学位論文要旨



No 124297
著者(漢字) 広瀬,純夫
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,スミオ
標題(和) 法制度環境が企業金融に及ぼす影響について : イベント・スタディによる実証分析
標題(洋)
報告番号 124297
報告番号 甲24297
学位授与日 2009.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第248号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 柳川,範之
 東京大学 教授 新井,富雄
 東京大学 講師 中村,恒
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 松村,敏弘
内容要旨 要旨を表示する

企業金融の観点から,法制度環境が企業行動へどのような影響を及ぼし得るのかについて,日本のデータを用いた実証分析によって明らかにすることに,本論文の問題意識はある.近年の日本では,金融に関連する分野は転換期の最中にあり,1990年代以降,法制度の変革が急速に進んできた.それぞれの法制度改革は,改正作業の過程では,その影響や問題点について活発な議論が繰り広げられてきた.ところが,改正が実現した後の改革の効果については,必ずしも明らかになっていない.法制度改正を実施する場合、法改正が直接対象とした事象以外にも、さまざまな直接的・間接的な波及効果が生じてくる可能性があり,実証分析による事後的評価が重要になってくる.残念ながら日本においては,このような法改正の影響についての実証分析による検証は,十分に行われてきたとは言い難い.

そこで,本論文では,1990年代以降に行われたいくつかの法制度改革の中で、4つのトピックスを取り上げ,イベント・スタディの手法による実証分析を試みた.具体的には,第1章で法制度改革の影響に関する実証分析を行う意義についてまとめた上で,第2章は自社株取得の解禁について,第3章と第4章は倒産処理法制の改革の影響について,そして,第5章では1990年代後半から2000年代初頭にかけての日本の金融市場における主要トピックスの一つである債権放棄の問題について,をそれぞれ対象としている.以下では,第2章以降の各章の概要について紹介する.

第2章の分析の目的は、1990年代に解禁となった株式消却という形式での自社株取得実施が株価へ及ぼす影響について実証分析を行い、自己株式取得による株主へのキャッシュフロー還元のインセンティブを解明することにある。2001年10月の商法改正により、金庫株として自社株の取得・保有が可能となる以前の株式消却制度の特徴は、定時株主総会での承認が必要とされ、機動的な実施ができない商法212条に基づくケースと、取得の数量制限があるものの、取締役会決議だけで機動的に消却を実施できる、消却特例法に基づくケースの二通りの方法があったことである。本論文では、この二つの制度が異なった特徴を持つ点に着目し、制度毎に実証分析を行うことで、自己株式取得には2種類のインセンティブが存在することの検証を試みた。まず商法212条に基づく消却については、消却実施の取締役会決議日に、株価への有意な正の影響を確認できた。そして制度上、機動的に消却を実施できない点を考慮すると、フリー・キャッシュフロー仮説を動機とする自己株式取得だと考えられる。一方特例法では、取締役会決議日の翌日に、株価への正の影響を確認できた。また累積超過収益率の推移を見ると、低下傾向にあった株価が、取締役会決議日を境としてV字型に上昇傾向に転じている。さらに、機動的な消却実施が可能という特徴を考慮すると、自社株式が割安と判断される局面でシグナリングとして消却実施を決断しているものと思われる。なお、どちらの制度においても、消却実施決議時の株価上昇を相殺するような株価低下は見られない。このため決議時の株価上昇は、一時的な需給要因によって生じたものではないと考えられる。

第3章は,民事再生法施行を皮切りとする倒産処理法制の制度改正が,銀行へ及ぼした影響を検証したものである.民事再生法は,米国倒産法Ch11手続きの影響を強く受け,企業再建の実効性確保を意識したものである.事後的に経営不振に陥った企業の再建を図るため,DIP制のように既存経営陣がとどまることを認めるなど,債務者側に有利な法制度を用意することは,企業価値が著しく殿損する前に倒産処理手続きを開始するインセンティブを与えるなど,事後的な効率性改善に寄与し,主要な貸手である銀行にとっても,経営不振に陥った事後の観点からは好ましい側面がある.一方で,倒産処理に入った際の債務者側の交渉力を強化する倒産処理法制は,金融機関側にとっては倒産時の期待回収可能額を低下させるため,事前の意味で,貸出を消極化させる恐れもある.そこで,前者の影響については,法的手続きの申請がなされたタイミングでのメインバンクの株価に着目したイベント・スタディの手法による分析を行った.一方で,後者の影響については,法人企業統計のデータを用いて,民事再生法施行の前後での企業の資金調達状況の比較を試みた.

倒産企業のメインバンクの株価についてのイベント・スタディの結果によると,法的手続きの申請は,民事再生法施行以前では株価に対して有意にマイナスの影響を及ぼしていた.一方,民事再生法施行以降には,市場は,法的整理の申立を必ずしもマイナス要因だと捉えなくなり,メインバンクの株価へのマイナスの影響は観察されなくなる8さらに,"改革先行プログラム"が打ち出されて金融庁による銀行検査厳格化が図られる2001年度後半以降では,メインバンクの健全性に影響を及ぼすような大口貸出先に限ってみれば,法的手続きの申請は有意なプラスの影響に転じている.つまり,早期の倒産処理手続きを促したことによる効率性改善の効果は,監督当局による銀行検査や銀行破綻に対する政策が大きく変わって「厳格化」されたこととあいまって,メインバンクにまで及んでいる可能性がある.一方で,法人企業統計の業種別・資本金規模別データを用いた分析によれば,民事再生法施行の結果,資本金1000万~10億円の中堅・中小規模を中心にして,金融機関借入比率が低下しており,金融機関貸出が消極化している可能性がある.

第4章は,第3章で取り上げた倒産処理法制の改革が,債務者企業の倒産手続き申立行動へ及ぼした影響を,年次財務データを用いたイベント・スタディで検証したものである.民事再生法施行を皮切りとする一連の制度改革の目的の一つは、経営者に、早期の倒産処理手続き着手を促すことにある。そこで,実際に倒産手続き申立のタイミングを早期化させる効果があったかを年次財務データを用いたイベント・スタディによって検証した.

企業倒産の事例を見れば、経営不振に陥ったからといって即座に倒産処理手続きに入ることは稀である。むしろ、実質的に債務超過に近い状態にありながら、経営者は、様々な手段を駆使して債務不履行を回避しようと努力を続ける方が通例であろう。こうした倒産を回避するための方策は、資金繰りのための在庫品廉売等、結果的に企業価値自体を損なうことが少なくない。また、倒産手続きに入ることを先送りする間に、信用不安による取引条件悪化が進み、さらに貴重な人材が流出するなど、一層、再建が困難となってしまう可能性もある。従って、一連の倒産処理制度の改革が、早期の倒産手続き着手を促すインセンティブを経営者に与えたのであれば、非効率な倒産処理先送りを抑止するという意味で、効率性を改善させた可能性がある。上場・公開企業を対象とした本論文の実証分析の結果によれば、民事再生法施行より前に法的手続きの申立を行った企業の場合、業績の落込みがあったタイミングから法的手続きに入るまで、平均的にみて5年程度の期間を要していたのに対し、民事再生法施行以降に法的手続きの申立を行った企業では、業績の落込みがあった翌年には、法的手続きに入る傾向があることが確認された。これらの分析結果から、一連の制度改革によって早期の企業再建着手が促進された可能性が高いことが確認された,

第5章は,直接,法制度改革に関係するものではないが,1990年代後半から2000年代初頭にかけての日本の金融市場における主要トピックスの一つである債権放棄に着目し,銀行の貸出行動が非効率になる可能性について分析したものである.1990年代後半に,経営不振の貸出先に対して銀行がとった対応は,第3章や第4章で検討した倒産処理法制改革の背景要因の一つでもある.破綻の危機に瀕した企業に対して多額の貸出を行っている場合,倒産処理を行って貸出損失を確定してしまうと,貸出を行っている銀行自身が経営危機に直面する恐れがある.このような事態を予想する銀行経営者は,倒産処理を躊躇し,追貸しを行ったり,抜本的な再建には結びつかない不十分な規模の債権放棄を実施したりするなど,当座しのぎの策を講じて,破綻の危機にある企業の延命措置を図ろうとする.このような,銀行自身が危険にさらされている構図は,債権放棄に関する交渉の場で,債務者企業の交渉力を強化する可能性がある.本論文では,このような可能性について,債権放棄に関するイベント・スタディの手法を用いて検証を試みたものである.対象サンプルとした債権放棄のイベントは,1993年1月~2004年1月までの期間で,日本経済新聞,日経産業新聞,日経流通新聞,日経金融新聞の日経4紙に対して,「債権放棄」「債務免除」をキーワードとして抽出を行って得られた報道により特定した.その結果は,メインバンクのリスク・エクスポージャーが高い貸出先では,債権放棄の要請を行ったタイミングで,債務者企業の株価は有意に上昇する一方で,メインバンクの株価は有意に低下している.つまり市場は,メインバンクにリスク転嫁を図る形での問題先送りの債権放棄が行われ,債務者企業の株主を利するような合意に達すると予想しているものと考えられる.このため,抜本的な問題解決を図るには,監督当局がモニタリングを強化して銀行の資産内容を厳格に吟味し,処理の促進を直接的に促すことが,非常に重要な役割を果たす可能性がある.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、法制度の変化が企業金融の実態にどのような影響を及ぼしてきたかについて、主にイベント・スタディと呼ばれる手法を用いて実証分析を行った意欲的な論文である。近年は、企業をめぐる環境が大きく変化し、会社法などの企業に関する法律改正が相次いでいる。しかしながら、そのような法改正が実態経済に対してどのような影響を与えてきたのかについての実証分析が比較的乏しい。本論文ではイベント・スタディの手法を用いて、主に株価の変化をさぐることで、実証可能な情報を得る工夫をしている。本論文で対象としている倒産処理法制の改革等は、90年代以降日本経済が景気回復を目指して行った様々な改革の一部であり、本論文の成果は、日本の経済政策を評価する結果ともなっている。本論文の構成は以下のとおりである。

第1 章序論

第2 章企業内キャッシュフローと企業価値

-日本の株式消却に関する実証分析を通じての考察-

第3 章倒産処理法制の改革と金融システム

-企業破綻処理に関する政策が金融機関へ及ぼした影響について-

第4 章倒産処理法制改革による企業倒産処理効率化の検証

-再建着手の早期化促進の効果を,財務データによる実証分析によって検証-

第5 章大口貸出先に対する非効率な債権放棄の実施

-プロビット分析およびイベント・スタディによる検証-

なお、第2章の論文は、『経済研究』というレフェリーつきの学術雑誌に掲載され、高い評価を受けているものである。

各章の内容の要約・紹介

各章の内容を要約・紹介すると以下のようになる。

まず、第1章では、法制度分析の重要性や、わが国において企業関連でどのような法制化改革が行われてきたのか、それを分析することの意義等、全体の総論が述べられている。

第2 章では、1990 年代に解禁となった株式消却という形式での自社株取得実施が,株価へ及ぼす影響について実証分析を行っている。さらに株式消却のルール変化が行われたことを実証的に利用して、自己株式取得がどのような目的で行われてきたのか、を分析している。

わが国では,2001 年10 月の商法改正により,金庫株として自社株の取得・保有が可能となったが、それ以前は,自社株の取得は,取得した株式の消却が前提とされていた。その制度上の大きな特徴は,定時株主総会での承認が必要とされ,機動的な実施ができない商法212 条に基づくケースと,取得の数量制限があるものの,取締役会決議だけで機動的に消却を実施できる,消却特例法に基づくケースの二通りの方法があったことである.

この論文では、それぞれのケースに分けてイベント・スタディを行い、株式消却が株価にどのような影響を与えたのかについて、計量経済学的に分析している。まず商法212 条に基づく消却の場合には、消却実施の取締役会決議日に,株価への有意な正の影響があったことが確認できた。一方特例法を用いた消却の場合には,取締役会決議日の翌日に,株価への正の影響があったことが確認できた。また累積超過収益率の推移を見ると,低下傾向にあった株価が,取締役会決議日を境としてV字型に上昇傾向に転じていることも確認できた。

また、どちらの制度においても,消却実施決議時の株価上昇を相殺するような株価低下は見られなかった。そのため、決議時の株価上昇は,一時的な需給要因によって生じたものではないとしている。

さらに,商法212 条に基づくケースと、消却特例法に基づくケースとでは機動性において大きな差があり、商法212条の基づく場合、機動的に消却を実施できないという特徴があった。それにもかかわらず、かつ法的にどちらも選択できるにもかかわらず、商法212条による消却実施を行った企業があったことに本書は注目している。そして、それは、余剰資金を株主に還元するというフリー・キャッシュフロー仮説を動機とする株式消却が行われていたからではないかと結論づけている。

第3 章では,2000 年4 月の民事再生法施行などをはじめとして、大がかりに行われた日本の倒産処理法制の制度改正が,銀行行動に及ぼした影響を検証している。倒産処理に関連する法制度は複雑であり、さまざまな規定の変化が、倒産処理に携わる関係者のインセンティブを変化させると考えられる。また、制度改正によって,法的整理の結果が今までとは異なってくることが予想されたならば、主要債権者である金融機関の貸出行動等も変化する可能性がある。この章では、このような問題意識に基づいて制度変更の影響を分析している。

より具体的には、民事再生法の導入によって、日本の金融機関がどのような影響を受けたかを分析している。わが国では、2000年代になって、法的手続きによる企業再建のインフラ整備が図られたが、2000 年4 月の民事再生法施行は、その中でも大きな制度変更であった。民事再生法は,米国倒産法Chapter 11 手続きの影響を強く受け,企業再建の実効性確保を意識したものであった。

まず、法的手続きの申請がなされたタイミングでのメインバンクの株価に着目したイベント・スタディを行って、企業価値が著しく毀損する前に倒産処理手続きが行われるなどのプラスの効果があったのかについて検討している。その結果によると、法的手続きの申請は,民事再生法施行以前では株価に対して有意にマイナスの影響を及ぼしていたが、民事再生法施行以降には,メインバンクの株価へのマイナスの影響は観察されなくなることが分かった。さらに,"改革先行プログラム"が打ち出されて金融庁による銀行検査厳格化が図られる2001 年度後半以降では,メインバンクの健全性に影響を及ぼすような大口貸出先に限ってみれば,法的手続きの申請は有意なプラスの影響がみられた。

次に、法人企業統計のデータを用いて,民事再生法施行の前後での企業の資金調達状況の比較を行っている。それは、民事再生法によって倒産時の期待回収可能額が低下するならば、貸出を消極化させる恐れがあると考えたからである。実際、法人企業統計の業種別・資本金規模別データを用いた分析によれば,民事再生法施行の結果,資本金1000 万~10 億円の中堅・中小規模を中心にして,金融機関借入比率が低下しており,金融機関貸出が消極化している可能性があることが示された。

第4 章では、倒産処理法制の改革が,債務者企業の倒産手続き申立行動へ及ぼした影響を,年次財務データを用いたイベント・スタディで検証している。法的整理の制度整備が行われた理由のひとつは、経営者に,早期の倒産処理手続き着手を促すことにあるといわれてきた。そこでこの章では、実際に倒産手続き申立のタイミングを早期化させる効果があったか,財務データを用いた実証分析によって検証した。

上場・公開企業を対象とした本論文の実証分析の結果によれば,2000 年4 月の民事再生法施行より前に法的手続きの申立を行った企業の場合,業績の落込みがあったタイミングから法的手続きに入るまで,平均的にみて5 年程度の期間を要していた。それに対して2000 年4 月の民事再生法施行以降に法的手続きの申立を行った企業では,業績の落込みがあった翌年には,法的手続きに入る傾向があることが確認された.この章では、これらの分析結果から,一連の制度改革によって,早期の企業再建着手が促進された可能性が高いことが示されている。

第5 章では、1990 年代後半から2000 年代初頭にかけての日本の金融市場における主要トピックスの一つであった債権放棄に関する分析を行っている。対象サンプルとしたのは,1993年1 月~2004 年1 月までに行われた債権放棄である。本章では、まず,債権放棄実施後に再破綻する可能性が,メインバンクにとっての大口貸出先である場合ほど高くなることをプロビット分析によって確認した.また、メインバンクの不良債権比率が高く,監督当局による厳格な検査・指導を受ける可能性が高い場合,再破綻する可能性が低くなる傾向も確認された.

次に、これらの債権放棄が,問題先送りとして銀行の企業価値を毀損するものであることを確認するため,債権放棄の要請のタイミングでの株価のイベント・スタディを行った.その結果,メインバンクの大口貸出先のケースでは,債務者企業の株価は有意に上昇する一方で,メインバンクの株価には負の影響が生じていることが確認された。次に,債権放棄を含む再建策への合意のタイミングでは,メインバンクの不良債権比率が高いケースでは,メインバンクの株価は有意に上昇している一方で,不良債権比率が低いケースでは,有意な株価変化を確認することはできなかった。

論文の評価

本論文がとりあげたテーマは、国際的にみても注目度の高い研究分野であり、また現在の日本の法制度のあり方を考えていく上でも重要なトピックスである。したがって、本論文のテーマは、学術的にみてもあるいは実態経済の面からみても、重要性の高いものであり、それに対して、正面から取り組んだ本論文の分析は高く評価できる。また、得られた分析結果も興味深いものであり、そもそもこの分野における実証研究があまり多くないことを考えると、本論文で得られた分析結果の、ファクト・ファインディングとしての貢献は重要と思われる。

第2章で扱っている株式消却の問題は、法学者の間では様々な議論があり、また海外の研究においてはそのインセンティブに関して実証分析も行われてきている。しかしながら、わが国の株式消却がどのような意図で行われてきたのか、またどのような影響を株価にもたらしてきたのかについては、あまり実証分析が行われてこなかった。そのような中にあって本論文の得た分析結果は意義のあるものになっている。

第3章で扱われている破綻処理法制の問題についても、わが国の法制度においては重要な法制度改正であったにもかかわらず、実証分析が必ずしもまだ十分には行われていない研究分野である。そのため、本論文で行われているようなミクロデータに基づいて実証分析を行っていくことの重要性は高い。また、本論文で得られた、民事再生法施行前と施行後での結果の違いは、制度変更の影響を評価するうえで興味深い実証分析結果となっている。

第4章で扱われている倒産手続き申立行動への影響も、破綻法制を評価するうえで重要な実証結果である。今回の破綻法制度整備の目的のひとつは、早期事業再生を促すためと理解されている。しかし、実際にどの程度早期事業再生を促したのか、法制度がどの程度の影響をもたらしたのかについてのデータや情報はあまり豊富ではない。その点で、この章で得られた実証結果は有意義なものであり、興味深い実証結果となっている。

第5章で行われているイベント・スタディは、債権放棄の影響を理解するうえで重要な分析となっている。1990 年代後半から2000 年代初頭にかけて多く行われてきたといわれる金融機関による債権放棄については、それが実態経済および金融機関の経営に及ぼして影響は十分に解明されているとは言い難い。その意味で、本論文で得られた実証分析は意義があり、債権放棄によってメインバンクの株価には負の影響が生じたという結果も興味深いものである。このように本論文は、近年の企業関連の法改正が実態経済に与えた影響を考えるうえで、新たな情報を提供する優れた実証分析であるが、改善しうる点が、残されていないわけではない。まず本論文で得られている実証結果が、果たして本当に法制度の影響かどうかが必ずしも明確ではないという点があげられる。本論文が分析対象とした時期は、わが国ではさまざまな改革が同時に行われていた時期である。そのため、本論文が対象とした法制度改革以外の影響がどこまできちんと取り除かれているかはやや疑問が残る。また、本論文で展開されている因果関係等の説明は、確かに可能性のひとつではあるものの、そのほかの可能性が必ずしも排除されていないとの指摘もあった。しかしながら、これらの点はいずれも今後の更なる研究の発展を示唆するものであり、本論文の価値を損なうものではないと考えられる。

以上により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)のが学位授与に値するものであると判断した。

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