学位論文要旨



No 124330
著者(漢字) 中澤,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,シュンスケ
標題(和) 政党内閣期の警察と秩序維持 1918-1932
標題(洋)
報告番号 124330
報告番号 甲24330
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第228号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 谷口,将紀
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 准教授 五百旗頭,薫
 東京大学 教授 川出,良枝
 東京大学 教授 中谷,和弘
内容要旨 要旨を表示する

本稿の目的は、近代日本の政党内閣期(1918-1932)を対象として、秩序維持上の課題をめぐる省庁の政策対立と政党の政権抗争を分析し、内務省警察と秩序維持政策の実態を明らかにすることである。

本稿が注目する第一の課題は、社会主義思想を主とする思想問題であり、内務省、司法省、政友会、憲政会の政策志向、対外関係、社会の動向に着目して治安立法の制定・適用・改正過程を再検討する。また、思想の媒介手段となる出版物の取締を重視する。第二の課題は、政治的民主化に伴う警察機構の問題であり、特に政党と警察の関係に関して、内務省・司法省と各政党の対応を検討する。考察に際しては政権交代を秩序維持政策の転換点として捉え、対外関係および民主主義的風潮が警察と秩序維持政策に及ぼす作用を考慮する。

本稿の構成は、概ね政党内閣の交代を区分として全6章から成る。各章の第一節は思想問題、第二節は警察機構について検討し、第一章序章は原敬内閣期に思想問題が争点化される過程を説明して全体の導入に代える。

第一章は政友会を与党とする原敬・高橋是清内閣を対象とした。大逆事件の後、ロシア革命と米騒動を契機として思想問題が再発見されると、原内閣は宗教と教育による思想の善導を志向し、野党憲政会は選挙権拡大や社会政策を対策に挙げた。

その後、社会主義勢力の組織化に伴い、司法省は思想宣伝の取締を目的とした治安立法を起草したが、内務省は先んじて政友会の提案にもとづき、言論の自由を保護する出版法改正を検討していた。第45議会で過激社会運動取締法案が廃案になると、内務省は既存の法制による取締を志向し、憲政会との政策的親和性を強めた。

また原内閣までに、普通選挙や社会政策を肯定する学士官僚が警察の要職を占めた。政友会内閣は彼等を重用して政友会系の拡大を図ったが、普通選挙制度や治安警察法改正には反対している。また、当該期には警察と社会との協調による秩序維持が志向され、自治体に警察権を移管する構想も議論された。

そして、警察と競合関係にあった検察は犯罪捜査の主導権を握ろうとしていたものの、自身も「人権蹂躪」を批判された。こうした中、司法部は検事直属司法警察官の設置を検討し、1922年の刑事訴訟法改正で法的根拠を得るに至る。

第二章は加藤友三郎・山本権兵衛・清浦奎吾を首班とする中間内閣期(非政党内閣)を対象とした。当該期は各種社会運動が活発化したものの、内務省は治安立法の制定を見送り、通牒によって適宜対応した。反面、警保局は共産主義勢力を警戒してヨッフェの来日の阻止を図り、警視庁は第一次日本共産党を検挙している。また、司法省は引続き治安立法を志向し、関東大震災に際して緊急勅令で治安維持令を成立させた。もっとも、司法省は同令を過渡的立法と見なし、政友会と憲政会も態度を異にすれ、同様の認識を有していた。その後、司法省は虎ノ門事件を契機として無政府主義勢力を警戒し、清浦内閣で治安維持法の起草に着手している。

政友会を実質的与党とする加藤内閣は政友会系官僚を任用し、「警察の民衆化」「民衆の警察化」を継承した。しかし、第二次山本内閣では震災時の自警団の暴行によって「自衛団」組織化の気運は後退し、後藤新平内相は政友会系知事の大量休職を行っている。清浦内閣は護憲三派と対立しつつ、解散総選挙の公正な施行を目指し、内務省も積極的な選挙干渉を避けた。他方、法相の鈴木喜三郎は選挙対策に関与し、検事直属司法警察官の設置を主張した。政策統合主体を欠く中間内閣では、秩序維持上の課題をめぐって内務・司法両省の対立が顕在化したといえる。

第三章は憲政会(当初は護憲三派)を与党とする加藤高明・第一次若槻礼次郎内閣を対象とした。加藤内閣期には、内務省は国内外の共産主義勢力を警戒して治安維持法の制定を志向した。司法省は同法に「宣伝」取締の余地を求めたが、加藤は日ソ国交樹立による宣伝行為の禁止を想定し、内務省・法制局の主張もあって法案は「結社」取締法として確立した。目的罪は包括的な文言が採用され、「政体変革」には「代議政治」を擁護する性格が付されたが、与党は政党の活動が制約されることを嫌って「政体変革」を削除している。内務・司法両省の対立と与党の反対を抑えたのは若槻内相と小川平吉法相であり、政党内閣の成立は日ソ国交樹立と並んで治安維持法制定の必要条件といえた。

治安維持法成立後、共産主義勢力を警戒する内務省と学術・研究団体を警戒する司法省は京都学連事件で一致に至り、同法を適用した。また、憲政会内閣では出版法改正の気運が高まったが、内務省は「宣伝」取締を出版法規で賄う意向であり、与党とは相容れなかった。他方、内務省は社会運動や無産政党への共産主義勢力の浸透を懸念しつつ、治安警察法第17条を廃止している。

続く第一次若槻内閣では、朴烈事件を契機として思想問題が政党間の政治争点に利用されたが、思想問題に絡む政府攻撃はいまだ政権瓦解の決定的要因たり得なかった。

また、加藤内閣では若槻内相が非憲政会系の更迭を実施するとともに、省内の行財政整理を推進し、警察内部でも職員を削減して実務重視と能率増進が志向された。続く若槻内閣では、内務省は郡役所に替わる地方行政の拠点として警察署を位置づけ、警察分署を廃止したが、長野県では反対運動が暴動に発展し、戦前の政党政治の課題を露呈した。なお、憲政会内閣では都市部の支持層を反映して、特別市制の文脈で自治体警察構想が議論されている。

第四章は政友会を与党とする田中義一内閣を対象とした。田中内閣では司法官僚が内務省の要職に就任し、左翼勢力を厳重に取り締まった。鈴木喜三郎内相と山岡萬之助警保局長は、治安維持法が対象外とする「宣伝」取締を補完すべく、出版法改正を審議する警保委員会を設置している。だが、同委員会は政・官・学の有識者が集い、言論・出版・報道の自由を議論する場となった。

また、内務省警察は日本共産党の動向を内偵し、同党が活動を公然化するや一斉検挙に踏み切った。しかし、「結社」取締法としての治安維持法が限界を露呈したため、原嘉道法相は枢密院の支持を得て、死刑と目的遂行罪を導入する法改正を実現した。「宣伝」取締の強化は皮肉にも司法省の主導によって達成されたといえる。

田中内閣発足直後、内務省首脳は解散総選挙に備えて憲政会系官僚を更迭し、政友会系官僚を復職させている。これにより省内の人事は停滞し、官僚の「政党化」が確立した。もっとも、地方官や府県会を掌握する従来型の選挙対策は奏功せず、初の普通選挙となる1928年2月の総選挙は政友会の辛勝に終った。

警察の政治利用が問題視される中、司法省は司法権の独立を旗印として「党弊」の是正を図り、原法相は裁判所と検事局の分離を志向した。司法省は検事直属司法警察官を盛り込んだ検察庁法案を起草したが、内務省は警察権移管に反対し、枢密院も官制大権を問題視したために成立しなかった。

第五章は民政党を与党とする浜口雄幸・第二次若槻内閣を対象とした。浜口内閣が文教、社会政策、選挙権拡張など種々の思想対策を講じる中、内務省は合法的社会運動と非合法の共産主義勢力を区別し、学生・青年に寛大な措置を図った。司法省も思想犯の取扱を緩和し、法規を逸脱した取調を戒めている。だが、共産主義勢力が社会運動に浸透する過程で取締の線引きは困難となった。司法省は目的遂行罪の適用を限定するよう通牒したが、大審院判決によって治安維持法第1条を拡大適用する論理が形成された。

そして、民政党内閣ではロンドン条約問題を契機として右翼・軍部のテロ・クーデタが頻発した。警察は青年将校と民間右翼の内偵を強化したものの、対策は不充分であった。

民政党内閣期の内務省は、緊縮財政にもとづいて「警務の合理化」を提唱し、警察署の廃合、特高課の廃止、自治体への警察権移管を含む整理案を検討した。また、大都市制度調査会での自治体警察構想の議論を経て、国家に留保すべき警察事務が選別された。

警察と政党の関係では、浜口内閣は「綱紀粛正」を掲げる一方で大規模な地方官人事を実施し、1930年2月の総選挙でも警察の政治利用は依然存在した。こうした中、内閣は選挙革正審議会を設置し、検事直属司法警察官の設置と事務官の身分保障を検討している。もっとも、政党内閣の「党弊」是正の試みは、政党政治終焉後の課題として持ち越された。

第六章では政友会を与党とする犬養毅内閣を対象とした。桜田門事件で退陣の危機に瀕した同内閣は、思想問題を喫緊の課題とする。第一に、警察は共産党系外郭団体を随時検挙し、検察は起訴猶予・起訴留保を活用して後の転向政策の下地を築いた。第二に、上海に拠点を置く朝鮮人の独立運動団体を警戒し、特高警察の拡充・強化を図った。しかし、軍部・右翼に関しては情報の共有が遅れ、テロを防げなかった。

犬養内閣では慣例どおり内務官僚の大量更迭が行われ、1932年2月の総選挙では政友会が未曾有の勝利を収めた。だが、警察内部では政治的中立の志向が広まり、総選挙後に内相に就任した鈴木喜三郎も人事の公正化に努めている。

本稿の考察から、政党内閣期には秩序維持上の課題が政党政治と密接に関係し、社会情勢と並んで政権交代が秩序維持政策と警察組織の転換を促したことが明らかとなった。しかし、五・一五事件後に成立した斎藤実内閣が軍部対策と「党弊」是正を課題としたことは、政党内閣が秩序維持政策の担当能力と正統性を失い、警察が政党の庇護を離れて軍部と対峙する必要を生じたことを意味した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、原敬内閣から中間内閣期をはさんで五・一五事件に至る広義の政党内閣期における警察をめぐる政策面・機構面での競合と統合を、思想問題を中心に論じたものである。従来の警察研究は社会に対する垂直的な抑圧の相を強調する傾向が強かったが、本論文は警察の機能を「秩序維持」としてより中立的にとらえた上で、中央・地方の一次資料を博捜し、政府内・政党間の政策的差異に着目した本格的な政治史分析を試みている。

特に本論文が注目する差異は、内務省と司法省との間のそれである。

元来両省は、警察機構の掌握をめぐって潜在的な競合関係にあった。犯罪捜査における指揮権は地方官と検事がともに行使しており、人事権は両省が協議するはずのところ事実上内務省が行使していた。本論文はこの競合関係が、政党内閣下の内務省の政党化とそれに対する司法省の批判をきっかけに顕在化したととらえる。競合の次元は多岐にわたるが、特に検事直属司法警察官の設置要求に見られる司法省の政治的挑戦を系統的に明らかにした点が興味深い(各章「第二節 警察機構」)。

さらに本論文は両省の対立は政策志向の差異としてもあらわれたとして、思想取締について内務省の方がより抑制的であったことを明らかにしていく。これを明らかにするために両省の政策論や思想取締法規の草案のみならず、判例や学説、そして地方における両省による取締の実態を詳細に検討している。反対に、思想問題にかかわる諸事件への取締を通じて、両省の政策判断が影響を受けるという因果関係も析出しようとしている(各章「第一節 思想問題」)。

そして政党政治との関連では、憲政会・民政党は内務省への、政友会は司法省への親和性を強く持ったことを強調し、政権交代のダイナミズムを思想取締・警察機構の変遷の中に見出そうとしている。

以下、章を追って内容を概観する。

「第一章 政友会内閣期の警察と秩序維持」は原敬・高橋是清政友会内閣期を扱っている。

序節では、1917年のロシア革命と翌年の米騒動を契機に思想問題が主要な政策争点の一つとなったことを確認している。その対応策として宗教政策・教育政策・社会政策等さまざまな手段による「思想善導」が構想されたが十分に展開されず、思想を直接取締る方法・程度が広義の政党内閣期における重要な争点となることを予告している。

この争点において、本論文は内務省の相対的な開明性を強調する。上層部を占めつつあった学士官僚は第一次世界大戦後のデモクラシー的風潮への感受性が強く、警察の民衆化を(民衆の警察化という側面も伴いつつ)促進した。しかしこのことは、政党内閣期における内務省の安泰を意味するものではなかった。内務省による政党内閣の受容は何よりも与党に有利な選挙取締への圧力として現れ、その党派性が批判されたためである。

その結果、内務省にとって最大の政治的脅威となったのは司法省であった。司法省は公正さを目指した自己改革を標榜することで内務省と差異化しつつ、原との良好な関係にも助けられてしたたかに権限を拡大する。特に1922年の刑事訴訟法改正において検事直属の司法警察官を設置し得るという規定をかち取ったことは、内務省との競合の伏線となる。

思想問題においても両省の政策志向の違いは明らかであった。内務省が立案した出版法の改正は出版の保護を主たる目的としたものであり、司法省の反対により実現しなかった。

司法省が提案した過激社会運動取締法案については、内務省は宣伝への取締を強化することを認めるものの、犯罪の要件に不法性を含めさせた。第45議会においても両省の答弁に齟齬が目立ち、結局廃案となる。

「第二章 中間内閣期の警察と秩序維持」は中間内閣期を題材に、両省の対立・差異を確認している。

内務省の護憲三派に対する選挙取締は概ね抑制されたものであったという。これに対して司法省は護憲三派への取締に積極的であり、検事直属司法警察官の設置を急いで清浦内閣の延命を図るなど、内務省以上の党派性を露呈した。

また、思想取締においても内務省が既存法制の運用による取締りに終始したのに対し、一方司法省は、関東大震災を契機に治安維持令(緊急勅令、後に議会で承認)という形で治安立法を実現し、清浦内閣期には治安維持法の起草に着手した。

本章は司法省の突出した自己主張の背景として中間内閣における政策統合力の不足を指摘し、次章以降で政党内閣による政党統合を検討する布石としている。

「第三章 憲政会内閣期の警察と秩序維持」では政党内閣期のはじまりにあたる加藤高明・第一次若槻礼次郎内閣期を扱っている。

内務省は強い行財政整理圧力に直面し、長野県では警察署統廃合に反対する暴動が起きた。とはいえ内務省は与党憲政会との良好な関係を享受した。前後の時代のような司法省からの政治的挑戦を受けず、自らの政策志向を追求し得たというのが本章の理解であろう。

現に、治安維持法の制定過程においては、内務省は不法性を要件とすることは最終的に断念したものの、処罰の対象となる目的事項を限定し、宣伝を取締の対象から外すことに概ね成功した。このような政策志向は、第三インターナショナルへの取締が日ソ間の条約によっては保証されないことが予想された後も維持された。著者は、治安維持法の立案が、先行研究の指摘するように男子普通選挙の導入と日ソ国交樹立交渉の進展を背景とすることは認めつつも、これらとは一応独立した思想問題をめぐる政策の競合・統合として描く。前章までの分析を踏まえれば、このような叙述は成り立つであろう。

このような両省の政策的差異は、憲政会が内務省と、政友会が司法省と親和的な政策志向を示すことで深刻な政府内対立となった。それでも治安維持法が成案を得、かつ議会を通過した背景として、護憲三派内閣下の多数与党による政治統合があったという。

治安維持法制定後、内務省は共産主義に関係するとみなした団体には同法を運用した取締を行うが、それ以外の社会運動については抑制的であり、司法省を押し切る形で治安警察法第一七条(罷業の誘惑・扇動を処罰)の廃止を実現している。

「第四章 田中内閣期の警察と秩序維持」では田中義一内閣期を扱っている。この時期、与党政友会との深い関係を反映して、司法部出身者が内務省の中枢を占めている(鈴木喜三郎内相・山岡萬之助警保局長・南波杢三郎警保局保安課長)。前章までの両省の政策的差異を前提に、省横断的な政治決定過程が開示されている。

最初の普選である1928年第一六回総選挙で内務省は、司法部出身幹部の指導により強力な選挙干渉を行い、党派的であるとの批判を一層招いた。皮肉にも内務省への批判の高まりは司法省の優位を助長し、検事直属司法警察官の設置に対して野党民政党も含め政府内外で支持が広がる。しかし、政友会の後押しの下で中小都市を中心に広がった知事公選・自治体警察構想と連動したことが内務省の承認を得ることを難しくし、最終的には手続き面での枢密院の反対により挫折した。

司法省のイニシアティブは思想問題の領域、特に治安維持法がカバーしない宣伝取締について本格的に展開された。

まず、鈴木・山岡等は内務省内で警保委員会を設置し、出版法改正を審議させた。もっとも、審議は当初の思惑通りには進まなかった。議事の詳細な検討を通じて、司法省の政策志向には、内務省の裁量的な行政処分と比べて、司法裁判による手続きの厳密化という一種のリーガリズムが含まれていたことが開示される。山岡を含め出版の保護の必要性が広く共有されていたこともあり、答申はむしろ保護拡大を基調とするものとなり、内閣の後押しを得られないまま棚上げとなった。結局、枢密院首脳の協力を得た原嘉道法相が、司法省・内務省・与野党内の反対を押し切って治安維持法を改正することで、宣伝を目的遂行罪として処罰対象に含めるのに成功した。

「第五章 民政党内閣期の警察と秩序維持」は浜口雄幸・第二次若槻内閣期を扱う。

すなわち、民政党内閣が政党政治への高まる批判に対処する中で、従来の民政党-内務省の親近性を踏み越えるような試みを示したものの、十分な成果を挙げられなかったことを明らかにしている。内閣は行財政整理を強く求め、内務省も予算の大幅な圧縮を断行したが、ほどなく限界に直面した。また、選挙腐敗への批判を受けて設置された選挙革正審議会では検事直属司法警察官の設置や事務官の身分保障によって選挙取締の公平を期すことが合意された。しかし浜口内閣の退陣などにより実現に至らなかった。

政党内閣の行き詰まりは思想問題においても看取される。浜口内閣は取締の穏健化・適正化を目指したが、田中内閣期の取締を契機とする共産党の地下活動化によって、それまで宣伝取締に向けて整備が進んで来た思想政策はいわば空振りを余儀なくされた。検挙の日常化や、改正治安維持法中の結社加入罪の強引かつ広範な適用といった対症療法が取られ、司法部における法の解釈・適用の粗雑化を招いた。

そして最大の脅威は、1930年のロンドン海軍軍縮条約問題をきっかけに存在感を強めた国家主義運動であった。右翼への取締については調査面でも機構面でも準備が不足しており、特に軍人への取締は軍部・憲兵との軋轢もあり困難を極めた。

「第六章 犬養内閣期の警察と秩序維持」は短い章であるが、前章で示した政党内閣の危機が解決されなかったことを確認している。党派性の弊害については、党派的な人事が続く一方で、現場レベルでは政権交代時の後難を恐れて選挙取締がむしろ萎縮する面があり、内務省の政党化は飽和点に達していた。国家主義運動の脅威についても、特に軍人への取締に有効な活路を見出せないまま、五・一五事件に遭遇した。秩序維持能力の欠如を理由として政友会は後継内閣の組織を認められず、政党内閣期の終焉に至った。

本論文への評価は以下の通りである。

本論文は長期間にわたる政策決定過程を、一次資料を基に再現している。また、様々な思想関係の事件や選挙取締の実態を、地方レベルの一次資料をも可能な限り踏まえつつ論じている。その調査力は驚異的であり、随所に興味深い知見が散りばめられている。

その結果、第一に、政党内閣期における政権交代による政策の変遷がダイナミックに描かれた。しかもこの政策の変遷を与党の政策志向から直接導き出すのではなく、選挙取締りや検事直属司法警察官設置問題、あるいは本要旨では直接言及できなかったが地方への警察機能移管問題など、多様な争点をめぐる内務省と司法省の力関係を測定した上で、思想取締をめぐる競合の帰結を説明している。

第二に、思想問題に対処する様々な方法-選挙権拡張や社会政策を含む狭義の「思想善導」政策から、結社取締・宣伝取締のための行政的・司法的・立法的な手法まで-が持つ政治史的な含意への認識が深まった。

こうして得られた知見によって、警察をめぐる政治史研究の新しい地平が切り拓かれたことは明らかであり、その実証性と総合性において、本論文を凌駕する研究は長く現れないであろう。

これに対し、本論文の第一の欠点は、構成・表現が十分に必ずしも十分に練り上げられていないことである。特に各章第二節は、多様な論点を平板に並べた印象が強い。各章第一節でも内務省の記述は、思想を取締ったが、しかし抑制的に取締った、という両面性の指摘に終始しており、折角収集した素材の興味深さを活かし切れていない。

第二に、比較の観点を深める余地がある。本論文は外国の事例を重視しようとしているが、政策形成における外国調査の内容を丁寧に紹介するにとどまっている。著者の視点から内在的な比較をおこなっていれば、政策過程がより立体的に把握され、欠点の第一も是正されたであろう。

第三に、政党に関する知見の深化が望まれる。本論文は内務省と憲政会・民政党、司法省と政友会との間に人的・政策的親近性があったことを強調するが、両党の政策志向の原因や強固さについて具体的な説明があれば、より説得的な叙述となったであろう。

とはいえ、第一の欠点は、抑圧の側面をもっぱら重視した従来の警察研究を乗り越えるためには避けがたいという面がある。また、第二・第三の点は欠点というよりはむしろ今後の課題として追求すべきものであって、いずれも、本論文の価値を大きく損なうものではない。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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