学位論文要旨



No 124337
著者(漢字) 布田,功治
著者(英字)
著者(カナ) フダ,コウジ
標題(和) タイ金融システムとアジア通貨危機 : 国際短期資金移動・信用秩序維持・アジア域内金融協力
標題(洋)
報告番号 124337
報告番号 甲24337
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第259号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 教授 荒巻,健二
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 高橋,昭雄
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
内容要旨 要旨を表示する

1997年7月2日のタイの変動相場制移行に端を発し、アジア通貨危機が勃発すると、奇跡の発展と称されたアジア新興諸国が不況に陥るとともに、危機はアジアを超えてロシア、ブラジルまで伝染する国際的危機の様相を呈した。

このアジア通貨危機の発生原因をめぐっては、内因説と外因説の対立を軸として、論争や研究対象も多岐に渡っているが、内因説・外因説論争は未だ完全な決着をみていない。本稿の第一の目的は、この内因説・外因説論争に終止符を打つ筆者なりの解釈を提示することにある。その際、従来の内因説・外因説論争において、先行研究の多くが、自らの主張する政策対応の正当性を証明するための結論ありきの原因分析に陥り、危機の原因そのものの分析とはなっていないことに着目する。

それゆえ、本稿では、政策対応の適否を離れて、危機の原因そのものを分析することを試みた。そして、危機の原因そのものを分析するためには、まずは各国の金融システムの実態を詳細に把握する必要があるとみなした。その際、アジア通貨危機の主要な特徴は通貨危機の伝染にあるとはいえ、そもそも危機の出発点となったタイ通貨危機が深刻なものとして発現しなければ、その伝染が生じなかった可能性があることを考慮した。こうして、本稿では、タイ金融システムの実態解明を重要課題としてとりあげた。

タイ金融システムの実態解明によって、通貨危機の原因を解明するために、本稿では、タイ金融システムの実態解明にあたって、タイにおける国際短期資金移動(第一章)と信用秩序維持政策(第二章、第三章)の実態解明を主要論点としてとりあげる。そして、それらの実態解明を通じて得た教訓としては、通貨危機対策として、もはや途上国一国レベルでの金融システム安定化政策には大きな限界があり、地域レベルでの金融安定化政策が必要不可欠であるということだった。そこで、将来の通貨危機を予防したり、その被害を緩和したりするために、地域レベルでの金融安定化政策をどのように展開すべきかについて、有益な教訓を得ることを目的として、実際に行われているアジア域内金融協力(第四章)をとりあげる。

本研究は、序章、本論として四つの章、終章から構成される。

序章では、上述したようなアジア通貨危機に関する先行研究の問題点を指摘した上で、研究をさらに進展させるための新たな論点を提示する。

第一章では、国際短期資金移動の実態に焦点を当てながら、アジア通貨危機の根源的原因を明らかにする。第一章の主要な分析結果は以下のとおりである。第1に、海外短期資金流入における主要な資金調達・運用経路を比較検討することで、不動産バブルの主要因は、非居住者バーツ建て預金を経由した海外投資家の投機的行動や地場商業銀行との系列関係を背景とするFCの投機的行動であったことを解明した。第2に、急激かつ莫大な海外短期資金流入が、バブルをもたらす一方で重化学工業化を確実に進展させたこと、ならびに、国内金融市場の急激な変化をもたらしたことを示し、中央銀行が海外資金流入や金融機関の貸出行動に関して迅速かつ厳しい引締め政策を行い難かった理由を明らかにした。以上のような経緯を辿った結果、バブルが崩壊した場合には金融機関が膨大な不良債権を抱えるとともに、海外短期資金が急激かつ莫大に海外流出することで流動性危機となる金融構造に陥ってしまったことこそが、通貨危機の根源的原因であったという主張を提示した。第3に、通貨危機が深刻なものとして現れた主要原因のひとつは、中央銀行内部で意思疎通が低下していたので、バブル崩壊後に国際金融市場の情勢を踏まえた外国為替レート政策が実施されなかつたためであったことを明らかにした。

第二章では、信用秩序維持政策全体の特質を明らかにすることを目的とした。第二章の主要な分析結果は以下のとおりである。タイ信用秩序維持政策全般における全体的な特質は、以下の三点にまとめられる。第一に、1985年の金融三法改正によって、中銀は地場商銀のみならずノンバンクであるFCに対しても実質的な監督・規制者と位置づけられ、主たるアクターとして信用秩序維持政策を実施した。第二に、中銀は資産・支店規模において圧倒的ではなく、政策遂行のためには地場商銀からの協力が必要だったので、地場商銀に配慮する信用秩序維持政策を展開した。第三に、バブル崩壊前には成長通貨としての海外資金導入や地域金融センター化のため、一方、バブル崩壊後には海外短期資金流出の防止のためという違いがあるにせよ、中銀は海外投資家からの信認確保を目的とする信用秩序維持政策を一貫して展開した。これら三つの特質と経済・金融情勢の急激な変化とがあいまって、中銀による信用秩序維持政策が意図せざる結果をもたらしたのだった。

第三章では、信用秩序維持政策のうち、とりわけ最後の貸し手の特質を明らかにすることを目的とした。第三章の主要な分析結果は、以下の通りである。FIDFの流動性供与には、保護の対象が広く支払可能か否かに関わらず莫大に流動性を供与した点で、グッドハート流の最後の貸し手とも言える特徴があった。一方、FIDFの資金調達には、「危機時の管理者」として資金を調達した点に、特徴があった。

FIDFの流動性供与がグッドハート流の最後の貸し手になったのは、第一に、FIDFの組織目的として借り手企業の保護も含まれていたこと、第二に、FC破綻がタイ金融に与える被害は潜在的に大きかったこと、第三に、海外資金流出入の影響を鑑みてFCの債権者である海外投資家に配慮したことの三つの要因だった。

そして、FIDFが危機時に債券現先取引によって資金を調達しようとした原因は、そもそもFIDFには信用創造の機能がなかったこと、そして中銀が信用創造につながるFIDF債引受けを認めなかったことにある。一方、FIDFが資金を効果的に調達し得た理由は、資金の貸し手側にとって債券現先取引自体が安全な取引だったことに加えて、その取引を促進したりその取引仕法を確立したりするような様々な政策が実施されていたからだった。こうしてFIDFは、FCや中小銀行から大銀行や国際銀行支店へ流出した資金を債券現先取引で調達し、無担保貸出を通じて再びFCや中小銀行へ回帰させる循環メカニズムを構築した。

以上のようにFIDFが直接的に最後の貸し手を担ったのは、短期金融市場の市場メカニズムが機能不全になったからだった。短期金融市場では、主要な貸し手として大銀行や国際銀行支店が存在していたが、それらの融資枠の上限は小さく固定的だった。それゆえ、バブル崩壊後に海外短期資金の大幅な流入減少や流出が生じると、信用割当が発生し、短期金融市場は機能不全に陥ったのだった。

第四章では、アジア域内金融協力のうち、とりわけアジア債券市場育成政策に焦点を当て、地域レベルでの金融協力を展開する上での有益な示唆を得ることを目的とした。第四章の主要な分析結果は、以下のとおりである。ABM育成政策の初期段階において政策担当者は、第一義的な目的であるダブル・ミスマッチの抑制とABMの開発を両立させるような理想主義的な方法をとらず、事前的な通貨のミスマッチ対策を後回しにした。こうすることで、ABMの開発をより促進し、逆に最終的には第一義的な目的を達成できるようになる現実主義的な方法を選択した。この意味で初期段階のABM育成政策を、「ABM開発ありき」という政策理念に沿った現実主義的アプローチだったと特徴づけることができよう。

そして、現実主義的アプローチに基づく債券市場育成政策を選択する場合には、第一義的な目的を後回しにしたことによる弊害を生じさせないため、アジア域内金融協力におけるCMIのように、地域レベルでの国際的な最後の貸し手を前もって整備し、「事後的」な通貨のミスマッチ対策を一定程度完了させておくことが必要であると言えよう。

終章では、各章の分析結果を整理するとともに、本稿で確立した政策そのもののメカニズムを論じる分析アプローチの必要性について、主張する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1997年7月にタイで発生し、その後「伝染病」のごとく近隣諸国に広がっていったアジア通貨危機について、その根本的な発生原因と金融不安が深刻な通貨危機、さらには金融危機へと発展していったプロセスを、理論的かつ実証的に検証したものである。また、当時のタイの金融システムと中央銀行の政策を丁寧に検討し、かりに中央銀行の政策が「合理的」であったと判断される場合でも、国内外の環境の激変によって、その政策効果には限界があることを示す。とりわけ、経済成長や重化学工業化を進めようとする新興工業国では(なかでも経済的な小国の場合)、通貨危機を完全に回避することは困難であり、通貨危機が発生する蓋然性を低め、それでも発生した通貨危機の被害を抑制するためには、地域レベルでの金融協力が不可欠であることを主張する。

アジア通貨危機に関する研究をみると、その原因を国際短期資金の動きに求める外因説、アジア諸国の金融制度の未発達や後進性に求める内因説など、研究者の問題関心も研究対象も多岐にわたっている。そして、これらの研究からは健全性規制論、国際的な最後の貸し手論、直接金融育成論など、さまざまな政策提案が生まれた。しかし、布田氏はこうした議論には、自分たちの政策を正当化するために、アジア通貨危機の特定の側面や原因を強調するという弊害があると批判する。そこで氏は、従来の研究の限界を克服するために、通貨危機の出発点となったタイを事例として取り上げ、同国における重化学工業化、金融システムの実態、中央銀行の対応の3つに焦点をあてる。本論文は、中央銀行資料や政府報告書などを読み込み、当時の金融政策の推移を丹念にたどると同時に、通貨・金融危機に関わる主要な論点を金融論の立場から整理して、将来の通貨危機の防止、もしくはその被害の緩和の方策を展望した意欲的な論文であると評価できる。

そこで本審査報告では、最初に本論文の特徴と既存の研究に対する新たな貢献を述べ、次いで本論文の構成と内容の紹介を行い、最後に問題点や残された課題について指摘しておきたい。

本論文の特徴と利点は、次の5点に整理することができる。

第一は、タイの通貨危機の発生メカニズムを、既存の研究のように国際短期資金の流入と流出から説き起こすのではなく、国際短期資金の流入を必要とした国内の貯蓄・投資ギャップの拡大、そしてその背後にある重化学工業化の始動から検討している点である。そして、通貨危機に至るプロセスを、重化学工業化の開始、発展、危機の醸成、危機の顕在化という4局面に分けて検討し、この過程で大量に流入した国際短期資金が経済のバブル化を引き起こしていった事実を明らかにしていく。資金の動きと実物経済の動きをリンクさせた点は、本論文のひとつの大きな特徴であると同時に貢献でもある。

第二は、国際短期資金の動きを検討するにあたって、資金の借り手を大企業、BIBF銀行、地場商業銀行、非居住者バーツ建て預金に区分し、ドル建て資金のバーツへの転化(通貨のミスマッチ)と、短期資金の借り換えによる長期運用(満期のミスマッチ)という、いわゆる「ダブル・ミスマッチ」の実態を明らかにした点である。この問題は、これまで断片的に指摘されてきたものの、ダブル・ミスマッチが生じるメカニズムをタイに即して具体的に示した点は、本論文の大きな貢献である。

第三は、中央銀行の3つの役割(政策目的)、すなわち、(1)通貨と物価の安定、(2)成長通貨の供給、(3)信用秩序の維持という3つの異なる役割を総合的にとらえ、経済成長期の新興工業国において、この3つの政策目的を同時に達成することが難しいこと、さらに、国内外の環境の変化によって、3つの役割の間で齟齬が生じるというジレンマを示した点である。そして、中央銀行が、当時としては「合理的」と判断される信用秩序維持政策をとりながら、結局、金融不安を防止できず、むしろ金融不安を助長してしまったプロセスを、説得的に描いている。

第四は、通貨危機の原因となった国際短期資金の流入、とりわけ上記の「通貨と満期のダブル・ミスマッチ」の問題について、もはや1国レベルでの通貨・金融政策では対応できず、地域レベルでの金融協力が不可欠であることを示した点である。その具体的な試みとして、通貨危機後に日本やアジア諸国が取り組んだ二国間通貨スワップ協定の締結や、アジア債券市場(ABM)育成構想を紹介する。とくにABM構想の形成プロセスを詳細に検討した点は、本論文の功績である。

第五は、以上の第一から第四までの問題を分析するために、各章の冒頭で理論的な問題をまず整理し、その上でデータにもとづく実証を進めている点である。とくに、従来十分利用されてきたとは言いがたい、タイ中央銀行の年次経済報告書、バンコク銀行の月報、ヌグン委員会報告書(通貨危機に関する政府諮問委員会の公式報告書)などを丹念に読み込み、現地で聞き取り調査を実施し、あるいは各種委員会や研究会の議事録を検討することで、有益な情報を多数提供している。

以上の5つの特徴と貢献から、審査委員会は、布田功治氏が十分に高い研究能力を示しており、博士号(経済学)を授与するのにふさわしいという結論に達した。

以下、各章の紹介に移る。

序章は、本論文の問題関心、課題の設定、論文の構成、利用した資料に関する説明にあてられる。アジア通貨危機に関する議論は多岐にわたるが、布田氏はいずれの議論も、自らが主張する政策対応の正当性を証明するための、「結論ありきの原因分析」にとどまっていると批判する。そのため、この限界を克服するために、(1)通貨危機の出発点となったタイを事例として具体的な分析を行うこと、(2)通貨危機に至るプロセスを、重化学工業化と関連させて、発展への離陸、発展の継続、危機の醸成、危機の顕在化という4つの局面に区分して分析すること、(3)国内的要因と国際的要因の連関を射程におさめ、とくに金融不安が生じた後の国内における経済主体の対応(企業、金融機関、中央銀行)に注目すること、の3つを課題として設定する。そのうえで、本論文の4つの章で取り上げるテーマと議論の筋道を明示している。

第1章は、タイでなぜ通貨・金融危機が生じたのかの理論的かつ実証的な分析であり、本論文全体の議論のための基礎的な部分を構成する。布田氏はまず外因説が強調する国際短期資金の大量流入について、その原因となった重化学工業化の開始から議論を説き起こす必要性を指摘する。1985年のプラザ合意後の直接投資ブームを契機に、タイ政府は本格的な重化学工業化に着手するが、この過程で国内では投資・貯蓄ギャップが拡大した。この重化学工業化には、外国企業だけではなく、国内の財閥系企業も積極的に参加したため、外国からの直接投資だけでは投資資金をまかなえず、国内企業は海外からの借入が必要となる。一方、国際銀行はこの時期、先進国向け貸出から新興工業国向け貸出に融資先を転化し、同時にリスク管理の側面から貸出期間の短期化を図っていった。そして、こうした国内外の情勢をにらみながら、タイ政府と中央銀行は、海外資金の積極的な取り込みを目的に、金融の自由化、国際銀行の誘致、オフショア市場(BIBF)の開設、非居住者バーツ建て預金の優遇といった政策を、次々と展開していった。

本章の大きな貢献は、以上の流れの中で、タイの大企業、BIBF銀行、地場商業銀行、非居住者バーツ建て預金が、それぞれどのようなチャネルでドル建て資金を取り入れ、運用していったかを明らかにした点にある(とくに図1-3)。そして、重化学工業化を継続するために、外貨建ての短期資金に投資資金を依存し、さらに導入した資金を生産目的だけではなく不動産などに運用した結果、バブル経済が発生し、そのことが金融不安(危機の醸成)を引き起こしたと結論づける。また、成長通貨の供給を重視する中央銀行は、為替の切り下げが国内企業に与えるインパクトを懸念して、実質的なドルリンク制の維持につとめ、このことが通貨不安の原因となった。加えて、当時の中央銀行内部では、国際情勢を分析する研究調査部と、為替介入を実際に行う銀行事業部が組織的に分断されており、的確な情勢判断にもとづく為替政策を実施することが困難であった。こうした中央銀行の組織上の問題もあって、タイの通貨不安は沈静せず、むしろ通貨危機へ発展したと指摘する。実物経済の資金需要、海外資金の導入を支えた国内の金融システム、中央銀行の政策を、上記の4つの局面に区分しつつ分析した点に、本章の特色があるといえよう。

第2章は、重化学工業化を進める発展局面のなかで、タイの中央銀行がどのように信用秩序維持政策を実施し、金融不安の防止につとめたのかを分析する。従来、中央銀行の金融政策については、通貨と物価の安定という役割に焦点をあてる研究が多く、また、経済成長を後押しする財務省の財政政策と対比させる形で、中央銀行の「独立性」の有無を検証する研究が主流であった。しかし布田氏は、タイの中央銀行が通貨と物価の安定だけではなく、成長通貨の供給についても重要な役割を果たし、同時に従来の研究ではほとんど省みられなかった(もしくは通貨危機後、「失敗」と評価された)信用秩序維持政策においても、積極的な対応を行った事実に注目する。

具体的には、発展への離陸が始まった1985年の「金融三法」(商業銀行法、金融会社法、中央銀行法)の改正が中央銀行の監督権限を強化したこと、次いで、地方支店網の許認可などの手段を通じて地場商業銀行の健全化を誘導したこと、国内の金融機関の競争力強化のために、ノンバンクである金融会社(FC)を育成強化する優遇措置をとったことなどを指摘する。そして、経済がバブル化したあとは、中央銀行が信用秩序維持のためにさまざまな政策に積極的に取り組んだことを、中央銀行資料などを活用して克明に描き出す。

ところが、バブル経済の深化に伴い、FCや地場銀行の経営の不健全性が明らかになった段階で、中央銀行は経営者の更迭など直接的な手段に訴えることを避けた。というのも、海外資金の継続的流入(成長通貨の供給)を重視する中央銀行は、外国投資家のタイ金融機関に対する信認を維持することを優先したからであった。このことがタイの金融不安を助長し、通貨不安を招くという「意図せざる結果」を招くことになる。先に述べた成長通貨の供給、信用秩序の維持、通貨の安定という3つの政策が、相互補完的に機能するのではなく、逆に政策の効果を減殺し、あるいは無効にする関係に転じたのである。

布田氏は、金融不安が発生するまでの中央銀行の政策には一定の「合理性」があったと主張する。にもかかわらず、中央銀行の政策が「意図せざる結果」をもたらしたのは、経済成長を追求するために複数の政策目的を前提にしていたこと、そして、国際短期資金への依存という「ダブル・ミスマッチ」が、1国内での金融政策の効果に限界をもたらしたことを強調する。本章の分析は、本論文の中でも布田氏のオリジナリティがもっとも強く現れている部分であり、分析もあざやかである。同時に、第4章の国際金融協力が必要とされる理由を示唆する構成にもなっている。

第3章は、金融不安が発生したあと、なぜそれが金融危機に発展したのかを、「最後の貸し手論」を援用して分析する。布田氏はまず「最後の貸し手論」の既存研究を整理したあと、中央銀行とそれとは独立して設置された金融機関開発基金(FIDF)の役割について、詳細に分析する。とくに注目すべき点は、金融機関が流動性不足に陥った場合、公的機関が短期金融市場を経由して流動性を供給する仕組みを、タイについて初めて明らかにした点であろう。

具体的には、バブル経済崩壊期に、FIDFが債券現先取引を通じて、金融会社(FC)や中小銀行から大銀行や国際銀行支店に流出した資金を回収し、これを再び無担保融資の形でFCなどに還流させるという循環メカニズムを明らかにした。ただし、こうした流動性の供与は、「危機時の管理者」としての役割を果たしていたものの、中央銀行の実質的な管理下にあるFIDFが、国内の借り手企業の保護と海外投資家への配慮を優先したこと、そして何より、タイの短期金融市場の規模が小さく、最後の貸し手としての機能を果たすには不完全なマーケットであったことが明らかにされる。

第4章は、以上の分析を前提に、1国レベルでは防止できない通貨危機への対応として、1997年以降開始されたアジア地域での国際金融協力の動きを紹介する。もともとタイの通貨危機で顕在化した問題は、新興工業国が、海外資金を取り入れながら経済成長を追求する場合、不可避的に「通貨と満期のミスマッチ」という困難な問題に直面せざるをえないという点であった。これを克服するためには、通貨危機後のタイで実施されたような金融制度改革(間接金融から直接金融への移行)やコーポレート・ガバナンスの強化などがある。また、域内通貨スワップ協定の締結や共同モニタリング制度の導入もある。ただし、通貨危機を防止するためには、「ダブル・ミスマッチ」そのものを解消する方策、すなわち、アジア共通通貨の導入と域内債券市場の共同開発という方策が重要となる。本章はこうした方策が、日本を含むアジア諸国のなかでどのように構想され、どのように実施されていったのかを、各種委員会や研究会の議事録などを利用しながら丹念に追跡しており、とくにアジア債券市場(ABM)構想の進展については、初めて詳しく紹介した。

布田氏は、タイで通貨危機が発生した直後に、アジア諸国が「ダブル・ミスマッチ」の問題をすでに重視していた事実に注目し、同時に当事者たちが直ちにこの問題に対処せず、通貨スワップ協定(チェンマイ・イニシアチブ)、アジア債券基金構想、域内ソブリン債市場構想、円建て韓国CBOの発行へと、段階的かつ現実主義的に対応していったプロセスを紹介する。そして、ビッグバン方式ではなく漸進主義的なアプローチを採ったことが、ABMという画期的な構想を現実的なプログラムに転化させることができた重要な要因であったとみなす。また、こうした「政策のシークエンス」を的確に設定することが、今後起こりえる通貨危機への対策としては有効なアプローチであることを提唱する。

以上4つの分析を終えた後、終章では改めて各章の議論を整理して相互の位置づけを確認し、最後に今後の課題を列記している。

本論文の特徴と利点はすでに最初のほうでまとめておいたので、以下では本論文の問題点と課題について3つほど指摘しておきたい。なお、以下で指摘する問題点は、本論文の末尾で布田氏自らが指摘している今後の課題とも重なっている。

第一の問題は、本論文が通貨危機を分析するにあたって、実物経済と金融システムとの間の連関を重視しながら、重化学工業化を担った既存や新興の財閥系企業グループの資金調達の内容を具体的には分析していない点である。本論文の分析では、こうした企業グループの投資資金は、もっぱら銀行を通じた海外借入、とりわけドル建ての海外資金に依存していたことを前提としている。確かにこの点は、通貨危機発生直後の企業別業種別の為替差損金額の一覧を見ても明らかであった。しかし半面、電気通信、鉄鋼、不動産開発などの分野では、1990年代前半の株式ブームもあって、間接金融ではなく直接金融で投資資金を調達する事例も少なくなかった。重化学工業化を支えた資金調達について、企業の側からの分析を加えれば、本論文はより厚みのある研究になったものと思われる。

第二の問題は、地場商業銀行と金融会社(FC)の資金運用に関する分析である。経済がバブル化したあと、とりわけFCの場合、海外から取り入れた資金が非生産部門(不動産など)に向い、これが金融不安を発生させたというのが、布田氏の重要な主張である。ところが、資金運用の紹介は商業銀行・FC全体の動きにとどまっており、不動産投資や株式投機を推進したFC、とくに商業銀行系列ではない独立系新興FCの具体的な融資の実態については、必ずしも明らかにされていない。もっとも、バブル経済期に急速に成長した大手の新興FC(ファイナンス・ワン社など)は、通貨危機発生後、すべての企業が事業閉鎖になっており、現時点でこれら企業の財務諸表を収集することは困難である。そうした困難を分かった上で、あえて著者に対しては、主要なFCの融資の実態を明らかにするために、現地での聞き取り調査も含めて、さらなる研究を期待したい。

第三は、第4章で紹介されているアジア債券市場(ABM)共同開発に関する問題である。この動きは布田氏が主張するように画期的な試みである。しかし、この動きはまだ緒についたばかりであり、現在進行中の枠組みである。「ダブル・ミスマッチ」を解消するためには、アジア債券市場の開発とアジア共通通貨の枠組み設定は不可避であるものの、過去の経験に照らしても、その実現には長い調整時間や試行錯誤が必要となる。成長過程にある新興工業国を多く抱えるアジア地域において、どのような条件のもとでこうした構想がより実りある現実のプログラムへと発展するのか、日本の提案、各種委員会や研究会の議論だけではなく、参加国の経済や金融の実態をも考慮にいれながら、具体的に検討する必要があると思われる。

なお、審査の過程で、タイを事例としながら現地語の資料を利用していないのは問題ではないかとの意見も出された。しかし、金融に関する重要な論文はほぼ英語で刊行されており、また、もっとも重要な資料である中央銀行資料、バンコク銀行月報、ヌグン報告書をフルに活用していることから、重大な欠陥ではないと判断した。

以上、いくつかの問題を指摘した。しかし、こうした問題は本論文の価値を損なうものでは決してない。金融論に関する確かな知識と論理的な思考に比較優位を示す布田氏が、よりいっそう実証レベルの高い研究を進めていくための今後の課題とみなすべきであろう。したがって、本審査委員会は全員一致で、本論文が博士号(経済学)を授与するのにふさわしいという結論に達した。

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