学位論文要旨



No 124350
著者(漢字) 安達,淳博
著者(英字)
著者(カナ) アダチ,アツヒロ
標題(和) アミロイドβペプチドの分泌を亢進するキナーゼ群の同定とそれらが制御する小胞輸送過程の分子機構の解明 : 細胞内タンパク質のローカリゾミクス研究のための可視化解析システムの構築
標題(洋)
報告番号 124350
報告番号 甲24350
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第873号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 准教授 坪井,貴司
 東京大学 准教授 松田,良一
内容要旨 要旨を表示する

細胞内のタンパク質は、適切な場所に局在することにより初めて正常な機能を発揮することが出来る。したがって、タンパク質の局在の異常は、その正常で最適な機能発現を撹乱する。特に、膜タンパク質は、細胞内小胞輸送によって、その局在が高度に制御されており、その撹乱は膜タンパク質が関わる細胞の恒常性に多大な揺動を与えることになる。細胞内小胞輸送とは、小さな膜小胞が細胞内のオルガネラ間を行き来することによる物質と情報の伝達手段であり、巧みな制御を受けることにより、細胞内の物質・情報の流れを制御している。しかし、何らかの理由で、この精巧な制御システムが揺動を受けると、多くのタンパク質(脂質も)の局在が撹乱され、細胞の恒常性が乱れて細胞病態を示すようになる。

その1例が、細胞内コレステロールの恒常性を保つために重要な役割を担っているABC(ATP binding cassette)-A1の内在化と動脈硬化の例である。ABC-A1のようなATP駆動型の物質排出トランスポーターは主に細胞膜に局在しその機能を発揮する為、その局在制御機構が何らかの障害を受けて細胞膜以外に局在することになるとその機能障害が顕著に現れる。ABC-A1の場合は、細胞内の余剰コレステロールの排出機能が障害を受けて、細胞内にコレステロールの異常蓄積が起こり動脈硬化症の原因となるマクロファージの泡沫化などが誘起される。このように、タンパク質-特に膜タンパク質の局在の撹乱は、細胞病態を誘起する。言い換えれば、疾患に関わる特定の標的タンパク質の局在撹乱を誘起するタンパク質ネットワークを明らかにすれば、その中に、その疾患の原因となる鍵タンパク質が見つけられる可能性がある(「ローカリゾミクス」研究)。しかし、実際には、どの様な疾患に対しても対応できる汎用性の高いタンパク質ネットワークの同定法の構築は難しい。

われわれは、「キナーゼ」に着目することによってこの汎用性の高い同定法構築を試みた。細胞内情報伝達におけるキナーゼの役割とその重要性は議論の余地はないが、本研究で解析対象とする「細胞内小胞輸送」の制御因子としてもキナーゼの重要性は非常に大きい。つまり、標的タンパク質の細胞内局在を制御する(=標的タンパク質の細胞内小胞輸送を制御する)キナーゼを、網羅的な可視化スクリーニングによって同定し、そのキナーゼの上流・下流のタンパク質群を抽出し、個々のタンパク質が注目する細胞病態にどう影響するのかを実験的に検証することで、キナーゼを中心とした疾患関連遺伝子産物群の同定と鍵タンパク質の同定が期待できると予想される。

本研究では、標的タンパク質としてトランスゴルジネットワーク(trans-Golgi network)とエンドソーム間を循環輸送するカチオン非依存性マンノース6リン酸受容体(cation independent - mannose 6 phosphate receptor; CI-M6PR)に着目し、その局在撹乱によって誘起される細胞病態としてアルツハイマー病の代表的な病態指標であるアミロイドβタンパク質(Aβ)の分泌に着目した。つまり、CI-M6PRの細胞内局在を撹乱する「キナーゼ」とその上流・下流のタンパク質ネットワークを抽出し、その中より、アルツハイマー病の代表的な細胞病態であるAβの分泌亢進を誘起するタンパク質(群)を絞込み、病態発現の分子メカニズムに迫ると同時に、この研究推進のために必要な一連の解析システムを構築し、「疾患に関わる標的タンパク質の局在を制御するタンパク質ネットワークを見つける汎用性の高い解析システムのプロトタイプを作成すること」とした。

本研究では、開発した可視化解析システムを用い、以下の3点を明らかにすることに成功した。

まず第1点目は、TGNとエンドソームを循環するCI-M6PRの輸送過程の平衡状態の攪乱を、TGN局在タンパク質であるp230との共局在の定量的解析から推定・評価し、それを指標に、キナーゼ阻害剤やヒトキナーゼsiRNAライブラリーをハイスループット(ハイコンテンツに)にスクリーニングする方法を開発した。これは、図1にもあるように、両オルガネラ間の輸送の平衡状態が乱れ、エンドソーム側にCI-M6PRの局在が偏れば、赤色蛍光で標識されたCI-M6PRと緑色蛍光で標識されたTGNマーカータンパク質であるp230の2色の蛍光像の形態的相違や色合いの違いから輸送の平衡状態の乱れが推定できるものである。本方法では2種類の蛍光(CI-M6PRとp230)の「共局在化の割合を定量化する」ことにより、本来、輸送量の時間経過を定量的に追跡する必要があった輸送過程の解析を固定した蛍光抗体法による形態画像から推定できるようにしてハイスループット可視化アッセイを可能にした。実際、この定量的解析手法を用いたキナーゼ阻害剤の網羅的な可視化スクリーニングから、5種のキナーゼ阻害剤(Bisindolylmaleimide I, SH-5, GSK3β kinase inhibitor VII, TBB)がCI-M6PRの局在撹乱を誘起することを明らかにできた。

第2点目は、標的タンパク質の局在を制御するキナーゼの同定から、その基質(下流)分子としてCLASP2を同定したことである。本研究では、キナーゼ阻害剤29種類とヒトキナーゼsiRNAライブラリーを用いた2段階からなる網羅的可視化スクリーニングを行い、CI-M6PRの局在を制御する5種のキナーゼ(CDC42BPB, PRKACA, PRKACG, GSK3β, CSNK2A1)を同定し、その内2種のキナーゼ(PRKACG, GSK3β)がAβ分泌を亢進させることを確認した。加えて、既存のデータベースなどを最大限に利用し、その2種のキナーゼの1種・GSK3βの下流分子として微小管結合タンパク質・CLASP2を同定し、その活性低下がAβ分泌の亢進を誘起することを実験的に確認した。また、その作用機序として、GSK3βの活性低下によるCLASP2の微小管ネットワーク形成機能の攪乱が、エンドソーム→TGNの輸送攪乱を誘起し、Aβの前駆体であるAPPのプロセッシング酵素であるBACE1とAPPの細胞内局在を攪乱することが原因であるというモデルを提唱できた。これらの結果は、本研究の目的である、「膜タンパク質の局在撹乱とそれが原因となる細胞病態を結びつけるタンパク質ネットワークを明らかにする」ことが十分達成できたことを意味している。

第3点目は、可視化スクリーニングに最適な独自のセルアレイチップを日京テクノス(株)と共同で作成し、さらにそれを用いたサンプル作成のための一連の過程を、同じく日京テクノス(株)との共同研究により開発したCellTech Stationにより自動化させたことである(図2)。これらの開発により、細胞培養、阻害剤の添加、プラスミドやsiRNAのトランスフェクション、間接蛍光抗体法、セミインタクトアッセイを完全自動化することに成功した。一般的に、ハイスループットスクリーニングにはプラスティックまたは石英製の96welや384wellプレートが使用されており、8連や12連ピペットを使用したマニュアル法によって人が溶液などを分注し各種アッセイを行っている。しかし、そのような人手が介在すればするほど、人為的なミスや実験結果のばらつきなどが生じてくることになる。CellTech Stationは、コンピュータプログラムによって様々な分注操作や溶液の出し入れが正確に制御されかつ自動化された装置であり、ピペットの誤差も0.1μl以下とwell間の誤差も小さくなるような精度で設計されている。また、本研究で使用したセルアレイチップは、汎用の光学顕微鏡用スライドグラスと同サイズでありながら、市販のハイスループットアッセイ用の96wellや384wellプレートよりもサイズが小さい分、対角線上の両隅のwell間でのプレートのゆがみに対する誤差が小さく、また素材に石英グラスや強化グラスを使用しており、プレートのゆがみがないため、画像取得の際、well間のプレートのゆがみを考慮することなく光学顕微鏡による自動画像取得を行うことが出来る利点を持っている。このように、本研究で開発したCellTech Stationは、サンプル作成の段階からその可視化データの取得・解析に至るまで「ローカリゾミクス」研究に必要不可欠なHigh-Content Screeningを実施しするための最適な自動アッセイ装置と思われる。

最後に、ここで開発したCellTech Station及び一連の可視化解析システムは、本研究で標的タンパク質としたCI-M6PRの代わりに、他の疾患関連の重要な(膜)タンパク質やmRNA、脂質を用いその局在を可視化することさえできれば、様々な生体分子の細胞内局在の攪乱と病態発現との因果関係を解析できる汎用性の高いシステムとなっている。そのため、本可視化解析システムは、形態を指標とした「ローカリゾミクス」研究において強力なツールとなりうると考えられる。

図1.3-MA存在下におけるCI-M6PRの局在撹乱

PI3K阻害剤である3-MA存在下でのHeLa細胞内のCI-M6PR局在を観察することで、エンドソーム→TGN間の逆行輸送が阻害された場合のCI-M6PR局在変化を観察した。3-MA非存在下(control; 左図)では、TGNマーカータンパク質であるp230とCI-M6PRは、強く共局在していることが分かる。しかし、3-MA存在下(Perturbation of transport by 3-MA; 右図)では、CI-M6PRとp230は分離した画像が得られ、共局在しなくなる。このような、形態変化を指標として可視化スクリーニングを実施した。

図2.セルアレイチップ(左図)とCellTech Station(右図)

審査要旨 要旨を表示する

細胞内のタンパク質はその局在が正確に制御されており、その局在の撹乱はタンパク質の機能攪乱を誘起し、結果的には様々な細胞病態発現の原因となる。つまり、タンパク質局在の撹乱の原因因子を明らかにすることによって、病態発現の鍵タンパク質とその発現機序が解明できる可能性がある。本論文では、カチオン非依存性マンノース6 リン酸受容体(以下、M6PR)の細胞内局在の攪乱の原因となるキナーゼの一つ(グリコーゲン合成酵素キナーゼ:GSK3β)とその基質タンパク質(CLASP2)が、アルツハイマー病の代表的な細胞病態であるアミロイドβタンパク質(Aβ)の分泌亢進を誘起する鍵タンパク質であることを同定し、その作用機序モデルを提唱したものである。本論文では、先ず、セルアレイチップ自動作成装置とチップ自動可視化システムを開発し、M6PRの局在情報(光学顕微鏡イメージ)をもとにそれを攪乱するキナーゼ阻害剤(~30 種)とヒトキナーゼsiRNA ライブラリー(270 種類)の網羅的スクリーニングを実行した。このシステマティックなキナーゼ同定法を駆使し、最終的にはM6PR の細胞内局在を撹乱する5 種類のキナーゼを同定した。そのうちの2 種類(GSK3β とPRKACG)のキナーゼのRNAi 処理細胞においてAβ の産生亢進が見られること発見した。さらに、アルツハイマー病において注目されるキナーゼGSK3βの基質タンパク質候補としてCLASP2を既存のデータベースを駆使して抽出することに成功した。CLASP2 のノックダウン細胞においてもAβ の産生亢進があることを実験的に確認し、同時にGSK3β の活性低下が微小管結合タンパク質であるCLASP2 のリン酸化状態を変化させること、それがゴルジ体近傍の微小管ネットワークのダイナミクスを攪乱しエンドソームからゴルジ体への逆行小胞輸送経路を撹乱すること、などを明らかにした。これらの結果から、GSK3β の活性低下によるAβ 産生亢進の作用機序として、Aβ 産生を担う酵素BACE1 とその基質であるアミロイド前駆体タンパク質(APP)の輸送の撹乱がエンドソーム内に両者を過剰に共局在化させることによるという新たなモデルを提唱できた。本論文の結果は、タンパク質の局在とその機能発現との関係を網羅的に解析する「ローカリゾミクス」という新しい研究領域のさきがけであり、かつ、その領域研究推進に広く活用できる全く新規のタンパク質ネットワーク解析法の構築とその応用例を示した最初の研究である。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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