学位論文要旨



No 124288
著者(漢字) 塩田,大輔
著者(英字)
著者(カナ) シオタ,ダイスケ
標題(和) 電荷移動相互作用を利用した非一次元鎖型発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構築
標題(洋)
報告番号 124288
報告番号 甲24288
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第865号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 松下,信之
 東京大学 教授 下井,守
 東京大学 教授 増田,茂
 東京大学 准教授 錦織,紳一
 東京大学 准教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

発光性遷移金属錯体は,有機EL デバイスの発光分子材料や外場に応答するセンシング材料として注目されている。そのような発光性遷移金属錯体としてイリジウム錯体や白金錯体などの開発・研究が多い。発光性集積型白金錯体としてはテトラシアノ白金(II)錯体塩が古くから知られている。

本研究のターゲット化合物であるテトラシアノ白金(II)錯体は,溶液中など孤立している場合には発光を示さない。その一方で,アルカリ金属イオンなどとの塩は強い発光を示す。この結晶中ではテトラシアノ白金(II)錯体が一次元に積層する白金一次元鎖構造を有している。この白金一次元鎖構造は,単純化すれば,白金5d(z2) 軌道からなるd バンドと白金6pz 軌道からなるp バンド間のd-p相互作用により安定化されている。一次元鎖型テトラシアノ白金(II)錯体塩の強い発光には,このd-p 相互作用が重要な役割を果たしている。また,テトラシアノ白金錯体については,部分酸化型テトラシアノ白金錯体の研究がこれまで多く報告されており,テトラシアノ白金(II)錯体は酸化されやすい性質,すなわち電子ドナー性を有する。

d-p 相互作用は,d バンドの軌道とp バンドの軌道が混合することを意味する。d バンドをドナーバンド,p バンドをアクセプターバンドとみなせば,d-p 相互作用は同一化学種内での電荷移動相互作用ととらえることができる。アクセプターバンドを形成する化学種として,電子アクセプター性を持つ化学種を用いることができると考えた。アクセプター性カチオンを対カチオンとして用いることでドナー-アクセプター間に電荷移動相互作用が働くことが期待できる。この電荷移動相互作用には,白金一次元鎖といった構造条件は必要とされない。そのため,電荷移動相互作用による発光性テトラシアノ白金(II)錯体が構築できれば,d-p 相互作用に必要な白金一次元鎖構造を解消することができ,結晶構造の自由度を獲得できると考えられる。本研究の目的は,テトラシアノ白金(II)錯体の対カチオンとして電子アクセプター性を有する有機カチオンを用いることで,ドナー-アクセプター間電荷移動(DACT)相互作用による発光性テトラシアノ白金(II)錯体を構築することである。

電子アクセプター性対カチオンを用いた発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構築

本研究では,まず図1 に示す平面型アクセプターカチオン,メチルビオロゲン(MV(2+)),ジクワット(DQ(2+)),ジヒドロビピリジニウム(H2bpy(2+)),ジヒドロビピペリジニウム(H2bipip(2+))を対カチオンとする塩の合成を行った。得られた塩の組成は元素分析により決定した。平面型カチオンを用いた理由は次のことによる。白金一次元鎖構造を有するDACT 錯体塩が発光を示した場合,その発光がどの相互作用に基づく発光であるかを確かめることが困難になるが,平面型カチオンであれば平面型アニオンとクーロン相互作用によりそれらは互いに積層した構造をとり,白金一次元鎖構造を妨げることが期待できる。図2 に示すように,アクセプター性を持つカチオンとの塩である(MV)[Pt(CN)4],(DQ)[Pt(CN)4]・2H2O,(H2bpy)[Pt(CN)4]・2H2O は,366 nm の紫外光を照射することで発光を示した。単結晶が得られたMV 塩,DQ 塩について単結晶構造解析を行った。図3 にMV 塩の結晶構造を示す。MV 塩とDQ 塩は,白金原子間に直接的な相互作用を持たず,ドナーとアクセプターが交互に積層するDA カラム構造を形成していた。MV 塩とDQ 塩の単結晶偏光吸収スペクトル(図4)では,構成成分の吸収帯よりも低エネルギー側に新しい吸収の立ち上がりが現れた。電荷移動吸収帯は構成成分の吸収よりも低エネルギー側に現れることが知られていることから,新しく現れた吸収の立ち上がりはDACT 吸収帯の立ち上がりであるといえる。このことは,結晶中でDACT 相互作用が存在することが示している。DACT 吸収帯領域の励起光により発光を示すことから,この発光はDACT 相互作用に基づく発光である。

H2bpy 塩は単結晶が得られておらず,その結晶構造は明らかではない。しかしこれまでに知られている結晶構造の異なるH2bpy 塩は,カチオンとアニオンが交互に積層し白金原子間に相互作用を持たない構造をとっていた。このことから,今回得られたH2bpy 塩の発光もDACT 相互作用に基づく発光であると考えられる。

対カチオンが電子アクセプター性を持たず,DACT 相互作用による発光は起こらないと考えられる(H2bipip)[Pt(CN)4]・H2O は,結晶構造解析の結果,MV 塩やDQ 塩と類似のアニオンとカチオンが交互に積層した構造をとることが明らかとなった。単結晶吸収スペクトル(図4)には,孤立したテトラシアノ白金(II)錯体の吸収端が現れ,DACT 相互作用に基づく吸収帯は見られなかった。また,紫外光照射による発光も見られなかった。

これらのことから,電子アクセプター性を持つ対カチオンを用いることにより,d-p 相互作用ではなくDACT 相互作用に基づく発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構築に成功したといえる。

DACT 型発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構造異方性と光吸収・発光の異方性の相関

(MV)[Pt(CN)4]単結晶については,よく外形面の成長した大きな単結晶を作成することに成功した。そこで,(1 0・1),(0 0 1),(1 0 1),(0 1 0)の各結晶面の偏光分光測定を行った。(1 0・1)面の偏光吸収スペクトル,偏光発光スペクトル,発光強度の励起波長依存性プロットを,それぞれ図5,図6,図7 に示す。同様の測定を(0 0 1),(1 0 1),(0 1 0)面でも行った。それらの結果から結晶構造の異方性とDACT 相互作用の異方性についての考察を行った。

各面の偏光吸収スペクトルの測定から,3 種類のDACT 吸収端が観測された。吸収端の波数を表1 にまとめた。最も低エネルギー側に位置するA吸収端は,DA カラムの積層方向と平行な偏光吸収スペクトルで観測された。DA カラムの積層方向と垂直な偏光吸収スペクトルではDACT 吸収端である吸収端B,C がA 吸収端より高エネルギー側に現れた。この異方性は,DA カラム構造に起因する,カラムに平行な方向と垂直な方向のDACT 吸収端の異方性,すなわちDACT 相互作用の異方性であるといえる。DA カラムの積層方向と垂直な偏光吸収スペクトルであらわれたDACT 吸収端B,C は,DA カラムに垂直な(0 1 0)面での偏光吸収スペクトルでも観測された。この吸収端B,C はアクセプターであるMV(2+)の分子長軸L に対して平行および垂直の場合に観測された。偏光の電場ベクトルとMV(2+)の分子長軸との関係は,DA カラムに平行な面でも同様の関係にあることから,このカラムに垂直な面で見られるDACT 相互作用の異方性はMV(2+)の分子構造に起因する異方性であるといえる。

各面の偏光発光スペクトル測定からも,3 種類のDACT 相互作用に基づく発光帯が観測された。それらの発光極大の波数を表1にまとめる。これら3 種類の発光帯のうち,最も強い発光帯P はDA カラムに平行な電場ベクトルの発光であった。P 帯が観測された面では,DA カラムに垂直な弱い発光帯Q,R が観測された。この結果はDA カラム構造に起因するDACT 相互作用の異方性を示している。発光帯Q,R はDA カラムに垂直な面でも観測された。MV(2+)の分子長軸L に対して平行および垂直な偏光の弱い発光帯Q,R の発光の異方性は,MV(2+)の分子構造に起因するDACT 相互作用の異方性を示している。このように,発光の異方性も,DA カラム構造とMV(2+)の分子構造の2 つの構造異方性に起因するDACT 相互作用の異方性を示していた。

各面について,366,405,435,480 nm の励起光による発光強度の励起光依存性を測定した。図7 に(1 0・1)面についての結果を示す。励起光の波長が短くなるにつれて,発光強度が増大した。これはDACT 吸収帯の吸収の立ち上がりと一致しており,この発光がDACT 相互作用による発光であることを示している。他の面でも同様の結果が得られた。DA カラムに平行な強い発光が観測される面においては,366 nm,405 nm 励起光では,発光強度は励起光の偏光方向とDA カラム方向の角度に依存しなかったが,435 nm 励起光では,発光強度は励起光の偏光方向とDA カラム積層方向の角度に依存する結果となった。この発光強度の依存性は偏光吸収スペクトルに見られる最も低エネルギー側の吸収端が 435 nm よりも低エネルギー側にあるDACT 遷移の異方性によるものである。

まとめ

以上のことから,本研究の目的である,DACT 相互作用を利用した非一次元鎖型発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構築に成功した。有機カチオンとのDACT 相互作用による発光を示すテトラシアノ白金(II)錯体塩は本研究の例が始めてである。本研究の成果は,非一次元鎖型発光性テトラシアノ白金(II)錯体系の第一歩であることと同時に,金属原子間相互作用をもつ化合物に対してその相互作用を電荷移動相互作用に置き換えるものづくりの指針となると期待できる。

図1 用いた対カチオン

図2 得られた塩の固体発光スペクトル

図3 (MV)[Pt(CN)4] DA 交互積層構造

図4 得られた塩の単結晶吸収スペクトル

図5 (1 0・1)面の単結晶偏光吸収スペクトル(E は偏光の電場ベクトル)

図 6 (10・1)面の単結晶偏光発光スペクトル(E(ex),E(em) はそれぞれ励起光,発光の電場ベクトル)

表 1 顕微分光測定面での吸収端および発光極大の波数

図7 (10・1)面 発光強度の励起波長依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4 章からなり,第1 章は本研究における物質設計上の着想に関する詳細な考察と説明,第2 章は電子アクセプター性対カチオンを用いた発光性テトラシアノ白金(II)錯体の構築に関する研究,第3 章はDACT 型発光性テトラシアノ白金(II)錯体における分子構造や分子配列の構造異方性と光吸収・発光の異方性の関係に関する研究が述べられている.第4 章は全体の結論が述べられている.

第 1 章では,発光性物質に関する研究背景,ならびに,d-p 相互作用を電荷移動相互作用に置き換えてテトラシアノ白金錯体を発光させる着想について,そのd-p 相互作用,電荷移動相互作用の解説等とともに,説明し,電荷移動相互作用を利用した新しいタイプの発光性白金錯体の構築という研究目的について述べている.

近年,青色発光ダイオードや有機EL といった発光デバイスが注目を集めているが,その関係で発光体の素材開発の観点から,関連物質のエレクトロルミネッセンスのみならず,フォトルミネッセンスの研究が盛んに行われている状況にある.特に有機EL に関連した発光体の物質開発では,重遷移金属のイリジウム錯体や白金錯体の発光性物質の開発研究が盛んである.白金錯体では,錯体の二核化やπ系配位子の開発が行われ,錯体分子そのものの発光機能の開発が主流となっている.

このような背景のもと,論文提出者の研究は,新規白金錯体分子を開発するのではなく,一次元鎖構造に基づくd-p 相互作用により発光することがよく知られているテトラシアノ白金錯体を素材として取り上げている.そこには,分子間相互作用に基づく機能発現の設計という新たな戦略を切り開こうという研究目的がある.発光性の元となる,構造に制約のあるd-p 相互作用に代えて,有機アクセプター導入による電荷移動相互作用を用いることでも,発光性を獲得することが可能であるという考え方を,d-p 相互作用を詳細に検討し電荷移動相互作用と比較することから提唱し,同類となるDACT 型金属錯体の既報研究を調査し,具体的実践プランを示した.論文提出者は,d-p 相互作用に代えて利用する電荷移動相互作用により構造面での自由度の獲得が物質設計上有利な点であると指摘している.この着想に基づく具体的な物質合成と発光の実証が第2 章に述べられている.また,結晶構造と吸収・発光の異方性の関係についての成果が,第3 章で述べられている.

第 2 章は,第1 章で考察,説明した着想に基づき,具体的に提案した3 種類の有機アクセプターカチオンとテトラシアノ白金錯体アニオンの塩について,合成,単結晶作製,結晶構造,吸収・発光の分光学的測定結果を述べている.まず,塩の合成とキャラクタリゼーションについて述べ,単結晶が得られた塩についてX 線構造解析を行い,その結果から,白金錯体の一次元鎖構造が形成されていないことを明らかにし,構造面で検証に必要な要件である非一次元鎖構造であることを示している.そして白金錯体ドナーと有機アクセプターが交互積層カラム構造を形成していること明らかにした.次に,吸収スペクトルから,構成成分のテトラシアノ白金錯体ドナーや有機アクセプターには観測されない低エネルギーサイドでの吸収帯の存在を明らかにし,電荷移動相互作用があることを示した.最後に,各電荷移動塩の単結晶や粉末試料による発光スペクトル測定から,波長500~550 nm 付近で,元のd-p 相互作用で光る一次元テトラシアノ白金錯体なみに強く発光することを明らかにした.また一方で,類似の分子構造を持つもののアクセプター性のない有機カチオンと組み合わせた塩についても合成し,構造を確認,その単結晶がまったく光らないという裏をとる実験結果についても述べている.以上のように,着想,設計通りに電荷移動相互作用を持つテトラシアノ白金錯体の塩を合成し,これらが目論み通り発光することを実証している.

第 3 章は,第2 章で述べた塩の1つビオロゲン塩のよく成長した単結晶を用いて,4つの結晶面に関して,偏光吸収分光,偏光発光測定,発光の励起波長依存性測定を行った結果について述べている.まず,偏光吸収分光測定により電荷移動吸収端のエネルギー位置が低エネルギー側から,カラム積層方向,カラム間のビオロゲンアクセプター分子長軸方向,短軸方向の順になっていることを示し,電荷移動相互作用の3 次元的異方性を明らかにした.次に,偏光発光測定により発光の偏光特性を3 次元的に調べた.発光強度がカラム積層方向の偏光に大きく偏った強い異方性を示すこと,カラム間方向の偏光の発光強度でも吸収スペクトルと同様に異方性があり,カラム間のビオロゲンアクセプター分子長軸方向が短軸方向より少し強いことを明らかにした.すなわち,吸収の示す相互作用の大小の方位と発光強度の大小の方位が一致していることを示した.これにより分子の配向と配列,パッキングなど結晶構造の異方性を反映した電荷移動相互作用が,発光の3 次元的異方性と関係付いていることを解明した.

論文提出者は,既知の一次元白金錯体塩について発光の起源であるd-p 相互作用に対する丁寧な考察から,構造に制約のあるd-p 相互作用に代えて,有機アクセプター導入による電荷移動相互作用を利用した新しいタイプの発光性白金錯体塩の構築を提案し実証した.このことは,電荷移動相互作用を利用した新しいタイプの発光性白金錯体塩を構築したことそのものにも意義があるが,加えて,当該白金錯体において構造制約から解放した系を構築した点,ならびに,種々の有機アクセプターカチオンとの組合せで,発光特性を構造的あるいは電子的に制御できる道を開いた点においても,当該分野の発展に寄与するものと認められる.以上のような点で,この研究は高く評価され,博士(学術)の学位を授与するに十分な成果をあげたといえる.

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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