No | 124327 | |
著者(漢字) | 中野,珠実 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカノ,タマミ | |
標題(和) | 乳児期初期の学習に関する神経メカニズムの解明 | |
標題(洋) | Neural Mechanisms of Learning in Young Infants | |
報告番号 | 124327 | |
報告番号 | 甲24327 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(教育学) | |
学位記番号 | 博教育第152号 | |
研究科 | 教育学研究科 | |
専攻 | 総合教育科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 学習とは経験を通じて新しい行動や能力が形成・獲得される過程のことである。発達には環境からの働きかけや経験の積み重ねが大きく関与していることから、学習が重要な働きをしていると考えられる。一方で、学習は脳の発達に大きく制約される。そのため、ヒトの認知能力の発達過程を知る上で、学習に関わる神経メカニズムの発達を明らかにすることが重要である。行動研究により乳児は発達初期から様々な学習能力を有していることが実証されているが、乳児期初期の学習にどのような神経メカニズムが関与しているのかは明らかにされてこなかった。そこで、本論は近年開発された脳イメージング装置である多チャンネル近赤外分光法(NIRS)を用いることで、乳児期初期の学習に関する神経メカニズムを明らかにすることを目的とした。 これまで、ヒトの大脳皮質の発達は感覚・運動野から高次連合野の順に領域別に発達し、認知機能発達もその階層的な構造発達の順に従って構成されていくと一般的に考えられてきた。従って、乳児期初期の学習の神経メカニズムは、皮質下や低次な皮質領域のみが関与していると推測されてきた。しかし、近年の解剖学的研究により、従来考えられていたよりもかなり早期から前頭葉の構造的発達が進んでいることが明らかになり、脳の構造発達が必ずしも階層的ではなく、むしろ並列的に進展する可能性があげられている。また、脳の機能発達に関しても、発達初期から様々な領域が相互作用することで脳の機能的組織化が進展する可能性が考えられる。そこで、本論では乳児期初期の学習に感覚野だけでなく前頭葉などの高次な領域も含んだ神経ネットワークが関与しているのではないかという仮説をたて、その検証を行った。具体的には、乳児期初期から認められ、また最も基本的な学習機構とされている馴化学習と連合学習に着目し、その2 つの学習を行っているときの生後3 ヶ月の乳児の脳活動を明らかにすることを目的に以下の2 つの研究を実施した。 〈研究1:馴化・脱馴化に関わる乳児の脳活動〉 馴化・脱馴化とは、繰り返される刺激への反応が徐々に減衰し、新奇な刺激が提示されると反応が回復する現象であり、ヒトでは新生児期から認められ、また基本的な学習機構のひとつと考えられている。特に発達心理学の研究においては、この反応を指標として知覚や認知、言語の発達が調べられてきた。しかし、馴化・脱馴化に関わる生後数ヶ月の乳児の神経メカニズムは明らかではなかった。生後3ヶ月の乳児はシラブルの聴覚刺激に対して顕著な馴化・脱馴化を示すことから、そのときの脳活動を調べた。乳児の静睡眠時に単一のシラブル(/ba/または/pa/)を10回繰り返した5秒間の聴覚刺激と15秒間の休止からなる試行を15試行繰り返し提示した(馴化過程)。引き続いて、実験群40名には新奇なシラブルの刺激を5試行提示し(テスト過程)、その後、再度馴化刺激を5試行提示した(テスト後過程)。一方、対照群40名には、テスト過程・テスト後過程とも馴化刺激を繰り返し提示した。脳活動に伴い酸素化ヘモグロビン濃度が増加することから、乳児の左右両半球の前頭部から側頭部にかけての領域の48部位において課題に関連した酸素化ヘモグロビン濃度変化をNIRSにより計測した。その結果、馴化過程において両群とも最初は両側の側頭葉・前頭葉の広い領域で強い活動を示したが、同じ刺激が繰り返し提示されると両側の側頭葉の局在した領域だけが活動を続けていた(図1)。この局在した領域は聴覚野にあたると推測される。一方、新奇刺激の提示により両側の前頭葉背側部が有意な活動の増加を示した(図2)。馴化刺激の再提示による皮質活動に変化がみられなかったことから、前頭葉の賦活は新奇性の検出に関連していると考えられる。側頭葉は繰り返される聴覚刺激に対して常に活動するのに対し、前頭葉は情報の新奇性に対して特異的に活動する、という皮質領域間によって異なる活動パターンが見られたことから、それぞれの領域が聴覚の馴化・脱馴化において異なる機能的役割をしていることが示された。 〈研究2: 連合学習に関わる乳児の脳活動〉 乳児は生後3ヶ月ごろから、外界のイベント間の関係性を学習し、それに伴い予期的な反応を示すようになることが行動研究により報告されている。しかし、そのような関係性の学習やイベントの予期に関わる乳児期初期の神経メカニズムは明らかではなかった。そこで、キュー(ビープ音)が聴覚イベント(女性の音声)の到来を予告するとき、キューに対する脳活動が実験の進行に伴いどのように変化するのかを調べた。生後3ヶ月の乳児28名に2種類の短いビープ音(400Hz・700Hz、1.25秒)をランダムに提示し、一方のビープ音(CE)の後、3.75秒間の遅延期間をおいて絵本を朗読している女性の音声(4.5秒)を提示したが、もう一方のビープ音(CNE)の後は何も提示しなかった。また、対照群として同月齢の乳児28名には1種類のビープ音に続いて音声イベントの有無をランダムに生じさせることでイベントの到来を予測できない状況を設定し、そのときの脳活動も調べた。計測は静睡眠時の乳児の左右両半球の前頭部から側頭部にかけての領域の64部位における酸素化ヘモグロビン濃度変化をNIRSにより調べた。実験群の前期過程では、イベントを後に伴うキューに対して前頭領域が有意に賦活した(図3左上)。後期過程では、同様のキューに対し、前頭領域に加えて側頭頭頂領域で顕著な賦活がみられた(図3右上)。一方、対照群では、前期・後期過程ともにキューに対して有意な賦活はみられなかった。これらの結果から、生後3ヶ月の乳児は時間的に離れたイベント間の関係性を潜在的に学習し、予測可能なイベントに対して事前に脳活動を高めていることが示唆される。更に、前頭と側頭頭頂領域間で異なる時間展開の賦活パターンを示していたことから、これらの領域が連合学習やイベントの予測などにおいて異なる関与の仕方をしていることが示唆される。また、睡眠時に聴覚イベントの時間的連合を潜在的に学習していたという今回得られた知見により、乳児期初期の睡眠時における脳の機能的活動が成人のそれとは異なる可能性が考えられる。 〈まとめ〉 馴化と連合学習における乳児の脳の活動パターンは、前者が減少・限局されていくのに対し、後者は増加・拡大と相対するものであった。これは前者が繰り返しの情報に対する反応を低下させることで環境変化に適応する学習機構であるのに対し、後者は情報に新たな価値を付加することで環境変化を予期する学習機構であるからだと考えられる。これらの学習機構が発達初期から共存することにより、乳児は環境の複雑で動的な変化に応じて適切に脳活動を変化させることで環境の中から重要な情報を学習し、結果として様々な知覚・認知能力の発達につながると考えられる。 また、生後3ヶ月の乳児の学習に前頭葉を含む様々な領域が関与しており、また各領域が異なる機能的特異性を示していることが明らかになった。これは、従来の階層的な脳機能発達観を覆すものであり、発達初期から様々な領域が相互作用することで脳の機能的組織化が進展することを示唆している。 図1:馴化一脱馴化における皮質活動パターンの変化 図2 情報の新奇性に特異的に活動を示している前頭葉の領域 図3:イベントを予告するキューへの反応が増加している領域とその領域における酵素化ヘモグロビン濃度の変北 | |
審査要旨 | 人間が乳児期から様々な学習能力を有していることは、多くの行動研究によって明らかにされてきた。しかし、学習が発達期の脳においてどのようなメカニズムで生じるのかについての実証的な研究は極めて限られていた。本研究は、脳科学手法を用いて、この問題に新たな一歩をもたらすことを試みたものである。 第1章は、人間の認知発達に関する行動研究や脳の発達に関する解剖学研究等について幅広く言及しつつ、認知発達と大脳皮質の機能的発達との関連が、未解明であることを述べている。そして、馴化脱馴化と連合学習に焦点を当て、それらが乳児期初期から認められる基本的な学習であると考えられ、多くの先行研究がなされてきた一方で、それらの神経メカニズムについてはほとんどわかっていないことを指摘している。 第2章では、乳児の大脳皮質の機能的な活動を計測する手法として、本研究で主に用いられた近赤外分光法(NIRS)について述べられている。この手法を乳児へ適用する場合の利点と問題点、最近の計測手法の進展や、本研究で実際に計測された際の工夫等が記述されている。 第3章では、生後3ヶ月児の馴化脱馴化に関連した大脳皮質の活動を近赤外分光法により計測した結果が述べられている。静睡眠中に単一の音声刺激が繰り返し与えられると反応が低下し、新奇な音声刺激に対して、急速に反応を増加させるという馴化脱馴化に対応する活動の変化が、特に前頭葉で見られることを示している。そして、刺激の繰り返しや新奇性に関わらず反応し続ける側頭葉聴覚野との機能的な差異を明らかにしている 第4章では、生後3ヶ月児の連合学習に関連した大脳皮質の活動を近赤外分光法により計測した研究の結果が述べられている。静睡眠時に、手がかり音刺激の後に音声刺激を一定の遅延期間後に与えることを繰り返すと、前頭葉や頭頂側頭領域では、手がかり音によって事前に活動の増加が生じるようになることを示している。つまり、乳児が時間的に離れた刺激間の関係を学習し、予期的な行動の生成につながる脳活動を潜在的に生成していることを明らかにしている。 第5章では、馴化脱馴化および連合学習の研究に共通して、前頭連合野、感覚連合野、一次感覚野等の領域に応じて異なる機能的活動の変化が見られた事実に基づき、生後の早い段階から大脳皮質の広い領域を含むネットワークが学習に関与している可能性を主張している。さらに、大脳皮質の機能的な階層性が発達する仕組み、注意機構の発達、睡眠時における学習の性質等について考察を加えている。 本論文は、乳児期初期において、外界の恒常性と新奇性の検出や、外界で起きる事象間の関係性の学習等に、前頭葉をふくむ大脳皮質の広い領域が関わっている事を、新しい脳機能イメージング手法を用いて初めて実証的に示した点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。 | |
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