学位論文要旨



No 124345
著者(漢字) 後藤,章子
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,アキコ
標題(和) gadマウスにおける軸索変性のメカニズム解析
標題(洋)
報告番号 124345
報告番号 甲24345
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第868号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 和田,元
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

神経軸索変性は、いくつかの慢性的な神経変性疾患や、毒物、虚血、外傷等によって引き起こされる障害によって生じることや、神経変性疾患において神経細胞死に先んじて発生し、時には神経細胞死の原因となることが近年の研究により明らかとなっている。しかし、神経軸索変性の分子メカニズムの詳細はまだ明らかとなっていない。

ubiquitin-carboxy terminal hydrolase L1 (UCH-L1) 遺伝子が欠損したgracile axonal dystrophy (gad) マウスは、自然発症型の逆行性神経軸索変性の動物モデルである。UCH-L1は神経や精巣/卵巣に高発現している、脳の可溶性タンパク質の1-5%を占めるタンパク質である。またUCH-L1は、生体内で重要な役割を担う、エネルギー依存的なタンパク質分解系であるユビキチンープロテアソーム系 (ubiquitin-proteasome system :UPS)の構成酵素である脱ユビキチン化酵素の一種である。脱ユビキチン化酵素は、ユビキチンとそのC末端の小さな付加物との結合を加水分解し、遊離のユビキチンを作りだす作用を有することがin vitroの研究により報告されている。加えて、UCH-L1は神経細胞においてモノユビキチンと結合しその安定化を担うという新たな機能を有することが近年明らかとなり、UCH-L1欠損のgadマウスでは、神経細胞、特に坐骨神経の神経軸索において、モノユビキチン量が低下していることが明らかとなっている。

ユビキチン量が少なくなるとUPSの標的タンパク質は十分に分解されないと推測され、モノユビキチンが顕著に低下しているgadマウスにおいては何かしらのタンパク質が蓄積しているのではないか、またそれらの分子が逆行性軸索変性の鍵分子となっているのではないかと推測された。そこで私は、gadマウスにおける神経軸索変性に関連するタンパク質を探索する目的として、蛍光標識二次元ディファレンスゲル電気泳動解析(2D-DIGE)システムを用いて、gadマウスおよび正常wild-type (WT)マウス坐骨神経タンパク質の網羅的発現解析を行うこととした。

【方法と結果】

(1)gadマウス坐骨神経における発現変動タンパク質の探索及び変動分子の同定

WTマウスと比較し、gadマウス坐骨神経において発現変動しているタンパク質を見出すために、2週齢および12週齢の異なる3個体のgadマウスWT坐骨神経タンパク質サンプルに対し、2D-DIGEシステムを用いたタンパク質の網羅的発現解析を行った。その結果、gadマウスにおいて加齢依存的に増加する7個のスポットと、2週齢12週齢いずれにおいてもgadマウスでは検出されない1個のスポットを検出した。そこで、MALDI-TOF/TOFもしくはマウスブレインプロテオームデータベースの情報から推測した分子の特異的抗体を用いた2D-Western blottingを用いて、gadマウスWTマウス間で発現量に差異のあるスポットのタンパク質同定を行った。その結果、gadマウス神経軸索において顕著に蓄積する分子として14-3-3およびglyceraldehyde-3-phosohate dehydrogenase (GAPDH)を見出した。

(2)マウス坐骨神経におけるGAPDH及び14-3-3の免疫組織学的解析

坐骨神経は、神経軸索と、それを覆う形で存在するシュワン細胞から派生するミエリン細胞から形成されている。プロテオミクス解析は神経軸索とミエリンの混合物に対して行っていることから、坐骨神経組織における局在について調べるために、神経マーカーであるNeurofilament (NF)やミエリンマーカーであるMyelin Basic Protein (MBP)に対する抗体を用いた蛍光二重免疫染色を行い、GAPDHタンパク質の局在解析を行った。その結果、GAPDHは神経軸索において優位に発現することが明らかとなった。加えて、gadマウスの神経軸索内においてGAPDHの凝集体を検出した。14-3-3は、GAPDH同様に神経軸索において優位に発現しているが、gadマウスとWTマウス間での発現に差異は認められなかった。

(3)gadマウスにおけるGAPDH蓄積メカニズムの解析

GAPDHはリン酸化やスルフォン化等の修飾を受けることが報告されており、近年特に着目されているのはスルフォン化GAPDHの機能についてである。酸化ストレスを受けるとGAPDHはスルフォン化されること、そしてスルフォン化GAPDHは細胞機能不全/細胞死におけるメディエーター機能を有することが報告されている。今回、GAPDHに対する特異的抗体を用いた2D-Western blottingの結果から、gadマウスにおいてGAPDHが何かしらの修飾を受けて増加している可能性が示唆された。そこで私は、スルフォン化GAPDHを認識する抗体を用いた免疫組織学的解析を行い、gadマウスにおけるスルフォン化GAPDHの発現や局在について調査した。その結果、gadマウスの神経軸索内においてスルフォン化GAPDHが発現上昇していることが明らかとなった。

GAPDH凝集体とスルフォン化GAPDHは、いずれも酸化ストレス負荷時に形成される細胞機能不全/細胞死におけるメディエーター分子とされるものである。そこで私は、gadマウスにおいて酸化ストレスが亢進している可能性を考え、一般的酸化ストレスマーカーである4-hydroxy-2-nonenal (HNE)化ペプチドを認識する抗体を用いた免疫組織学的解析を行った。その結果、gadマウスにおいてHNE化ペプチドが顕著に増加しており、gadマウスにおいて酸化ストレスが亢進している可能性が示唆された。

【考察と今後の展望】

本研究において、軸索変性モデルであるgadマウスの神経軸索において、GAPDHの顕著な増加とその凝集体が検出されることが明らかとなった。また、2D-ウェスタンブロッティングにより、GAPDHはgadマウス内で何かしらの修飾を受けている可能性が示された。そして、免疫組織学的解析により、酸化ストレス負荷時に形成される細胞機能不全/細胞死のメディエーターとされているGAPDHのスルフォン化修飾物が、gadマウス神経軸索において増加していることも明らかとなった。加えて、一般的酸化ストレスマーカーであるHNE化ペプチドがgadマウス神経軸索内で顕著に増加していることが明らかとなり、gadマウスにおいて酸化ストレスが亢進している可能性が示唆された。これらの結果から、gadマウスでは酸化ストレスが亢進し、細胞機能不全/細胞死メディエーターであるスルフォン化GAPDHやGAPDH凝集体が神経軸索内に形成され、それらがgadマウスの軸索変性の発症原因の一端を担っている可能性が考えられる。軸索変性の発症メカニズムの詳細は明らかとなっておらず、その有効な治療法もない現状において、本研究結果は、軸索変性の分子メカニズム解明の一端を担う有意義な結果であると考えられる。今後、GAPDHの神経軸索における機能についての詳細な解析を行い、軸索変性の分子メカニズム詳細を解明したいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

神経軸索変性は、いくつかの慢性的な神経変性疾患や、毒物、虚血、外傷等によって引き起こされる障害によって生じることや、神経変性疾患において神経細胞死に先んじて発生し、時には神経細胞死の原因となることが近年の研究により明らかとなっている。しかし、神経軸索変性の分子メカニズムの詳細はまだ明らかとなっていない。

ubiquitin-carboxy terminal hydrolase L1 (UCH-L1) 遺伝子が欠損したgracile axonal dystrophy (gad) マウスは、自然発症型の逆行性神経軸索変性の動物モデルである。UCH-L1は神経や精巣/卵巣に高発現している、脳の可溶性タンパク質の1-5%を占めるタンパク質である。またUCH-L1は、生体内で重要な役割を担う、エネルギー依存的なタンパク質分解系であるユビキチンープロテアソーム系 (ubiquitin-proteasome system :UPS)の構成酵素である脱ユビキチン化酵素の一種である。脱ユビキチン化酵素は、ユビキチンとそのC末端の小さな付加物との結合を加水分解し、遊離のユビキチンを作りだす作用を有することがin vitroの研究により報告されている。加えて、UCH-L1は神経細胞においてモノユビキチンと結合しその安定化を担うという新たな機能を有することが近年明らかとなり、UCH-L1欠損のgadマウスでは、神経細胞、特に坐骨神経の神経軸索において、モノユビキチン量が低下していることが明らかとなっている。

そこで、本論文提出者は、ユビキチン量が少なくなるとUPSの標的タンパク質は十分に分解されないと推測し、モノユビキチンが顕著に低下しているgadマウスにおいては何かしらのタンパク質が蓄積しているのではないか、またそれらの分子が逆行性軸索変性の鍵分子となっているのではないかと仮説をたて、本論文において検証を行った。

まず始めに、本論文提出者は、蛍光標識二次元ディファレンスゲル電気泳動解析(2D-DIGE)システムを用いて、gadマウスおよび正常マウスの坐骨神経タンパク質の網羅的発現解析を行った。その結果、gadマウスにおいて蓄積する分子として14-3-3およびglyceraldehyde-3-phosohate dehydrogenase (GAPDH)を見出した。

続いて、各分子の特異的抗体を用いた免疫組織学的解析により、14-3-3およびGAPDHは坐骨神経の神経軸索内において優位に発現すること、また、GAPDHはgadマウスの神経軸索内において凝集体を形成していることを見出した。神経変性疾患では異常凝集タンパク質の蓄積がその病態の原因であると考えられており、今回、軸索変性を生じるgadマウスの神経軸索においてGAPDHの凝集体が検出されたことは、GAPDHがgadマウスの軸索変性の鍵分子となる可能性を示唆するものと考えられる。

更に、GAPDHに対する特異的抗体を用いた2D-ウェスタンブロッティング結果から、gadマウスにおいてはGAPDHは何かしらの修飾を受けて増加していることが示唆された。GAPDHは、先行研究からリン酸化やスルフォン化等も修飾を受けることが報告されており、近年特に着目されているのはスルフォン化GAPDHの機能についてである。酸化ストレスを受けるとGAPDHはスルフォン化されること、そしてスルフォン化GAPDHは細胞機能不全/細胞死におけるメディエーター機能を有することが報告されている。そこで、本論文提出者は、免疫組織学的解析により、gadマウス坐骨神経におけるスルフォン化GAPDHの発現および局在解析を行った。その結果、gadマウスの神経軸索内においてスルフォン化GAPDHが発現上昇していることが明らかとなった。

加えて、一般的酸化ストレスマーカーである4-hydroxy-2-nonenal (HNE)化ペプチドを認識する抗体を用いた免疫組織学的解析により、gadマウスにおいてHNE化ペプチドが顕著に増加しており、GAPDHと共に局在していることも明らかとなった。GAPDH凝集体とスルフォン化GAPDHは、いずれも酸化ストレス負荷時に形成される細胞機能不全/細胞死におけるメディエーター分子とされるものである。今回gadマウスにおいていずれもが増加しており、また、gadマウスにおいて酸化ストレスが亢進していることも明らかとなったことから、gadマウスの軸索変性の原因には、酸化ストレスおよびGAPDHの機能変化が関与する可能性が示唆された。

以上をまとめると、本研究において、軸索変性モデルであるgadマウスの神経軸索において、GAPDHの顕著な増加とその凝集体が検出されることが明らかとなった。そして、免疫組織学的解析により、酸化ストレス負荷時に形成される細胞機能不全/細胞死のメディエーターとされているGAPDHのスルフォン化修飾物が、gadマウス神経軸索において増加していることも明らかとなった。加えて、一般的酸化ストレスマーカーであるHNE化ペプチドがgadマウス神経軸索内で顕著に増加していることが明らかとなり、gadマウスにおいて酸化ストレスが亢進している可能性が示唆された。これらの結果から、gadマウスでは酸化ストレスが亢進し、細胞機能不全/細胞死メディエーターであるスルフォン化GAPDHやGAPDH凝集体が神経軸索内に形成され、それらがgadマウスの軸索変性の発症原因の一端を担っている可能性が考えられる。軸索変性の発症メカニズムの詳細は明らかとなっておらず、その有効な治療法もない現状において、本研究結果は、軸索変性の分子メカニズム解明の一端を担う有意義な結果である。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するに相応しいものと認定した。

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