学位論文要旨



No 124280
著者(漢字) 倉数,茂
著者(英字)
著者(カナ) クラカズ,シゲル
標題(和) 美的主体の精神譜 : 大正後期から昭和初頭に見る芸術運動とコミュニティ
標題(洋)
報告番号 124280
報告番号 甲24280
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第857号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 教授 山田,広昭
 東京大学 教授 エリス,俊子
 東京大学 准教授 田尻,芳樹
 東京外国語大学 准教授 米谷,匡史
内容要旨 要旨を表示する

有島武郎は『惜しみなく愛は奪う』のなかで、くりかえし「私」とその「生」について語っている。それは単純なヒューマニズムでも生命尊重主義でもない。彼が述べているのは、あらゆる行為や衝動は、私という「生」の発現であり、そこから創造が始まるということである。ここで「私」とは、湧出する生そのものの現れであり、表現である。『惜しみなく愛は奪う』とその周辺のテクストがくりかえし強調するのは、主体が保持するのはただ「私」という基点のみであり、そこからの流出としてすべてが始まるということである。彼はいう。「然し私は生れ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることが出来るのだ。私の唯一の所有よ。私は凡ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重愛撫しないでいられるだろうか」。「私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない」。

有島によれば、主体はつねに「私自身」であろうとするのだが、それは固定したアイデンティティの追究ではない。ここで意味されているのはむしろ、たえざる展開と表出、新たな自己の獲得、終わることのない変化であり、つまりは美的な──世界を生み出すとともに、新たな「私自身」を造り出し、実現していくという意味で──創造する主体構成の原理なのだ。

私たちがこの論文で議論の対象とするのは、有島が生き生きと描き出しているような──しかし有島だけのものではない──「私」とその生とに基盤をおく主体のモデルである。私たちはこれを「美的主体」と呼びたい。この主体は、一方で事実的な生、生物学的な生を中核としながら、一方で限りない拡張性と創造性をもってあらゆるものを美的な仮象とする。こうした思考形態が特異なものでなかったのは、同時代の多くの群小作家、アナキスト活動家、哲学青年や労働運動家などに共通の言葉と発想がみられることから確認できる。有島ほどの論理的一貫性や帰結への情熱を共有していたわけではないにせよ、そこでは同様の思想が断片的な形で表明されている。

こうした主体のモデルは、しばしば同時代のコミュニティ創出の志向と結びついた。そこでは、それぞれ特異な「生」が、相互触発と相互生産を重ねながら、ひとつの共同体を編み上げていくという夢が語られた。本稿の目的は、この美的なモデルが当時の芸術潮流のなかで、どのように現れ、またどのように解体していったのかを辿ることである。

本稿が扱う主要な作家は、有島武郎、宮嶋資夫、今和次郎、萩原恭次郎、柳宗悦、江戸川乱歩、中野重治、横光利一、宮沢賢治、保田與重郎の十人である。また必要に応じて、同時代の美術界、建築界の状況などについても触れていく。

以下、各章の内容について略述する。

第一章は、プロレタリア文学の先駆としての宮嶋資夫の作品をとりあげる。彼が描いたのは、日本資本主義の初期段階における「労働者」の形象であり、それは後のマルクス主義者たちが依拠したものとは大きく異なっている。宮嶋は、実際に活動家としても大杉栄に近かったわけだが、彼の作品に描かれているのも、衝動や本能のみが真実だと感じ、固定した社会制度に困惑と反発しか覚えない男の姿である。この形象の背後には、当時大潮のように膨れ上がりつつあった貧民の群れがある。けれども宮嶋が大杉と異なる点は、宮嶋の作中人物が、決して未来の社会制度のヴィジョンを希求しないという点にあるだろう。それよりもむしろ彼は、制度の揮発した脱社会的な人間の交わりを夢想する。さらに私たちの関心を惹くのは、宮嶋らの労働者が、あたかもふたつの生産様式のはざまに開いた真空地帯を生きているかのように感じられることであり、この非社会的な空間への憧憬は、その後の日本のテロリズムの精神史の隠れた水脈のひとつであるように思われる。

第二章は、急速に進展していく都市化の趨勢とかかわりながら、美的主体のモデルが、どのように多様化していったかを追跡する。途中、建築の分離派について軽く触れるが、これは彼らが〈自我〉というモデルを見事に空間の問題へ翻訳してみせたとみなせることによる。また震災後、時ならぬ開花を経験する「大正新興芸術」運動とからめつつ、今和次郎と萩原恭次郎という二人の特異な作家についても考察してみたい。

三章では、白樺派から出発して独特の思考を紡ぎつづけた美学者柳宗悦を扱う。柳の独自性は、美を問題にしながら、そこから風土とコミュニティという優れて時代的なテーマをひきだしたところにある。当初若き宗教研究家として出発した柳は、当時の「民衆」論のもりあがりと朝鮮陶磁の発見の衝撃から、白樺派的な個人主義と天才崇拝から離脱して、「民芸」(民衆的工芸)運動を組織するにいたる。「民芸」の主張は、個人主義的な芸術よりも、無名の人々が生活の必要から自然に生み出した用具の方が美的に価値があるというものだった。そこでは個人的な主体というものは解体され、テクネー(仕来りの作り方)とポイエーシスが一体化しているような、素直な表現というものが見られると柳は考えた。しかしこれはいわば、自然の産出力が、個人の意識を媒介とすることなく、匿名の集合から直接現れるという考え方である。単独の個人は、集団のうちに溶融してしまう。そのかわり、職人のネットワーク、あるいは彼らが身体化した伝統が、創造行為の源泉として特権化されるのである。

四章は震災前後に流行した「個室」をめぐる物語の分析である。当時の作家たちの特徴は、内面を「閉ざされた部屋」として形象化し、その内部で何が生まれるかを注視したところにあった。その背景には、急速な都市空間の変容がある。作家たちにとって個室は、社会空間の極小の一部というよりは、社会から締め出され、だからこそ自由に浮遊することのできる非-場所であり、彼らはそこで非社会的なユートピアの夢想を育んだのであった。しかし同時にそこは淫微な葛藤の支配する情欲の場でもあった。

五章は、一九二〇年代の終りに、中野重治と蔵原惟人のあいだで交わされた「芸術大衆化論争」を主題とする。とりわけ中野重治において、創発的な自己創造する主体という観念が、どのようにプロレタリアートのなかに持ち込まれたかを確認する。

六章は、横光利一『上海』を対象とする。『上海』は、当時の国際的植民都市のイメージ分析であり、しかも都市を構成する表象が、いかなる政治的経済的力線によって貫かれているかを明らかにしようとする試みである。横光がその作業にあたって利用したのが映画というメディアのモデルであった。

七章は宮沢賢治という形而上詩人の遺したテクストに没入するために捧げられている。宮澤に関しては、「生」という言葉は「意識」におきかえられなければならない。彼にとって問題だったのは、意識に飛来する無数の形象や音声が、なぜそのような姿で現れるのか、ということだった。彼は「現実」と「空想」、すなわち五感による外的知覚と、意識内部でのイメージを区別することをやめてしまっていたので、世界は必然的に無数のイメージの乱舞する意識野と同一視されることになった。彼の童話作品は、しばしばそうした意識=私の誕生の現場の目撃記録である。

八章は保田與重郎論となる。保田與重郎は美的主体の最後のひとりであるとともに、その破壊者という位置づけを与えられている。彼は、創発的な自己創造する主体が社会と歴史を構成していくというモデルを維持しながら、その主体の座を、個別の芸術家ではなく民族に移し替えた。それによってなおざりにされたのは、個人の単独的な「生」であった。ゆえにこの章は、美的主体というモデルが、どのように改変され、壊滅していったかを確認するという意味を持っている。

審査要旨 要旨を表示する

倉数茂氏が提出した論文の題名は『美的主体の精神譜-大正後期から昭和初頭に見る芸術運動とコミュニティ』である。ここで言う「美的主体」とは有島武郎が「私の生命は」「私のものだ」と述べ「私はこの生命を私の思うようにきる」と『惜しみなく愛は奪う』の中で宣言したような、1920年代の日本の表現者に特有な主体のモデルのことである。

本論文の第一章では、プロレタリア文学の先駆者としての宮島資夫の作品を中心にして、社会制度に困惑と反発しか覚えない脱会社的な人間像の中に、日本にみけるテロリズムの水脈が発見されている。第二章では、荻原斎次郎と今和次郎を中心に、都市空間のモデルの中にみける自我の構成の様熊が分析されている。第三章では、柳宗悦にみける風土とコミュニティの問題を分析し、自然の産出力が匿名の集合から現われるという特異な考え方を抽出している。第四章では江戸川乱歩などにおいて形象化された「個室」を、非社会的なユートピアの夢想を育む非一場所として分析している。第五章では「芸術大衆化論争」を通じての自己創造する主体の問題が明らかにされている。第六章は横光利一の『上海』を対象に映画をモデルとした、都市におけるイメージの政治的経済的分析が行われている。第七章では宮澤賢治における「生」と「意識」が、特景な形象と音声の分析をとおして、外的知覚と内的意識の境界を突破する連動であったことが明らかにされる。第八章の保田興重郎を軸としみがらも、本論文として、美的主体が保田においてどのように改変され、壊減していったかという軌跡が論じられている。

それぞれの作家の作品の選択に対する姿意性、各章を貫く論理的一貫性の不十分さ、対象領域が拡散し論文全体の焦点が結でにくいなどの批判審査の過程でなされたが、博士論文として十分認めうるという判断が共有された。したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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