学位論文要旨



No 124285
著者(漢字) 小幡,博基
著者(英字)
著者(カナ) オバタ,ヒロキ
標題(和) ヒト立位姿勢における足関節底・背屈筋の神経制御メカニズム
標題(洋) Neural control mechanisms of the ankle extensor and flexor muscles during standing in humans
報告番号 124285
報告番号 甲24285
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第862号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 准教授 柳原,大
 国立障害者リハビリテーションセンター 部長 中澤,公孝
内容要旨 要旨を表示する

はじめに(第1章)

ヒトの立位姿勢は,身体の高い場所に位置する重心を狭い足底面上で制御する必要があり不安定である.そのため,各関節まわり,特に足関節まわりでの適切な筋活動によるトルク発揮が不可欠である.通常の静止立位姿勢において,我々の体はわずかに前傾しており足関節底屈筋(ankle extensor, plantar-flexor)の持続的な活動によって姿勢が保持されている.一方,足関節背屈筋(ankle flexor, dorsi-flexor)に筋活動上の応答は認められない.しかしながら,このことは足関節背屈筋が立位姿勢の保持に無関係であることを示しているのだろうか?本研究では,立位姿勢における足関節底屈筋および背屈筋の両筋の神経制御メカニズムに注目し,それぞれの筋における伸張反射,皮質脊髄路,皮質内促通・抑制回路の興奮性が立位時および座位時においてどのように調節されているのかを,電気生理学的手法を用いて検討した.さらに,加齢により,これらの神経制御がどのような影響を受けるのかについても併せて検討した.本研究で行った5つの実験の概要は次のとおりである.

(1) 立位姿勢における足関節底・背屈筋の伸張反射応答(第2章)

本実験では反射系の調節メカニズムを検討するために,健常成人10名を被検者として,立位時のヒラメ筋および前脛骨筋の伸張反射応答が,仰臥位時と比較してどのように調節されているのかを調べた.ヒラメ筋および前脛骨筋から表面筋電位(EMG)を導出した.仰臥位時のヒラメ筋背景筋活動を,随意収縮により立位時と同レベルに合わせて実験を行った.伸張反射応答を誘発するために,3種類の速度(設定値 100, 200, 300 degree/sec)の足関節背屈外乱(ヒラメ筋の伸張反射応答を誘発)および底屈外乱(前脛骨筋の伸張反射応答を誘発)をサーボモータにより与えた(振幅 10 degree).ヒラメ筋と前脛骨筋に誘発された伸張反射応答は,その潜時によって,短潜時反射(SLR),中潜時反射(MLR),長潜時反射(LLR)に分けて解析を行なった.その結果,ヒラメ筋および前脛骨筋の両方とも,立位時には座位時に比べて伸張反射応答が増大した.しかしながら,ヒラメ筋では伸張反射応答の増大がSLRとMLRに認められたのに対して,前脛骨筋ではMLRとLLRに認められた.このことから,立位-座位姿勢間の伸張反射調節が,ヒラメ筋と前脛骨筋では異なった神経機序で行なわれていることが明らかになった.

(2) 立位姿勢における足関節底・背屈筋の皮質脊髄路の興奮性(第3章)

本実験では,立位時のヒラメ筋および前脛骨筋の皮質脊髄路の興奮性がどのように調節されているのか,座位時と比較して調べた.ヒラメ筋および前脛骨筋からEMGを導出した.座位時のヒラメ筋背景筋活動を,随意収縮により立位時と同レベルに合わせて実験を行った.皮質脊髄路の興奮性は,頭部運動野上へ経頭蓋磁気刺激装置による磁気刺激を与えることで運動誘発電位を各筋から導出し,推定した.ヒラメ筋(n=10)および前脛骨筋(n=8)を支配する運動野の至適位置は個別に決定され,各筋への磁気刺激はそれぞれ別の日に行なわれた.磁気刺激の強度を数段階設定し,刺激強度-運動誘発電位の入出力特性をシグモイド曲線回帰から得られる指標で評価した.その結果,ヒラメ筋と前脛骨筋の両筋とも立位時には座位時に比べ,シグモイド曲線の定常値(応答の最大値)および最大傾斜が有意に増大した.このことから,両筋の皮質脊髄路の興奮性調節が,立位時と座位時では異なった神経機序で行われており,中枢神経系が外乱に対応するため足関節の応答を高めていることが明らかになった.

(3) 立位姿勢における足関節底・背屈筋の皮質内促通・抑制性回路の興奮性(第4章)

実験(2)でみられた足関節底・背屈筋の皮質脊髄路興奮性の増大が,中枢神経系のどのレベルで生じているのかを検討するために,本実験では運動野内促通・抑制性神経回路の興奮性が立位-座位間でどのように調節されているのか調べた(n=9).これらの回路の興奮性は,一つの磁気刺激コイルを用いて,二つの刺激(条件刺激と試験刺激)を様々な時間間隔(ISI)で与える二連発磁気刺激方を用いて評価した.閾値下の経頭蓋磁気刺激を条件刺激として与え,その後ISI=3msまたはISI=10msで閾値上の経頭蓋磁気刺激を試験刺激として与えた.先行研究により,条件刺激はISI=3msで試験刺激を抑制させ(SICI),ISI=10msで試験刺激を促通させることが報告されている.その結果,前脛骨筋では座位時に比べて立位時にSICIが減少し,ICFが増大した.一方,ヒラメ筋ではSICIとICFの両方とも立位-座位姿勢間の変化は認められなかった.このことから,少なくとも前脛骨筋に関しては,立位時の皮質脊髄路の興奮性増大に皮質内の促通および抑制性回路が関与していることが明らかになった.

(4) 立位姿勢における足関節底・背屈筋伸張反射応答の加齢の影響(第5章)

実験(1)においてみられた姿勢変化による伸張反射の興奮性調節が加齢による影響を受けるのか否かを検討した.健常高齢者および健常成人を対象として,立位時のヒラメ筋(高齢者:n=10, 成人:n=12)および前脛骨筋(高齢者:n=14, 成人:n=14)の伸張反射応答が,座位時と比較してどのように調節されているのかを調べた.ヒラメ筋および前脛骨筋から表面筋電位(EMG)を導出した.座位時のヒラメ筋背景筋活動を,随意収縮により立位時と同レベルに合わせて実験を行った.伸張反射応答を誘発するために,3種類の速度(設定値 50, 150, 250 degree/sec)の足関節背屈外乱(ヒラメ筋の伸張反射応答を誘発)および底屈外乱(前脛骨筋の伸張反射応答を誘発)をサーボモータにより与えた(振幅 5 degree).ヒラメ筋と前脛骨筋に誘発された伸張反射応答は,その潜時によって,短潜時反射(SLR),中潜時反射(MLR),長潜時反射(LLR)に分けて解析を行なった.その結果,健常成人で観察された座位時と比べた立位時のヒラメ筋(SLR)の増大および前脛骨筋(MLR, LLR)の伸張反射応答の増大が,健常高齢者では認められなかった.このことから,姿勢条件に依存した反射応答の調節能力が高齢者では低下することが明らかになった.

(5)足関節底・背屈筋伸張応答の加齢の影響(第6章)

実験(4)において,ヒラメ筋と前脛骨筋では加齢の影響を受ける反射成分が異なることが示されたが,本実験では各筋の筋活動レベルを変えた時にも同様の傾向が認められるのかを検討した.被検者は健常高齢者20名および健常成人23名であった.ヒラメ筋および前脛骨筋からEMGを導出した.座位姿勢において,ヒラメ筋または前脛骨筋の背景筋活動を0%または10%(ヒラメ筋または前脛骨筋の最大随意収縮時筋放電量を100%とする)発揮した際に伸張反射応答を誘発した.伸張反射応答を誘発するために,3種類の速度(設定値 150, 250, 350 degree/sec)の足関節背屈外乱(ヒラメ筋の伸張反射応答を誘発)および底屈外乱(前脛骨筋の伸張反射応答を誘発)をサーボモータにより与えた(振幅 15 degree).ヒラメ筋と前脛骨筋に誘発された伸張反射応答は,その潜時によって,SLR,MLR,LLRに分けて解析を行なった.その結果,ヒラメ筋伸張反射の加齢による影響はSLRの背景筋活動に依存した調節に認められたのに対し,前脛骨筋では背景筋活動に関係なくLLRの反射成分が高齢者では成人に比べ有意に増大した.このことから,筋によって加齢の影響を受ける伸張反射成分が異なることが明らかになった.

総括論議(第7章)

本研究では,ヒト立位姿勢における足関節底・背屈筋の神経制御メカニズムを調べるために,伸張反射応答,皮質脊髄路の興奮性,皮質内促通・抑制性回路の興奮が脊臥位・座位時と比較して立位時にどのように調節されているのか,電気生理学的手法を用いて検討してきた.その結果,足関節底屈と背屈筋の両方の筋で,立位時には仰臥位や座位時に比べて伸張反射の興奮性および皮質脊髄路の興奮性が増大していることが明らかになった.このことは,足関節底・背屈筋が立位時の外乱に対応するため筋の応答性を高めていることを示している.

本研究の結果,足関節背屈筋である前脛骨筋では,皮質脊髄路の興奮性増大の神経メカニズムとして少なくとも部分的には運動皮質内の促通・抑制性回路が関与していることが示された.さらに,立位時の前脛骨筋の伸張反射応答の増大は,皮質を介する経路だと報告されているLLRに主に認められた.これらのことを総合すると,通常の立位姿勢時に筋活動の認められない前脛骨筋では,皮質レベルでの神経制御により筋の応答性を高めることで外乱に対応し,立位姿勢の安定性を図っていると考えられる.一方,足関節底屈筋であるヒラメ筋に関しては,伸張反射応答の増大が主にSLRに認められたことから,少なくとも本研究で用いた足関節軸の背屈方向の外乱に対しては,脊髄レベルで立位時の外乱に対応しているものと考えられる. さらにまた,高齢者における実験結果から,これらの足関節底・背屈筋間の神経制御メカニズムの違いは,それぞれの筋の加齢の特徴にも反映されることが示された.

本研究の結果より,ヒト立位姿勢において足関節底屈筋と背屈筋ではその神経制御メカニズムが異なることが明らかになった.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ヒトにおける反射性の立位姿勢調節機構の一つである伸張反射経路と、随意性の立位調節機構である皮質脊髄路とに着目し、これらの経路の興奮性が立位時にどのように調節されているかを他の姿勢と比較することによって検討した研究の成果をまとめたものである。本論文は、第1章で、立位姿勢に関するこれまでの研究のまとめと本論文で用いる手法の研究背景、および本研究の着目点と目的について述べ、第2~6章に申請者の行った研究成果をまとめ、第7章にそれらを総括した論議を加えて構成されている。その研究成果の大略は以下の通りである。

第2章では、ヒトの反射性立位姿勢保持に重要な役割を果たす足関節底屈筋(ヒラメ筋)および背屈筋(前脛骨筋)の伸張反射応答がどのように調節されているのかを、一般健常成人を被験者として調べた。その結果、ヒラメ筋および前脛骨筋の伸張反射応答は、背臥位時に比べて立位時に増大していることが明らかとなった。また、反射応答の潜時から、ヒラメ筋では単シナプス性の脊髄反射である短潜時の伸張反射成分が立位時に増大しているのに対して、前脛骨筋では皮質経由の可能性がある長潜時の伸張反射成分が増大していることが明らかとなった。このことから、立位姿勢保持のための伸張反射調節が、ヒラメ筋と前脛骨筋では異なった神経機序で行われていることが明らかになった。

第3章では、頭蓋表面から大脳皮質運動野へ磁気刺激を与える経頭蓋磁気刺激法(TMS)を用いて、ヒラメ筋および前脛骨筋への皮質脊髄路の興奮性を測定することによって、随意性の立位姿勢調節機構を検討した。磁気刺激の強度と刺激によって誘発される運動誘発電位との関係をシグモイド曲線回帰して検討した結果、ヒラメ筋および前脛骨筋の両筋とも立位時には座位時に比べ、シグモイド曲線の定常値(応答の最大値)および最大傾斜が有意に増大した。このことから、両筋の皮質脊髄路の興奮性調節が立位時と座位時では異なった機序で行われており、立位姿勢保持のために、随意性の足関節応答が高まっていることが明らかになった。

第4章では、一つの磁気刺激コイルから二つの刺激(条件刺激と試験刺激)を様々な時間間隔で与える二連発磁気刺激法を用いて、ヒラメ筋および前脛骨筋を支配する一次運動野の皮質内の興奮性調節を検討した。その結果、前脛骨筋において、座位時に比べて立位時に皮質内抑制回路の興奮性が減少し、皮質内促通回路の興奮性が増大していることがわかった。このことから、前脛骨筋では、立位時には座位時に比べ皮質内の興奮性が増大していることが明らかになった。

第5章では、以上のような姿勢変化による伸張反射の興奮性調節に対する加齢の影響を検討した。その結果、若年成人で観察された座位から立位へのヒラメ筋の単シナプス性伸張反射の増大および前脛骨筋の皮質経由伸張反射の増大が、高齢者では認められなかった。また、高齢者の前脛骨筋の皮質経由伸張反射は、座位時にも立位時のレベルまで増大していた。このことから、姿勢条件に依存した反射応答の調節能力が高齢者では低下することが明らかになった。また、筋により加齢の影響を受ける反射経路が異なることが明らかになった。

第6章では、第5章で観察された高齢者の座位と立位の前脛骨筋の反射特性の違いが、筋活動レベルの違いを反映しただけに過ぎないのかどうかを検証するため、被験者を座位姿勢に固定し、ヒラメ筋および前脛骨筋の安静時および10%MVC での活動時の伸張反射応答を誘発した。その結果、高齢者の前脛骨筋の皮質経由伸張反射応答成分は、活動時のみならず安静時においても若年成人に比べ有意に増大していることがわかった。このことから、前脛骨筋では、皮質経由の伸張反射の応答性自体に加齢による変化が認められることが明らかになった。

これらの結果をもとに、第7章において、申請者は本研究の成果を次のように総括している。

(1)足関節背屈筋である前脛骨筋では、反射性姿勢調節機構である伸張反射経路および随意性姿勢反射調節機構である皮質脊髄路の興奮性が立位時には増大しており、その神経メカニズムとして、大脳運動野の皮質内の促通・抑制性回路の興奮性変化による皮質内の興奮の増大が関与している。(2)一方、足関節底屈筋であるヒラメ筋では、前脛骨筋のような皮質内の興奮性の変化は認められず、脊髄レベルで伸張反射経路および皮質脊髄路の興奮性調節が行われている。(3)さらにまた、高齢者においては、特に足関節底屈筋および背屈筋の伸張反射長潜時成分が亢進しており、若年者とは異なる神経制御メカニズムで姿勢制御が行われている可能性がある。

これらの内容を慎重且つ精細に審査した結果、本論文は、従来明らかでなかった、立位時に筋活動の認められない足関節背屈筋の閾値下での皮質レベルの神経制御メカニズムを解明した点、それにより、立位安静時に持続的に活動することによって姿勢保持に貢献する足関節底屈筋の脊髄レベルでの神経制御と、立位安静時には筋活動を示さないが常に閾値下での興奮性を高めて急激な外乱に対処する足関節背屈筋の皮質レベルの神経制御という姿勢制御の二重構造を明らかにした点、またそれらを導いた申請者の研究手法の独自性の点で、高く評価できると判断した。本研究は、ヒト立位姿勢の神経制御メカニズムの解明に貢献するところ大であり、学術業績として極めて有意義であると認められる。したがって、本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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