学位論文要旨



No 124287
著者(漢字) 新井,永範
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ヨンボン
標題(和) 水溶性ポルフィリンJ会合体の自己組織化と機能
標題(洋) Self-Organization and Functions of Water-Soluble Porphyrin J-Aggregates
報告番号 124287
報告番号 甲24287
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第864号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬川,浩司
 東京大学 教授 松尾,基之
 東京大学 客員教授 宮坂,力
 東京大学 准教授 久保,貴哉
 東京大学 准教授 内田,聡
内容要旨 要旨を表示する

色素分子が遷移双極子モーメントをhead-to-tail方向に揃えて自己組織化した分子集合体であるJ会合体は、励起状態が複数の分子に非局在化することからモノマーよりも長波長シフトした先鋭な吸収ピークを持つなど、様々な特徴的光物性を示す。このJ会合体は、工業的には写真の分光増感剤やCD-Rなどの記録材料として応用されている。また、光合成生物のひとつである緑色細菌のクロロゾームでは、クロロフィルのJ会合体が高効率な光捕集と励起エネルギー輸送を担っていることが知られている。しかしながら、クロロフィル類似分子のJ会合体の研究は、光合成との関連から重要であるが、古くから研究されているシアニン色素のJ会合体に比べるとまだ研究の歴史が浅く、最近になって研究が行われ始めたばかりである。クロロフィル類似分子であるポルフィリンのJ会合体は、水溶性ポルフィリンのmeso-テトラキス(4-スルフォフェニル)ポルフィリン(TSPP)のJ会合体が最初に報告されている。このTSPPは酸性水溶液中でプロトンが2つ付加しジアシッド(TSPPH2、以下他のポルフィリンのジアシッドも同様に表記する)となると側鎖のスルホン酸基とポルフィリン環のジカチオンとの静電的相互作用により容易にJ会合体を形成する(スキーム1)。一方、非水溶性ポルフィリンでは置換基を変えたJ会合体の自己組織化の系統的な研究や物性の制御が可能となったが、水溶性ポルフィリンにおいてはJ会合体を形成するものはまだ限られている。そこで本研究では、新たな水溶性ポルフィリンを合成し、従来のTSPPH2J会合体と比較をしつつ、水溶性ポルフィリンの水溶液中及び薄膜形成における自己組織化挙動について系統的な検討を行った。また、ポルフィリンJ会合体の機能化の観点から、電気化学的手法、光化学的手法によりTSPPH2J会合体のラジカルの生成について検討を行った。

第一章では本研究の背景と目的についてまとめた。

第二章ではTSPPH2J会合体の自己組織化の制御について報告した。これまで、水溶液中におけるTSPPH2J会合体形成挙動に関して多くの研究がなされているが、本研究における詳細な検討により、J会合体分散液の調整法によって最終的に形成されるJ会合体の物性を制御できることを新たに見出した。また、J会合体水溶液への超音波照射の影響を検討した結果、高濃度条件で形成されるJ会合体溶液の吸光度が超音波照射により大きく上昇することを見出した。この吸光度変化は、凝集していたJ会合体が分散することにより有効な吸収断面積が回復したことによる。また、J会合体の硫酸含有フィルムを基板に形成し、その湿度や温度の影響を検討した結果、水の吸着、脱着により構造相転移することを見出した。

第三章ではmeso-テトラキス(スルフォチエニル)ポルフィリン異性体の合成と自己組織化について報告した。TSPPH2J会合体より分子間の相互作用が強くより長波長域に吸収帯を持つ新規なJ会合体の形成が期待できるものとして、メソ位にスルフォチエニル基を導入したmeso-テトラキス(スルフォチエニル)ポルフィリン(TSThP)の合成を行った。TThPのスルホン化反応によって、チエニル基の5位と4位にスルホン酸基が置換したTSThP異性体が生成することを明らかにし、これらの異性体生成比率が反応温度に強く依存することを見出した。また、これらの異性体を系統的に分離することに成功した。ここで得られたTSThPの各異性体について、酸性水溶液中におけるJ会合体形成について検討した。すべて5位置換の誘導体ではTSPPH2と類似したJ会合体形成挙動を示し、同程度の低濃度で容易にJ会合体を形成することが分かった。また、このJ会合体の吸収帯はTSPPH2J会合体のものに比べてかなり長波長領域に存在しており、メソ位置換基を変えることでポルフィリンJ会合体の物性を大きく制御できることを明らかにした。他の異性体においては、4スルフォチエニル基が増加するにつれてJ会合体形成に必要とする濃度が増加する傾向にあり、カウンタイオンに強く依存した自己組織化挙動を示すことを明らかにした。さらに、一部の誘導体ではポルフィリン濃度やHCl濃度に依存した異常なJ会合体形成挙動を示し、レーザー照射により構造相転移を起こすことを見出した。

第四章ではTSThPH2J会合体のキャスト条件に依存した自己組織化について報告した。TSThPH2J会合体のキャスティング過程における自己組織化挙動を明らかにするため、様々な条件でキャストフィルムを形成し、それらの形態をTM-AFMを用いて検討を行った。TSThPH2J会合体のキャストフィルムは各TSThPH2異性体の塩酸水溶液をカバーガラスにキャストして作成した。すべて5位置換の誘導体のJ会合体の基本構造はロッド状でありTSPPH2のものと類似していることが分かったが、すべて4位置換の誘導体のJ会合体はキャスト溶液のHCl濃度に依存し、ロッドの集合体からネットワーク化したファイバーへと形態が劇的に変化することを明らかにした。さらに、すべて5位置換の誘導体のキャスト溶液の条件を制御し形成されるJ会合体のロッドを短くすると、マクロなレベルにおける散逸構造の特徴を示すようになることを明らかにした。一方、各異性体の硝酸水溶液から形成するJ会合体フィルムの形態について検討したところ、すべて4位置換の誘導体のものは塩酸水溶液の場合とは大きく異なりマクロなレベルで非常にフラットなフィルムが観測された。また、硝酸水溶液で会合体形成が有利となる条件ではH会合体のフィルムが形成されて粒子状の構造からなる形態的特徴を示し、JとH会合体が混在するフィルムでは相分離構造が形成されることを明らかにした。

第五章ではポルフィリンJ会合体の機能化について報告した。ポルフィリンJ会合体の導電性を増加させることや基礎的な電子物性を明らかにすることを目的とし、TSPPH2J会合体フィルムの電気化学測定を行った。具体的には、TSPPH2J会合体フィルムの電解酸化還元反応を分光電気化学法により検討した。TSPPH2J会合体フィルムのサイクリックボルタグラム(CV)を測定した結果、第一還元反応は-400 mV付近に半波電位を持つ反応であることがわかった。分光電気化学測定によりJ会合体の吸光度の電位変化から求まる酸化還元電位はCVの結果と一致することから、TSPPH2J会合体ラジカルは900 nm付近に吸収ピークを持ち、安定であることが明らかとなった。J会合体を用いた機能性材料としてのさらなる可能性を検討していく上で、光でJ会合体ラジカルの発生を制御できることは重要である。そこで、TSPPH2J会合体とEDTAやアスコルビン酸などの犠牲還元剤との光誘起電子移動反応によるJ会合体ラジカルの光化学的生成について検討した。まず、還元剤を含むTSPPH2J会合体フィルムを作成し固相における光誘起電子移動反応を調べたところ、電解による吸収変化と同様の変化が観測され、還元剤とJ会合体の光誘起電子移動反応により効率よくJ会合体ラジカルが生成することがわかった。水溶液中においてJ会合体の蛍光消光のStern-Volmer プロットによる解析から、還元剤はJ会合体に吸着していることを明らかにした。このようにJ会合体と還元剤が会合することは、固相で効率の良い光誘起電子移動反応が起きたことを支持する。また、水溶液中における安定なJ会合体ラジカルは、J会合体の吸収帯への光照射ではほとんど生成しなかったのに対し、モノマーの吸収帯に対応する波長に光を照射すると極めて効率よく生成することを見出した。この現象について詳しく検討した結果、モノマーと還元剤の光誘起電子移動により生じたモノマーラジカルからJ会合体へのラジカル移動が起こっていることを明らかにした。

第六章では以上の研究結果を総括した。新たな水溶性ポルフィリンとしてTSThP異性体を系統的に合成し、その自己組織化により置換基を変えたJ会合体の構造と物性の制御を示しただけでなく、水溶液中や薄膜形成過程において自己組織化の制御につながる要因を見いだした。また、これまで研究の蓄積の多いTSPPのJ会合体においても、これまで知られていなかった新たな自己組織化現象を見いだした。これらの結果は、ポルフィリンJ会合体の自己組織化に関して新しい知見を与えるだけでなく、光機能薄膜や刺激応答材料への展開も期待される。さらに、TSPPH2J会合体の機能化に関して、これまで研究が大変困難であったポルフィリンJ会合体の電気化学過程を初めて明らかにし、光化学的な手法による安定なポルフィリンJ会合体ラジカルの生成にも初めて成功した。これらの結果は、ポルフィリンJ会合体ラジカルの基礎的な研究として重要な結果である。

スキーム1 meso-テトラキス(スルフォフェニル)ポルフィリン(TSPP)のJ会合体形成

審査要旨 要旨を表示する

J会合体とは、色素分子が遷移双極子モーメントを一次元方向に揃えて自己組織化した特殊なナノ構造をもつ分子集合体であり、複数の分子に非局在化した励起子による興味深い光物性を示すことが知られている。なかでもクロロフィル類似色素分子であるポルフィリンのJ会合体は、生物の光合成における励起子移動機構の解明や、その機構を応用した有機デバイス構築とも関連し、重要な研究対象である。しかしながら、このポルフィリンJ会合体のナノ構造と光物性の関係には未解明の部分が多く、そのナノ構造制御に関する研究もほとんどなかった。本論文は、各種の水溶性ポルフィリン誘導体を用いて、これらがつくるJ会合体のナノ構造の制御を行うとともに、ナノ構造と光物性との関連を詳細に検討したもので、全六章からなる。

第一章では、これまでのJ会合体研究の展開とともに本研究の背景と目的が述べられている。第二章では、テトラキススルホフェニルポルフィリンJ会合体の自己組織化の新規制御法として、J会合体水溶液への超音波照射とJ会合体への水分子の吸脱着が検討され、同じ分子からなるJ会合体でも構造の異なる相が存在し、その相関で相転移が起こり光吸収能が変化することを初めて見出している。第三章では、新規なJ会合体形成分子としてメソテトラキススルフォチエニルポルフィリン誘導体を系統的に合成し、その構造異性体の生成比率の制御法を見出すとともにそれぞれの単離に成功したことを述べている。また、各異性体のJ会合体がこれまでにない長波長域の光吸収能をもち、そのJ会合体形成能がスルホン酸基の置換位置に強く依存すること、酸濃度に依存してJ会合体の構造や形成過程が変化すること、レーザー光照射により相転移がおこることなどを明らかにしている。第四章では、J会合体の構造の違いを原子間力顕微鏡で検討し、J会合体の基本構造がロッドであること、このロッドの集合体がネットワーク化しファイバーへと形態変化すること、J会合体のロッドを短くすると散逸構造が発現すること、などを明らかにしている。第五章では、J会合体薄膜の酸化還元反応を分光電気化学法により検討し、その酸化還元電位を正確に決定することに成功したことが述べられている。また、J会合体と還元剤との光誘起電子移動反応によるJ会合体ラジカルの光化学的生成について検討し、効率よくJ会合体ラジカルが光生成することを示している。この高効率電荷分離の原因について、J会合体の蛍光消光のStern-Volmer プロットによる解析から、還元剤分子がJ会合体に吸着していることが原因と結論している。第六章では、以上の研究成果を総括し、ナノ構造変化による光物性制御を利用して光機能性薄膜への展開が期待できることを示している。

本論文は、以上のように各種の水溶性ポルフィリンの自己組織化によりつくられるJ会合体のナノ構造と光物性の制御について、新しい方法を示している。これらの方法は、ポルフィリンだけでなく種々のJ会合体にも応用可能な普遍性の高いものとして評価できる。さらに、ポルフィリンJ会合体についてこれまで研究例がなかった電気化学反応や光化学反応の研究領域を開拓するものであり、学術研究としての価値は高い。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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