学位論文要旨



No 124283
著者(漢字) 廣瀬,立朗
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,タツロウ
標題(和) 力学的除負荷が筋のコラーゲン代謝に与える影響
標題(洋) Effect of mechanical unloading on collagen metabolism in skeletal muscle
報告番号 124283
報告番号 甲24283
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第860号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 准教授 八田,秀雄
 東京大学 准教授 村越,隆之
 東京大学 准教授 柳原,大
内容要旨 要旨を表示する

ベッドレストや宇宙飛行により筋は萎縮する。この筋萎縮モデルとしてマウスやラットを用いた尾部懸垂がある。尾部懸垂後のヒラメ筋での筋萎縮、遅筋線維減少などが報告されている。このような力学的環境の変化にたいして、骨格筋細胞の応答の報告は数多くなされている。一方、骨格筋細胞を取り囲む細胞外マトリクスも同様に骨格筋組織において重要な役割(力伝達・支持等)を果たすと考えられる。細胞外マトリクスの主要構成成分であるI型コラーゲンの生合成に関して、尾部懸垂による力学的変化が及ぼす効果についての報告は少ない。そこで本研究では、尾部懸垂が骨格筋のI型コラーゲン代謝に及ぼす影響を明らかにするため、いくつかの実験を行った。以下に、主要な実験の結果を述べる。

実験1尾部懸垂がマウス筋内におけるI型コラーゲンα2鎖転写活性に与える影響

背景:筋内結合組織の主要構成成分はI型コラーゲンである。I型コラーゲン分子はα1鎖2本とα2鎖1本でできた3本鎖らせんヘテロトリマーである。α1鎖とα2鎖は2:1で協調して合成されている。Crombrugghe(1996)らのグループにより、α2鎖のプロモーター、エンハンサーの下流にルシフェラーゼとβガラクトシダーゼをレポーター遺伝子として組み込んだマウスが作成された。レポーター遺伝子による転写活性の測定は簡便かつ高感度での検出が可能である。特に結合組織のmRNA発現が少ない骨格筋などにおいては、レポーター遺伝子をもったトランスジェニックマウスを用いて解析することでより詳細な検討を加えることが可能になる。本実験は尾懸垂後のヒラメ筋および腓腹筋におけるI型コラーゲン遺伝子の転写活性について検討することを目的とした。

方法:I型コラーゲンα2鎖(COL1A2)のレポーター遺伝子(ルシフェラーゼ・βガラクトシダーゼ)を導入したトランスジェニックマウス(pGB-17)を被検動物とした。性別は♀、週齢は11~14週齢とした。尾懸垂3、7、14日後、後肢筋での COL1A2遺伝子転写活性を調べるためにルシフェラーゼ活性を測定した。組織内でのI型コラーゲン転写活性亢進部位を調べるためにx-gal染色を行った。また、ゼラチンザイモグラフィーを行い、コラーゲン分解の活性を観察した。

結果:尾懸垂3、7、14日後、ヒラメ筋におけるCOL1A2遺伝子転写活性はコントロールと比べてそれぞれ約360、410、350%上昇した。腓腹筋でも同様のパターンでI型コラーゲンα2鎖の遺伝子転写活性が高まった。これらの結果から尾懸垂によって後肢筋のI型コラーゲンα2鎖の遺伝子転写活性はすみやかに上昇し、かつその活性は2週間の尾懸垂の間維持されることが示された。

x-gal染色では筋紡錘内、神経繊維などに染色が観察された。ゼラチンザイモグラフィーでは尾部懸垂によりMMP-2の活性が顕著に高まっていた。

考察:力学的環境変化に対して特に早期では自己受容器などが応答した結果、I型コラーゲンmRNA転写活性に影響を与えた可能性がある。コラーゲン分解が活性化された可能性が考えられ、結合組織の再構築が行われていることが示唆された。またギプス固定や筋ジストロフィーによる筋萎縮でも、I型コラーゲンが主成分である筋紡錘のアウターカプセルの肥厚が報告されており(Esaki,1966.Ovalle,1986)、尾懸垂においても筋紡錘アウターカプセルの肥厚による自己受容器の変化およびその応答能の変化が起きる可能性がある。

実験2尾部懸垂がラット筋内におけるコラーゲンmRNAとその制御因子の発現に与える影響

背景:実験1において用いたレポーター遺伝子のプロモーター、エンハンサー領域はコラーゲン合成の転写活性を最大限に測定するために作られている可能性があり、コラーゲン合成を抑制するシグナルを感知しない可能性が示唆される。コラーゲン合成を制御する代表的なタンパクとしてTGF-βとTNF-αが知られている。TGF-βはレセプターを介しSmad3をリン酸化してコラーゲンの合成を亢進する。一方TNF-αはコラーゲンの合成を抑制する。しかし、筋萎縮におけるコラーゲン発現を制御するタンパクの発現は不明なところが多い。

目的:そこで本実験では尾部懸垂がI型コラーゲンα2鎖mRNA(COL1A2)TGF-β1,2,3とその受容体であるTGF RECEPTOR I(TGFRI)の発現、またTNF-αの発現に与える影響を試料の大きいラットを用い検討した。

方法:5週齢のWister系雄ラットに1,3,7,14日間の尾部懸垂(各群:n=6)を行った。実験終了後麻酔下による脱血死させ、ヒラメ筋を摘出し、ノーザンブロッティングによりCOL1A2の発現量とin-situ hybridizationにより発現場所を検討した。ウエスタンブロッティング法によりTGF-β1,2,3とTGFRI、Smad3とTNF-αの発現量を検討した。また、免疫組織化学法によりTGF-β1とTNF-αの発現部位を検討した。

結果:尾部懸垂によりラットヒラメ筋内でのCOL1A2の発現量は3日目に減少した。またCOL1A2の主要な発現部位は筋紡錘、神経組織であった。TGF-β1とTNF-αの発現量はそれぞれ7日目に一過性に増加、3日目以降継続的に増加した。TGF-β2とTGF-β3の発現量は7日間の尾部懸垂群にて増加し、尾部懸垂14日間の群ではコントロールレベルに戻った。これはTGF-β1の発現パターンと同様であった。TGFRIの発現量は尾部懸垂中に変化が見られなかった。TGF-β1とTNF-αの発現部位はともに主に筋紡錘、神経組織に観察され、尾部懸垂中にもこれらの発現部位は同じであった。

考察:尾部懸垂によりTGF-βは7日目にて一過性に発現量が増加した。TNF-αはコラーゲン合成を抑制するが、これは発現量が増加したTNF-αに対するカウンターメジャーと考えられた。尾部懸垂によりTGF-βsとTNF-αは発現量に影響を受け筋内コラーゲンの合成を調節している可能性が示唆された。TGF-β1とTNF-αの発現部位は神経組織や筋紡錘周辺に観察され、これらの部位ではコラーゲン代謝が盛んであることが示唆された。

実験3尾部懸垂がラットヒラメ筋内におけるNT-3とTrkC発現に与える影響

背景:実験2より尾部懸垂により筋紡錘や神経組織周辺においてコラーゲン代謝にかかわるタンパク質の発現の変化が認められた。尾部懸垂により筋紡錘からの求心性の放電量が一過性に減少することが知られている。また神経栄養因子の1つであるneurotrophin-3(NT-3)が筋紡錘の機能を制御するという報告がある。そこで本実験では尾部懸垂がNT-3とその受容体のTrkCの発現に及ぼす影響を検討した。

方法:5週齢のWister系雄ラットに7、14日間の尾部懸垂を施した。実験終了後麻酔下による脱血死させ、ヒラメ筋を摘出し、ウエスタンブロッティング法によりNT-3とTrkCの発現量を検討した。また、免疫組織化学法により両タンパクの発現部位を検討した。

結果:尾部懸垂によりヒラメ筋内のTrkCの発現量は7日目において減少し14日目には回復していた。NT-3の発現量も同様のパターンを示した。両タンパクとも錘内線維にシグナルが観察され、尾部懸垂により変化は見られなかった。

考察:TrkCタンパク量は尾部懸垂により速やかに減少し、14日後には回復していた。これは尾部懸垂中の求心性シグナルの変化パターンを検討した先行研究と一致していた。尾部懸垂によりNT-3とTrkCタンパク発現量が変化し、筋紡錘の機能に影響を与えた可能性が示唆された。

まとめ:尾部懸垂によってラットヒラメ筋のI型コラーゲン合成が転写レベルで減少し、この変化にはTGF-βとTNF-αが関与していることが判明した。また、こうした変化が顕著に現れる部位は、筋紡錘と神経組織であり除負荷に伴う求心性神経活動の低下が、より上位の環境要因として関与することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

骨格筋は除負荷、不活動などによって廃用性に萎縮する。こうした廃用性萎縮に伴う筋線維の生理学的特性の変化や、筋線維内の収縮関連タンパク質の発現変化などについては、これまで多数の研究がなされてきている。一方、筋組織内で力学的支持構造を形成し、また細胞間の情報伝達においても重要な役割を果たしている細胞外マトリクスがどのように変化するかについては、十分に解明されていない。本論文は、マウスおよびラット後肢筋を対象とし、除負荷による筋萎縮に伴って、細胞外マトリクスの主要構成要素であるI型コラーゲンの遺伝子発現やその発現場所がどのように変化するかを調べ、それらが筋の生理学的機能の維持にどのように関わっているかを考察したものである。

本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章は研究の目的、第3章は除負荷がマウス筋内におけるI型コラーゲンα2鎖(COL1A2)の遺伝子転写活性に及ぼす影響、第4章は除負荷がラット筋内におけるCOL1A2mRNAとその制御因子の発現に及ぼす影響、第5章は除負荷がラット筋内における神経栄養因子とその受容体の発現に及ぼす影響について論じ、第6章は総括論議となっている。

第3章では、COL1A2のレポーター遺伝子(ルシフェラーゼおよびβガラクトシダーゼ)を導入したトランスジェニックマウス(pGB-17)を材料として用い、後肢筋を除負荷した場合のCOL1A2遺伝子転写活性の変化について調べている。除負荷によってヒラメ筋に著しい萎縮が起こる一方、この筋でのCOL1A2レポーター遺伝子転写活性は一過的に上昇すること、この遺伝子転写活性が筋紡錘周辺に局在することなどが示されている。

第4章では、ラット後肢筋を除負荷した場合の、COL1A2mRNAの発現量の変化をNorthern hybridizationで調べ、さらにCOL1A2遺伝子転写活性に影響を与える制御因子の発現をWestern blottingで調べている。その結果、除負荷に伴ってヒラメ筋で顕著な萎縮が起こり、同時にCOL1A2mRNAの発現量も一過的に減少した。また、COL1A2の遺伝子転写活性を抑制すると考えられるTNF-αが除負荷の初期(3日目)に増加し、一方除負荷後期(7日以降)にはCOL1A2遺伝子の転写を活性化すると考えられるTGF-β(TGF-β1、2、3)の発現が上昇した。これらの結果は、除負荷によってTNF-αやTGF-βなどのサイトカインの発現が変化することで、COL1A2の発現にも、一時的な低下から回復へと向かう変化が生じる可能性を示唆している。除負荷に伴ってCOL1A2mRNAの発現が一過的に低下するという本章の結果は、第3章の結果と矛盾するものであるが、その原因はレポーター遺伝子を用いた遺伝子転写活性の定量化に内在する問題点にあるものと考察されている。一方、in situ hybridizationで調べたCOL1A2mRNAの発現や、免疫組織化学で調べたTNF-αおよびTGF-βの発現は、筋紡錘や神経繊維の周辺に局在しており、この点は第3章の結果と矛盾しないものであった。このことは、除負荷が特に筋紡錘や神経組織におけるコラーゲン代謝に強い影響を及ぼす可能性を示している。

第5章では、ラット後肢筋の除負荷が、ヒラメ筋内の神経栄養因子(neurotrophinn-3: NT-3)およびその受容体(TrkC)の発現に及ぼす効果が調べられている。その結果、これらの発現がいずれも筋紡錘や神経組織周辺に局在し、さらに除負荷後、COL1A2mRNAの変化とほぼ同期して一過的に低下することなどが示された。

第6章の総括論議でも述べられている通り、本論文の研究で得られた結果は、除負荷により骨格筋内でのI型コラーゲンの遺伝子転写活性が一過的に低下すること、この変化は筋紡錘や神経組織の周辺で著しく起こり、神経栄養因子やサイトカインによって調節を受けている可能性があることなどを示している。特に、自己受容器や神経組織周辺でのI型コラーゲン代謝が、除負荷などの力学的環境の変化に強い影響を受けることを示した点は新規性が高く、筋の自己受容器からの求心性インパルスが、自己受容器や神経組織そのものの機能維持のみならず、力学的環境に対する筋組織全体としての可塑性にも関わっている可能性を示している点で意義の深いものと評価される。

なお、本論文の第4章および第5章は、仲里浩一、Song Hongsun(日本体育大学)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク