学位論文要旨



No 124305
著者(漢字) 豊口,真衣子
著者(英字)
著者(カナ) トヨグチ,マイコ
標題(和) 廃墟の美:18世紀英国における廃墟崇拝に関する建築学的研究 : ジェントルマン建築家サンダーソン・ミラーを中心に
標題(洋)
報告番号 124305
報告番号 甲24305
学位授与日 2009.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6943号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 准教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

18世紀のイギリスではピクチャレスクやロマン主義、ゴシック・リヴァイヴァルの興隆のなかで、廃墟への関心が高まり、「廃墟崇拝」とも呼べる現象が生じた。18世紀は整形式庭園にかわって風景式庭園が造成されていく時代であるが、その際にグランド・ツアーでもたらされたイタリアの風景画や廃墟画の世界を庭園に移すという試みがみられた、このような風景画や廃墟画に描かれているような廃墟を風景式庭園にとりこむことが流行した。このとき、イギリスに元々ある本物のゴシック建築の廃墟を「借景」したり、他の場所から「移築」したりする例がみられたが、本物の廃墟がない場合にはあらたに廃墟らしくみえる建築、すなわち「人工廃墟」を造るという行為がみられた。

特にイギリスではゴシック様式の廃墟が好まれ、ジェントルマン建築家サンダーソン・ミラー(Sanderson Miller, 1716-1780)はゴシック様式の人工廃墟の設計を得意とした。そこで本研究はミラーが造った人工廃墟に焦点をあて、18世紀における廃墟崇拝を促進する上で、ミラーが果たした重要性を明らかにすることを目的とする。ミラーは1740年代以降のゴシック・リヴァイヴァルの先駆者であり、同時代のホレス・ウォルポール(Horace Walpole, 1717-97)とともに、1740年代、1750年代をとおしてゴシック・リヴァイヴァルを推進した第一世代にあたる。18世紀半ばのイギリスにおいて、ミラーとウォルポールはゴシック建築の双璧であると考えられていたが、従前の建築史研究では主に史料の不足から、ミラーに関する研究はウォルポールに比べて極めて研究蓄積の少ない状況にあった。そこで本研究はミラーに焦点をあてることで、従前の英国建築史研究に新たな視座をもたらそうとする試みでもある。

本研究では、まず第1章にて廃墟に関する先行研究をみたうえで、第2章にて18世紀に廃墟崇拝がおこることになった背景を考察する。具体的には、最初に16世紀のヘンリー8世の修道院解散と17世紀のピューリタン革命によって、イギリスに元々多くのゴシック様式の廃墟が存在した。また17世紀から行われたグランド・ツアーにより、イタリアの風景画、特に廃墟画がイギリスにもたらされ大きな流行をみた。これらのイタリアの風景画、特に廃墟画がイギリス芸術にもたらした影響関係をみたあと、実際に風景画の世界が風景式庭園に移される過程をみていく。また18世紀の廃墟の美学が廃墟崇拝を理論的に支えたことから、理論家たちの言説を追っていく。さらに建築におけるゴシック・リヴァイヴァルの興隆においては、ゴシック文学の影響が強かった。そこで「墓地派詩人(Graveyard poets)」と呼ばれる詩人たちの詩を通して、どのように廃墟が謡われていったのかをみる。最後に18世紀におけるゴシック・リヴァイヴァルの興隆をバティ・ラングレイ(Batty Langley, 1696-1751)を中心に分析し、当時展開された古典主義とゴシックの様式論争をみていく。

第3章では、廃墟崇拝の高まりとして実際に庭園で廃墟がとりこまれていく過程を「借景」、「移築」、「人工廃墟」の例を通してみていく。「借景」としての廃墟の例としては、ウェールズにあるティンターン・アビー(Tintern Abbey)の修道院廃墟と、ヨークシャーのスタッドレイ・ロイヤル(Studley Royal)の庭園におけるファウンテンズ・アビー(Fountains Abbey)の修道院廃墟をみる。「移築」の例をみたあと、本研究のテーマである「人工廃墟」が称揚された例をみていく。初期の段階では、バティ・ラングレイの『新造園原理』(1727)において、ピクチャレスクな庭園にローマ風の廃墟画を置くか、あるいはローマ風の人工廃墟を建造することが奨励された。そして実際に風景式庭園の代表であるストウ(Stowe)の庭園において、ローマ風の人工廃墟が造られた例をみる。

第4章からが本研究の核となるが、ここではジェントルマン建築家サンダーソン・ミラーに焦点をあて、18世紀前半における「ジョージアン・ゴシック」の台頭のなかでミラーを捉える。ここでミラーに関する先行研究の流れを整理しながら、既往研究の問題点と本研究の問題意識を明らかにしたうえで、本研究で用いる一次資料を説明したあと、ミラーの略歴について触れる。

第5章以降では、ミラーが設計した人工廃墟をケース・スタディとして扱う。具体的には第5章で、ウォリックシャー(Warwickshire)にあるラドウェイの地所で造ったラドウェイ・カースル(Radway Castle)を分析する。ラドウェイの地所は、ピューリタン革命において国王軍と議会軍が始めて合戦した「エッジヒルの戦いThe Battle of Edgehill」が行われた歴史的由緒のある場所であった。ここでは、まずラドウェイ・グレンジ(Radway Grange)の地所の改良を主に造園からみる。ラドウェイ・グレンジは、18世紀を代表する小説家ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding, 1707-1754)の『トム・ジョウンズThe Story of Tom Jones, a Foundling』(1749)の舞台とされており、小説中の描写をみたあとで、詩人のウィリアム・シェンストーン(William Shenstone, 1714-1763)による描写と比較しながら、当時の造園の様子を明らかにする。さらにミラーによるゴシック様式の茅葺屋根のコテッジの建設経緯を史料から追っていき、ラドウェイ・グレンジのゴシック様式での改築を、バティ・ラングレイの影響関係を通して分析する。最後にラドウェイ・カースルの建設経緯を明らかにし、この人工廃墟がピューリタン革命と「エッジヒルの戦い」を想起させるために造られたことを明らかにする。

第6章ではウスターシャー(Worcestershire)にある、ミッドランド地方の3大風景式庭園にかぞえられるハグリー・パーク(Hagley Park)で、ミラーがジョージ・リトルトン(George Lyttleton)のために設計したハグリー・カースル(Hagley Castle)を扱う。まずハグリー・パークと施主のリトルトンをみたあとで、ハグリー・カースルの建設経緯を史料をもとに明らかにする。ハグリー・カースルの使用目的をみたあとで、同時代人によりこの人工廃墟がどのように受容されたのかを、好意的な評価、批判的な評価、中立的な評価をとおして分析する。次にストウの庭園の影響関係をみたあとで、廃墟が持つ想起の力、施主リトルトンの廃墟趣味、詩人ジェームズ・トムソン(James Thomson, 1700-1748)の詩『無為城The Castle of Indolence』(1748)の影響を分析しつつ、18世紀の廃墟崇拝におけるハグリー・カースルの意味を明らかにする。

第7章ではケンブリッジシャー(Cambridgeshire)で最も壮大で重要な地所ウィンポール・パーク(Wimpole Park)で、ミラーが設計したウィンポール・カースル(Wimpole Castle)を扱う。ウィンポール・カースルはミラーが設計したが、実際には造園家ランスロット・「ケイパビリティ」・ブラウン(Lancelot "Capability" Brown, 1715-1783)の監督下において、ケンブリッジを中心に活躍した建築家ジェームズ・エセックス(James Essex, 1722-1784)が実施した。これはミラー風の廃墟が模倣された良い例であるため、ここで考察対象とする。ウィンポールの地所はロンドンに近く人気のある場所で、所有者が多く変遷し、それぞれの時代の寵児である建築家、造園家が関わったことでも有名である。そこでウィンポールの地所における施主の変遷とそれぞれの時代の地所の改良をみたあと、ウィンポール・カースルの建設経緯をミラー案とエセック案をとおしてみていき、両者の比較から、ミラーの廃墟がエセックスによって模倣されたことを明らかにし、さらにミラー風の廃墟が18世紀を通して幾重にも模倣されていったことを示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、18世紀英国における廃墟崇拝に関する建築学的研究である。18世紀のイギリスではピクチャレスクやロマン主義、ゴシック・リヴァイヴァルの興隆のなかで、廃墟への関心が高まり、「廃墟崇拝」とも呼べる現象が生じた。18世紀は風景式庭園が造成されていく時代であるが、その際にグランド・ツアーでもたらされたイタリアの風景画や廃墟画の世界を庭園に移すという試みがみられた。

サンダーソン・ミラー(Sanderson Miller, 1716-1780)はゴシック様式の人工廃墟の設計を得意とした。そこで本研究はミラーが造った人工廃墟に焦点をあて、18世紀における廃墟崇拝を促進する上で、ミラーが果たした重要性を明らかにすることを目的とする。ミラーは1740年代以降のゴシック・リヴァイヴァルの先駆者であり、同時代のホレス・ウォルポール(Horace Walpole, 1717-97)とともに、1740年代、1750年代をとおしてゴシック・リヴァイヴァルを推進した第一世代にあたる。

第I部1章で廃墟に関する先行研究をみたうえで、2章において庭園史を概説する。

3章では18世紀に廃墟崇拝がおこることになった背景を考察する。具体的には、ヘンリー8世の修道院解散とピューリタン革命によって、イギリスに元々多くのゴシック様式の廃墟が存在し、これは古事物愛好家の出現につながった。また17世紀から行われたグランド・ツアーにより、イタリアの風景画、特に廃墟画がイギリスにもたらされ大きな流行をみた。これらのイタリアの風景画、特に廃墟画がイギリス芸術にもたらした影響関係をみたあと、実際に風景画の世界が風景式庭園に移される過程をみていく。また18世紀の廃墟の美学が廃墟崇拝を理論的に支えたことから、理論家たちの言説を追っていく。さらに建築におけるゴシック・リヴァイヴァルの興隆においては、ゴシック文学の影響が強かった。

4章では18世紀におけるゴシック・リヴァイヴァルの興隆をバティ・ラングレイ(Batty Langley, 1696-1751)を中心に分析し、古典主義とゴシックの様式論争をみていく。

5章では、廃墟崇拝の高まりとして実際に庭園で廃墟がとりこまれていく過程を「借景」、「移築」、「人工廃墟」の例を通してみていく。「借景」としての廃墟の例としては、ウェールズにあるティンターン・アビー(Tintern Abbey)の修道院廃墟と、ヨークシャーのスタッドレイ・ロイヤル(Studley Royal)の庭園におけるファウンテンズ・アビー(Fountains Abbey)の修道院廃墟をみる。「移築」の例をみたあと、本研究のテーマである「人工廃墟」が称揚された例をみていく。

6章ではジェントルマン建築家サンダーソン・ミラーに焦点をあて、18世紀前半における「ジョージアン・ゴシック」の台頭のなかでミラーを捉える。ここでミラーに関する先行研究の流れを整理しながら、既往研究の問題点と本研究の問題意識を明らかにしたうえで、本研究で用いる一次資料を説明したあと、ミラーの略歴について触れる。

7章以降では、ミラーが設計した人工廃墟をケース・スタディとして扱う。具体的には7章で、ウォリックシャー(Warwickshire)にあるラドウェイの地所で造ったラドウェイ・カースル(Radway Castle)を分析する。ラドウェイ・グレンジは、18世紀を代表する小説家ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding, 170 7-1754)の『トム・ジョウンズ』(1749)の舞台とされており、小説中の描写をみたあとで、詩人のウィリアム・シェンストーン(William Shenstone, 1714-1763)による描写と比較しながら、当時の造園の様子を明らかにする。最後にラドウェイ・カースルの建設経緯を明らかにし、この人工廃墟がピューリタン革命と「エッジヒルの戦い」を想起させるために造られたことを明らかにする。

8章ではウスターシャー(Worcestershire)にある、ミッドランド地方の3大風景式庭園にかぞえられるハグリー・パーク(Hagley Park)で、ミラーがジョージ・リトルトン(George Lyttleton)のために設計したハグリー・カースル(Hagley Castle)を扱う。まずハグリー・パークと施主のリトルトンをみたあとで、ハグリー・カースルの建設経緯を史料をもとに明らかにする。

9章ではケンブリッジシャーで最も壮大で重要な地所ウィンポール・パーク(Wimpole Park)で、ミラーが設計したウィンポール・カースル(Wimpole Castle)を扱う。ウィンポール・カースルはミラーが設計したが、実際には造園家ランスロット・「ケイパビリティ」・ブラウン(Lancelot "Capability" Brown, 1715-1783)の監督下において、ケンブリッジを中心に活躍した建築家ジェームズ・エセックス(James Essex, 1722-1784)が実施した。これはミラー風の廃墟が模倣された良い例である。10章は以上の論考をまとめた結論である。

この研究はわが国における18世紀の建築と庭園史研究に貢献するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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