No | 124284 | |
著者(漢字) | 田中,大介 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | タナカ,ダイスケ | |
標題(和) | 潜在学習における選択的注意の役割 | |
標題(洋) | The role of selective attention in implicit learning | |
報告番号 | 124284 | |
報告番号 | 甲24284 | |
学位授与日 | 2009.03.06 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第861号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景・目的 本研究ではヒトの意識を伴わない学習として知られる潜在学習(implicit learning)における選択的注意の役割を検討した。潜在学習は、環境から入力される情報の間に存在する規則性を学習意図なしに獲得すること、また獲得した規則を意識的に操作できないこと、によって操作的に定義される。潜在学習研究は、言語獲得の過程における無意図性に着目したReber(1967)が人工文法学習課題を用いて検討して以来、系列反応学習課題などの課題を用いて実験的に検討されてきた。 人工文法学習では、無意味文字列を生成する人工文法(図1)を用いる。一般的な人工文法学習課題は学習段階とテスト段階に分けられており、学習段階では、人工文法から生成された文字列を実験参加者に呈示する。その後、人工文法の存在を伝え、テスト段階では文法に従った文字列(文法文字列)と逸脱した文字列(逸脱文字列)の弁別課題を行わせる。実験参加者は偶然より高い確率で文法文字列を選択できる反面、判断基準を説明できない。テスト段階での文法文字列は学習段階での文字列とは同一ではないため、学習段階での記憶だけでは説明できず、抽象的な文法規則の学習であるとされている。 先行研究では、こうした潜在学習と人間の知能およびその下位概念との関連の検討や脳損傷の症例研究もなされており、潜在学習は従来の心理学の分野で取り上げられてきた人間の認知能力とは異なる機序に基づく能力であると示唆されている。また、非意図的な状況で学習が成立し、学習内容を意識的に参照できないという性質から、学習の成立における意識の介在の有無が中心的な議論のひとつになっている。心理学的意味において意識と密接な関係にある注意に関しても、潜在学習においてどのような役割を果たしているのかが議論されてきた。注意に関しては、入力情報の取捨選択を行う選択的注意と、より高次な情報処理を行う注意資源に大別して検討されるのが一般的であるが、それぞれに関して潜在学習と関連が検討されている。 しかし、人工文法学習課題の研究に関しては二重課題法を用いて注意資源との関連を検討した研究(Dienes, Broadbent, & Berry, 1991)しかない。人工文法学習課題は他課題に比べ視覚的入力の果たす役割が大きいとされているため、同様に視覚的要素の強い選択的注意との関係を検討する必要があった。本研究ではその検討を可能にするため、GLOCAL文字列を考案した(図2)。 GLOCAL文字列は大域/局所文字(Navon, 1977)で構成された文字列のことである。大域、例えばNを読もうとしても、それを構成している局所、例えばBが読みに干渉することが知られている。反対の場合も同様である。つまり、大域/局所のどちらかに選択的注意を向けても不可避的に反対側の文字情報も入力される特性がある。この大域/局所文字を用いたGLOCAL文字列は、原理的には大域/局所で異なる2つの人工文法を学習するのに十分な情報を呈示できる。もし人工文法学習に選択的注意が必要ないのであれば、GLOCAL文字列の呈示によって2つの人工文法を学習でき、反対に選択的注意が必要であれば、大域/局所のいずれかの属性に注意を向けることで注意を向けた属性からのみ人工文法の学習が可能になる。本研究ではこの仮説をもとに、選択的注意が人工文法学習で担う役割に関して検討した。 実験に先立ち、第二章では実験刺激の妥当性を検証する2つの予備的実験を実施した。まず、実験に用いる2つの人工文法の独立性、すなわち、一方の文法知識で他方の文法に関する判断が可能でないか確認した。さらに大域/局所属性間の相互干渉の存在を確認した。具体的にはGLOCAL文字列の大域/局所属性が同一である場合と異なる場合の2つの状況での文字列の書き写し速度を検討した。以上の予備的実験から使用刺激の妥当性が確認された。 実験 第三章では、選択的注意が人工文法学習に必要かどうかを検討した(実験1)。結果、GLOCAL文字列の大域/局所属性の内、注意を向けた属性(注意属性)からのみ人工文法を学習し、注意を向けていない属性(非注意属性)からの学習は成立しなかった。つまり、人工文法学習に選択的注意は必須であり、非注意属性からは人工文法を学習できないことが示された。しかし非注意属性からの視覚的入力はどの段階で阻害されるのか、すなわち入力過程で積極的に抑制されているのか、それとも入力後の情報から抽象的な文法知識を抽出する過程で阻害されているのか、の2通りの解釈可能性が残された。 第四章では、非注意属性からの入力に関する検討を行った(実験2)。具体的にはテスト段階で用いる文法文字列のうち、半数にはGLOCAL文字列として呈示された文字列(旧文字列)を、残りにテスト段階で初めて呈示される文字列(新文字列)を割り当てた。もし入力情報を積極的に抑制しないなら、旧文字列の記憶痕跡は残されており、旧文字列の正答率は上昇すると予測された。逆に積極的に抑制するなら、旧文字列の記憶痕跡も残されず、従って正答出来ないと予測された。結果、非注意属性からの入力情報を積極的に抑制することが支持された。つまり選択的注意の抑制的機能も明らかになった。加えて、大域に注意を向けた方が局所に注意を向けるより成績が向上することがわかった。情報源となる刺激の知覚的特性が学習成績に影響することを示しており、人工文法学習における知覚情報の重要性を示唆した。 第五章では、人工文法学習課題における刺激の知覚属性の影響を検討した(実験3)。大域/局所の別に基づく成績差が刺激の知覚的な負荷に起因するとの仮説を検証した。具体的には新たな知覚的負荷としてGLOCAL文字列の輝度を独立変数(高/低輝度条件)とした。結果、低輝度条件では、注意属性からの文法学習もできなくなった。さらに低輝度条件では旧文字列と新文字列の間で旧文字列に関する正答率が有意に高くなった。これは非注意属性からの視覚的入力の抑制に失敗した結果であると解釈された。 考察・結論 以上から、人工文法学習には選択的注意が必要であることがわかった。また、注意を向けていない情報の抑制も人工文法学習の成立に影響することが明らかとなった。さらに刺激の知覚的負荷が潜在学習の成績に影響を及ぼすことが明らかになった。選択的注意の役割に関しては、従来、偶発学習場面における潜在学習の成立という側面に焦点が当てられたため、潜在学習の自動性が重視されていた。しかし、潜在学習が生じる実験状況を巨視的に見たとき、呈示刺激への注意という実験手続き上の要素が自明のこととして見過ごされてきたともいえる。本研究では実験場面の文脈に埋め込まれた潜在学習における必須要素を明確にした。 刺激の知覚的負荷に関しては、文法学習の情報源となる視覚刺激の物理的属性も文法学習に関与していることがわかった。具体的には、大域/局所の別でみたときは大域からの人工文法学習のほうがよい成績であり、高輝度/低輝度の別でみたときは高輝度文字列の人工文法学習の方がよい成績であることがわかった。これは視覚情報が注意とは独立に人工文法学習に影響していることを示している。低輝度条件であっても学習段階で刺激が見えなかったのではない。つまり、抽象的な規則性の学習に知覚的入力の強度が影響することを示唆しており、人工文法学習における知覚的要素の重要性に関する先行研究の示唆と一致する。 これら一連の結果は、関連刺激の知覚と非関連刺激の抑制、そして関連刺激の処理による文法の抽出の3つの機能を想定し、相互に有限資源を共有すると仮定することで統一的に説明できる可能性が示唆された。具体的には、関連刺激の知覚的負荷が高い場合、低い場合に比べて知覚に多くの資源が割かれるため、相対的に処理による文法抽出の成績が低下する。さらに関連刺激の負荷が高まると処理が困難になる上に、非関連刺激の抑制が困難になる。こうした枠組みは近年の注意理論の枠組みとも一致する。 本研究から、潜在学習においては選択的注意が重要な役割を果たしており、入力された情報全てから規則性を抽出しているのではなく、一定の注意を向けたものから規則性を学んでいることが明らかになった。加えて主体的な情報の選択からのみ成立するのではなく、環境からの情報の強度に制約を受けていることも明らかとなった。 図1:本研究で用いられた2つの人工文法。 図2:本研究で用いられたGLOCAL文字列。 | |
審査要旨 | 本博士論文は潜在学習という無意識的な学習行動において、意識的に操作される選択的注意が果たす役割を実験心理学的に検討したものである。潜在学習に関しては、その成立における自動性に注目が集まり、その学習のメカニズムの解明を目指し、多くの研究がなされてきた。本研究は、潜在学習において最も頻繁に用いられる人工文法課題を用い、意識と密接に関連すると考えられる選択的注意を効果的に操作する枠組みを提案した。この枠組みに従い、一連の複数の実験を計画し、貴重なデータを得た。このデータに基づき、潜在学習においても、学習の成立のためにはその情報源となる対象に選択的注意を向けていることが必要であると結論づけている。 本博士論文では、第一章で「潜在学習とは何か」という基本的な観点から、その研究史や定義の変遷を概説している。さらに、他の認知能力との関連を概説し、潜在学習の操作的定義を試みている。そして人工文法学習課題における選択的注意の役割を検討する必要性を示したのち、それを実現する実験的枠組みとしてGLOCAL文字列の使用を提案している。GLOCAL文字列は大域/局所文字(Navon, 1977)を応用したものである。この実験的枠組みは、従来の心理学的知見に照らしてみたとき、人工文法学習に選択的注意が必要であるか否かを調べるための適切な研究材料であると評価できる。 第二章では提案された実験的枠組みにおける操作の適切さが2つの予備実験によって検討されている。この予備実験によって、提案された実験的枠組みが適切であること、実験刺激に想定した以外の撹乱要因の影響の可能性がないことが示されている。 第三章と第四章では、人工文法学習に選択的注意が必要か否かに関する実験が実施され、選択的注意が介在していることが実験結果によって示された。さらに、選択的注意が注意を向けていない情報からの入力を抑制する過程として実現していること、そして潜在学習が成立するための制約条件として刺激の物理的属性が影響している可能性が示唆された。 第五章では、刺激の物理的属性を操作し、それが前章で示唆されたように潜在学習の制約条件として影響するかどうかを検討した。この実験を通じて、潜在学習が選択的注意によってのみ成立するのではなく、主観的には操作できない外部からの入力強度が学習成立の制約条件となっていることが示された。さらに前章で示唆された選択的注意の抑制的機能の存在も確認された。 第六章では3つの実証的研究において得られた知見をまとめた総合的考察を行っている。すなわち、人工文法学習には選択的注意が必要であり、選択的注意は不必要な情報を抑制する役割を担っていること、そして刺激の物理属性によって学習が制約を受けるという事実について考察されている。さらに得られた全ての実験結果を整合的に説明するための枠組みとして、刺激を知覚する過程、抽象化する過程、さらに不必要な情報の抑制する過程の3つの過程に共通の認知資源を想定した潜在学習のモデルを提案し、今後の方向性が論じられている。 本博士論文の意義は、従来の潜在学習と注意に関する先行研究では検討されていなかった人工文法学習課題と選択的注意の関係に着目し、それを検討するために優れた実験的な枠組みを考案し、綿密な実験を通じて従来の研究では見過ごされてきた「刺激を見る」という行為に暗黙に含まれていた選択的注意の存在を見いだし、その役割を明確に示した点にあるといえる。また、観察された現象を説明するモデルは実験心理学の近接領域の現象を説明するモデルとも親和性が高いものであり、今後その発展性が高い。 審査においては、こうした厳密な実験的枠組みで検証された潜在学習と選択的注意の関係がどの程度の一般性を持ちうるのかという疑問も提起された。実験室で高度に抽象化された課題を日常的な現象の中で捉え直していく努力は、他の実験心理学的研究と同様、この潜在学習研究に関しても今後求められていくことになると考えられる。また、潜在学習という意識に関連した現象は、心理学やその近接領域にまたがる重要なテーマであり、脳科学など異なる研究分野とも領域横断的に学際的な発展を目指していく必要性も示唆された。将来の課題として残る部分があるとはいえ、本論文で示された研究がこの学際的な研究テーマの解明のために重要な貢献をしたことは間違いない。 GLOCAL文字列を用いた本博士論文の一部は基礎心理学分野における著名な国際誌に掲載され、この枠組みの有用性は内外に評価されている。従ってこれらの成果により、本審査委員会は全員一致で博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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