学位論文要旨



No 124274
著者(漢字) 時本,真吾
著者(英字)
著者(カナ) トキモト,シンゴ
標題(和) 日本語文処理における作動記憶制約の関わり
標題(洋)
報告番号 124274
報告番号 甲24274
学位授与日 2009.03.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第681号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 横沢,一彦
 東京大学 准教授 広瀬,友紀
 京都大学 教授 苧阪,直行
 麗澤大学 教授 玉岡,賀津雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章:本論の背景と目的

本論で作動記憶制約の個人差を評価するために用いる日本語版リーディングスパンテスト(Japanese Reading Span Test, JRST) を解説し,統語解析についての本論の前提を述べると共に,考察対象とする再解析文と不連続依存文を概観する。

第2章:再解析文処理における効率性(1):語彙的・統語的再解析の両者を含む日本語再解析文処理

(1) に下線で示す様な語彙的曖昧性を含む日本語文を材料に,再解析における作動記憶制約の働きを考察し,文処理の「効率性」を議論する。

(1) a. 曖昧語が名詞として解釈される文

R(egion) 1R2R3R4R5R6R7

山田さんが 自分の家に かえると とても きれいな 熱帯魚を 持って帰った R8。

b. 曖昧語が動詞として解釈される文

R1R2R3R4R5R6R7

山田さんが 自分の家に かえると とても きれいな 奥さんが 留守だった R8。

視覚提示による読文実験の結果,JRST の得点が高い話者の方が再解析文を,より正確に理解する一方で,読文時間が長かった。JRST の高得点者は一般に言語処理が正確かつ高速だと言われるが,再解析文処理に関する限り処理精度と処理速度は両立しない。また,高得点者は処理精度を,低得点者は処理速度を優先することから,作動記憶容量の大小に応じた処理資源の配分機序がある可能性を指摘する。

第3章:再解析文処理における効率性(2):語彙的再解析を含まず統語的再解析のみを含む日本語文処理

純粋な統語的再解析における作動記憶制約の働きを考察し,統語解析一般における「効率性」を議論する。日英語の再解析における類型論的差異を指摘し,語彙的曖昧性を含まない再解析を操作できる日本語の特性を活かした再解析文を(2) の様に3種類作成する。四角枠が再解析が起こる位置を示す。

a.主語再解析文

天野が進学を決意した後輩に資料を渡した。

b. 主語・目的語再解析文

山田がミルクを冷やしたコーヒーに少し入れた。

c. 主節主語が省略された主語再解析文

後藤が幼児を抱いていたとき荷物を持ってくれた。

視覚提示による読文実験の結果,前章と同様,JRST の高得点者が低得点者よりも文を正確に理解する反面,長い処理時間を要する傾向が再現された。したがって,語彙的再解析を含まない場合でも,作動記憶容量の大きな話者の文処理は「正確だが遅い」と言える。但し,文内の位置によってJRST 得点の効果は変化していて,処理内容によって作動記憶制約の働きは異なると考えられる。また,JRST 得点の効果は処理負荷の大小によって変化しなかったので,Caplan & Waters (1999) の作動記憶モデルは支持できない。

第4章:不連続依存処理における作動記憶制約

不連続依存の可否判断に対する作動記憶制約の働きを考察すると共に,統語的制約の自律性を議論する。不連続依存に対する制約を統語的制約ではなく,作動記憶制約に還元しようとするKluender (1998) の妥当性を通言語的視点から検討する。(3) に例示する4種類の従属節を含む日本語の不連続依存文を視覚提示し,文法性判断を問う実験を行う。

(3) a.固有名を主節主題とし動詞補文を含む逆順文

筆箱を美幸は哲夫が盗んだとクラスメートに言い張った。

b. 固有名を主節主題とし名詞補文を含む逆順文

親友を岡田は松井がだました事実に落ち込んだ。

c. 「私」を主節主題とし関係詞節を含む逆順文

パーティーを私は白井が開催したリゾートホテルに宿泊した。

d. 「私」を主節主題とし副詞節を含む逆順文

中学校を私は郁恵が卒業したとき卒業式に出席した。

実験文を文節毎に実験参加者ペースで視覚提示し,文法性を問う実験を行った結果,(3a)を「文法的」と判断する割合が90 %を越えている一方で,(3c,d) を「文法的」とする判断は50 %に満たなかった。また,この判断の割合に作動記憶容量の個体差は効果を持たず,構文の種類との交互作用も無かった。本実験の結果は,統語構造を反映し,かつ作動記憶制約とは独立した不連続依存制約の存在を示すものである。また,主節主題が変わることによる指示対象処理負荷の効果は読文時間に,JRST 得点の効果は主に文法性判断潜時に現れることを示す。

第5章:総合考察

文処理の効率性について

1. 言語処理の効率性をしばしば指摘される(J)RST 高得点者は,低得点者よりも正確に文を理解する一方,文処理の様々な側面で低得点者より長い処理時間を費やした。したがって(J)RST 高得点者の文処理を「正確かつ高速」と一般化するのは正確ではない。

2. 但し,JRST 得点とRT が示す相関が文内位置によって正負の両方で有意であることもしばしばであった。再解析の統語的特性や個々の語の構造的位置などに応じてJRST 得点の効果は現れ方が異なる。また,質問文への回答を前提とした文理解(実験1,2) と文法性判断(実験4) ではWIS の効果が異なるので,課題によって作動記憶制約の働きが変化する可能性もある。(J)RST 高得点者が文章理解について有能であることが一般的に正しいとしても,文処理における作動記憶制約の現れは処理内容に応じて変化する。

文処理における作動記憶制約と統語的制約の自律性について

1. 不連続依存の可否は作動記憶制約と作動記憶制約に基づく指示対象処理から独立している。したがって,言語運用上の制約には還元されない統語的制約が存在する。

2. 但し,作動記憶容量の大小は文法性判断の遅速に影響しているし,指示対象処理の効果は読文時間に見られる。

Caplan, D., & Waters, G. S. (1999). Verbal working memory and sentence comprehension.Behavioral and Brain Sciences, 22, 77-126.Kluender, R. (1998). On the distinction between strong and weak islands: A processing perspective. In P. Culicover & L. McNally (Eds.), Syntax and semantics 29: The limits of syntax (pp. 241-279). San Diego: Academic Press.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本語文処理過程における作動記憶制約の関わりを実験心理学的に検討したもので、全5章から構成されている。

第1章では、本論で作動記憶容量の個人差評価に用いる日本語版リーディングスパンテストを解説し、統語解析モデルについての基本的想定を述べると共に、材料とする再解析文と不連続依存文を概観している。まず、作動記憶容量の大きい話者の方が小さい話者よりも言語処理が効率的だとする通説を紹介し、その根拠である実験結果の解釈の問題点を指摘すると共に、高次の認知処理を伴う再解析文が文処理の効率性を議論する上で適切な材料であることを論じている。文内で隣接しない語が強い意味的結びつきを持つ不連続依存については、不連続依存の可否を作動記憶制約に還元する近年の試みを批判的に紹介している。

第2章では、文処理の効率性を考察するために、語彙的・統語的再解析の両者を含む日本語再解析文を実験参加者ペースで視覚呈示する実験(実験1)を実施し、作動記憶容量が大きい話者は、小さい話者よりも再解析文を正確に理解するが、読文時間が長い事を示す結果を得た。これは作動記憶容量の大きい話者では言語処理が正確かつ高速だとする通説とは異なり、さらに、各話者の作動記憶容量の大小に応じた処理資源の配分機序が存在する可能性を示唆するものである。

第3章では、語彙的再解析を含まず統語的再解析のみを含む日本語文を文節毎に視覚提示する実験(実験2)を行い、語彙的再解析を含まない場合でも、前章と同様、作動記憶容量の大きな話者の文処理は小さな話者と比較して「正確だが遅い」ことを示す結果を得た。但し、文内の位置によって作動記憶容量の効果は変化し、文処理の内容によって作動記憶容量の現れは異なると主張している。

第4章では、英語では交絡してしまう作動記憶容量と統語的制約が独立して操作できるという日本語の特性を活かした実験を行い、不連続依存の可否判断に対する両要因の影響の評価を行った。まず実験3で刺激統制の確認を行い、実験4で、4種類の従属節を含む日本語文について不連続依存を操作し、実験参加者ペースの視覚呈示によって、文法性判断を問う実験を行ったところ、作動記憶容量の個人差から独立した不連続依存制約が認められた。この結果は、統語構造を反映し、かつ作動記憶制約とは独立した不連続依存制約が存在することを示唆するものである。

第5章では、全ての実験結果を総合的に考察し、作動記憶容量の効果は課題に依存する面があり、さらに詳細な検討を要するものの、文理解に関しては、基本的に、容量が大きな話者ほど正確だが遅くなる傾向が存在すると結論づけている。

作動記憶容量の個人差評価に関して、若干、恣意的な面も認められるが、本論文が多様な言語要因を巧みに統制・操作することによって、文処理と作動記憶の関係の検討に新たな側面を切り開いた意義は大きいと言えよう。以上の点から、本審査委員会は、本論文が博士(心理学)の学位を授与するのにふさわしいものであるとの結論に達した。

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