深い関連が示された。 機能画像の解析は、5つ以上のユニーク反応が出現した46名の被験者を対象とした。ユニーク反応時の活動から頻出反応の活動を差し引いたコントラストでは、右側頭極に有意に高い脳活動が見られた(図C)。逆に、頻出反応からユニーク反応を差し引いたコントラストでは、左前前頭前野と、両側の側頭後頭領域にピークが見られた。刺激図形毎の視覚的な違いという潜在的交絡因子を考慮したparametric解析でも同様な結果であった。 VBM解析で同定された辺縁系領域が、機能画像の解析で同定された前頭葉・側頭葉・後頭葉のネットワークに対して及ぼしている修飾的な影響を調べるためのphysiophysiologic interaction 解析では、扁桃体領域の活動が、左前前頭前野と右側頭極の間の機能的結合性に対して正の修飾作用を持っており、右側頭極と両側側頭後頭領域の間の機能的結合性に対して負の修飾作用を持っていることが示された(図D)。帯状回領域の活動は左前前頭前野と右側頭極を中心とするネットワークに対して、そうした修飾作用を持たなかった。 考察 構造画像の解析では、インクブロット刺激に対して、ユニークな知覚を示す人ほど、扁桃体、帯状回といった辺縁系領域が発達していることが示唆された。また、機能画像の解析では、ユニークな知覚と関連して、扁桃体と解剖学的に近接した右側頭極が活動していることが示された。逆に、慣習的・典型的な知覚の仕方をする時には、推論や抑制など高次機能との関わりが知られる左前前頭前野や、視覚的内容の想起に関わることが知られている両側側頭後頭領域が活動していることが示された。また、機能的結合性の解析では、扁桃体の活動が上記の左前前頭前野・右側頭極・両側側頭後頭領域を結ぶネットワークに対して、修飾的な活動をしていることが明らかになった。 側頭極は、既存の機能画像研究において、「心の理論」、顔の認知、情動記憶などといったさまざまな課題と関連してその活動が報告されており、情動と知覚を結びつけるような働きをしていることが示唆されている。機能的結合性に関する今回の結果と合わせると、インクブロット刺激と関連したユニークな表象の形成には、通常の認知に関わるネットワークに対する情動系からのシグナルの干渉が関わっており、右側頭極が双方のネットワークが交わる結節点として働いていることが示唆される。こうした結果は、創造的な心的活動に対する情動の寄与を示唆する一方、情動的な負荷に対して脆弱なパーソナリティ障害の患者を被験者とした時に、まれで奇妙な反応が生じやすいというインクブロットテストに関する臨床的な知見とも一致するものである。 一方で、左前前頭前野の活動は、外的刺激によって想起させられた内的表象が、実際の外的刺激とどれだけ一致しているかを評価する能力(現実検討能力)に関わっているかもしれない。統合失調症や境界型パーソナリティ障害などといった精神疾患では、しばしば現実検討能力の低下が問題となるが、本研究の結果からは、そうした現実検討の低下の背景に、前頭葉・側頭葉を結ぶネットワークの解離や、情動に関わるシステムから知覚に関わるシステムへの過剰な干渉がある可能性が示唆される。 | |
審査要旨 | 本研究では、インクブロット・テストにおいてユニークな反応が生み出される神経メカニズムを探るため、MRIを用いた実験を行った。イメージング群に属する各被験者においては、脳の構造画像を取得するとともに、被験者が、コンピュータ化されたインクブロット・テストを施行中の機能的MRI画像を取得した。スキャン中に記録された音声反応は、イメージング群と年齢・性別をマッチさせたデータベース群における反応の頻度をもとに、ユニーク反応・中間反応・頻出反応の3種類に分類した。その上で、ユニーク反応を生み出す神経基盤を構造的・機能的の両面から探索し、下記の結果を得ている. 1.構造画像のVoxel-based Morphometry解析では、被験者間で、両側扁桃体・帯状回の灰白質容量と、反応総数に対するユニーク反応の率との間に有意な正の相関が見られた。 2.機能画像の事象関連解析では、ユニーク反応時の活動から頻出反応の活動を差し引いたコントラストで、右側頭極に有意に高い脳活動が見られた。逆に、頻出反応からユニーク反応を差し引いたコントラストでは、左前前頭前野と、両側の側頭後頭領域に有意に高い脳活動が見られた。刺激図形毎の視覚的な違いという潜在的交絡因子を考慮したparametric解析でも同様な結果であった。 3.VBM解析で同定された辺縁系領域が、機能画像の解析で同定された前頭葉・側頭葉・後頭葉のネットワークに対して及ぼしている影響を調べるために行ったphysiophysiologic interaction 解析では、扁桃体領域の活動が、左前前頭前野と右側頭極の間の機能的結合性に対して正の修飾作用を持っており、右側頭極と両側側頭後頭領域の間の機能的結合性に対して負の修飾作用を持っていることが示された。帯状回領域の活動は左前前頭前野と右側頭極を中心とするネットワークに対して、そうした修飾作用を持たなかった。 以上、本研究からは、構造的・機能的解析の両面で、扁桃体・側頭極など情動と関わりの深い脳部位の、ユニーク反応の生成に対する関与が明らかになり、機能的結合性の解析では、扁桃体の活動が知覚に関わるネットワークに干渉していることが示唆された。臨床的知見からは、インクブロット・テストにおいてユニークな反応が生まれる背景には情動の関与があるとされてきたが、現在までそれを神経生理学的な立場から示した研究はなかった。このように、本論文は、精神科臨床において重要な検査であるインクブロット・テストの遂行に関わる神経ネットワークを明らかにする上で重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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