学位論文要旨



No 124307
著者(漢字) 近藤,未佳子
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ミカコ
標題(和) 日本における女性の都市環境改善活動の展開 : 1920~1970年代-東京都区部の事例を中心として
標題(洋)
報告番号 124307
報告番号 甲24307
学位授与日 2009.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6945号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の目的

本研究の目的は、都市空間という物理的な「場」に対して女性がどのように働き、その活動がどのようなものであったかを明らかにすることを目的としている。1980年代以降、都市計画・まちづくりに女性が直接参画する機会を得るまで、女性がまちづくりに参加してきたという歴史的な認識が希薄であったといえるが、実際には、保育所増設運動、住民運動、婦人運動など、それぞれの分野で研究が行われてきた。それを「都市環境改善」という一つの糸で繋ぎ直し、これまで「都市環境」の改善活動としてあまり知られてこなかった女性たちの活動を再評価することで、都市再生の担い手の一集団である女性達がどのような可能性を持っているかを明らかにする。

都市空間と女性の関係に関する分析は、現段階では多様な分野から個別事例を積み上げる作業を始めたばかりと言え、今後もそのような具体的な活動の検証を行うことが重要になるだろう。しかし、女性たちの多くの都市環境改善活動が「点」として発生して消滅していくのではなく、時間的・空間的なつながりを認識することで、それまでに構築してきた歴史的な背景やネットワークを生かすことも十分に可能になるのではないか。そのために、個別事例の詳細を深めることより、通史としての試論により全体像を把握することを本研究の特色としている。

2.研究対象の期間

研究対象の期間は、戦前期においては大正7年から昭和16年前後までとしている。大正7年からとしたことには二つの理由があり、一つは、日本の近代都市政策に対して大きな影響を与えた米騒動が起こった年であったこと。そして二つ目には、本研究が資料としている女性と都市についての記事及び論文が、活字として表れてくるのが米騒動以降であるという事実がある。そのため、言論統制及び用紙節減の締め付けが厳しくなり、多くの雑誌が休刊又は廃刊してしまう昭和16年までが、研究対象期間となる。

一方、戦後については、戦災直後の時期を除いた1950年代から始まり、女性が都市計画やまちづくりに直接女性が参画していく80年代より前までを研究対象とする。

3.研究の方法

本研究は戦前については主に『婦人』『婦選』『婦人運動』といった婦人団体が機関誌として発行している資料を中心に行い、戦後については地域史・地域女性史・個別事例の活動記録に加えて、区議会への請願・陳情などの活字媒体を用いて分析を行っている。

4.都市環境の範囲

本研究では「都市環境」の定義を「都市空間において人間の心身に影響を及ぼす物理的な構成要素」と定義し、(1)地域施設の設置・改善、(2)社会資本の設置・改善、(3)都市美化・清掃、(4)公害の除去・改善、(5)自然環境保護・改善、(6)施設がもたらす風紀の改善の6つの事項を研究対象としている。

5.戦前の活動主体と活動概要

戦前における都市環境改善活動に関わる主要なファクターとして婦人団体があげられるが、その大きな流れは宗教団体・地域団体・婦人参政権獲得運動・無産婦人運動の4つに分かれる。いずれも、一部の婦人エリート層であったことがその特徴として挙げられる。

一方、女性の政治への参加は、大正デモクラシーの機運高まるこの時期においても否定的な見方が大半であったが、実際、市政を女性の力を利用せずに動かしていくことは不可能となってきているほど、家庭と社会の関係が密接になっていることに、多くの人々が実感し始める時期に来ていた。しかし、大正期において女性が社会事業などの市政に参加し始めたことには、女性への期待というスローガンを掲げながらも、実際にはあくまでも権利の伴わぬ責任というかたちで通底していったという事実があったことを、無視することは出来ない。

このような中、都市環境への発言や活動としては、関東大震災が一つの契機となり、これまであまり見られなかった都市の構造やインフラなどに対しての意見が出されるようになったということは、大きな変化であったといえる。

さらに、諸外国の婦人参政権の実施や、日本においても1931(昭和6)年、婦人公民権案が衆議院を通過するなどの社会情勢の変化により、女性の市政参加に対する対応にも変化が見られる。東京市でも保健局清掃課・公園課・土木局などが婦人団体を招待して懇談会などを開催しており、その背景には、「奉仕」或いは「愛の力」といった無償の労働力に対する期待があったと言える。

6. 戦前の活動の特徴

戦前の都市政策に対する女性の活動は、権利の拡張を主眼に行われている。都市というフリーアクセスを前提としたはずの空間に参加するために、女性は「塵芥処理運動」や「愛市運動」といった社会運動という糸口が必要であった。さらに、都市空間から得られるはずの公益を享受するためには、「奉仕」や「愛の力」といった私的な領域への還元が要求された。戦前における都市政策は、このような仕組みを隠蔽しつつ、公共空間への参加を熱望する女性たちを巧みに利用して、都市の共同体を支える機構へと作り上げたと言えるのではないか。

7. 戦後の活動主体と活動概要

戦後の活動主体は、PTAなどの子どもを媒介としたネットワークが確立されたこと、婦人学級や生活学校など社会教育によるネットワークが確立されたことにより、地域を基盤とした活動主体が出現したことが特徴といえる。

(1)1950年代・・・生活に直結する問題の解決に向けて

・PTAの発足と学校増設・移転・校地拡張運動

PTAの活動や組織づくりは、女性たちがその後社会的な活動を行うための一種の訓練の場として、さらに組織的な基盤として大きな役割を果たすことになるが、50年代はPTAが子どもたちの教育の「場」の確保を求める活動を各地で起こしている。

・上下水道、道路・側溝の敷設・改修

・環境浄化運動

特殊旅館や占領軍の駐屯施設などの問題では、地元の婦人会やPTAが運動に立ち上がり、文教地区指定・住居専用地区指定の整備へとつながった。

(2) 1960年代・・・オリンピックと高度成長時代の生活の変化

・オリンピック開催に伴うまちづくり・・・首都美化運動と新生活運動

・高校増設運動

ベビーブームや進学率の向上で、高校浪人者が出る事態が予想された。そのため「高校増設運動」が巻き起こり、母親を中心として「増設運動」、さらには「全入運動」への活動を推進する。

・保育所増設運動

・交通安全対策

交通量の増加により子どもを巻き込んだ交通事故が急増したが、ガードレールや歩道橋の設置を請願・陳情する活動や、信号機の設置を訴える運動をPTAや地元住民が積極的に行った。

・公園・緑地増設運動

(3) 1970年代・・・生活環境の改善へ向けて

・トルコ風呂・ボーリング場・公営ギャンブル施設等への反対運動

高度経済成長時代の始まりと共に、少年非行も増加傾向を示すようになり、PTAや母親たちを中心として風俗営業施設の建設反対運動が活発化する。

・公害・環境対策

70年に起こった住民運動の中心にいたのは女性たちであったと言っても過言ではない。特に住宅街においては、比較的時間的拘束の少ない主婦たちが運動の担い手として活躍し、PTAや社会教育のネットワークを生かして勉強会や公害に関する調査を行うなど、理論的な武装を始めたのも70年代の特色といえよう。

8. 区議会への請願・陳情分析

政策決定過程の参加が極めて限られていた70年代において、主体的な活動として都市政策に大きな影響を与えた請願・陳情について東京都区部を中心に調査を行った。

〈対象区〉

(1)足立区 (2)墨田区 (3)北区 (4)文京区 (5)豊島区 (6)練馬区 (7)中野区 (8)港区 (9)大田区

この調査の結果、次のようなことが明らかとなった。

・全ての調査区で施設計画への女性代表者比率が高い。

・都市計画や鉄道等の広域問題に対しては比率が低い。

・足立区、港区で女性代表者比率が低く、中野区、豊島区、練馬区で高い。

・地域の問題は女性の参加によって活性化し、場外馬券売場や江原小学校の問題のように、区全体の大きな問題へと発展し、住民の希望が取り入れられる結果に繋がった。

9. 結論

このような研究の結果、女性たちは都市計画という大きな枠組みに対して直接的に働きかけるのではなく、地域計画としての地域福祉施設の設置や生活圏の整備という、住み手の視点をまちづくりに反映させる手法と意義を認知させたと言える。

このような、「点」から「面」へのまちづくりは、居住地域の生活環境を改善する手段として重要な側面を提示したが、一方で、商業地域や工業地域といった住居地以外の地域においては有効な方法を示すことは出来ず、改善への関与が希薄であったことが問題として残った。

さらに、これに続く80年代へ向けては、女性の賛同がないとまちづくりは上手く行かないという下地を作り、都市計画・まちづくりへの直接参加への道を開いたことが大きな成果といえるが、一方で、組織運営や行政への活動方法を学び、活動主体として成熟した分、「女性の歴史」だけ抽出する意義が薄れつつあるという発展も見せたと結論付けた。

10. 今後の課題と展望

今後の課題としては、戦後の個別事例に対して不足していた、活動主体への聞き取り調査や、請願・陳情の採択後の実施状況を含めた活動事例のマッピングを行うとともに、活動の背景にある女性の都市活動と社会教育の関係、さらに研究者、議員、官僚など指導的立場にいた女性たちの活動を検証することが必要であると考えている。

今後の展望としては、実際に都市計画やまちづくりに女性が参画して行く80年代において、どのような特徴と問題点が表出していくのか、それらの活動が都市にどのような変化をもたらしたのかを調査することが求められるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本学位請求論文は,都市空間という物理的な「場」に対して,女性がどのように働き,その活動がどのようなものであったことを明らかにすることを目的としている.研究の対象とする地域は,東京都区部を中心とする地域であり,期間は,大正7年以降,昭和16年までの戦前期,ならびに戦後1950年代から1970年代までである.この種の問題については,個別的な事象に関する先行研究,いわば「点」が存在する.本研究は,これらの「点」をさらに深めるというより,「都市環境改善」という観点から再評価し,つなぎ合わせることで,その全体像から女性の都市環境改善への取り組みの特性を明らかにすることに特徴がある.

なお,研究にあたっては,戦前期においては,『婦人公論』等の雑誌,戦後においては,各種の女性史や地域史で記録された資料に加えて,新聞ならびに請願や陳情などの記録という活字媒体を用いている.

本論文は,3章からなる.第1章は,戦前の女性の都市環境への関わりを扱っている.当時の活動主体を明らかにした上で,その活動概要を,1)市政への活動,2)廃娼運動,3)社会事業関連施設の建設の観点から,主として雑誌を中心に検証している.その結果,戦前の女性運動は,権利の拡張が主眼であったのに対して,女性の都市に対する視点や運動が下記のように凝縮された過程を例証している.すなわち,本来,フリーアクセスを前提としたはずの都市への女性の参加が,男性側からの要望としての「奉仕」や「愛市運動」という無償の労働の提供へと矮小化される過程である.つまり,都市計画・都市政策における女性の公共性からの排除の構造を明らかにした点で高く評価できる.

第2章では,戦後,1950年代,60年代,70年代における女性の活動が検証されている.50年代に関しては, 1)PTA活動においては,実質的な活動は女性に求められる一方で,役員が男性で占められるという様態からPTAという組織事態が女性というマイナリティの意見を埋没させるという危険性を指摘している.さらには,2)戦後のベビーブームに伴う小学校増設運動,3)環境浄化における女性運動や町会や婦人会の働きなどを明らかにし,都市環境改善に女性が果たした役割が,主として,子供を守る視点からの活動として集約できることを例証した.60年代に関しては,オリンピック開催に伴う首都美化運動や新生活運動に着目し,高校増設運動や保育所増設運動,交通安全対策,公園緑地増設運動等の活動を通じて,日本の高度成長の背景で女性が都市環境の改善にどのように寄与したかが具体的に検証されている.その全体像を明らかにすることで,当時の都市改善運動が,子供への気遣いを基礎とした具体的な生活基盤の改善へと収斂可能であることを明らかにしている.以上,50年代,60年代の戦後復興期においては,男性が勤労を通じて戦後の経済復興に努める中で,「子供」という視点から,都市環境改善を推進する活動を担ったのが,女性であるという構造を明らかにした点は高く評価される.70年代に関しては,高度経済成長が終わり,ゆとりの時代における女性の都市への関わりが検討される.本論文では,レジャー産業やサービス産業の普及における女性の反対運動,さらには,公害・環境対策問題に代表される環境への女性の取り組みを検証している.中でも,日照問題などの建築公害への取り組みにおける女性の果たした役割が示されている.その要因として,平日の日中に行われる工事を阻止できるのは,仕事を持たない主婦であるという指摘は,都市環境改善が,日本の家族制度や都市における居住・労働の場の布置と不可分であることを具体的に示す点で高く評価できる.その他,まちづくりに対する活動も進化し,要求型から提案型へ発展するが,その活動の中心を果たしたのも女性であったことが明らかにされている.

第3章では,70年代を対象とし,東京都区部における女性の活動を請願と陳情の定量的な分析を通じて比較検討している.それは,東京都区部を6つの地区に分け,それらを代表する区,計9区において行われている.その結果,都市環境に関連する請願や陳情と場外馬券売り場反対運動や学校(幼稚園)増設運動との関連を明らかにしている.また,運動代表者の性別と要望項目との関係についても検討を行っている.その結果,公園への要望は女性代表者の比率が高いのに比して,都市計画や鉄道への要望では,低いことを明らかにしている.

以上,本論文は,都市環境の改善への女性参加という捉えがたい問題について,個別事象の集積ではなく全体像として再構成するための基本となる枠組を用意し,その展開可能性を例証している.全体として論証されたことを要約するなら,日本の都市環境改善や形成に関して,「生活者の視点」,さらに言えば「身体的な視点」から環境を知覚し,理解し,行動したのが女性であったということである.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格として認められる.

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