学位論文要旨



No 124301
著者(漢字) 加藤,健太
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ケンタ
標題(和) 戦前期日本の企業合併・買収
標題(洋)
報告番号 124301
報告番号 甲24301
学位授与日 2009.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第252号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 准教授 中林,真幸
 東京大学 准教授 中村,尚史
内容要旨 要旨を表示する

本研究の課題は、戦間期から戦時期の日本における企業合併・買収 (以下では適宜、 M & Aと略す)を対象に、企業とそれを取り巻く利害関係者の行動原理と経済的成果を追跡することである。分析に際しては、独占論の視点に立つ経済史と、戦略論的な側面を強調する財閥史・産業史、経営史が進めたM&A研究に関して、それらが合併・買収企業の側から動機や効果を論じていることを批判し、以下に示す分析視角を明示的に掲げた。(1)被買収企業ないしは合併企業の経営効率の改善という効果に注目する。同時に、それを促すメカニズムとして、合併・買収企業から被合併・買収企業に対して行われた、経営資源の移転・再配分に関心を向ける。(2)合併条件の評価にあたっては、財務データに基づく合併比率の計測結果(以下、計測結果と略す)に加え、被合併企業の保有する経営資源や政府の直接的な経営介入を射程に入れた。そして、合併をめぐる利害関係者の対立と調整のプロセスを追跡し、そこで作用する力学に接近する。

この論文は、序章、第1部の戦間期の分析(第1章から第4章)、第2部の戦時期の分析(第 5 章から第9章)、補論および終章から構成される。序章は上記の課題と視角を論じ、第1章と第5章ではそれぞれの時代のM&Aを概観している。第2章から第9章(第 5章を除く)は、特定の産業ないしは企業を対象にした事例分析である。具体的には、電力業(第2章、第3章補論)、大分セメント(第3章)、大阪合同紡績(第4章)、綿糸紡績業(第 6章)、昭和化学工業と大阪晒粉(第 7章)、東北振興電力(第8章)、大同化学(第 9章 )を取り上げる(企業名は被合併・買収企業名)。補論では、戦後復興期の企業再編と戦時期のM&A の関係を検討した。終章は、結論と簡単なインプリケーションの提示に当てられる。

(1)に関する分析結果として、強調したいのは第一に、合併企業が統合プロセスにおいて、様々な経営資源を被合併企業の設備に再配分し、合併後のパフォーマンスの改善という効果を引き出したことである。たとえば、東京電灯は、未落成であった被合併企業の発電所を完成させるとともに、送電線や変電所を新設して、自社とそれらの発送電設備の連系を図った。その過程では、資金だけでなく、同社の持つ技術や知識といった資源も投じられた。この成果は、広域電気供給網の拡充を通して、送電・変電・配電の各部門における費用節減と全体的な電気供給コストの抑制≒経営効率の改善という形で現れたのである。東洋紡による合同紡の合併のケースでは、前者が合併後に、後者の工場運営を自らの方式に変更して効率化を図ると同時に、投資の重心をそれらの工場に移して設備の改修・拡充を進めた。その結果、東洋紡の収益性は、生産費用の削減と労働生産性の向上を伴いつつ顕著な上昇を示したのである。第二に、企業買収に関しても、買収企業から被買収企業への経営資源の移転・伝播が、後者の効率改善を促したことを確認できた。電力業の場合、買収企業が、株式取得という形のコミットメント、被買収企業の設備投資計画への関与、自社の取引先との電力連系という経路を通じて、信用や発送電設備に関する知識やなどの経営資源を被買収企業に移転させた。それは、後者の設備投資を促し、さらに広域電気供給網の中に組み込むことで、送電連系の強化を可能にしたのである。小野田セメントによる大分セメントの買収は、後者の新たな取引金融機関の開拓と資金調達の円滑化、減価償却を重視した会計処理方法や工場の合理化運転方法の採用を促し、その収益性の回復に効果を発揮した。

これらの戦間期の事例から、M&Aが、合併・買収企業から被合併・買収企業に対する経営資源の移転・再配分を通じて、後者の効率を改善させたことが明らかになる。しかし第三に、そうした経済的成果が、戦時期に入って変容を余儀なくされた点に目を向けた。綿糸紡績業の企業整備において、政府は当初、企業統合を通じた非効率工場の休・廃止と優良工場への生産集中=生産合理化を目標に掲げた。実際に、第2次企業整備(1941年 8月~1942年12月)は、効率の劣る工場が主な整理対象となり、被合併企業のそれは売却・譲渡工場の半数を占めた。これは、第1次企業整備期の合併が、その後の工場整理をある程度準備したことを示唆する。しかし、第3次企業整備(43年以降)の段階に入ると、整理対象が優秀工場にまで広げられ、軍需企業の要望があれば、合併で取得した設備すら手放すことを求められた。そうした状況の下では、合併企業が、自社の経営資源を被合併企業の設備に再配分して効率化を図ることは困難だったと考えられる。他方、旭硝子のケースでは、日中戦争期の昭和化学工業と太平洋戦争期の大阪晒粉との間に合併の効果という点で顕著な違いが見られた。前者について、旭硝子の狙いは、遊休設備の集中的所有による重点生産、自社技術の移転・伝播による設備の拡充にあった。実際、同社は獲得した工場に対して積極的な投資を行い、また、一部製品の生産集中や軍需関連製品の生産開始などによる遊休設備の活用を図った。後者に関して、旭硝子は、大阪晒粉の工場設備の効率改善を合併の動機に挙げていた。しかし、その手段とされた機械装置の他工場への移設は、輸送事情の悪化により実施されず、また、軍部の要請に基づく製品転換も、原燃料の不足に伴う生産の停止・縮小のために十分な成果を生み出さなかったのである。

以上のように統合プロセスにおいて、合併企業は、被合併企業の工場設備に対して、経験を積んだ現場責任者や技術者等の派遣、工場運営方法を導入という形で、ヒトを介した情報という資源を移転・再配分したと言える。他方、買収企業も、被買収企業の設備投資計画に際して、知識や技術(情報)を持つヒトという資源を移転し、時に自社の設備との有機的な結合に努めた。そして、買収企業のコミットメントは、金融機関の危険負担を軽減して、被買収企業の円滑化を促した。これは、「信用」という資源の移転・伝播と解釈できよう。

(2)の合併条件の評価に関する分析結果は次の通りである。東京電灯の事例では、計測結果から、同社が被合併企業に有利な条件で合併を行ったケースが多いことを確認した。しかし、重要なのは、それらの中に水利権や大容量長距離送電線など広域電気供給網の整備という点で、極めて有用な経営資源を持つ企業があったことである。こうした要素を含めて評価した場合、合併条件の公正性が著しく歪められたとは言えない。さらに、実際の合併比率よりも被合併企業に厳しい条件で臨むケースもあり、従来の評価は修正を要すると思われる。東洋紡と合同紡のケースでは、後者の社長が合併条件の公正性を訴える一方、監査役は自社に不利との見解を示していた。計測結果は、監査役を支持するものであったが、注目すべきは、合同紡が業績や資産内容、経営陣、労働者などの面で問題を抱えていたことである。同社の経営資源は質的に劣っており、その点を踏まえれば、合併条件の公正性は大きく歪められなかったと解釈できる。このように、戦間期については、実際の合併比率と計測結果の乖離は、被合併企業の経営資源を参酌した場合、公正性の点から見て一方の当事会社に著しく不利/有利とはならない程度に収まったと評価できる。

戦時期において、政府は、法律(改正国家総動員法、企業整備令、軍需会社法)に基づいて合併を強制し、その条件を設定できる権限を手に入れた。日本発送電による東北振興電力の合併が、後者(と内閣東北局)の強硬な反対をはね除ける形で実施された背景には、上記の法制度の存在があったのである。このケースでは、1対1の対等条件が設定された。その根拠として、両社は株価と配当、資産構成、政府の監督といった点の類似性を挙げたが、電力評価審査委員会は、さらに「国策の要請」という論理を追加した。重要なのは、計測結果に照らすと、対等合併は振電に不利であったにもかかわらず、同社が公正性の確保を訴えなかったことである。代わって、振電と東北局は、日発東北支店(合併後の振電)の業務と権限の範囲に執着した。彼らは、東北振興という使命を日発に継承させ、かつそれを担保するために、他の支店とは異なる広範な権限を要求した。しかし、合併阻止の失敗に加えて、そうした要望も部分的にしか採用されなかったという意味で、地域利害は著しく制限されたと考えられる。

この時代は、地域利害だけでなく、株主利害も大きく制限された。信越化学による大同化学の合併は、先に見た法律に基づいて強制的に実施されたが、その過程において、後者の大株主である日本合成化学は激しい抵抗を示す。そして、合併が決定した後は、1対 1という条件の異論を唱えたのである。その際、大同化学が、「株主に損失をもたらすから」という論理を使って条件の変更を求めた点に注目したい。これは、大株主が、所有権を拠り所にして出資に対する権利=金銭的利害を断固主張したことを示すからである。他方、軍需省は大同化学に対して、この条件が同社に不利な数値であると認めながら、対等以外の条件では両社とも「面目上面白」くないだろうから、という理由で受け入れることを求めた。要するに、企業価値に基づく数値ではなかったのであり、その意味で、軍需省は公正性の保持に努めず、一方の当事会社とその株主に不利益を強いるような形で決着させたと言える。

これらのケースは、戦時期の法制度が、合併条件の交渉・決定過程において、国家 (中央)ないしは政府(軍需省)の利害を強く反映させる方向に作用したことを示唆するのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、戦間期・戦時期の企業合併・企業買収について、企業とそれをとりまく利害関係者の行動原理と合併・買収の経済的成果に焦点を当てて分析し、各時期の合併・買収の意義と時代的特質を明らかにすることを意図したものである。構成は次の通りであり、このうち第2章と第3章は『経営史学』、第7章は『三菱史料館論集』にそれぞれ掲載されており、第3章補論は『社会経済史学』に掲載された論文の一部である。

序章

第1部 戦間期の分析

第1章 戦間期の概観

第2章 ネットワークの形成・拡充とその効果-電力業のケース-

第3章 経営資源の移転と効率の改善-大分セメントのケース-

第3章補論 事業の再構築と経営合理化-電力業のケース-

第4章 合併条件と経営資源-東洋紡績と大阪合同紡績のケース-

第2部 戦時期の分析

第5章 戦時期の概観

第6章 企業整備と生産合理化の試み-綿糸紡績業のケース-

第7章 経営資源の再配分-旭硝子の合併戦略-

第8章 合併交渉と利害対立I-電力国家管理と地域-

第9章 合併交渉と利害対立II-政府・軍部と株主-

補論 復興期の企業再編-戦時期の合併・買収との関係-

終章

序章では、戦前日本の合併・買収に関する研究を、独占論的研究と戦略論的研究に整理してサーベイしたうえで、それらがいずれも合併・買収を行う企業の視点に立っているとし、コーポレート・ガバナンスに関する文献から示唆を得て、被合併・買収企業の側から見た合併・買収の効果、特に合併・買収にともなう経営資源の移転に焦点を当てることが第一の視点として強調される。また、合併条件をめぐる利害対立と調整のプロセスと結果、特にその「公正性」から合併の時代的特質を明らかにすることが第二の視点として設定されている。

第1章では、大阪屋商店『株式年鑑』と東洋経済新報社『株式会社年鑑』から、1919、1924、1929、1936年の4時点について、非金融企業のリストとその主要株主データを収集したうえ、合併によって消滅した企業と筆頭株主が交代した企業を特定するという作業を行っている。これによって時期別、産業別の合併と買収の見取り図が与えられ、合併買収は1920年代前半にもっとも活発であったこと、合併のほとんどは同業種間であったことなどの事実が明らかにされている。

第2章は、東京電灯が1920年代に行ったいくつかの企業合併のケースについて、合併後に東京電灯が被合併企業の設備に追加的な投資を行うとともに電力連携を実現したこと、東京電灯は被合併企業の設備、水利権、営業区域等の戦略的価値を評価して合併条件を決定したことを明らかにしている。そして、この点を考慮すれば、被合併企業の価値の過大評価が東京電灯の経営を悪化させたとするこれまでの見方は修正を要すると論じている。

第3章では、1930年に行われた小野田セメントの大分セメントへの経営参加が、企業買収のケースとして取り上げられる。小野田の参加によって、同社から専門的能力を持った経営者と技術者が派遣され、さまざまな知識・ノウハウが移転されたこと、小野田の信用に基づいて長期資金の導入が可能になったことが強調されている。補論では、被買収企業の事業再構築のケースとして、1920年代の電力業における2つの企業買収を検討している。

第4章では、1930年に行われた綿糸紡績業の大型合併、東洋紡績と大阪合同紡績の合併が取り上げられる。合併条件を純資産法、収益還元法で評価した場合、大阪合同紡績に不利であったとし、その理由を同社が経営上さまざまな問題を抱えていたことに求めている。また、合併後、旧大阪合同紡績の工場に重点的に設備投資が行われるとともに、東洋紡績の工場経営方式が移転されたとしている。

第2部冒頭の第5章では、戦間期に関する第1章と同様の方法で、戦時期における企業の合併・買収を特定し、その概観が与えられる。合併に対して政府が介入する法的枠組みが整えられた戦時期には、強権を背景とした企業整備政策によって企業の合併・買収が大幅に増加したことが明らかにされている。

第6章では、戦時期に3次にわたって行われた綿糸紡績業の企業整備について、合併・ブロック化の実態と意義を産業の合理化に焦点を当てて検討している。1940年の第1次企業整備では合併と工場の休廃止、売却・譲渡が十分に進まなかったのに対して、1941年の第2次企業整備は、非効率な工場の整理を行った点で産業の合理化に寄与したとされている。しかし、1943年の第3次企業整備になると、優良工場も整理対象となり、企業整備は綿糸紡績業を合理化する機能を失った。

第7章では、戦時期における合併を通じた経営資源再配分を検討するため、旭硝子による2件の合併(昭和化学工業と大阪晒粉)を取り上げている。旭硝子の合併動機は原材料供給の確保にあった。そのため旭硝子は合併後に自社の技術、設備等を移転することを意図し、その意図は昭和化学工業では実現したが、大阪晒粉では実現しなかったとされる。大阪晒粉のケースは第6章の綿糸紡績業のケースと並んで、戦時期には非重点部門の企業合併の効率性向上効果に限界があったことを示すものと解釈されている。

第8章では、電力国家管理強化の一環として1941年に実施された日本発送電による東北振興電力の合併を対象として、戦時期における利害調整の特質について論じている。逓信省・電気庁の合併案に対して東北振興電力と内閣東北局は東北地方の地域利害に立って強く反対し、その結果、国家総動員法に基づく合併命令が発動されるに至った。東北振興電力と東北局の主張は日本発送電東北支店の自律性にある程度反映されたが、合併条件は東北振興電力にとって不利なものとなったとされている。

第9章では、1945年に行われた信越化学と大同化学の合併を対象として、戦時期における利害調整の特質を検討している。軍需省が企業整備令に基づく合併命令を発動した状況下で、大同化学の主要株主であった日本合成化学は、最終結果に影響を与えることはできなかったとはいえ、強い抵抗を示したこと、他方で実現した合併条件は大同化学とその主要株主である日本合成化学にとって不利なものであったことが明らかにされている。

補論では、戦後に企業再建整備法に基づいて行われた企業の再編成の視点から、戦時期の合併・買収の意味を検討している。戦後の企業再編成で分離された工場・設備は太平洋戦争期の合併・買収によって獲得されたものが多かったことを明らかにし、それを戦後の企業再編成が各企業に戦時期の合併・買収を再評価する機会を与えたと解釈している。

終章では、以上の各章の論点を、本論文全体の2つの視点から総括し、資源配分の組織的調整とその限界という含意を引き出している。

本論文は、戦前期・戦時期における企業合併・企業買収を一貫した視点に立って正面から分析した初めての試みということができる。特に、第1章と第5章で与えられた戦間期と戦時期の合併・買収の見取り図は貴重な成果であり、学界に貢献するところが大きい。また、他の各章のケース・スタディーも、一次資料・二次資料の丹念な渉猟に基づいた手堅いものである。これらによって、戦前期の企業合併・買収が、経営資源の再配分を通じて企業経営の効率化に寄与した事実が明らかにされたことの意味は大きく、戦前日本の経済発展の仕組みに関する理解を一歩進めたものといえる。また、戦時期の環境変化が合併・買収に関する利害調整と合併の経済効果を変化させた点が実証されたことも有意義である。

もっとも、本論文にもいくつかの問題点が残されている。第一に、合併・買収に関する戦前の概念と現代の概念の間の相違は合併・買収の実態の変化によるものか、解釈の変化によるものか、という問いを最初に提起しながら、被合併企業への経営資源の移転に焦点を絞ることによって、事実上、その問いへの答えが前提とされていることが指摘できる。上の問いに適切に答えるためには、戦前の概念が重視する合併・買収の独占効果を合わせて実証的に検討する必要がある。第二に、合併・買収の研究とされているが、実際の分析はほとんどが合併を対象としたものとなっている。第3章の大分セメントのケースも、実際は買収というより、資本参加を伴う技術提携と見た方が適当な対象である。この点は、株式所有比率が10%を超える筆頭株主が交代したケースを買収とするという本論文における買収の定義の妥当性とも関連している。第三に、合併条件の「公正性」を、特に平時について議論する積極的意味がかならずしも明かではない。

とはいえ、本論文には上記のような多くの貢献があり、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に寄与しうる能力を備えていることを十分に示している。したがって審査委員会は、全会一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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