学位論文要旨



No 124342
著者(漢字) 安藤,浩一
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,コウイチ
標題(和) 金融面の諸条件が企業行動に及ぼす影響について
標題(洋)
報告番号 124342
報告番号 甲24342
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第264号
研究科 経済学研究科
専攻 金融システム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 柳川,範之
 東京大学 教授 新井,富雄
 東京大学 教授 加納,啓良
 東京大学 教授 植田,和男
 東京大学 教授 福田,慎一
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は,主に1990年代以降の個別企業データ・集計データや市場データを用いて,金融面の諸条件が企業行動に及ぼす影響についてファクトファインドを行うことと,それと関連する様々な理論仮説に対して示唆を与えることである。

本論文の主な分析は,データの特性を中心に論じた2つの章と,個別企業の財務データを用いたパネル分析により分析を行った3つの章からなっている。

第1章では,論文の問題意識を説明し,全体の概観を行う。第2章では集計データの時系列分析を行うことにより,流動性資産の保有と企業行動について,グレンジャーの因果関係を明らかにする。金融政策のショックについても分析対象に含めている。第3章では,企業の設備投資行動や財務にかかる意志決定の重要な説明変数と考えられるトービンのQについて,データの構築方法により生じる計測誤差が,分析の結論にどの程度影響するかを論じる。シンプルQの実用性についても考察を行う。

第4章では,個別企業の財務データと格付けデータに基づき,負債の格付けに応じて設備投資行動がどのような影響を受けるかを論じる。第5章では,流動性の保有状況に応じて,設備投資行動が受ける影響について論じる。設備投資関数におけるキャッシュフローの感応度についても議論する。第6章では,企業の流動性の保有動機について調べる。保有動機に影響する変数をチェックすることで,企業ガバナンスの変化や,金融政策の影響についても議論する。

本論文の各章の主な分析内容は,以下の通り。

第2章では,日本の製造業を対象とした時系列データを用いることにより,流動性資産への需要に影響を与える要因やあるいはその他の経済変数との関係を考察した。その推定結果によれば,まず売上高から流動性資産へのグレンジャーの因果性が観測され,さらに流動性資産から設備投資へ,また設備投資から売上高への因果性が観測された。この推定結果は流動性資産や金利の定義に依存することなく頑健であった。したがって売上高の変化が流動性資産の保有量に影響を与え,また資本市場の不完全性が設備投資や景気循環,金融政策の波及経路に影響を及ぼしている可能性があることが明らかになった。

第3章は,企業の収益性や成長性を表し,企業の設備投資行動の基準となるとされるトービンのQに関して,そのデータ構築方法の違いが計測結果にどのような差異をもたらすかを観察し,それらが推計結果に及ぼす影響について確認した上で,簡易な計算方法を利用する意義について考察した。主な結論は,(1)6種類の計算方法の比較では,大きく分けて,資産を有形固定資産に限定した計算の場合(資本ストックに対応するQ)と,その他の資産を含めた簡易な計算の場合(企業全体のQ)との間に,質的な差が見られる,しかしながら,(2)(1)のそれぞれのQを用いた設備投資関数の推計結果については,定性的な差は大きくない,(3)資産を有形固定資産に限定して計算したQは,理論的な厳密性はあるものの,データ制約に起因する計測誤差のためによい代理変数となってない可能性があり,簡易な計算方法によるQにも利用価値があるというものである。

第4章では,1990年代の設備投資の低迷が,債務負担の重さによるものであったかどうかを検証した。まず理論的に負債比率の高さが設備投資行動に与える影響について分析し,次いで設備投資関数を推計することによって債務負担の影響を見た。理論的な考察によれば,財務体質が不健全な企業では負債の重みが設備投資を抑制すると考えられるが,財務体質が健全であればその効果は小さくなり,資金調達に合わせて追加的な借り入れを行うことが出来るため,むしろレバレッジ効果により設備投資が刺激される可能性があると考えられる。上場企業のデータを分析した実証結果によると,負債比率の高さが設備投資を抑制する効果は,全体的には見られない。企業の格付けを財務体質の代理変数と考えて,サンプルをグルーピングした分析を行うと,財務体質のよくない企業については,負債比率の高さが設備投資を抑制する効果が見られるが,財務体質のよい企業については,むしろ設備投資を刺激する効果が確認できる。分析結果を踏まえると,1990年代の設備投資の全体的な低迷は債務負担の重さが主因であったとは言えない。ただし,企業ごとの設備投資への影響については,財務体質の健全さが低下するに従って,債務がレバレッジ効果によるプラス方向からデットオーバーハングによるマイナス方向の影響を与えていたと考えられる。

第5章では,上場企業の財務データを用いて,日本の企業金融行動の大きな変化を十分に考慮しながら,なぜ1990年代に設備投資が停滞したのかを実証的に分析した。主なファインディングとして,(1)設備投資関数においてキャッシュフロー感応度が有意に観察されるが,それが流動性制約の帰結とはかならずしもいえない,(2)一方,トービンのqの動向が設備投資の停滞を説明することができる,(3)流動性資産の保有が流動性ショックに対するバッファーの役割を果たしていたことを報告している。

第6章では,日本の上場企業の財務諸表から構築したパネルデータを用いて,1980年代から2000年代前半にかけて企業の現預金をはじめとした流動性資産の保有行動や,流動性資産に対する投資行動がどのように変わってきたのかを実証的に検証している。1990年代半ばまでは,製造業,非製造業ともに,銀行借入や企業間信用,あるいは土地担保などの資金調達手段は,流動性資産保有と強い代替関係にあった。しかし,1997年度,1998年度の金融危機を含む1990年代後半にはそうした代替関係が弱まった。金融緩和基調となった2000年代前半には,流動性資産保有のメリット自体が低下した。また,1980年代に関する推計結果では,メインバンク制度の資金制約ショック緩衝の役割が明らかにされている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、主に1990 年代以降の個別企業データ・集計データや市場データを用いて,金融面の構造が企業行動に及ぼす影響について分析を行っている。そこでは、資金制約の程度や流動性資産が,設備投資水準等にどのような影響を及ぼしたかを検討している。また、1990 年代におけるマクロ的な設備投資水準の低迷の要因等を分析し、2000 年代前半の企業金融を巡る構造変化や金融政策の影響等について検討している。本論文の構成は以下のとおりである。

第1章はじめに

第2章流動性資産と企業行動:時系列データによる分析

第3章トービンのQの構築方法について:代替的な方法間の比較

第4章 資金供給者間の利害対立が設備投資に与える影響について:負債による抑制効果の検証

第5章 What caused fixed investment to stagnate during the 1990s in Japan? : Evidence from panel data of listed companies

第6章 企業の流動性資産保有の決定要因について:上場企業の財務データを用いたパネル分析

各章の内容の要約・紹介

各章の内容を要約・紹介すると以下のようになる。

まず、第1章では、本論文全体の基本的問題意識や実証分析の手法、各章で議論するポイント等がまとめられている。

第2章では、日本の製造業を対象とした時系列データを用いて,流動性資産需要に影響を与える要因について、分析している。そこでは、売上高から流動性資産へのグレンジャーの因果性が観測されること、さらに流動性資産から設備投資へ,また設備投資から売上高への因果性が観測されたことが説明されている。

第3章では、データ構築方法の違いがトービンのQの計測結果にどのような影響をもたらすかを考察することで、トービンのQの推計方法についての現実的方法論について検討を行っている。そこでは、トービンのQの計測値は,資本ストックの再評価を行うか否か,土地を含めるか否かといった影響はかなり小さいことが確認されている。そして、企業全体のQと資本ストックに限定したQとの間には質的な違いがあるものの、設備投資関数の推計に用いる場合には,この両者のいずれを用いるかによる,定性的な違いは小さいことが示されている。さらに、定義式の資産の対象として企業全体を取る,簡易な計算方法によるQについては,理論的には問題があるものの実用的な指標としての利用価値があることなどが主張されている。

第4章では、負債比率が設備投資行動に与える影響について、理論的に再検討して、それを実証的に検証している。また、そこで得られた結果を用いて、企業の財務戦略のあり方や負債による資金調達の意義と問題点を整理している。まず、理論的検討によって、財務体質が不健全な企業の場合には、負債が設備投資を抑制する効果があるものの、財務体質が比較的健全であればその効果は小さくなるという結果を得ている。そこで、上場企業のデータを分析した実証結果をおこなってみると、負債比率の高さが設備投資を抑制する効果は,全体的には見られないという結果を得た。企業の格付けを財務体質の代理変数と考えて,サンプルをグループ分けした分析を行うと,理論が予測したとおり、財務体質のよくない企業については,負債比率の高さが設備投資を抑制する効果が見られるが,財務体質のよい企業については,そうした効果は見られないことが確認された。

第5章では、個別企業レベルの財務データを用いて、90年代の設備投資低迷の実証的検証を行っている論文である。ここでの主な問題意識は、設備投資低迷の基本的な要因はどこにあったのか、収益性や成長性の低下によるものなのか、それとも資金面での制約が大きかったのかを探ることであり、また、流動性資産の保有が設備投資や企業金融にどのような影響を与えているのか探ることにあった。ここで得られた主な結果としては、設備投資関数においてキャッシュフロー感応度が有意に正となることが観察される。しかし、サブグループに分けて考えてみると、流動性制約にあまり直面していないと考えられるグループのほうが、強いキャッシュフロー感応度が推計されるという結果となった。そのためこの結果は,流動性制約の帰結とはかならずしもいえないと結論づけている。次に1990 年代を通じてトービンのQと設備投資に強い正の関係が認められる。言い換えると,設備投資の停滞には,生産的な投資機会が枯渇していたことが反映していることが明らかになった。また、相対的に流動性資産を保有していない企業のほうが,高いキャッシュフロー感応度が認められた。このファインディングは,前もって流動性資産を保有することが将来の流動性制約を緩め,流動性ショックを吸収することに役立っていた可能性を示している。

第6章は、:流動性資産保有関数の推計を通じて,1980年代から2000年代前半までの企業の流動性資産(現預金)保有行動や,企業金融環境の変化を分析している。そして,1980年代以降の流動性資産の保有には、企業金融環境の顕著な違いが反映されていることを明らかにしている。1990年代半ばまでは,製造業,非製造業ともに,企業は規模に応じて流動性資産を保有する傾向が強く,企業内に積み立てた現預金が設備投資の原資となってきた。銀行借入や企業間信用などの代替的な資金調達手段は,製造業を中心に現預金保有と強い代替関係にあった。しかし,1997年度,1998年度の金融危機を含む1990年代後半になると,企業規模に比した流動性資産の保有サイズは圧縮される傾向が生じていることが明らかにされている。2000年代前半には,製造業でも非製造業でも流動性資産保有のメリットが薄れている。また, 1990年代前半までの製造業では,メインバンクとの資本関係が強いほど,将来の流動性制約に備えた現預金保有の必要性が低下した。また,1980年代前半については,銀行との融資関係が強いほど,現預金が積み増されるという結果も提示されている。

論文の評価

本論文がとりあげたテーマは、わが国の企業行動や金融構造を理解するうえで、重要なものであり、また学術的にみても多くの興味深いトピックスである。特に後半の流動資産の保有が設備投資に与える影響等は、経済危機の影響等を分析する上でも重要な視点と分析結果を提示しており、その貢献は高く評価できる。また、問題意識も現実に生じている諸問題と密接に結びついており、その点でも評価できる論文となっている。

第2章で扱われている時系列的因果関係の分析では、まず売上高から流動性資産への因果性、さらに流動性資産から設備投資への因果性が観測されている。もちろん、この結果だけから多くのことを結論づけるのは拙速であるものの、ここでの結果は売上高の変化が流動性資産の保有量に影響を与え,また資本市場の不完全性によってその流動性資産の保有が、設備投資や景気動向に影響を及ぼしている可能性があることが示されたという点で興味深い分析となっている。

第3章で行っているのは、分析というよりは手法に関する評価である。トービンのQの計測において簡便な方法を用いて計測した場合でも、その誤差があまり大きくない可能性が高いことを示した点は興味深い結果となっており、今後の計測に対して有用な情報を提供していると考えられる。ただし、その小さな誤差がどこまで一般性を持ち得るのか、経済環境が変化した場合にどこまで同様な結論が得られるのかという点については課題として指摘された。

第4章では、負債比率と設備投資との関係が議論されている。本章が興味深い分析となっているのは、格付けの違いによってグループ分けをして、影響を比較している点である。それによって、財務体質の程度によって、負債比率が設備投資に与える影響が異なるという興味深い結果が導出されている。ただし、この結果が、追い貸しの議論とどう整合的であったのか説明が欲しいという指摘もあった。

第5章は、流動性資産の保有が設備投資や企業金融に与える影響を検討している点で重要な分析となっている。ここでは、流動性資産が多い企業の場合には、キャッシュフローが設備投資の有意な説明変数にならないという結論が得られており、この点は流動性資産保有の意義と役割を議論するうえで、有意義な結果となっている。ただし、流動性資産の定義の仕方は議論のあるところであり、その点も考慮した分析も望まれるところである。

第6章は、流動性資産保有が、どのような要因によって決まり、どのような要因に影響を受けているかを検討している点で、興味深い視点に基づいた分析となっている。特に、90年代以降保有に関して規模の経済が観察されることが明らかになったこと、予備的需要に基づく流動性資産の保有が90年代以降にみられる点等、いくつかの興味深いファクトファインディングが得られている。

このように本論文は、この分野における丁寧な実証分析が行われた興味深い論文であるが、改善しうる点が残されていないわけではない。まず本論文が分析対象とした時期は、日本のマクロ経済環境がさまざまな要因によって変化した時期である。本論文全体の分析が、それらの要因とどのように関連しているのかについてもっと明確にした分析や記述にしたほうが良いのではないかという意見が出された。また、実証分析の手法についても、内生性のコントロール等、もう少しきめ細かく行ったほうが良い部分があるという意見もあった。しかしながら、これらの点はいずれも今後の更なる研究の発展を示唆するものであり、本論文の価値を損なうものではないと考えられる。

以上により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)のが学位授与に値するものであると判断した。

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