学位論文要旨



No 124320
著者(漢字) 塚田,周平
著者(英字)
著者(カナ) ツカダ,シュウヘイ
標題(和) Azorhizobium caulinodans ORS571の共生時における網羅的遺伝子発現解析とLonプロテアーゼ変異株の解析
標題(洋)
報告番号 124320
報告番号 甲24320
学位授与日 2009.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3367号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 石井,正治
 東京大学 准教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

〈はじめに〉

窒素は植物の生育に必須な栄養元素であり、農業上重要である。現代農業ではハーバーボッシュ法による化学合成アンモニアによって窒素肥料の安定的な供給が可能になったが、その一方で化石燃料の大量消費、窒素の流出による環境汚染など、新たな問題を引き起こしている。

根粒菌は、窒素固定細菌の中でも、共生的窒素固定を行う点で特徴的である。マメ科植物の分泌するフラボノイドを感知した根粒菌はnodulation factor (Nod factor)とよばれる糖脂質を分泌し、植物に形態的・生理的な変化を誘導する。その結果、根毛などに形成された感染糸から皮層で分裂される根粒原基の植物細胞に根粒菌が侵入して細胞内に共生し、効率的に窒素固定を行う。これらマメ科植物-根粒菌共生メカニズムの全容の解明は、農業上重要な知見となりうるが、その相互作用が複雑であるため、研究の余地が多く残されている。

当研究室において研究を進めているAzorhizobium caulinodans ORS571は、熱帯性マメ科植物Sesbania rostrataを宿主とし、根粒のみならず、茎に茎粒を形成する。A. caulinodans ORS571の全ゲノム配列を解読した結果、これまでにゲノムの解読された根粒菌の中ではゲノムサイズおよび共生アイランドのサイズが最も小さく、根粒菌の進化上重要な根粒菌である。さらに当研究室では、Tn5トランスポゾンを用いた10,800株のTn5トランスポゾン変異株を用いた大量スクリーニングを行っており、共生成立において主要な役割を果たすと考えられる86の遺伝子を見出している。本研究では、A. caulinodans ORS571-Sesbania rostrata 共生系を用いて網羅的遺伝子発現解析を行ってその特徴を明らかにすると共に、大量スクリーニングから見出された、茎粒形成において重要な役割を果たすと考えられる転写後制御因子Lonプロテアーゼの機能解析を行うことで、根粒・茎粒の成熟過程に関与する因子について新たな知見を得ることを目指した。

1. Azorhizobium caulinodans ORS571の共生時における網羅的遺伝子発現解析

まず、マイクロアレイによって、Azorhizobium caulinodans ORS571の共生時における遺伝子発現を解析することを試みた。生物現象を理解する上で、遺伝子発現から得られる知見は重要であり、根粒形成においても、Sinorhizobium meliloti, Bradyrhizobium japonicum, Mesorhizobium lotiにおいて、共生時の網羅的発現解析が行われ、その生理的特徴が明らかにされてきた。一方で共生時における遺伝子発現は単生時に比べて大きく異なるため、植物との相互作用に必要な遺伝的因子をその中から選択し研究を進めるには候補遺伝子が莫大であり、困難である。A. caulinodansはゲノムサイズが小さいため共生に関与する因子が他の根粒菌と比較して少ない可能性があり、網羅的に遺伝子の発現を解析することは重要である。

富栄養および貧栄養培地中における単生時、フラボノイド添加時、および共生時のA. caulinodans ORS571の全推定ORFの網羅的遺伝子発現解析を行った結果、A. caulinodans ORS571の共生時における遺伝子発現の全容を明らかにした。同時に、窒素固定を担うnifおよびfix遺伝子クラスター内に散在し、機能未知のタンパク質をコードする遺伝子群の発現が共生時に上昇していることを見出した。これらの機能未知遺伝子は、シグナル分子Nod factorを合成するNod遺伝子群を持たない茎粒菌であるBradyrhizobium strains BTAi1およびORS278に高く保存されていた。さらに、共生アイランド内でトランスポザーゼ遺伝子群が、フラボノイド添加時および共生時の双方で発現が上昇していることが明らかになった。これは他の根粒菌では報告されておらず、A. caulinodans ORS571に特徴的であると考えられる。加えて、得られた発現プロファイルを根粒菌の中で系統上近縁であるBradyrhizobium japonicum USDA110の発現プロファイルと比較したところ、B. japonicumと共通した発現パターンを示す因子を多数見出した。

2. Lonプロテアーゼをコードするlon遺伝子破壊株ORS571Δlonの表現型解析

当研究室における大規模スクリーニングからは、転写後制御因子Lonプロテアーゼをコードするlon遺伝子の破壊により、茎粒形成に異常が起こることが明らかになっている。Lonプロテアーゼは、不要タンパク質の分解のみならず特定のタンパク質に対して転写後制御因子として機能することが知られており、茎粒形成過程においても同様の機能を持つことが予想された。そこで、茎粒形成においてLonプロテアーゼの影響を評価するために、A. caulinodans ORS571のLonをコードすると考えられるlon遺伝子(AZC_1610)の欠損変異株を作成し、表現型の解析を行うと同時に、lon遺伝子の発現動態を解析した。

lon遺伝子欠損株ORS571ΔlonをS. rostrataに接種したところ、大規模スクリーニングの結果と同様に未成熟な茎粒が形成された。この表現型は、完全なlon遺伝子を相補することで復帰した。窒素固定活性を示すアセチレン還元能には、単生時には野生型株との有意な差は認められなかったが、共生時にはORS571Δlonを接種した茎粒は窒素固定活性を持たなかった。また、lon-lacZのtranscriptional fusion株を接種し、β-Galactosidase活性を観察したところ、感染糸内、および感染細胞内の両方においてlon遺伝子が発現していることが確認された。光学顕微鏡によってlon欠損株接種後12日目の茎粒を観察したところ、野生型株と異なり、感染糸は観察されるものの感染細胞はほとんど観察されず、感染領域と考えられる領域も不均一な形態の細胞で占められていた。また、infection pocketに菌が蓄積し、肥大している様子が観察された。さらに透過型電子顕微鏡観察を行ったところ、ORS571Δlonが感染した植物細胞はほとんどが液胞で占められており、正常なバクテロイドとは異なる形態の菌体が観察された。また、感染糸には菌が蓄積していた。これらは光学顕微鏡での観察を裏付けた。細胞外多糖量の調節には、ORS571Δlonで異常がみられた。A. caulinodans ORS571においては、細胞外多糖の異常により茎粒形成に異常が起こることが知られているが、ORS571Δlonにおいてもその表現型を示す原因のひとつである可能性がある。さらに、lon遺伝子のプロモーター領域を、茎粒中で強く発現が上昇するnifH遺伝子のプロモーター領域と置換した株を接種したところ、一部の茎粒では表現型の回復が見られたが、表現型が回復しない茎粒も観察された。これらの解析から、ORS571Δlonが感染した茎粒では植物細胞への侵入、もしくは侵入直後のバクテロイド化とバクテロイドの維持に異常が起きていることが示唆された。

3. Lonプロテアーゼが発現を制御する遺伝子の探索

上述の結果から、Lonプロテアーゼが制御する因子に、茎粒成熟の初期において重要な役割を担う遺伝子が含まれる可能性が示された。そこで、ORS571Δlonにおける網羅的発現解析を行うことで、Lonプロテアーゼによる制御の特徴を明らかにすることを試みた。ORS571Δlonの形成する茎粒では、バクテロイドがほとんど存在せず、単離することができないため、富栄養および貧栄養培地中の単生時における発現解析を行った。

得られた発現プロファイルを基に階層的クラスタリング解析を行った結果、単生時にLonプロテアーゼの欠損によって発現が影響され、かつ野生型株の網羅的解析から茎粒形成においてその発現調節が重要と考えられる遺伝子を(1)茎粒形成時に発現が上昇するGroup 1、および(2)茎粒形成時に発現が抑制されるGroup2の2つに分類された。Group 1にはビオチン生合成遺伝子をはじめとして、茎粒中で必須であるもののORS571Δlonでは発現が低下するものが含まれた。また、Group2には、ORS571Δlonのみで発現が上昇しており、植物病原菌が保持していることが知られているrebB遺伝子などが含まれた。これらから、Lonプロテアーゼの機能には、共生関係を促進する遺伝子の発現を誘導する機能および共生関係を阻害する遺伝子の発現を阻害する機能の2つの機能を持つことが示唆された。一方、細胞外多糖の合成に関わると考えられるexp遺伝子群の発現が貧栄養培地中で上昇しており、これは細胞外多糖量調節の異常と関連していると考えられる。これに加え、Group 1には、fixNOQP、nifAなど、窒素固定に関与し、FixKによって制御されていることが知られる遺伝子が含まれたため、LonプロテアーゼがFixKによる制御に関与していることが予想された。A. caulinodans ORS571においてこれらの遺伝子fixNOPQおよびnifAの他に発現がFixKに依存する因子はこれまでに知られていないが、これらの遺伝子と同様にクラスタリングされた遺伝子群もFixKによって制御されている可能性が示唆された。そこでクラスタリングによって得られた遺伝子群の上流配列を解析したところ、双方のグループにおいてFixK boxと考えられるコンセンサス配列TTGA-N6-TCAAを保持する16遺伝子が見出された。ここから、A. caulinodans ORS571においてFixKがより広範囲にわたる遺伝子の制御を行う可能性が示唆された。

まとめ

本研究では、マイクロアレイによってA. caulinodans ORS571の全ORFの網羅的発現遺伝子解析を行った。さらにA. caulinodans ORS571のlon遺伝子欠損株を作成し、その表現型を詳細に解析するとともに、lon遺伝子欠損株の発現プロファイルを解析することで、Lonプロテアーゼが制御する因子の探索を試みた。

その結果、A. caulinodansの共生時における遺伝子発現の全容を明らかにしたと同時に、Lonプロテアーゼが、茎粒成熟の初期に重要な機能を果たしており、発現解析の結果から共生関係を促進する遺伝子の発現を誘導する機能、および共生関係を阻害する遺伝子の発現を阻害する機能の2つの機能を持つ可能性を見出した。特に、従来の逆遺伝学的研究からは共生を阻害する因子の解析を進めることは困難であり、本研究はマメ科植物-根粒菌間の相互作用を理解する上で重要な知見となりうる。さらに、発現解析からはLonプロテーゼがFixKによる遺伝子発現制御に関与し、FixKの下流にある遺伝子群が過去に知られていた以上に広範囲にわたることが示唆された。これらの結果は、根粒菌の進化、またマメ科植物-根粒菌共生メカニズムの解明に向けた重要な知見であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

生物窒素固定は自然界の窒素循環において重要な役割を担っている。特に細菌が植物の根に共生して形成される根粒で行われる窒素固定は作物生産に深く係ることから重要な研究対象となってきた。この研究では、根粒菌Azorhizobium caulinodans ORS571とマメ科植物Sesbania rostrataの共生系を用いて、根粒菌のLonプロテアーゼの根粒形成および成熟に果たす役割を解明しようと試みた。

論文は4章より構成されている。A.caulinodans-Sesbania rostrata共生系では、A.cauninodansORS571の転写後制御因子Lonプロテアーゼをコードするlon遺伝子の破壊により、茎粒形成に異常が起こることが明らかになっている。そこで、序論に続く第2章では、A.caulinodans ORS571のLonプロテアーゼをコードすると考えられるlon遺伝子(AZC1610)の欠損変異株を作製し、表現型を調べた。lon遺伝子を欠損したORS571Δlon株をS.rostrataに接種したところ、未成熟な茎粒が形成された。この表現型は、完全なlon遺伝子を相補することで復帰した。窒素固定活性を示すアセチレン還元能には、非共生時には野生型株との有意な差は認められなかったが、共生時にはORS571Δlon株をi接種した茎粒は窒素固定活性を持たなかった。また、lon遺伝子とlacZ遺伝子の転写融合株を接種し、βガラクトシダーゼ活性局在を観察したところ、感染糸内、および感染細胞内の双方においてlon遺伝子が発現していることが確認された。光学顕微鏡によってlon欠損株接種後12日目の茎粒を観察したところ、野生型株と異なり、感染糸は観察されるものの感染細胞はほとんど観察されず、感染領域と考えられる領域も不均一な形態の細胞で占められていた。また、感染ポケットに菌が蓄積し、肥大している様子が観察された。さらに透過型電子顕微鏡観察を行ったところ、ORS571Δlon株が感染した植物細胞はほとんどが液胞で占められており、正常なバクテロイドとは異なる形態の菌体が観察された。また、感染糸には菌が蓄積していた。これらは光学顕微鏡での観察を裏付けた。さらに、lon遺伝子のプロモーター領域を、茎粒中で強く発現が上昇するnifHl遺伝子のプロモーター領域と置換した株を接種したところ、一部の茎粒では表現型の回復が見られたが、表現型が回復しない茎粒も観察された。これらの結果から、ORS571Δlon株が感染した茎粒では、植物細胞への侵入直後のバクテロイド化からバクテロイドの維持に異常が起きていることが示唆された。また、根粒形成に影響を与えると考えられる菌体外多糖(EPS)合成量を調べたところ、ORS571Δlon株では異常がみられたことから、EPS含量が表現型と関係している可能性も、考えられた。

一般にLonプロテアーゼは、不要なタンパク質の分解のみならず特定のタンパク質を分解することで転写後制御因子として機能することが知られている。そこで、第3章ではORS571Δlon株においてどのような遺伝子発現の変化が生ずるか、網羅的発現解析をマイクロアレイを用いて行うことで、Lonプロテアーゼによる遺伝子発現制御の特徴を明らかにすることを試みた。まず、A.caulinodans野生株ORS571の共生時における遺伝子発現を解析した。富栄養および貧栄養培地中での生育時、フラボノイド添加時、および共生時のA.caulinodans ORS571の全推定ORFの網羅的遺伝子発現解析を行った結果、A.caulinodans ORS571の共生時における遺伝子発現の特徴を明らかとした。窒素固定を担うnifおよびfix遺伝子の発現が共生時に著しく上昇すると同時に、C4ジカルボン酸などニトロゲナーゼの活性を維持するために必要と考えられる物質の輸送が積極的に行われており、また、有機硫黄化合物の輸送や代謝を担う遺伝子群の発現も上昇していた。共生アイランド内では、共生時のみならずフラボノイド添加時でも発現が上昇するトランスポザーゼ遺伝子が存在することが明らかになった。これは他の根粒菌では報告されておらず、A.caulinodans ORS571に特徴的であると考えられた。つぎに、ORS571Δlon株について遺伝子発現を調べた。ORS571Δlon株の形成する茎粒では、バクテロイドがほとんど存在せず、単離することができないため、富栄養および貧栄養培地中の生育における発現解析を行った。得られた発現プロファイルをもとに野生型株の発現解析結果との二群間比較を行った結果、非共生時にLonプロテアーゼの欠損によって発現が影響され、かつ野生型株の網羅的解析から茎粒形成においてその発現調節が重要と考えられる遺伝子が複数見出された。これらには、EPSの合成に関わると考えられる遺伝子群が含まれており、これはORS571Δlon株のEPS合成量調節の異常と関連していると考えられる。また、fixNOQP遺伝子群の発現にも影響があった。これらの遺伝子群は転写因子FixKによって制御されていることが知られており、LonプロテアーゼがFixKによる制御に関与していることが予想された。fixNOQ遺伝子と同様な発現パターンを示す遺伝子群について翻訳開始点から上流500bpの配列を解析したところFixKボックスと考えられるコンセンサス配列TTGA-N6-TCAAを保持する遺伝子が複数見出された。ここから、A.caulinodans ORS571においてFixKがより広範囲にわたる遺伝子の制御を行う可能性が示唆された。また、転写因子CtrAが発現に関与すると考えられる遺伝子群の発現もlon遺伝子の破壊によって影響を受けており、また一部の遺伝子の上流にはCtrAボックスTTAA-N7-TTAAが保存されていたため、LonプロテアーゼはFixKやCtrAなどの制御下にある遺伝子の発現に影響を及ぼすことが予想された。ビオチン生合成遺伝子をはじめとして、茎粒中で必須であるもののORS571Δlon株では発現が低下するものが含まれた。また、ORS571Δlon株のみで発現が上昇しており、植物病原細菌の病原性に関与するとされるrebB遺伝子の発現が、lon遺伝子の破壊によって上昇していた。このことから、Lonプロテアーゼの機能には、共生関係を促進する遺伝子の発現を誘導する機能、および共生関係を阻害する遺伝子の発現を抑制する機能の2つの機能を持つことが示唆された。

以上、本論文は根粒菌のLonプロテアーゼが根粒形成にどのように関与するか、解明を試みたものであり、審査委員一同は学術上、応用上価値あるものと認め、博士(農学)の学位論文として十分な内容を含むものと認めた。

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