学位論文要旨



No 124325
著者(漢字) 大滝,世津子
著者(英字)
著者(カナ) オオタキ,セツコ
標題(和) 集団における幼児の性自認形成過程についての実証研究 : 幼稚園3歳児クラスの観察から
標題(洋)
報告番号 124325
報告番号 甲24325
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第150号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 恒吉,僚子
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 准教授 能智,正博
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、幼稚園入園時には性自認もしていなかった幼児たちが、やがて「男女間の上下関係」を提示するようになるまでのメカニズムを明らかにすることを目的とした。具体的には、幼稚園3歳児クラスにおける幼児の性自認メカニズムと「男女間の上下関係形成過程」についてそれぞれ明らかにした。その上で、両者の関係を分析することで本研究の目的を明らかにした。なお、本研究における「性自認」とは「保育者が幼児に対して『オンナノコ/オトコノコこっちに来て』と呼びかけたとき(=性別カテゴリー名を呼びかけたとき)に性別カテゴリーに沿った形で保育者のところへ行ったこと」をもって成立したと理解した。また、「男女間の上下関係形成過程」とは、自分の性自認もしていない幼児たちの集団であった幼稚園3歳児クラスにおいて、幼児たち自身によって「上下関係を含む男女間の差異」が提示されるようになるまでの過程のことであり、「男女間の差異」とは(1)「男女で対になってはいるが、同じものではないこと」、(2)「男女で異なる選択・行動をせまられること」と定義した。

従来性自認は主に心理学の分野で研究が蓄積されてきた。これらの特徴は(1)家庭内における大人-子どもという垂直軸を基本としており、子ども同士のピアという水平軸が含まれていないもの、(2)家庭外における両親以外の大人や仲間が幼児の性自認に影響を与える要因となりうることを指摘してはいるが、実際の幼稚園のような日常的・継続的に関係が保たれるような組織的集団の中で生じた集団力学(継続的な人間関係や力関係など)の影響等については説明していないもの、に分類された。これに対し本研究は、垂直軸と水平軸とが相互行為場面における指導や活動を通して、幼稚園の構造的な特徴と交差するところで出てくる集団的現象として性自認を扱った。集団力学に焦点を当てた研究(集団における相互行為的な視点を導入)を行うことが本研究の一つの特徴となっている。

以上の点を踏まえ、本研究では、神奈川県のQ幼稚園で、3歳児クラス(R組・K組)に属する幼児(女児14名、男児17名)、担任を対象とし、各幼児の性自認時期を測定するための実験および幼児の相互行為場面をとらえるための観察を行った。

その結果以下のことが明らかになった。第1章では、先行研究の検討を通して、本研究における「性自認」「男女間の上下関係形成過程」および「男女間の差異」という概念の定義を明確にした。続く第2章では、各幼児の性自認時期を明らかにした。これにより、以下の点が明らかになった。第一に、幼稚園3歳児クラスの大半の幼児は入園時には性自認をしていなかった。第二に3歳児クラス全体で見ると、数名ずつがほぼ同時期に性自認し、そのかたまりが4~5期に分かれて発生していた。

そして第3章では、性自認時期に影響を及ぼしている要因を明らかにし、それをもとに幼児のタイプ分類を行った。これにより、幼児は「集団・同調タイプ」「集団・反抗タイプ」「中間(集)・同調タイプ」「中間(集)・反抗タイプ」「中間(個)・同調タイプ」「中間(個)・べったりタイプ」「中間(個)・反抗タイプ」「中間(個)・没交渉タイプ」「個人・同調タイプ」「個人・べったりタイプ」「個人・反抗タイプ」「個人・没交渉タイプ」の12タイプに分類された。

第4章では、性自認時期と「幼児と保育者の相互行為」の関係を明らかにした。これにより「幼児と保育者の相互行為」に限定したときに考えられる性自認のメカニズムは、以下の4つに整理された。すなわち、1)「性別カテゴリーとの同一化」による性自認、2)「性別記号」との同一化による性自認、3)性自認するための回路がほぼ出来上がっていた状態で行われた「訓練」によって回路がつながったことによる性自認、4)性自認の「ヒント」となるワードの出現頻度が増加したことによる性自認、であった。

第5章では、性自認時期と「幼児同士の相互行為」の関係を明らかにした。これにより、「幼児と保育者の相互行為」に限定したときに考えられる性自認のメカニズムは、以下の2つに整理された。すなわち、1)「同性集団との同一化」による性自認、2)「異性集団との相互補完的同一化」による性自認、であった。

第6章では「性自認のゆらぎ」が見られる幼児の事例を分析した。これにより、第4章および5章で明らかにされた性自認メカニズムの他に、「異性集団との同一化」という性自認メカニズムが存在することが明らかになった。

第7章では、以上の章の知見を統合することにより、幼稚園3歳児クラスにおいて、どのようなタイプの幼児がいつどのようなメカニズムで「性自認」したのか、を明らかにし、モデルを作成した。これによると、幼稚園入園時には家庭における「同性の親・兄弟との同一化」「異性の親・兄弟との相互補完的同一化」によりすでに性自認している幼児がクラス内に数名存在していた。それは主に「集団・同調タイプ」の幼児であった。やがてこれらの幼児を中心として「男女混合集団」、「女児集団」あるいは「男児集団」が形成されるが、それより前に性自認した子は保育者による「訓練」などによって「性別カテゴリーとの同一化」あるいは「性別記号との同一化」によって性自認した。これも主に「集団・同調タイプ」の幼児であった。

その後すでに性自認した幼児たちが中核となってクラス内に「男女混合集団」、「女児集団」あるいは「男児集団」が形成された。こうした集団に属する幼児が「女の子/男の子」という言葉や「女言葉/男言葉」などを発するようになったり、異性を排除したりするようになると、それまで性自認していなかった幼児たちが一気に性自認した。これは「集団」「中間」「個人」の中の保育者とのコミュニケーションがあった幼児、「中間」「個人」(および「集団」)の中の保育者に対して「非服従的」な幼児、および「依存的」な幼児であった。これらの幼児は主に「同性集団との同一化」あるいは「異性集団との相互補完的同一化」によって性自認をした。なお、「同性集団との同一化」をしたのは、そのときにクラスで主導権を握っていた性別に属する幼児、そして「異性集団との相互補完的同一化」をしたのは、その反対の性別に属する幼児であった。

第8章では、幼稚園3歳児クラスにおける相互行為場面に含まれる「男女間の上下関係形成過程」について検証した。その結果、(1)幼稚園3歳児クラスにはじめに「男女間の上下関係を含まない差異」を持ち込むのは保育者であった、(2)幼稚園3歳児クラスではじめに「男女間の上下関係を含む差異」を持ち出したのは幼児であった、(3)幼稚園3歳児クラスではじめに「男女間の上下関係を含む差異」を持ち出した幼児は、第1期から3期までに性自認した幼児であった、(4)その内訳を見てみると、第1期から性自認していた幼児が第2期あるいは3期に性自認した幼児を仲間にした後にはじめて「男女間の上下関係を含む差異」を持ち出していた、(5)幼児が「男女間の上下関係を含む差異」を持ち出したのはクラス内に女児集団あるいは男児集団が形成された後であった、(6)クラス内で「男女間の上下関係を含む差異」を持ち出したのはそのクラスで支配的な性別集団に属する幼児であった。(7)保育者は第1期から第5期までほぼ一貫してひたすら「男女間上下関係を含まない差異」を提示していた、ということが明らかになった。

第9章では、第7章における知見と第8章における知見を統合することにより、幼稚園3歳児クラスにおける性自認メカニズムと、「男女間の上下関係形成過程」の関係を明らかにした。その結果、以下のことが明らかになった。まず、幼稚園3歳児クラスに保育者が「男女間の上下関係を含まない差異」を持ち込み、全ての幼児に対して一貫して提示されていた。こうした保育者との相互行為を通して、入園時から性自認していた幼児(第1期)の他に、「性別カテゴリーとの同一化」あるいは「性別記号との同一化」によって性自認した幼児が現れた(第2期)。これらの幼児が性自認した後も、保育者による「男女間の上下関係を含まない差異」の提示は続けられ、次第に性自認した幼児が増加していった。そして、男女いずれかの同性集団がクラス内に形成されると、第1期に性自認していた幼児が、それ以降に性自認した幼児の助けを得て、他の幼児たちに「男女間の上下関係を含む差異」を提示しはじめた。このとき、それまで「男女間の上下関係を含まない差異」としてしか提示されていなかった性別カテゴリーが、「男女間の上下関係を含む差異」へと変質して用いられていた。このような状況において、それまで性自認していなかった幼児たちは仲間からの「男女間の上下関係を含む差異」の提示と保育者からの「男女間の上下関係を含まない差異」の提示という二重の圧力にさらされることになった。これを受けて「同性集団との同一化」あるいは「異性集団との相互補完的同一化」によって一斉に性自認していた。

以上より、本研究は、従来性自認の確立が心理学においては主に個人の発達過程として語られてきたのに対し、集団の中での相互行為によって形成されることを実証的に明らかにした。また、従来家庭内で担われてきた幼児の性自認機能が、現在は家庭外の幼稚園等の組織的集団へとシフトしてきている可能性を示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、従来、社会学のジェンダー研究では対象とみなされにくかった幼児期の性自認の社会学的解明に挑戦したパイオニア的な研究である。

従来、社会学・教育社会学の分野では、外部社会におけるジェンダー秩序がいかに隠れたカリキュラム等を媒介として学校教育の場で児童生徒のジェンダー意識の形成やジェンダーの再生産に関与しているかを中心に、多くの研究がなされてきた。それらは、教育の権力性や階層再生産等の伝統的な社会学的関心領域につながるものであった。

だが、幼児期における初期の性自認に関しての考察は、心理学的研究が援用され、一種の学問的棲み分けが行われてきた。こうした中、本論文は、幼稚園における3歳児の観察、男女別呼びかけの実験、保育者のインタビュー、アンケート調査を行い、性自認(本研究においては「オトコノコ・オンナノコこっちに来て」という性別カテゴリーによる呼びかけに応じることを指標とする)の成立段階において既に、男女の性別カテゴリーが男女間の集合的序列化と結びついていく過程を、幼児・保育者の相互行為の視点から考察した。その意味で、本研究は、性自認が成立する時期を空白期間とみなし、それ以後の性役割の獲得等を問題にしてきた社会学的な枠組みが、初期段階の性自認が持つ学問的重要性を看過してきたことへの鋭い問題提起となっている。

本論文の構成は、第一章では、キー概念の定義、第二章では対象幼児の性自認パターンの過程が把握され、第三章では、「性別」「年齢」等の要因や幼児同士や幼児と保育者との相互行為パターンとの関係で性自認が分析され、第四章では、幼児と保育者の相互行為について、性自認の成立期と保育者が発する性に関連した言葉(例 女の子、かわいい)や幼稚園で経験したできごと(観察)との関係が分析されている。第五章では、幼児同士の相互行為が同様に分析され、第六章では性自認のゆらぎが見られる事例を取り上げ、第七章では、男児、女児の集団がクラスの中に形成されるプロセスと性自認との関係が分析され、幼児の性別集団化の中で、異性の排除やステイタスの高い幼児によって性別カテゴリーが集合的行為の中で使用されることが幼児の性自認を促す一因であることが示唆されている。第八章では、保育者が性別カテゴリーを男女の差異を示すものとして用い、それが幼児の相互行為の中で、序列としての意味を獲得していくプロセスを分析している。第九章では、各章を統合し、集合的行為としての性自認のメカニズムを分析している。

本研究は以上のように、心理学の関連研究から学びながらも、集団的な相互行為として保育場面における性自認の形成メカニズムを社会学的な枠組みから分析し、従来のジェンダー研究が前提とする枠組みに変更を迫る、極めてオリジナリティの高い研究となっている。以上により、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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