学位論文要旨



No 124331
著者(漢字) 赤司,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) アカシ,ケンタロウ
標題(和) パネルデータの計量分析 : 理論と応用
標題(洋) Econometric Analyses of Panel Data : Theory and Application
報告番号 124331
報告番号 甲24331
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第253号
研究科 経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國友,直人
 東京大学 教授 久保川,達也
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 矢島,美寛
 東京大学 准教授 大森,裕浩
内容要旨 要旨を表示する

学位論文の第一部では、構造的パネルモデルの推定と検定の問題を検討した。第二部は中小企業の個票データを用いたメインバンク関係を検証するための実証結果をまとめている。

第一章では第一部で分析されるパネルモデルのこれまでの研究を概観している。第二章及び第三章は、構造的動学パネルモデルへの制限情報最尤法(LIML)に拠る推定方法、第四章でこの推定法に基づくt検定の問題を考察した。第五章は構造的パネルロジットモデルの推定問題を考え、ロジスティック誤差分布の仮定に対する考察を与えた。以上が第一部を構成する。

第六章では、本邦のいわゆる金融危機と呼ばれた時期に、企業間信用が銀行借り入れを代替し得たかという問題をパネル分析により検証した。第七章では、不良債権比率などの銀行の健全性を示す指標と、非上場中小企業の倒産リスクとの関係性を実証した結果をまとめている。以上が第二部であり、第八章で結論的注意点を述べた。

以下でははじめに動学的パネルモデルの推定と検定問題に対する研究について要約し、続いてパネルロジットモデルの推定問題について述べる。

動学的パネルとは個別効果とラグ付内生変数を含む計量モデルであり、近年において理論研究が盛んに行われている。推定問題に関してはその動学性から右辺の変数が誤差項と相関し、既存のパネル推定量では推定に偏りが生ずる。よって過去のラグ付内生変数を操作変数とする推定法が古くから考えられてきた。続いて、ある期間t以前のラグ付内生変数を操作変数としてすべて用いる動学的GMM推定量(一般化積率法)が提案され、実証分野においても広く認知されるようになった。ただし、有限標本下で動学的GMM推定量は経験的に偏りが大きいことも知られていた。さらに近年ではロングパネルと呼ばれるパネルの期間Tが比較的大きい状況も考えられるようになった。こうした中でAlvarezとArellanoは2003年の研究において、個体数Nと期間Tをどちらも大きくした漸近論により動学的GMM推定量の漸近的偏りを導出した。この研究と前後して、期間Tが大きくなり得ることも踏まえて、パネル推定量の再検討が理論分析されるようになったと云える。学位論文では構造的動学パネルに対するLIML法の適用を考えた。構造的とは、ある期間tに同時に決定される内生変数をふくむ構造方程式の推定問題を考えていることを意味している。また、LIML法とはAndersonとRubinにより1949年に提唱された同時方程式を推定するための手法である。これまでの動学的パネルモデルの研究の流れは、比較的簡単な誘導形のモデルを対象としており、またGMM法が主に考えられてきているが、構造的動学パネルモデルに関してはLIML法を漸近的性質を分析すると幾つかの優れた点を有していることが解る。誘導形のモデルであれば個別効果を除くための適切なフィルター(前向きフィルター)を用いれば同時性を実質的に弱めることができ動学的GMM法の一致性は保たれるが、構造的モデルではそれは失われる。一方でLIML法の一致性を有する、こうした関係はLIML法と二段階最小自乗法(TSLS)との比較の上で用いられてきたLarge-K漸近論と呼ばれる理論の枠内では古くより知られており、現在では弱い多くの操作変数問題と関連して研究がなされている。この理論によると、操作変数の数が総標本数に比して無視できない大きさであると一般にTSLS法は一致性を失い、動学パネルモデルの問題ではこれと似た状況が発生していると考えられる。ただし、標準的な同時方程式問題と構造的動学パネルでの問題の相違として、後者では誘導形を与えても右辺の変数は誤差項と個別効果を通じて相関しており、したがって個別効果を除くフィルターを考慮しなければならないとうい点が挙げられる。また、構造的動学パネルモデルでは、操作変数からも個別効果を除くためのフィルター(後ろ向きフィルター)を用いることで、操作変数列の増大を抑えつつ推定の効率性を損なわない手法が考えられた。

第二章ではまず最も簡単な構造的動学パネルにおいてLIML法の漸近特性をGMM法等と比較しつつ導出した。LIML推定量の漸近分散はT/Nの極限に依存するLarge-K漸近論に基づく形で求まるが、漸近的偏りが前向きフィルーターの影響で生ずる。第三章では、多次元および自己ラグ数の多い一般的な誘導形の下での推定問題に際して、LIML法による接近法を提案している。加えて、後ろ向きフィルターを過剰識別モデルに適用した結果を示し、前向きフィルターによる偏りを補正した推定量のクラスでのLIML法の効率性を考察した。LIML推定量は個体数Nや期間Tのオーダーに関する条件を受けず一致性を有し、特に後ろ向きフィルーターを用いたLIML推定量では漸近的偏りを生じないことが解る。一方、動学的GMM推定量はT/Nがゼロに収束しても、説明変数の数Kに依存する漸近的偏りを生じる可能性がある。さらにLIML法は個体数Nを固定と見なしても漸近論が成り立ち、Large-K理論に還元されることにより極限分布の近似が改善されるものと考えられる。したがって、LIML法は様々な個体数Nと期間数Tおよび説明変数Kの組みからなる構造的動学パネルの推定問題に対しても適用できる頑強性を有していると考えられる。

第四章では、応用上も重要であるt検定のための漸近分散の一致推定量を考察した。構造的動学パネルの推定問題おいてLIML法は、ある種Large-K理論に還元されることは上述したが、この理論の下では極限分布の一次近似が改善される一方で、漸近分散が一般的には高次の積率に依存して複雑になる可能性がある。漸近分散の構成要素毎に一致推定することも考えられるが、この場合誘導形の母数や観察できない変数に依存する要素が出てくる可能性がある。そこで、簡単な形により漸近分散の一致推定量が、後ろ向きフィルターを用いたLIML法に基づき構成できることを示した。この手法ではまず漸近的偏りの補正は不要であり、漸近分散の複雑な要素を暗に推定する形をとりつつ推定段階で用いた統計量により推定量が構成されている。有限標本の性質を調べると、自己回帰係数が大きい場合のデータであっても、構成要素毎に一致推定する手法より帰無分布の近似に関して良好な結果を得た。提案した手法は、構造的動学パネルに対するLIML法の実用性に寄与するものであると考えられる。

第五章では連続的な値をとる内生変数を含む、2値質的変量モデルのパネルモデルへの拡張を考えた。こうしたモデルはデータの線形変換では個別効果を除けないため、個別効果に対する十分統計量で条件付けた最尤法を適用することが考えられた。パネルロジットモデルはこうした手法が適用できることはよく知られているが、逆に誤差分布はロジスティク分布でなければならないことを示した。続いて、横断面データにおける同様のモデルに対する効率的GMM推定量の議論を踏まえて、条件付き最尤法とGMM推定量の効率性を比較し、GMM推定量の効率性が優れていることを示した。

次に、第二部である第六章と第七章のパネル応用分析の結果を要約して述べる。

第六章では本邦のいわゆる金融危機と呼ばれた時期に、中小企業の企業間信用が銀行借り入れを代替し得たかという問題に対しての実証結果をまとめ、不完備パネルにおける標準的な推定方法の説明を行っている。そうした時期においても企業間信用が短期銀行借り入れを代替するという仮説を検証するというときに、第一に本邦ではメインバク制がより確立されており、第二に非上場企業は上場企業に比べてメインバンクへの依存がより大きいという側面から、そうした仮説検証をより判別し易いと考えられた。また、資本金1億円以上の中小企業の財務諸表と取引関係を網羅するデータベースを用いること、並びに取引銀行と主要取引先のデータを紐付けすることで、企業間信用をより直接的に回帰分析することできると考えられた。主要な実証結果から、メインバンクが健全であれば企業間信用は代替的役割を果たすが、メインバンクや主要取引先のメインバンクの健全性が悪化すると、銀行貸し出しと企業間信用ともに縮小するということが検証された。

第七章では、金融危機下での非上場中小企業の倒産リスクとメインバンクの健全性との関係性を分析している。この期間特に非上場の倒産件数は増大し続け、一方で銀行は不良債権の処理問題に直面していた。2項および3項プロビットモデルを用い、2項モデルでは、各期企業が倒産あるいは存続しているという状態に分類し、3項モデルでは、倒産を清算型倒産と再生型倒産に分類している。また、企業の倒産事象は稀であるために、そうした状況でプロビット分析を行う際の予測手法に関する考察を与えた。主要な実証結果として、不良債権比率といった銀行の健全性指標の悪化は、企業倒産リスクを高める要因の一つであることが明らかとなった。同時に取引銀行数の多寡もそうした悪影響の増減に関係しており、取引行数が少なくより緊密なメインバンク依存関係ある場合に影響を受け易かったという結果を得た。

以上

審査要旨 要旨を表示する

論文の内容

この論文では計量経済学分野においてかなりの関心が持たれているミクロ計量経済学におけるパネル・データ問題、特にパネル計量モデルの統計的推測問題及び日本の金融市場分析への応用上で生じる諸問題を扱っている。

計量経済学分野ではパネル・データの利用とパネル計量モデルに関する統計的推測問題の研究に1980 年代ごろから広く関心が持たれるようになった。特に近年では応用経済学におけるミクロ計量経済分析の興隆とともに、国際的規模において統計理論的研究や応用研究が非常に盛んである。本論文はそうした近年の研究動向の中で、新たに重要な一石を投じる研究、と位置づけることができよう。近年では、例えば労働経済学などをはじめとして多くの応用経済学の研究では、大規模なクロスセクション・データの解析やパネル・データの解析など計量経済的分析が重要な位置を占めるようになっている。こうした応用経済学において行われている近年での実証研究では、しばしば個票データが用いられ、データ数(観測数) はかなり大きいことが一般的である。多くの観測数とともに、かなりの数の説明変数、操作変数(instrumental variables) が利用可能であることも少なくない。また欧米ではすでに主要なパネル・データの利用期間もかなり長くなり、多くのデータ(観測数) や多くの操作変数が利用可能な状況におけるパネル・データの扱いやパネル計量モデルの統計的推測問題が重要な研究課題となってきている。これら計量経済学における新しい研究課題に解答を与えることが本研究の主要な目的である。

まず第一章では、近年の計量経済学におけるパネル・データ分析をめぐる新しい研究動向について、幾つかの著名な研究を引用しつつ解説している。そして本学位論文の全体について、その研究結果の概要を説明している。

第二章ではまず最も簡単な構造的動学パネルを考察し、制限情報最尤(LIML)法の漸近特性をGMM 法などと比較している。LIML 推定量の漸近分散は標本比((時系列データ期間)/(個票データ数) で定める)の極限に依存する多操作変数(large-K) 漸近理論により評価でき、漸近的偏りが前向きフィルーターの影響で生ずることが示されている。次に第三章では、一般的なパネル計量モデルの推定問題としてLIML 法の利用を提案している。前向きフィルターによる偏りを補正した推定量のクラスにおけるLIML 法の効率性を考察し、LIML 推定量は個体数Nや期間T のオーダーに関する条件を受けず一致性を有し、特に後ろ向きフィルーターを用いたLIML 推定量では漸近的偏りを生じないことを示している。他方、動学的一般化積率(GMM) 推定量は標本比がゼロに収束しても、説明変数の数Kに依存する漸近的偏りが生じることを議論している。さらにLIML 法は個体数Nを固定と見なしても漸近論が成り立つので、様々な個体数N と期間数T、および説明変数Kの組みからなる構造的動学パネルの推定問題に対して頑強性を有することを示している。

第四章では、応用上も重要であるt 検定のための漸近分散の一致推定法を考察している。漸近分散の各要素毎に一致推定量を構成しようとすると、誘導型の母数や観察できない変数に依存してしまう。そこで、より簡単な形により漸近分散の一致推定量を後ろ向きフィルターを用いたLIML 法に基づき構成できること、を示している。この方法は自己回帰係数が大きい場合のデータであっても帰無分布の近似に関して良好な結果が得られるので、構造的動学パネルに対するLIML法の実用性に寄与すると考えられる。

第五章では連続的な値をとる内生変数を含む、2 値質的変量モデルのパネル計量モデルへの拡張を考察している。この種のモデルではデータの線形変換では個別効果を除けないため、個別効果に対する十分統計量による条件付最尤法を適用することが考えられている。パネル・ロジット・計量モデルはこうした手法が適用できることが知られているが、逆に誤差分布はロジスティク分布でなければならないことを示している。さらに条件付き最尤法とGMM推定量の効率性を比較し、GMM推定量がある種の効率性を持つことを示している。

次に、第二部として第六章と第七章のパネル・データを用いた実証分析の結果をまとめている。第六章では本邦のいわゆる金融危機と呼ばれた時期に、中小企業の企業間信用が銀行借り入れを代替し得たかという問題について不完備パネル・データを用いたの実証結果をまとめている。この時期には企業間信用が短期銀行借り入れを代替するという仮説を検証するとき、第一に本邦ではメインバク制がより確立されており、第二に非上場企業は上場企業に比べてメインバンクへの依存がより大きいので、仮説検証が行いやすいと考えられる。主要な実証結果としては、メインバンクが健全であれば企業間信用は代替的役割を果たすが、メインバンクや主要取引先のメインバンクの健全性が悪化すると、銀行貸し出しと企業間信用ともに縮小した、ということが挙げられる。さらに第七章では、金融危機下での非上場中小企業の倒産リスクとメインバンクの健全性との関係性を分析している。2 項および3 項プロビット計量モデルを用い、2 項モデルでは各期企業が倒産あるいは存続している状態に分類し、3 項モデルでは、倒産を清算型倒産と再生型倒産に分類して実証分析を行っている。主要な実証結果としては、不良債権比率といった銀行の健全性指標の悪化は、企業倒産リスクを高める要因の一つであること、を明らかにしている。

講評

本論文はこれまで赤司氏が博士課程に在学中に一貫して追求している計量経済学におけるパネル計量分析について、統計的推測問題に関する理論的研究および日本の金融市場をめぐる実証分析の結果をまとめたものである。特に近年の計量経済分析で利用されているパネル計量モデルの推定法としてGMM法にとどまらずLIML 法などの統計的推定方法の性質をも精密に検討し、推定方法と検定方法についてかなりの新しい結果を導いている。こうした計量経済学の統計的方法に関する理論的研究は、近年での応用経済学における実際的な計量経済的分析と深く結びついており、応用上でも大きな意味のある独自の貢献がかなりあると評価できる。この論文で扱われている様々な問題は近年の計量経済学分野においてそれぞれ重要な課題であり、そうした問題について注目すべき結果を導いたことは赤司氏の力量を示すものとなっている。

第二に、本論文では高度な数理統計学的方法を利用していることが特長である。各章で示された理論的分析の水準は新たな漸近理論を展開しているなど、国際的研究水準に比しても先進的水準になっていることが指摘できる。また、理論分析に平行して行われている計算機を利用したモンテカルロ実験や数値計算も高度な水準であり、数理統計的な意味ばかりではなく、付随する計算機の利用能力やプログラミング能力など赤司氏の研究水準の高さを示している。

第三の論点として、近年のミクロ応用経済学の分析では、本論文の各章において議論されている統計的方法、例えばパネルモデルの推定法や一般化積率法(GMM)などが標準的手法として実証分析において広汎に用いられていることを指摘しておく。本論文の結果は幾つかの重要な面について、計量経済学の標準的教科書で説明されている標準的パネル・モデル推定法やGMM 推定法に関する常識的議論について再考を迫るものがある。特に、推定や検定に関する本論文の理論的結果はその結果とともに応用上に意義深いので、今後にかなり研究方向にもインパクトがあると判断される。

第四には、実際のパネルデータを利用して日本の金融危機における倒産事象の分析を行っていることにも意義がある。本論文で報告されている実証結果については、日本の金融市場に関する有益な知見を得ている、と判断できる。

次に個々の章で論じられている内容については審査委員からは次のようなコメントや論点が提起されたことを報告しておく。第一のコメントとしては、本論文での前半の議論は統計学的・理論的なオリジナルな考察と評価できるが、後半に議論している金融リスク事象の実証的分析には未だ十分に統合されているとは言えない、ことである。今後は更に前半の理論的考察を踏まえた実証分析の拡張が望まれる。

第二のコメントとして、後半の実証分析は日本の金融市場の評価に置いては極めて重要な知見を述べているが、そうした実証結果がデータを扱っているパネル計量分析の方法にどの程度まで依存しないのか、頑健であるのか否か更に検討を加えるべき、ということが挙げられる。

第三には、本論文の五章で議論している内容は統計モデルとしてなお幾つかの問題を内包しているとのコメントがあった。既にここで議論されている計量モデルを実際の経済分析に応用している例もあるとのことだが、今後、前例にとらわれず、より基本的問題も視野に入れて検討すべきであろう。また、赤司氏が指摘しているように、実際のパネル計量経済分析に置いては不完備パネル(unbalanced panel) が一般的である。さらに構造方程式が非線形であったり、あるいは多くの操作変数を持つ時系列に対するパネル構造方程式の統計的推測問題をさらに検討すべき、との指摘もあった。

こうした幾つかのコメントはパネル計量経済学においては理論面、応用面において重要課題であるので、本論文で報告した結果をさらに拡張することが望ましいと思われる。ここでコメントとして指摘されたいくつかの大きな問題について、赤司氏による今後の研究の発展が期待される。

論文審査の結論

以上の講評では赤司氏の提出論文に対する全体的な好意的評価とともに、学位論文として提出された論文を超え、各審査委員が気がついた将来の課題についての重要な論点を指摘した。もちろん、本論文の全体的な内容そのものはオリジナルな内容が多く含まれているだけにとどまらず、既にかなりの完成度があり、本研究科が要求する論文博士の基準を十分に満たしていると考えられる。したがって、この審査委員会は、本論文により博士(経済学)の学位を授与するにふさわしいと全員一致で判断した。

2009 年2 月1 日審査

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