学位論文要旨



No 124270
著者(漢字) 別府,文隆
著者(英字)
著者(カナ) ベップ,フミタカ
標題(和) purposive(目標的)なヘルスコミュニケーション方法の開発と評価 : 疫学調査における映像マスメディアの活用
標題(洋)
報告番号 124270
報告番号 甲24270
学位授与日 2009.03.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3176号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 小山,博史
 東京大学 講師 佐藤,元
内容要旨 要旨を表示する

第1章緒言

国内の疫学調査において、2002年に制定された疫学調査に関する倫理指針により、調査参加に対するインフォームド・コンセントの際に文書による同意書の交換が必要となった。それまでは自治体の行う住民健診や医療施設を介して参加者リクルートが行われていた疫学調査は、一般市民にとって参加している自覚の薄い存在であり、理解やイメージが乏しいため、説明に要する研究者の負担が大きくなっていることが指摘されている。さらに健康増進および生活習慣病予防などの観点からも「日本人データによるエビデンス産生」が必要で、バイアスが少なく参加率が高くより質の高い疫学調査が求められている。以上より対象者の理解に基づいた円滑なインフォームド・コンセントを得るための、マスメディア等を含む情報提供補助手段の開発が期待されていた。以上の背景は、千葉県安房地域で行われる40歳以上全住民23000人を対象として5年の追跡を予定している悉皆型の疫学調査「おたっしゃ調査」においても同様であった。

一方で、「purposive(目標的)なヘルスコミュニケーション」とは、米国でさかんな「マスメディアを介したヘルスコミュニケーション事業の研究」において重視されている概念である。研究者や行政担当者主導で行う、健康増進や医療健康上の普及啓発を目的とした慎重に準備されたメディア・メッセージ事業とそれに伴うコミュニケーション全体を指す。「マスメディア主導で制作・放送された一般のnon-purposive(非目標的)な」内容と区別し、先行研究や行動科学上の理論に依拠し(theory-based)、形成的調査に基づいて対象者に合わせたメッセージ開発を行う重要性が指摘されている。ヘルスコミュニケーション領域で健康行動に関連してよく用いられ、本論に関連すると考えられる概念モデル(理論)としてAjzenによる計画的行動理論(TPB)や、人が説得される経路を中心ルートと周辺ルートに分けて説明し、「ヒューリスティクス」の概念を内包するPetty & Cacioppoの精緻化見込みモデル(ELM)、知識・態度・実践(行動)に関する古典的なKAPモデルなどがある。

更に、上記のモデルだけではカバーしきれない「疫学調査参加行動」の要素をカバーするために、メッセージデザインに関連した概念モデルおよび行動理論のレビューを広く行った。本論のテーマである「郵送疫学調査(自記式)参加動員のための」メディア・メッセージ開発や行動理論、心理学的な概念モデルに関する先行研究は、残念ながら大変希薄であり、国内外の論文検索でも同一のテーマのものを確認することは出来なかった。よって近縁領域から、会社や学校などの組織内におけるアンケート調査とその反応に関する概念モデルを構築したRogelbergらによる「調査反応行動モデル」(Survey Response Behavior Model)やその他の文献の知見を参考に、メディア・メッセージと調査参加行動をつなぐ独自の概念モデル(「疫学調査(自記式)参加に関連する概念モデル(ESPモデル)」を構築し、モデルの構成要素としての中間変数を設定した。

具体的には、WrightらKahnらMarshallらRogelbergらによって調査参加(行動)との強い関連が指摘されていた「調査への印象(impressionまたはfeeling)」、TPBで健康行動の直接の影響因子として定義されている「行動意思(behavioral intentions)」、Cavusgilら、Rogelbergらによって郵送調査への参加行動時に重要な要素として挙げられている「参加意欲(commitment)」などを中間変数の候補として挙げた。検討の結果「郵送疫学調査に関する印象」および「郵送疫学調査への参加意欲」の2変数を主な評価指標となる中間変数として採用した。

以上より本研究の目的は、大規模悉皆疫学調査参加動員のための効果的なメッセージデザインを実現するために、前提となる対象者の概念モデルを検証(印象と参加意欲の向上)することである。そのために評価調査を通じて仮説1「本研究で開発した映像メッセージ内容は、調査対象者の疫学調査への印象を向上させる効果がある」、仮説2「本研究で開発した映像メッセージ内容は、調査対象者の疫学調査への参加意欲を向上させる効果がある」を検証した。

第2章方法

事前の対象住民や調査関係者への聞き取り調査や対象住民属性に関する形成的調査(formative research)およびメッセージ開発の先行研究に基づき、「おたっしゃ調査」に関する独自のテレビ番組を企画制作放送(UHFちばテレビ)し、番組評価調査を行った。

メッセージ(番組)開発の主な手順は以下である。

(1)対象住民11名、その他行政担当者、調査関係者など計27名に「おたっしゃ調査」に関する聞き取り調査を実施し、対象者の「疫学調査に対する理解・関心の低さ」と「20ページ以上にわたる自記式調査票の負担感」を抽出した。

(2)ヘルスコミュニケーション研究をはじめ、本研究に関連のある諸分野の先行研究レビューにより、「疫学調査への理解と参加促進」を目的とした映像マスメディア・メッセージの開発に参考となるモデルおよび理論を抽出した。具体的には、Rogersらによる普及理論の「市民主導型普及システム」およびマス・コミュニケーション研究における「コミュニケーションが本来持つ双方向性」というコミュニケーション観より「対象者参加型メッセージ」を開発コードとして定義した。同様に、社会心理学(説得理論)におけるPetty & Cacioppoの精緻化見込みモデル(ELM)における「ヒューリスティクス」(人は興味・関心・関わり・知識のないテーマについては表面的な情報に影響を受けやすい。具体的には「見た目の良さ」「有名人であること」「自分との類似性が高い」「もっともらしい言葉遣い」「好ましい声」「好ましい音楽」「好ましい風景」等)、「中心ルート」(人は興味・関心・関わり・知識によって説得の経路が異なり、それらが高い場合「中心ルート」をたどり真剣にメッセージを吟味するが、低い場合「ヒューリスティクス」に依存する)も開発コードとして定義した。鴨川市に在住の3組のご家族(夫が漁師の夫婦・市役所勤務の夫と妻と高齢の両親の4人世帯・独居女性)に番組の概要と目的を説明の上、出演を依頼し承諾を得た。県知事・市長・町長・研究責任者・地元の医師会関係者などにも同様に出演を依頼し承諾を得た。

(3)筆者が企画案を作成し、番組制作スタッフおよび「おたっしゃ調査」関係者と複数回の協議の上、撮影台本を決定。制作は制作スタッフに委託した。

仮説の検証を通じて、上記(2)で抽出・定義した3つの開発コードの有効性を以下の評価調査によって検討した。番組評価調査の対象者は鴨川市健康管理課の協力によって名簿が得られた食生活改善委員等の293名である。質問項目は前述した形成的調査および先行研究をもとに作成したアイデアプールから、「おたっしゃ調査」の印象に関する項目、番組内容に関する項目(印象の良し悪しと主観的な理解)について抽出した内容をワーディングし、ピアレビューを経て以下を作成した。(1)「番組視聴前後のおたっしゃ調査に対する印象」(13項目5段階評価)、(2)「番組による参加意欲の変化」(5段階評価)、(3)「番組構成要素別の印象」(12項目5段階評価)の主に3設問から成る番組評価票を郵送で配布回収した。

(1)の項目(番組視聴後)を探索的に主成分分析した結果「調査に対する主観的理解」「不利益感」「心理的障壁感」の3つの下位尺度が抽出された。主成分分析の結果を表1に示す。この下位尺度に関する理論的検討の上、それぞれの合計スコア(番組視聴後)を目的変数の一つとして採用し、番組視聴前の合計スコアを制御変数として重回帰分析に使用した。さらに、(2)のダミー変数を応答変数、(3)のダミー変数を説明変数としてロジスティック回帰分析を行った。検定の際の有意水準は5%とし、解析には統計パッケージソフトSPSSver11.5を使用した。

第3章 結果

映像メッセージによる悉皆疫学調査における参加者への研究理解・参加意欲の向上が確認できた。まず形成的調査結果より、「疫学調査の意義がわからず、疫学調査への興味関心が低く、20ページ以上の自記式アンケート用紙への嫌悪感・負担感が大きい」という対象者像が想定された。

番組自体は28分間で構成され、UHFちばテレビにて2回に渡って放送された。番組評価票の回収率は71.3%(209/293)であったが、欠損などのため実際の解析に使用できたデータは48.1 %(141/293)人であった。設問(1)下位尺度のうち、「調査に対する主観的理解」は番組視聴前後で有意な増加を示し(P<0.001)、「不利益感」「心理的障壁感」は有意な減少を示した(p<0.001)。クロンバックのα係数およびその他単純集計値を表2(次ページ)に示す。

有効回答(141人)のうち8割強が「参加する方向へ変化(参加意欲増大)」していた。この参加意欲変化には、番組内容のうち「地元(鴨川市・天津小湊町)の風景や町並み」「ナレーターの説明や声」の「印象の良さ」といった「ヒューリスティクス」要素と、「実際の対象者の出演」という「対象者参加型メッセージ」要素がロジスティック回帰分析の結果有意差を示し、関連がある可能性が示唆された。開発コードでは「中心ルート」にあたる調査に関する具体的な要素は「疫学調査の意味」「次の世代(子供や孫)の健康づくりにも役立つ点」の「わかりやすさ」が参加意欲向上に関連がある可能性が示唆された。さらに、番組構成要素のうち、「実際の対象者の出演」「研究代表者が質問に答えること」の「印象の良さ」に高い「主観的理解」との関連が示唆された。

また、「実際の対象者の出演」「住民の『参加する』という声」に対する「印象のよさ」が、低い「不利益感」との関連が示唆され、「高柳さんご一家」の印象や「具体的な調査手順の説明」のわかりやすさが低い「心理的障壁感」との関連が示唆された。上記の関連は番組視聴前の下位尺度それぞれの合計スコアで制御した上で示されていた。

4章考察

開発した映像メッセージの効果と役割を検討した結果、目標的(purposive)な映像メッセージは、仮説1、2を支持し疫学調査の理解促進と参加意欲向上に有用であった。行動につながる中間変数としての「調査への印象」や「参加意欲」が今回採用した概念モデルに基づいたメッセージによって向上していた。設計意図と逆に作用しているように見える結果については、調査対象者の日ごろの自治体への信頼度の影響や、対象者属性に合致した登場人物への評価が分かれた可能性が考えられた。

本研究の意義について、新奇性ならびに先行研究の文脈における「悉皆型疫学調査」の独自性の点から論じた。まず新奇性については、国内外の関連研究分野における新奇性、評価尺度(「調査に対する主観的理解」「不利益感」「心理的障壁感」の3下位概念)の新奇性の高さを確認した。合わせて3下位概念の理論的妥当性も検討した。独自性の点からは、悉皆型疫学調査における対象者属性やニーズの独自性ならびに、メディアキャンペーンの先行研究で示された情報暴露回数の重要性が悉皆型疫学調査においても確認された。

本研究の限界としては、研究上の制約より形成的調査の結果を十全に活かした番組制作が難しかった点、概念モデルの妥当性検証に十分なデータ収集が諸事情により行えなかった点、評価調査の際に対照群の設定や無作為割付が出来なかった点、番組に関するトータルな広報評価の不足、実際のおたっしゃ調査本体の調査結果とのデータリンケージができなかった点、などを挙げた。

今後の課題としては、疫学調査(自記式)参加に関連する概念モデル(ESPモデル)の妥当性の検証、本研究の限界や問題を克服する研究の蓄積、人材育成と海外先行事例の更なる活用、などを挙げた。

5章 結論

ヘルスコミュニケーション研究分野における先行研究と調査対象者への形成的調査を参考に、研究者主導でpurposive(目標的)なメッセージ開発(地上波テレビ番組)を行い「調査への印象向上」および「参加意欲向上」について評価した。その結果、先行研究を踏まえて開発した独自の概念モデル(ESPモデル)に基づいた映像メッセージによる「参加者への印象と参加意欲の向上」が確認できた。また、新奇性が高く今後の同様の取り組みに参考となる映像メッセージが開発できた。

更に、評価のための尺度(「調査に対する主観的理解」「不利益感」「心理的障壁感」の3下位概念)を抽出し、概念の内的妥当性を検討した。加えて先行研究から抽出・定義した「ヒューリスティクス」「中心ルート」「対象者参加型メッセージ」の3つの開発コードの有効性が支持された。

今後の課題として、研究の質の改善、評価尺度の外的妥当性の向上、当該事業研究分野の人材養成などが挙げられる。

以上

[表1]「おたっしゃ調査の印象」主成分分析結果(N=141)

[表2]下位尺度集計および検定等の結果(N=141)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は主に米国ヘルスコミュニケーション研究の先行研究や理論を参考に、日本における悉皆型郵送疫学調査(自記式)への参加動員のためのメディア・メッセージ構築ならびに、そのための概念モデルの構築と検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.米国ヘルスコミュニケーション領域で重視されている「purposive(目標的)なメディア・メッセージ構築」を志向し、先行研究や行動科学上の理論に依拠し(theory-based)、形成的調査に基づいて対象者に合わせたメッセージ開発を行った。具体的には、Ajzenによる計画的行動理論(TPB)、Petty & Cacioppoの精緻化見込みモデル(ELM)、知識・態度・実践(行動)に関するKAPモデルなどより、独自の「疫学調査(自記式)参加に関連する概念モデル」(Epidemiological Survey Participation Model:ESPモデル)を構築した。

2.ESPモデルの根幹を成す印象と参加意欲、番組構成要素の関連を中間変数として実際の疫学調査対象者へのアンケート調査によって評価し、映像メッセージによる悉皆疫学調査における参加者への研究理解・参加意欲の向上が確認できた。

3.さらに、形成的調査結果より、「疫学調査の意義がわからず、疫学調査への興味関心が低く、20ページ以上の自記式アンケート用紙への嫌悪感・負担感が大きい」という対象者像が想定され、その対象者像にあったメディア・メッセージが構築できたことが示された。

4.「疫学調査の印象」について主成分分析の結果「調査に対する主観的理解」「不利益感」「心理的障壁感」という3つの下位概念を抽出し、理論的検討を行った。それぞれ参加を促進する方向に有意に変化していることが示された。

5.ESPモデルに基づいたメッセージ開発コードも有効に機能し、「地元の風景」や「実際の対象者の出演」という要素が有意差を示し、参加意欲向上に貢献している可能性が示された。

以上、本論文は日本のローカルエリアにおける悉皆型の郵送疫学調査(自記式)参加動員のための心理概念モデルを提示し、より疫学調査参加への広報活動に有効なメディア・メッセージ構築のための基礎となる概念モデルならびに結果を提示し、ヘルスコミュニケーション領域の方法論の有効性を示した。また、本文以外の付録その他も今後の同様の研究取り組みに参考となる資料的価値を有する。

よって本論文は、疫学調査の参加に関する認知向上や普及啓発ならびに日本におけるヘルスコミュニケーション研究の普及に貢献するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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