学位論文要旨



No 124341
著者(漢字) 石井,里枝
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,リエ
標題(和) 戦前日本の地方企業と資本市場 : 明治・大正期の関東地方
標題(洋)
報告番号 124341
報告番号 甲24341
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第263号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 准教授 中林,真幸
 東京大学 准教授 中村,尚史
内容要旨 要旨を表示する

本論文の主な課題は、1880年代の第一次企業勃興期から1920年代までの期間における、地方企業の分析を通じて、地方における企業発展と資本市場の関係を明らかにすることである。具体的には、時期的な連続性や地理的な共通性、資本市場との関わりといった点から、両毛鉄道(1887年~1897年)、利根発電(1909年~1921年)、群馬電力(1919年~1928年:ただし、1925年~1928年は東京電力)の三社を対象とし、その設立と展開の過程について、経営者の役割、企業統治および株主の行動に焦点を当てて分析する。

また、本論文では、上記の課題を達成するために、以下の分析視角を採用する。

まず第1の視角は、企業の設立と成長の過程で必要とされる経営資源、特に資金の供給のされ方に注目することである。これまでの地方産業化に関する研究は、地方企業の経営と企業金融について、もっぱら地方の役割に関心を集中してきた。それに対して本論文では、地方の役割と並んで中央の役割がどの程度であったのか、そして地方と中央はどのような関係にあったのかについても、視野を拡大する。具体的には、企業経営および資金供給の担い手に注目し、地方企業の設立・経営を牽引したのは、どのような人物であったのかについて検討を行う。また、彼らが企業の設立・成長のための資金をどのようにして調達したのかについて、人的ネットワークの概念にも注目しながら、実証的に明らかにする。

第2の視角は、企業システムの中でも、特に企業統治の問題に注目し、大株主主導の古典的な株主主権が行われていたとされる、戦前日本の企業システムの実態の解明を試みることである。通常、企業統治の主体としては、経営者、株主が想定されるが、本論文では地方に基盤を有する企業について検討を行っているため、経営者、株主を更に地元、非地元とに区別し、それぞれの主体の動きに注目し、分析を進める。

これら2つの視角に立って、1880年代から1920年代にかけての長期間をカバーする3つの対象の事例分析を行うことを通じて、地方企業の発展過程における企業金融と企業統治の各時期の特徴とその変化について明らかにする。

本論文の検討結果を要約すると、以下のようになる。

第1章は、両毛鉄道の設立過程について、その担い手である企業家や株主のつながり-人的ネットワーク-に注目し、両毛地方に比較的早期に鉄道布設が実現した背景や、中央の有力者が多く関与した理由、順調な資金調達を可能にした要因について分析を行ったものである。その結果、中央と地方との間の協力関係や、人的ネットワークを用いた企業家間の多面的な協力関係の存在について明らかにし、それこそが、失敗する事例の多かった第一次企業勃興期における地方企業の設立や資金調達を、容易にした要因であったということを明らかにした。

第2章は、前章に引き続き両毛鉄道を事例として、その経営史を概観するとともに、特に企業統治のあり方-明治中期・1890年代における企業システムのあり方-について重点的に検討したものである。その結果、両毛鉄道においては、大株主主導の経営が行われ、株主総会が効果的に機能し、株主間の激しい攻防の中で、役員交代や経営の重要事項についての取り決めが行われていたということが明らかにされた。このことは、古典的な株主主権に近い性格の企業システムが作用していたことを示している。

第3章は、利根発電を事例として、明治末期における近代企業の設立過程について明らかにするとともに、多額の資金調達を可能にした要因や、設立過程への地域社会や地方企業家の関わりのあり方についての検討を行ったものである。その結果、在京の企業家のみでは実現し得なかった地方企業の設立計画が、地方企業家の参加によって具体化し、地方議会や地域社会の協力も得て、実現したということが明らかとなった。すなわち、利根発電設立のケースにおいては、中央が地方に協力を求め、地方の参加により、設立が実現したのである。このことは、第三次企業勃興期における地方企業の設立においては、地方の主導性が高かったということを示している。

第4章は、前章に引き続き利根発電を事例として、1910年代の地方企業における企業経営と企業統治のあり方についての検討を行ったものである。その結果、株主の発言権が大きく、経営者も支配権行使の前提として一定の株式所有を行っていたという側面から見れば確かに利根発電においては大株主主導の企業システムが成り立っていたといえるが、株主の利害は一枚岩ではなく、それぞれに異なる立場・利益から発言し、行動していたことが明らかとなった。すなわち、古典的な株主主権に近い形の企業システムのあり方は、1910年代においては、その基本的性格は維持しながらも、変容、移行の過程にあったのである。

第5章は、第一次大戦ブーム期における投資家の投資行動のあり方について、利根発電主要株主の株式所有構造を主な対象とし、『全国株主要覧』との照合を通じて明らかにしたものである。その結果、会社関係者は、大戦ブーム期においても分散投資を進めるのではなく、あくまで自己の関連する企業へと投資を集中させていたことや、一般投資家の大戦ブーム期から戦後ブーム期にかけての投資先の分散化傾向、地方投資家の大戦ブーム期から戦後ブーム期にかけての、地元株への投資の集中傾向が明らかとなった。

第6章は、群馬電力と、その後早川電力との合併により成立した東京電力を事例として、第一次世界大戦後における地方電力企業の設立と経営のあり方や、地方企業家の関わりについて明らかにするともに、かつ中央大企業へ吸収・合併されていく過程について分析を行ったものである。その結果、群馬電力時代には、中央からの資金援助を得ながらも地方主導の経営が行われていたものの、東京電力時代になると、地方の力は後退していったことが明らかになった。また、サイレント・オーナーの増加を背景に、株主対策よりもむしろ雇用者対策に重点を置いた企業統治が行われていたことも明らかになった。

以上のような各章における検討結果を、分析視角にそってまとめると、以下のようになる。

第1に、地方企業の設立と成長を支えた資金調達についていうと、地方資本市場の役割は、長期にわたって持続していた。産業化に対して地方が主導的な役割を担った時期は、先行研究の多くが想定してきたような、第一次企業勃興期(1880年代から1890年代)に限定されるものではなく、少なくとも本論文が対象とした1920年代までは、地方資本市場に企業発展を支えるダイナミズムが持続していた。それどころか、本論文の分析によると、地方の主導性は、第一次企業勃興期よりもむしろ、1900年代から1910年代にかけての時期のほうが大きく、その後1920年代に徐々に縮小していった。

このような動きは、資本市場の発展の仕方に対応しているといえる。すなわち、中央の資本市場は第一次企業勃興期に本格的に生成したが、その地方への波及には時間的遅れがあった。そのため、第一次企業勃興期において、地方企業のなかでも、とりわけ資本市場と密接に結びついていた鉄道企業では、中央の資産家ないしは中央の資本市場との接点を持つ限られた地方資産家が、地方企業の経営の主導権を握った。その後、第一次世界大戦ブームによる全国的な資本市場の拡大により、地方での資本市場の拡大が見られ、そこでは「地方→地方」という資金の流れによって、地方における企業発展が支えられた。そしてその後、1920年代における企業合同の動きの中で、一旦発展した地方資本市場は、中央へと吸収されていったのである。

このように、企業金融における地方の役割は長期にわたって持続したが、地方企業の設立・成長はそれだけによって支えられたわけではなかった。すなわち、本論文で対象とした三社は、いずれも地方だけでなく、中央からも資金供給を受けていた。言い換えれば、これら地方企業の基盤は地方で完結するものではなく、それらは中央と地方の協力関係のうえに設立され、成長したのである。この点については、地方企業をもっぱら地方に視野を限定して捉えてきたこれまでの研究に対して、新しい見方を提起するものであるといえよう。

第2に、このような企業金融の特徴は、企業統治にも影響を与えた。すなわち、中央の投資家が株主として地方企業に参加したことは、その企業統治に新しい要素を導入したのである。地方経営者-地方株主による、地方利害にそった企業経営は、中央株主の視点から見ればその利益を脅かすものであり、両者の間には緊張関係が生じることとなる。例えば、第4章において検討した利根発電の経営を巡る諸問題は、このような事態が現実のものとなったことを示している。なお、これらの諸問題は、中央株主の介入・牽制によって地方経営者-地方株主の利害が抑制されることで解決された。この点は、中央の資本市場から資金を調達したことによって、地方企業の性格が変化し、地方の利害のみに基づいて経営を行うことが困難になったことを示していると同時に、こうした中央からの介入・牽制ゆえに、効果的な企業経営が見られるようになったことを示している。そして、このような変化は、産業化初期における地方企業と資本市場の関係についての重要な一面を成すものであるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1880年代から1920年代の関東地方で設立された3つの企業のケース・スタディーを通じて、地方における企業発展と資本市場の関係を明らかにすることを意図したものである。構成は次の通りであり、このうち第1章、第2章、第3章は、それぞれ『渋沢研究』『鉄道史学』『東京大学経済学研究』に掲載されており、第4章は『経営史学』に掲載予定となっている。

序章 はじめに

第1章 第一次企業勃興期における地方企業の設立と人的ネットワーク-両毛鉄道を事例として-

第2章 明治中期における地方企業の経営と株主-両毛鉄道を事例として-

第3章 明治末期における近代企業の設立と地域社会-利根発電の設立過程を中心として-

第4章 大正期における地方企業の経営と企業統治-利根発電を中心として-

第5章 第一次世界大戦期における資産家の株式所有-「大戦ブーム」と投資行動-

第6章 大正後期における地域的電力企業の設立と展開-群馬電力から東京電灯へ-

終章 総括と今後の課題

序章では、先行研究を手がかりとして、近代日本の経済発展における地方の重要性を論じたうえで、地方の役割は先行研究と相違して19世紀にとどまるものでなく、より長期にわたって持続したという仮説を提示している。著者が注目する地方の役割は特に地方の投資家による資本市場への資金供給であり、地方投資家の資金が中央の投資家の資金と並んで地方企業の成長の原資となったことに関心が当てられる。そしてそこから、地方企業の企業統治における中央と地方の関係という視点が導かれている。

第1章では、1886年に群馬県で設立された両毛鉄道を対象とし、設立にあたっての資金調達がどのように行われたかを、中央と地方の人的ネットワークに焦点を当てて検討している。株主構成の情報を各種伝記、雑誌記事、新聞記事等と組み合わせて、同社の資金調達が、財界、取引所、政界など複数の、中央と地方に亘るネットワークに支えられていたと論じている。

第2章は、1892年に生じた両毛鉄道の日本鉄道への売却問題、1897年に実現した日本鉄道への合併を対象として、両毛鉄道の企業統治構造、特に企業統治における中央株主と地方株主の関係について検討している。基本的な対立は売却派の東京株主と独立派の群馬県株主の間に有り、その間にあって、鉄道路線の新潟県との接続の可能性がなくなったことによって、新潟県株主が前者から後者に立場を変えたことが、1892年から1897年に起こった一連の出来事の原因であったとされている。

第3章は、1909年に設立された利根発電を対象として、20世紀初めの地方企業設立における中央と地方の関係を検討したものである。同社はもともと上毛水電という名称で東京の企業家によって計画されたが、途中で群馬県の企業家、技術者等が計画に参加し、彼らの活動によって地方の資本市場から資金が調達されたことが明らかにされている。地方資本市場は、同社の設立にあたって欠くことができない役割を果たした。

第4章では、利根発電の企業統治における中央株主と地方株主の関係を検討している。利根発電は順調に成長し、成長資金を増資によって調達した。その過程で東京の投資家、根津嘉一郎が同社の筆頭株主となり、根津の参加は同社の企業統治構造に大きな影響を与えた。すなわち、根津は同社の地方大株主-経営者が計画したいくつかの案件に経営者の自己利益を追求する行動であるとして反対し、それを中止させた。このケースは地方企業が中央の資本市場から資金を調達する場合、地方利害に基づく経営が許されなくなることを示す興味深い事例である。

第5章は、利根発電の主要株主の株式ポートフォリオを『全国株主要覧』1917年版、1920年版で調べることを通じて、3-4章で見た地方株主の役割を資本市場全体の中に位置づけることを試みている。大戦ブーム期にあたるこの時期に中央の投資家がポートフォリオの分散を進めたのに対して、利根発電の地方株主は地元企業への集中的な投資を継続したことが明らかにされている。

第6章では、1919年に設立された群馬電力および1925年に同社が早川電力と合併して設立された東京電力を対象として、1920年代に企業統治構造における中央と地方の関係が変化したことを明らかにしている。すなわち、群馬電力の時代には資金調達と経営の両面で地方の企業家が主体的役割を担っていたが、東京電力時代になると東邦電力、安田保善社が多数の株式を所有し、経営面でも東邦電力系の役員が主導権を持つようになった。

終章では、以上の各章をふまえて、地方企業の資金調達と企業統治における中央と地方の関係およびその時期的変化が総括されている。

本論文が取り扱っている資本市場と企業統治、資本市場と地方企業というテーマには多くの先行研究がある。その中にあって、本論文は資本市場と企業統治における中央と地方の関係、特にその協力と対立という新しい視点を導入している。地方企業は地方からの資金のみで設立・成長が可能だったわけでなく、中央の資本市場からも資金が調達された。そしてそのことは、企業統治に中央と地方の対立という新しい要素を導入した。すなわち第4章に関連して先にも述べたように、中央の投資家の参加は、地方の利害に基づいた地方企業の経営を牽制する役割を果たした。この発見は、経済発展の初期における資本市場と企業統治の進化について新しい知見を加えるものである。また、両毛鉄道、利根発電などはすでに研究蓄積のある対象であるが、著者は自分の問題意識に即して新しい資料を発掘し、実証研究の点でも成果を挙げている。

もっとも、本論文にもいくつかの問題点が残されている。第一に、対象としたケースの位置づけに関する点が挙げられる。これまでの研究が、地方企業と地方の資金ネットワークのように地方に視野を限定して問題を論じていたのに対して、本論文では、その設立初期から中央の資金も動員されたと類型化できる「地方企業」が取り上げられている。この点が上述の企業統治における中央と地方の対立を明らかにする本論文の貢献につながっているが、こうした対象の特徴、およびその一般化の可能性と限界についてさらに検討されていれば、本論文の意義がより明確となったと思われる。第二に、対象の間で視点に相違がある。すなわち両毛鉄道の設立を扱った第1章では人的ネットワークがキーワードとなっているが、利根発電、群馬電力の分析にはこの視点が採用されていない。第三に、第1章の人的ネットワークの分析の大部分が推測に基づいており、実証的根拠が弱い。第四に、地方の投資家が中央の投資家と異なる行動様式を持っていたことが強調されているが、その理由についての考察が十分に行われていない。

とはいえ、上記のように本論文の貢献は大きく、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に寄与しうる能力を備えていることを十分に示している。したがって審査委員会は、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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