学位論文要旨



No 124294
著者(漢字) 劉,占富
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,センフク
標題(和) 現代中国における教員評価政策に関する研究 : 国の教育法制・政策の地方受容要因と問題
標題(洋)
報告番号 124294
報告番号 甲24294
学位授与日 2009.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第149号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 勝野,正章
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 牧野,篤
 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 教授 篠原,清昭
内容要旨 要旨を表示する

1. 目的と意義

中国では、公立学校改革を進めるための重要な政策の一つとして教員の能力向上が取り組まれ、その手段として教員評価制度が導入されてきた。

教員評価をどのような考え方と制度の下で実施していくかは、中国だけではなく、公立学校改革を重要な課題として取り組んでいるアメリカ、イギリス及び日本等の先進国でも共通した政策上の主要課題となっている。しかし、アメリカ、イギリス及び日本の諸先進国にはそれぞれの悩みや国情の違いがあるため、教員評価においてもそれぞれ異なる特徴と動向がみられる。現在のアメリカでの教員評価の最大の動向は、従来のメリット・ペイ等の業績評価による競争的インセンティブによる教員評価と処遇に代わり、教員の職能成長を支援する教員評価への移行が求められている。イギリスはアメリカの動きと異なり、従来の対集団の勤務評定から対個人の業績評価モデルへの展開が見られる。日本ではバブル崩壊以降、年功制・学歴重視及び終身雇用という雇用慣行のもたらすコスト圧力やその非効率性が問題視され、日本型の人事・雇用システムの抜本的な改革の必要性が提起されてきた。これまでの長期的・継続的雇用を前提とした年功的処遇を改め、雇用の流動化・多様化を促進し、成果主義的な人事システムに再編されることが近年の改革における支配的な論調となっている。

中国の現行教員評価システムは、中央政府による統一基準の下で教員の等級の判定・資源の配分を重視するものであり,アメリカ以上に個人単位の業績主義的教員評価モデルである。例えば、教員の資質向上を促進する手段として、年度考課制度(1983)、業績主義給与制度(組み合わせ給与)(1985年)、職務称号評定制度(1986年)、3%奨励・昇格制度及び「専門技術職務等級給与制度」(1993)などが次々と導入されてきた。しかし、教員評価を取り巻く政策環境(教育管理体制、教員の地位、人材確保条件、人材流動を促進する社会条件等)が不備なため、また、教員評価制度自体の難しさ及び教員評価理論に関する研究が不足し、不適切な運用がなされてきたため、教育評価制度は理念で謳われていた成果を達成できていない。中国共産党中央委員会・国務院(日本の内閣に相当する)による「教育改革深化と資質教育の全面的な推進に関する決定」(1999年)、「基礎教育の改革と発展に関する決定」(2001年)、「基礎教育課程改革要綱(試行)」(2002年)、教育部による「小・中学校試験制度と評価制度改革の推進に関する通知」(2002年)が次々と公布された。これらの「決定」や「通知」により、「従来の評価の選別機能と選抜機能を変え、評価による生徒発展・教員の職能成長の発展機能を促進する」と規定されてきた。近年では、中央政府による教育評価の制度理念の変革に伴い、20年前に導入され教員評価をめぐってさまざまな論議がなされるようになり、教育評価及び教員評価制度のあり方が問われるようなっている。

これまでの先行研究は、総合的な教員評価の制度研究が実施されず、教員評価の実態研究も不十分であった。具体的に言えば以下の問題がある。(1)外国の評価制度に関する紹介に留まっている。(2)いずれも評価の理論・理念の構築に偏重しており、制度内容や実態を無視している。(3)スローガンの呼びかけに留まっている。(4)情緒的な議論や個人的な経験談の記載が繰り返され、あまり実証的に論じられていない。つまり、従来の研究では、法制度内容の整理・分析が欠けており、客観的な資料に基づく評価研究が実施されていない問題も有していたのである。特に、教員評価における中央政府の政策の見直しと地域間の運営実態に関する科学的な研究は現在まで皆無に等しい。

そこで、中央政府における教員評価政策の転換とそれに伴う法制度がどのように構築されてきたのか、また、地方において教員評価の実際の運用はどのように行われているのかを実証的に検証したうえで中国の教員評価制度の今日的課題を明らかにしていくことが求められているのである。

2. 分析枠組みと内容

教員評価の法制度内容及び政策実態を解明する分析枠組は下表のとおりである。

この研究課題を達成するために、以下のような作業を行った。

第I部では、中央政府レベルにおける教員評価の政策や制度を、それらに関連する義務教育財政や教員人事の法制度とともに概観し、その特徴と問題を明らかにした。

まず、第1章では教員評価に影響を及ぼしている社会経済的背景や政策環境を分析した。教員評価の法制度ならびに実態を理解するため、教員評価制度を取り巻く政策環境、置かれている状況を明らかにした。具体的には(1)中国小・中学校における教員の現状(教員の法的位置付け、社会的地位、人材確保、供給状況等)、(2)義務教育行財政体制の特徴と問題、(3)中国の学校組織の特徴、(4)教員組合の法制度上の性格、(5)教員の自由異動を制限している戸籍制度などである。第2章では教員人事制度の仕組みを資格、研修、採用、給与制度の観点から解明した。第3章では、教員給与の制度と特徴及び教員給与と評価の連動措置を明らかにした。第4章では、教員評価の政策内容の分析を行った。具体的には、教員評価制度(年度考課、職務称号評定、3%奨励・昇格)の導入経緯、論争及び制度内容・理念・仕組みなどを明らかにした。

第II部では、教員評価の実態を客観的に把握するために、研究範囲を一部の地域に限定せず、都市部、農村部を対象にして、それぞれの共通の性格と異質的な側面を明らかにした。また、小・中学校における重点学校・普通学校の違いに焦点を当て、教員評価制度(年度考課・職務称号評定と3%奨励・昇格制度)の地域間ならびに学校間の実態分析に基づいて教員評価制度の特徴や効果などを実証した。その上で、現象・状況の生成要因を明確にした。これらの作業を通して、教員評価の実態と課題を明確にし、今後の教員評価制度の改革に示唆を提示することにした。

第5章は、調査地域の設定理由、調査の経緯及び調査概要の詳細を掲示した。第6章は、教員給与の地域間の比較、給与と年度考課、職務称号評定及び年末賞与の実態などについて検証した。第7章は、教員年度考課と3%奨励・昇格制度の実態と効果を中心に考察し、年度考課・3%奨励・昇格制度の実態、地域間の対応措置の違い、それぞれの特徴と課題を明らかにした。第8章は、教員職務称号評定の実態を中心に、資格要件の地域間の違い及び形成要因、評定結果の適用及び地域間の差異、職務称号評定の効果などについて検証した。第9章は、現段階における教員評価制度改革に関する論議、今後の発展方向を考察した。第10章(終章)は、研究から得た知見を示し、今後の課題を提示した。

3. 明らかになったこと

本研究を通して、以下のことを明らかにした。

第一は、中央政府の政策理念と地方の運用実態の乖離

1.専門的能力の向上・職能成長促進の機能を発揮する新しい教員評価理念が実施されていない。

教育部による「小・中学校試験制度と評価制度改革の推進に関する通知」(2002年)により、「従来の評価の選別機能と選抜機能を変え、評価による生徒発展・教員の職能成長の発展機能を促進する」と規定されてきた。つまり、従来の教員評価の判定・選抜の機能だけを発揮するのではなく、教員の専門的能力の向上・職能成長促進の機能を発揮する形成的評価方式が中央政府の制度改革の理念となっている。しかし、中央と地方の権限分担は不明確で、中央政府の監査が機能していない。そして、また、中央政府は政策の理念を制定するのみで、その具体的な実施は各地方に委譲しているため、農村部以外のほとんどの地域・学校では依然として従来の教員個人を単位とする業績主義方式を実施しているのである。

2.中央政府レベルの評価基準と地方の運営実態の乖離がある。

「中華人民共和国教員法」(1993年)、そして「事業機関勤務者考課に関する暫定規定」(1995)では、教員評価の等級を「優秀、合格、不合格」という三等級として規定している。しかし、運営実態では、ほとんどの地域・学校では国家が規定した「優秀、合格、不合格」という三等級を超えて、「基本適職」という等級を新設している。また、ほとんどの農村部では、国家が規定した「生徒の成績を教員評価の唯一基準としてはいけない」という規定を無視して依然として生徒の成績指標を教員評価の重要な根拠としている。

3.評価結果の運用における乖離もある。

年度効果の結果を招聘、昇給、昇格、賞罰の根拠とすると規定されている。しかし、都市では教員の職務称号評定、賞与、昇給、採用などの待遇に結びついている。農村部では、財源がないため、自由放任主義を取っており、業績主義評価が機能していない。

第二は、評価の実態・効果の地域間・学校間の格差

教員給与制度でも、教員評価制度でも中央集権的で、地域間に大きな違いはないというのが、これまでの一般的な認識であった。しかし、この研究を通して制度の設計と運用における地域間の違いを明らかにしてきた。

1.年度考課における相違点:評価結果の適用、「優秀」教員への対処、評価の手続き、評定方法、「徳・能・勤・業績」四項目における温度差、評価者における違いがある。

2.教員職務称号評定における相違点:(1)職務構成・編成における違いである。農村部の教員は、国家が規定した高級職務称号(中学校高級)、中級職務称号(中学校一級、小学校高級)の基準を満たしていない。そのため、農村部では、高級職務(中学校高級教員)と中級職務(中学校一級、小学校高級教員)の持ち場編制は設定されておらず、職務編制上では、初級職務(中学校二級、三級教員、小学一級・小学二級)だけで編制されがちになる。(2)評定の資格要件における違いである。都市部、特に大都市は、人材が豊かであり、教員編制基準を超えている学校も多いため、競争が激しい。教員職務称号に関する資格要件が非常に厳しく、国家が規定した基準を超えている。例えば、北京市では国家が規定した統一基準ではない教員の「研修経歴」、「クラス担任の経験」、高い水準の「論文投稿」を条件としている。農村部の初級・中級・高級教員職務称号評定は、都市部、特に大都市部より厳しくない。大都市部、中・小都市部の場合には、パソコン試験、外国語試験及び投稿論文の質と量などが要求されている。しかし、調査した農村部では、それらは求められていない。

4. 得た知見と今後の課題

研究から得た知見は以下の通りである。第一は、現行の年度考課制度は、一定の地域・学校において一定の役割を果たしている。都市部、特に大都市部では、教員数が充足しており、学校の民主的管理機構が健全であり、また、教員評価で教員による自己評価と同僚評価を重視しているので、都市部の教員は明らかに農村部の教員より意欲が向上している。第二は、教員評価の効果を決定する本質的な要因は、教員評価自体の要因より、以下の教員評価を取り巻く内外部環境の要因にあると考えている。第一は、学校組織内部の要件:(1)学校の財政状況、(2)学校組織の特性(学校内部の組織構造、学校の民主的管理状況、教員間の集団性など)、(3)管理職の指導力、(4)教員の人材確保状況・充足率などである。第二は、学校外部の環境:(1)充足した教育財政、(2)教員の法律上の地位が高く、優秀な人材の確保が容易、(3)健全なる人事制度がある。現代中国の教員評価の問題点として、第一に、教員評価制度自体に関する研究が足りていない、第二に、教員自己評価、同僚評価があまり重視されていない、第三に、教員評価を取り巻く内外部環境の不備、の三点を指摘することができる。

本論文は、実態調査の分析結果を踏まえて、マクロな水準とミクロな水準という二つの視点から教員評価の法制度内容と運営実態について考察と検討を加えてきた。しかし、今回扱った問題範囲は大きく、論点も多岐にわたり、かなり複雑であるので、十分掘り下げられなかった点がいくつか残された。今後残された課題として、第一に、公正で客観的な評価基準の制定という難題、第二に、評価主体の多様化による評価結果の不一致への対応という難問、第三に、教員の需要に関する研究、第四に、教員評価の政策形成過程に関する研究の四点が残されており、これらの解決の方向を提起した。

審査要旨 要旨を表示する

今日、多くの国々では学校改革の一環として教員の資質能力の向上・開発が重要な政策課題となっており、その手段のひとつとして教員評価の取り組みが進められている。1970年代後半からの「現代化」政策の下で急速な教育制度の整備・拡充を図ってきた中国においてもそれは例外ではない。本論文は、1980年代以降、市場主義的業績評価制度の導入に始まる現代中国の教員評価制度改革の取り組みと問題を明らかにし今後の課題を提示するために、国の政策・法制度の展開と地方におけるその受容の実態を実証的に検証したものである。

本論文は、国の教員評価の政策と法制度整備を分析する第一部(第1章~第4章)と地方(大都市、地方中・小都市、農村)の政策・法制度の受容実態を分析する第二部(第5章~第9章)から構成されている。序章では、研究対象に教員評価を取り上げる理由とその制度改革を巡る論議、先行研究の整理を通して本論文の課題設定を行っている。第1章では、中国における教員評価の政策・法制度設計に影響を及ぼす社会経済的背景や政策環境を分析している。第2章では教員評価を枠付けている教員人事制度の沿革と近年の特徴を解明している。第3章では教員評価の機能に大きな影響を及ぼす教員給与制度のしくみとその問題を分析している。以上を踏まえて、第4章で国の教員評価の政策と法制度(年度考課、職務称号評定、3%奨励・昇格)のしくみ、特徴を明らかにしている。第二部の導入となる第5章で調査対象とした地域・学校の選定理由と調査概要を説明した後、第6章で教員給与の水準・制度の地域間比較(格差)と評価制度との連動実態を分析し、第7章で年度考課、3%奨励・昇格制度の地域別実態とその比較考察、第8章で職務称号評定制度の地域別の実態・効果とその比較考察を行っている。以上の分析結果を踏まえて、第9章において中国における教員評価制度改革に関する論点と今後の課題が提示され、第10章(終章)で本論文から得られた研究上の知見と残された課題が整理されている。

以上の分析を通して、本論文は、国の教員評価政策とその法制度整備の指針が地方レベルで大きく変容した形で受容され地域・学校間で大きな差異(格差)を生み出していることなどを詳細な実証的調査・データに基づいて明らかにし、教員評価を機能させる上で必要な教育制度内外の諸課題を浮き彫りにすることに成功している。それらの成果は、現代中国の教育制度・政策研究に新しい知見を提示しており教育研究にとって重要な貢献をなすものと評価できる。このような観点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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